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更新日時 2016年06月13日

 旧中川煉瓦製造所ホフマン窯は市街地北部の八幡堀と接する敷地に建つ。燃料商・柴屋を営んできた中川長九郎は明治16年(1883年)4月、東湖組を創立して煉瓦の焼成を開始する。これは滋賀県下の煉瓦製造の嚆矢をなす。東湖組は明治40年(1907年)前後に中川煉瓦製造所と改称し、さらに昭和9年(1934年)に大普煉瓦と社名を変更する。昭和42年(1967年)まで煉瓦を製造し、その後屋根瓦に転換したが、昭和45年以降休業する。長辺55m,短辺14mの南北に長い平面で,南寄りに約30m高の煙突を建てる。中央煙道の周囲にアーチ構造体をほぼ環状に廻らし,イギリス積の外壁にはアーチ形開口部を設ける。残存例少ないホフマン窯の一つ。大正5年(1916年)頃竣工。滋賀県近江八幡市船木町字東澤田59-1。登録年月日:20051110。登録有形文化財(建造物)
@社会福祉法人 一善会介護老人福祉施設 赤煉瓦の郷がホフマン窯を管理している。
@中川煉瓦製造所のホフマン窯の全体外観。
@中川煉瓦製造所の元関係者の子孫の方に案内してもらいました。
 @中川煉瓦製造所のホフマン窯の入口は通常はコンパネで塞がれているが、今回は予約したため事前に入口を解放してもらい、内部の照明も点灯して頂いた。
@中川煉瓦製造所のホフマン窯内部。
@中川煉瓦製造所のホフマン窯の煙道。
@中川煉瓦製造所のホフマン窯の一部は崩壊していて、崩壊部はテントで囲われている。
@中川煉瓦製造所のホフマン窯内部。
@中川煉瓦製造所の煉瓦は私が確認した範囲では刻印が見つからなかった。
@天井部の投炭孔。
@平成9年(1997年)以降有志の手で煉瓦の焼成を復元操業した窯の開口部。
@平成9年(1997年)以降有志の手で煉瓦の焼成を復元操業した時に焼いた煉瓦。
 A中川煉瓦製造で造られた煉瓦で造られた縄縫工場。日杉山を隔てて東方約300mの孫平治町に縄縫工場が倉庫に転用されている妻面に櫛形アーチを持つ出入口を開くほかは2個の小窓を有するだけの簡素な建物であるが軒廻りデンティル状の装飾が目を引く。また一部残っている塀に煉瓦を斜めに乗せて屋根をかたどっているのは面白い。外壁は小口積みとする。
B池田町洋風住宅街(ブォーリーズ建築群)中川煉瓦製造所の屑煉瓦を再利用した煉瓦塀。
B池田町洋風住宅街(ブォーリーズ建築群)中川煉瓦製造所の屑煉瓦を再利用した煉瓦塀。
B池田町洋風住宅街(ブォーリーズ建築群)吉田悦蔵宅(近江兄弟社を興した人物)
近江八幡の住宅には他にも煉瓦を使用した門柱が沢山有る。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『近江八幡市』を掲載」
近江八幡 旧中川煉瓦製造所ホフマン窯