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更新日時 2016年07月04日

 神崎煉瓦ホフマン窯:京都府舞鶴市西神崎に位置する由良川河口右岸に設置された釜です。明治30年(1897年)9月、京都深草在住の山田宗三郎氏によって、京都竹村丹後製窯所として興業しました。当初は登り窯であったものを、煉瓦需要拡大に対応するため、大正の末頃に、窯の一部を再利用し、ホフマン式輪窯に改良しました。それにより、従来は、登り窯で煙突が1本で、一度焼く毎に火を消さなければならなかった仕組みから、現存する煙突11本を作り、それぞれに区割りして別々に作業が進められる仕組みに変わり、格段に効率がよく運用が出来るようになったものです。明治34年(1901年)の鎮守府開設に伴い煉瓦を製造。ホフマン窯は、45m×9mの楕円形のトンネル式(内部は高さ1.8m、幅2.8m アーチ型)で煙突は11本あった。昭和30年(1955年)頃には全国で57基あったが現在では4基のみ。市内にはここで造られた煉瓦を使った建造物が多数残されている。
 @丹後神崎駅(たんごかんざきえき)は、京都府舞鶴市油江にある、WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)宮津線の駅。「宮舞線」の愛称区間に含まれている。神崎海水浴場の最寄駅であり、「神崎海水浴場駅」の愛称が付けられている。以前は、臨時で夏期などに特急が停車することがあったが、2008年3月改正で「タンゴディスカバリー」の宮津線宮津駅以東乗り入れが廃止されてからは、普通列車のみ停車する。西舞鶴駅から当駅までは、舞鶴市内を走る。
 @丹後神崎駅駅構造は宮津方面に向かって左側に単式1面1線のホームを持つ地上駅。分岐器や絶対信号機がないため、停留所に分類される。宮津寄りに小さな駅舎があるが、無人駅となっている。自動券売機等も設置されていない。
A神崎ホフマン窯入口。 B神崎ホフマン窯。
B神崎ホフマン窯の全景。見学用に補修され屋根が架けられています。
B神崎ホフマン窯。
B神崎ホフマン窯の内部が見学出来る部分です。
B神崎ホフマン窯内部。
B神崎ホフマン窯内部。
B神崎ホフマン窯の材料には玉石なども使用され建造されています。
 B神崎ホフマン窯の入口部の煉瓦の小口に▽印の刻印が見つかりました。この煉瓦は新しく見えますが、基本的に補修作業は神崎ホフマン窯に残っていた材料で補修していますので神崎窯の刻印と思われます。保存している財団の方は神崎ホフマン窯の刻印は見つかっていないと言っていましたので大発見かもしれません。
B入口部コーナーの煉瓦はR型。 B煉瓦の刻印?
B神崎ホフマン窯に使われている煉瓦。
B神崎ホフマン窯の各部屋の入口部分。
B神崎ホフマン窯の外壁部分。 B煙道部分。
B煙突の一部。
B神崎ホフマン窯の長手端部の煉瓦は崩落しています。
B神崎ホフマン窯の特別見学会(現在の所一般公開はしていません)
B神崎ホフマン窯。
B煙突の一部。
B煙突の一部。
B神崎ホフマン窯に使われていた古煉瓦を保存しています。
B神崎ホフマン窯に使われていた古煉瓦を保存しています。
B神崎ホフマン窯で後期には煉瓦が震災後売れなくなり瓦を製造していました。
B不良品の煉瓦。
B不良品の煉瓦。 B煉瓦の水差し。
 C湊十二社:東西神崎の氏神。元文3年(1738年)の棟札あり。熊野本宮大社・速玉大社・那智大社などの十二柱の神を祀る。海の安全と豊漁を祈願。10月には宵宮・本祭と二日間の祭りがあり、府の無形民俗文化財の「扇おどり」を奉納する。本殿には市の有形民俗文化財の和船2艘(北前船)が奉納されている。鳥居の扁額は、東郷平八郎の書。手水舎は煉瓦造りで柱の角が丸く珍しい。
 C煉瓦造りの手水舎。神崎煉瓦工場の創設者が奉納したもので、井戸を囲む3面が煉瓦造り。また、屋根部分は日本風の瓦葺き。柱や角は丸く加工した煉瓦を使用しているほか、壁部分には透かしを設けるところなどところどころに意匠を凝らしています。井戸の内側面にの御影石には、次のような内容が彫られており、煉瓦工場が、京都出身の三人による共同経営であったことを示しています。「奉納井戸口館 明治三十六年初春 本村小字戸崎ニ於イテ製窯所創設記念 明治三十六年十月 京都新町五条 竹村藤兵衛 薩摩治兵衛 京都深草 山田宗三郎」
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『舞鶴市』を掲載」
出典: 舞鶴文化教育財団(神崎煉瓦ホフマン式輪窯)
神崎煉瓦ホフマン窯