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更新日時 2016年05月31日

 日本煉瓦製造(にほんれんがせいぞう、日本煉瓦製造株式会社)は、かつて存在した日本の煉瓦製造・販売会社である。本社を東京に置き、埼玉で煉瓦製造工場を操業していた。明治政府は臨時建築局を設置し、ドイツ人建築家のヴィルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデをお雇い外国人として日本に招いた。彼らは都市整備のために良質な煉瓦、ならびにそれを製造する工場が必要であることを明治政府に進言した。これにより渋沢栄一らによって日本煉瓦製造が設立され同工場が埼玉県榛沢郡上敷免村(後に大里郡大寄村上敷免を経て、現在の深谷市上敷免)に建設された。後に太平洋セメントの子会社となり、2006年、日本煉瓦製造は株主総会において自主廃業を決定、清算された。会社清算に伴い、埼玉県深谷市にあった工場の諸施設は、すでに重要文化財に指定されていた「ホフマン輪窯」「旧事務所」「旧変電所」などを含めて所有権が深谷市に移転、同市によって保存・整備されることとなった。工場は利根川の支流小山川に面しており製造された煉瓦は舟運により小山川から利根川そして江戸川に入り東京に至るというルートをとっていたが、輸送力向上を目的として1895年(明治28年)に日本鉄道の深谷駅から工場までの約4.2kmにわたって日本煉瓦製造専用線が敷かれた。
 @ホフマン輪窯6号窯:ホフマン窯は煉瓦を焼くための施設である。ホフマン式輪窯とも。ドイツ人技師ホフマン(Friedrich Hoffman)が考案し、1858年に特許を取得した。明治40年に建設、昭和43年に操業を停止した。長さ65.5m、幅20m、高さ3.3mの小判形の平面を持つ。その全体は、18の焼成室に分かれ、各部屋の内法は、長さ約6m、幅4m、最も高い天井高2.6mである。月産生産高65万個の煉瓦が生産されたという。東京駅や赤坂離宮(現迎賓館)などの赤レンガもここで作られた。昭和53年深谷市指定文化財、昭和55年埼玉県指定有形文化財の指定を経た。
@ホフマン輪窯6号窯。
@当時のホフマン窯。 @内部ではトロッコが使われていた。
@ホフマン窯の厚みは入口部の開口から解る。
@投炭孔。 @煙道。
@ホフマン輪窯6号窯内部。
 A日本煉瓦製造株式会社旧事務所:建物は明治21年頃の建設で、煉瓦製造施設の建造と煉瓦製造技術の指導に当たったネスチェンテス・チーゼ技師が居住兼工場建設事務所として使用したと伝えられている。地元の人々からは「教師館」「異人館」の名で呼ばれていた。日本煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を大量供給する民営工場として、渋沢栄一らが、中心となって設立された。工場建設地は、当時政府に招かれていた建築技師ウィルヘルム・ベックマン、チーゼらのドイツ人技術者の指導により選定され、良質の原土を産出し、水運による東京への製品輸送が可能な現深谷市上敷免新井に決定された。地0是はチーゼは娘クララと共に明治22年12月に帰国するまでここで生活し、彼の帰国後は会社事務所として使用された。
A日本煉瓦製造株式会社旧事務所の階段と縁の下の構造。
A色々な製造所の煉瓦はあるが刻印が無い。 Aイギリスの煉瓦他。
A展示品。 AキュリアスA。
A入口左側の展示室。 A入口正面の廊下。
A煉瓦詰め作業。 A投炭作業。
Aコール式乾燥室、トロッコ軌道がある。 Aトロッコによる煉瓦の運搬。
A専用鉄道。蒸気機関車からディーゼルへ。 A専用鉄道。明治28年。
A煉瓦素地仕上げ作業。 A煉瓦素地成形機。
A日本煉瓦製造株式会社株券。 A第1号運輸免許状。
A深谷−上敷免間鉄道布設願。
A左側廊下。 A代表的煉瓦建造物マップ。
A碓氷トンネル。日煉の煉瓦が使われている。 A日本煉瓦製造の上敷免の工場。
A日本煉瓦製造の上敷免の工場。工場内にレールが敷かれているのが解る。
A左側展示室の奥の展示室。 A歴史的煉瓦製造所マップ。
A左側展示室の奥の展示室の展示品。
A左側展示室の奥の展示室の展示品。
A左側展示室の奥の展示室の展示品。
Aフマン輪窯6号窯で使われていた煉瓦? A日煉の刻印。
A上敷免製の刻印。 A星形の刻印。
A日本の刻印。
A金町製瓦株式会社製。 A傘本刻印入り煉瓦。鼻横黒煉瓦。
A須長藤吉煉化製造所(足利)製。 A桜花刻印の煉瓦。
A日本(昭和期)及び日煉(明治期)刻印付き仕上げ用たたき板。
A指輪形煉瓦刻印(日本) A日煉の刻印。
A鉄道関係の展示品。 A専用鉄道の犬釘。
A専用鉄道で使われたレール。 A石炭投入口と蓋。
 A旧変電室は、明治39年頃の建造と言われている。室内には変電設備が設置されていた。日露戦争後の好景気による建築・土木事業の拡大がもたらした煉瓦需要の増加に対応するため、日本煉瓦製造株式会社は、設備投資一環として電力の導入を開始した。諸産業への電力利用の普及も有り、従来より使用していた蒸気式原動機の電動機への転換に踏み切ったのである。明治39年8月、会社は高崎水力電気株式会社と契約を締結、電灯線を架設し、電動機を導入した。当時の深谷町に電灯が導入される1年前のことであり、先端技術を積極的に導入しようとする会社の姿勢をうかがう事が出来る。
A創立七十周年記念。
A昭和62年10月25日創業百周年記念碑。日本煉瓦の社章が付いている。
A専用鉄道で使われていたレールと思われる。
A比較的新しそうな日本煉瓦製造の煉瓦が置いてある。最後のロット製品だろうか?
B日本煉瓦製造の北側の煉瓦塀。
B煉瓦塀の小口に七の刻印。 B煉瓦小口の二ノAとホノAの刻印。
B煉瓦小口の二ノAと○に菱形?の刻印。 B煉瓦小口の二ノAと○に菱形?の刻印。
 C備前渠鉄橋。煉瓦輸送専用線用に架設された鉄橋である。創業当初からの輸送手段であった利根川舟運は安定した輸送力に欠け、燃料や製品の輸送に度々問題が発生した。これを解決するために建設されたのが本専用線であり、明治28年、深谷駅との間で日本初の民間専用線として運用を開始した。専用線には4箇所の鉄橋が架設されているが、唐沢川、福川備前渠には当時の鉄道院技師、イギリス人チャールズ・アセトン・W・ポーナルが基本規定を設計したI字形鋼板を橋桁とする「ポナール型プレート・ガーター橋」が採用された。中でも本鉄橋は15.7mと専用線中最長の橋桁を有している。また分岐する用水路に架設された煉瓦アーチ橋は長さ2mと小規模ながら完全な煉瓦構造と推定される貴重な構造物である。
C備前渠鉄橋。煉瓦の刻印は見つからなかった。 C備前渠鉄橋手前の煉瓦造りの暗渠。
福川橋梁。日本最古のポーナル型プレート・ガーター橋。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『深谷市』を掲載」
日本煉瓦製造