更新履歴

更新日時 2016年08月24日

@榎戸堰組合用水樋管
住所:埼玉県鴻巣市榎戸2丁目7番
@榎戸堰組合用水樋管は、榎戸堰から上流50mの元荒川右岸に設けられ、農業用水を送水している。かんがい受益地は荒川の左岸と元荒川の右岸に囲まれた地域である。榎戸樋管は現役の施設であり、管理は足立北部土地改良区がおこなっている。
@榎戸堰組合用水樋管と刻まれている。塔に銘板が付けられた煉瓦樋管は、埼玉県には榎戸樋管しか現存しない。
@榎戸堰組合用水樋管の下流側。躯体に比して大きな塔は橋梁の親柱の様な意匠。
@準用河川。元荒川起点。
元荒川の準用河川当時の起点で現在の起点よりもかなり下流にあります。
@榎戸堰組合用水樋管の下流側。樋門のサイズは小さいが、翼壁は、もたれ式。アーチリングは煉瓦小口縦の3重巻き立て。アーチトップには6個の煉瓦が小口縦に積まれ、くさび石風の装飾が施されている
@榎戸堰:元荒川は山地水源を持たない内水河川だが、利水的観点からは用排水兼用の河川であり、上流から順に榎戸堰(吹上町)、三ツ木堰(鴻巣市)、宮地堰(鴻巣市)、末田須賀堰(岩槻市)と4基の取水堰(農業用水)が設けられている。昭和初期までは、これらの他にも笠原堰(鴻巣市)と栢間堰(菖蒲町)があり、合計6基の取水堰が存在したが、笠原堰と栢間堰(小竹堰)は宮地堰へ合口され廃止された。
@代田仙三郎翁顕彰の碑。
榎戸堰は、元荒川最初の堰にあたり、古来下流田畑にとっては、命とたのみ重要な堰であった。しかし、江戸期から明治初年にかけては極めて貧弱な構造だったため常に修復が求められ、関係村々の悩みとなっていた。ここに明治三十六年三月、第二代吹上村長、代田仙三郎翁は、堰用水利用各村の代表者を説き、自ら組合の責任者となって恒久的用水堰を建設すべく、県費補助を得て工事に着手したが、建設地の地盤は予想以上に軟弱をきわめ、そのうえ湧水いたる処となって思いもかけぬ難工事となり、費用は予算を遙かに超えたが、翁は、なおこれに屈せず、私財まで投入してついに同年末、近代工法による半永久的な榎戸堰を完成させた。以来,関係村々は毎年くり返された修復普請の労苦から解放されると同時に、安定した用水を得て、その恩恵は今日に及んでいる。今まさに、ふる里を見つめ創生をめざす時にあたり、英明、代田仙三郎翁を顕彰し、もってその遺徳を後世に伝えると共に、新たな町づくりを展開する誓いの石文として、翁ゆかりの地に、この碑を建立するものである。
@榎戸堰で使われていた仕切板を入れる堰柱の一部。
Copyright (C) 2008-2017 hotetu.net All Rights Reserved
外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『鴻巣市』を掲載」
出典: フカダソフト\きまぐれ旅写真館\埼玉の煉瓦水門
煉瓦構造物 榎戸堰組合用水樋管