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更新日時 2017年12月17日

煉瓦塀 寂静山無為院圓勝寺
 寂静山無為院圓勝寺:浄土真宗本願寺派 寂静山無為院圓勝寺は、今から約四百年前の戦国時代、古津神浦城の城主であった篠原肥前守自遁の三男右近が開基したと伝えられています。篠原肥前守自遁は、阿波の戦国大名三好氏の家臣であり、三好三人衆の一人、篠原長房の実弟と言われています。織田信長と戦っていた石山本願寺の顕如上人は篠原長房を重視し、永禄二年(1559年)、蓮如上人の孫娘(富田教行寺実誓の娘)を嫁がせています。(顕如上人『私心記』永禄二年六月八日「富田息女、阿波篠原所ヘヨメ入也。悉皆是ヨリサセラレ候。△福島マデ御送候。屋クラヘ行見物候。」)元亀元年(1570年)10月、石山本願寺の顕如上人と織田軍との戦いは激しくなりましたが、篠原一族が軍勢3万を送り加勢したことで、本願寺は当座の危機を脱することが出来ました。その後四国内での勢力争いが激化し、相次ぐ戦によって一族が戦死、離散していく姿をみた右近は、世の無常を嘆き、顕如上人の元に訪れ得度を受け浄土真宗の門下となります。当地に帰った右近は、名を釋正秀と改め、元の家臣達を浄土真宗に教化し、文禄元年(1592年)家臣たちと共に姫田村の西辺に圓勝寺を建立し、現在まで法灯が受け継がれています。第三世住職善正師の時、寛文十一亥年(1671年)火災に会い凡てを焼失 其後当山中興の祖と云われる第七世住職梅隆師は元文四年(1739年)に現在の地に移り本堂を再建しました。徳島県鳴門市大麻町姫田字里118
@寂静山無為院圓勝寺。
@寂静山無為院圓勝寺の煉瓦塀。
@寂静山無為院圓勝寺の煉瓦塀。
A寂静山無為院圓勝寺の煉瓦塀。
B寂静山無為院圓勝寺の煉瓦塀。
C寂静山無為院圓勝寺の煉瓦塀。
C寂静山無為院圓勝寺の煉瓦塀。
D寂静山無為院圓勝寺の煉瓦塀。
D寂静山無為院圓勝寺の煉瓦塀。
D寂静山無為院圓勝寺の煉瓦塀は長手積みで積まれている。
D寂静山無為院圓勝寺の煉瓦塀平面を確認したが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『鳴門市』を掲載」
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