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更新日時 2017年10月21日

 函館中華山荘:函館には、幕末から中国人が住み始めており、大半は海産物の貿易に携わっていた。この墓地は、明治9年(1876年)に、青森県下に漂着した中国人の遺体を埋葬するために、開拓使から土地を借りたことに始まる。当初の面積は、184坪(607u)しかなかったが、大正8年(1919年)に隣接の土地を買収し、466坪(1,538u)となった。この時に、周りをレンガ塀で囲み、現在のような体裁となった。墓地内には、総檜造り瓦屋根の祠堂や「中華義塚」と彫られた石碑、炉跡のほかに、知られているだけでも9基の石碑と4基の木碑がある。この墓地は代々の華僑団体が管理を行っており、毎年、清明節(春分後15日目)と中元節(旧盆)には、祭祀が営まれ、紙銭を焚いて墓祭を行い、先人の冥福が祈られている。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀の明治七年函館製造の煉瓦の刻印があったが、後からはめたような感じがする。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀の明治七年函館製造の煉瓦の刻印があったが、後からはめたような感じがする。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の庭に野良煉瓦が落ちている。
I函館中華山荘の庭に野良煉瓦に煉瓦の刻印発見。三の煉瓦の刻印。
I函館中華山荘の庭に野良煉瓦に煉瓦の刻印発見。六の煉瓦の刻印。
I函館中華山荘の庭に野良煉瓦に煉瓦の刻印発見。一の煉瓦の刻印。
I函館中華山荘の焚帛炉。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の煉瓦塀。
I函館中華山荘の階段に煉瓦が使われている。
I函館中華山荘の階段に煉瓦の刻印を発見。六の煉瓦の刻印。
I函館中華山荘の階段に煉瓦の刻印を発見。一の煉瓦の刻印。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『函館市』を掲載」
函館中華山荘