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更新日時 2016年09月25日

煉瓦構造物 東京煉瓦刻印探索2016
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目33
(2016年09月11日)
ガンタ積みの煉瓦擁壁。
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目33
(2016年09月11日)
ガンタ積みの煉瓦擁壁。
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目33
(2016年09月11日)
ガンタ積みの煉瓦擁壁。
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目33
(2016年09月11日)
この煉瓦の塊だけ手抜き煉瓦の質感の表面光沢がある。
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目33
(2016年09月11日)
右書きの上敷免製の煉瓦刻印
表面のしわしわが機械抜きの特徴である(日本煉瓦製造製)
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目33
(2016年09月11日)
左書きの上敷免製の煉瓦刻印
表面のしわしわが機械抜きの特徴である(日本煉瓦製造製)
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目32
(2016年09月11日)
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目32
(2016年09月11日)
電路の煉瓦刻印
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目32
(2016年09月11日)
リの煉瓦刻印
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目32
(2016年09月11日)
ラの煉瓦刻印
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目32
(2016年09月11日)
トの煉瓦刻印
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目32
(2016年09月11日)
ニの煉瓦刻印
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目32
(2016年09月11日)
ヨの煉瓦刻印
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目32
(2016年09月11日)
コの煉瓦刻印
東京煉瓦刻印探索2016
住所:東京都渋谷区上原1丁目32
(2016年09月11日)
ラの煉瓦刻印
B官営品川硝子製造所跡。
日本における近代硝子工業発展のもとになったのは、明治6年(1873年)に東海寺境内に創設された興業社である。興業社は明治9年に工部省に買収されて官営品川硝子製造所となり全国の硝子工業の発展に貢献した。明治18年には西村勝三らに払い下げられて民間経営となったが、経営不振のため明治25年に解散した。昭和36年に官営時代の建物は取りかたづけられたが、煉瓦造りの工場の一部は明治村に移築され保存されている。
明治村の旧工部省官営品川硝子製造所。工部省品川硝子製造所 旧所在地 東京都品川区北品川 建設年代 明治10年(1877)頃 明治6年(1873)イギリス人技術者を雇い入れて、品川興業社硝子製造所が開設された。同9年工部省がこの製造所を買い上げ官営とし、その後この建物等が建てられた。壁体はレンガ造イギリス積、屋根には瓦を葺いている。開口部はアーチ式のものが主体であるが、右側三分の一ほどに式の開口がある。この部分の内部に中二階の床があるためである。
C官営品川硝子製造所跡はJR北品川変電施設建設のため、地中の基礎(煉瓦基礎)関係の撤去工事を行っている。JR東海が建築主のためリニア新幹線の変電設備と思われる。
C沢庵の墓。
沢庵(1573年〜1645年)は、江戸時代初期に活躍した禅僧で、名は宗彭、沢庵は道号。但馬国出石(現兵庫県豊岡市)に生まれ、幼少の頃出家して禅を学び、各地を修行して信望を集め、慶長14年大徳寺の153世住持となった。沢庵は禅僧として大成しただけでなく、兵法、儒学に通じ、書画、詩歌にもすぐれ、茶道にも造詣がが深かった。
C品の境界杭。品川区の境界杭か?品川硝子の境界杭かは不明だが、御影石の古い境界杭。
C九の煉瓦刻印
C大阪窯業の煉瓦刻印
D品川学園の煉瓦塀。
2011年4月に品川区立品川小学校、品川区立城南中学校の2学校が統合し、品川区立として5校目の小中一貫校として「品川区立小中一貫校品川学園」となった。2016年4月、2学校を正式に廃止し、義務教育学校として設立された。学園内には、保育園・幼稚園を統合した幼保一体施設「北品川すこやか園」も併設され、0歳から15歳の乳幼児童生徒が通う複合施設[2]として開校した。
D品川学園の煉瓦塀。
煉瓦の刻印かと思ったが傷のようだ。
D品川学園の煉瓦塀。
平面には煉瓦の刻印は見つからなかった。
D品川学園の煉瓦塀。
D品川学園の煉瓦塀。
D品川学園の煉瓦塀。
E民家の軒下に敷かれている煉瓦に煉瓦の刻印が見つかりました。この煉瓦の刻印は「分銅印」の刻印は御幸煉瓦製造所の刻印。(横浜煉化製造会社)
E民家の軒下に敷かれている煉瓦に煉瓦の刻印が見つかりました。この煉瓦の刻印は 桜の花びらの刻印。小菅集治監。複弁。
F品川神社は、東京都品川区北品川三丁目にある神社。元准勅祭社として東京十社のひとつでもある。 また東海七福神の一社として、大黒天を祀る。鎌倉時代末期の元応元年(1319年)に北条高時の臣、二階堂道蘊が「宇賀之売命(稲荷神)」を、さらに室町時代中期の文明十年(1478年)に太田道灌が「素戔嗚尊(天王神)」をそれぞれ祀った。1868年(明治元年)11月8日、明治天皇が品川神社を准勅祭社と定め、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社の一つとした。
G京急電鉄の高架下の駐車場はレンタル公道カートの駐車場になっている。
G京急電鉄の高架下の駐車場沿いに煉瓦塀が残る。
G京急電鉄の高架下の駐車場沿いの煉瓦塀はフランス積みの煉瓦塀だ。煉瓦の刻印は確認出来なかった。
G京急電鉄脇の煉瓦倉庫は一般の住宅に転用されているようだ。
G京急電鉄脇の煉瓦倉庫はイギリス積みの煉瓦倉庫で煉瓦は手抜き煉瓦の様だ。目地は覆輪目地。
H善福寺。時宗寺院の善福寺は、音響山伝相院と号します。善福寺は、遊行寺第二世他阿真教が、永仁2年(1294年)に開闢したと伝えられています。
H善福寺脇に煉瓦倉庫が有ります。手抜き煉瓦の様ですね。
H善福寺。除地四段五畝二十四歩、法禅寺の北隣にて、是も歩行新宿一町目の町屋に添り、時宗藤澤浄光寺末音響山傳相院と號す、永仁二年遊行第二代他阿真教の開闢なり、昔は恵心作の弥陀を本尊とす、延享年間回禄に罹る、今の本尊は佛工の作坐像長三尺、東海寺御建立の時境内南の方御用地となり、其替地は御殿山の下にて下し賜ふ。門前町屋。天和二年起立延享三年より町方支配となる、間口十三間歩数五十一、此餘昔は表通海道にて三段六畝二歩の地も門前町なりしが、享保七年歩行新宿に加入。(新編武蔵風土記稿より)
H善福寺の木彫像は龍があしらわれている。
H善福寺の鬼瓦。何故かその上に沖縄の塩が置いてある。
H善福寺の門の脇に敷かれている煉瓦の刻印は 分銅の煉瓦の刻印。「分銅印にハ」の刻印は御幸煉瓦製造所の刻印。(横浜煉化製造会社)
I浄土宗寺院の法禅寺は、臨海山遍照院と号します。法禅寺は、法禅寺は、明徳元年(1390年)に言譽定賢が創建したといいます。東海三十三観音霊場31番札所です。
I法禅寺の寺伝によれば、明徳元年(1390年)に開山言誉上人が没してから、それ以前は草庵であったものと思われる。以後時代が下って宝永年間(1704年-1710年)十三世一誉上人の代に寺院として内外共に充実したものであろう。これは宝永4年(1707年)付の知恩院43世応誉上人授与の文書にも「法禅寺奉安置元祖円光大師者即大師自彫之霊像及墨跡大字宝号也…」「東照神宮及び桂昌院殿帰依不浅之意趣…」とみえ、本山に認証を求めたりして寺の由緒、格式を高めようとしているところなどにもうかがわれるのである。(「品川区の文化財」より)
I法禅寺の煉瓦塀に煉瓦の刻印が見つかる。 桜の花びらの刻印。
小菅集治監。複弁。
I法禅寺の煉瓦塀に煉瓦の刻印が見つかる。 桜の花びらの刻印。
小菅集治監。複弁。
I法禅寺板碑は、鎌倉時代から戦国時代にかけて造られた石造の供養塔で、関東を中心に広く分布している。石材は、関東では主として秩父産の緑泥片岩(青石)が使われている。煉瓦造りの建物。
I法禅寺板碑の建物の裏側。上部の煉瓦は一部種類が違うようだ。後年に補修されたのか?下部の煉瓦は手つき煉瓦の様でイギリス積みで積まれている。煉瓦の刻印は確認出来なかったが、入口の煉瓦塀に小菅集治監の刻印が見つかっているので同じ製造所と思われる。
I法禅寺の本堂も煉瓦造りだ。本堂が煉瓦造りのお寺は珍しいのではないでしょうか?
I法禅寺の本堂はイギリス積みで積まれている。
I法禅寺のお墓の一部に煉瓦造りのお墓があった。
I法禅寺の塀。此方の煉瓦は本堂及び門の煉瓦より等級の落ちる煉瓦が使われている様だ。積み方も長手積みで製作時期が違うのか?
I法禅寺の塀の煉瓦には煉瓦の刻印が見つからなかった。
J現役の井戸の水の落とし場に煉瓦が使われていた。煉瓦の刻印も見つかりませんでした。
K正徳寺裏側の煉瓦塀。
K正徳寺裏側の煉瓦塀は下側がイギリス積みで上側がフランス積みという珍しい積み方。煉瓦の刻印も見つからなかった。
L祠の裏側にろの煉瓦の刻印が見つかる。
M北品川2丁目部8番のシャトー北品川と七福ビルの間に煉瓦塀が残る手抜き煉瓦で覆輪目地の煉瓦塀。煉瓦の刻印は見つからなかった。
Nカラミ煉瓦の煉瓦擁壁。
なぜここにカラミ煉瓦が使われているかは不明である。
Nカラミ煉瓦の煉瓦擁壁は長手積みで積まれている。
O京浜急行品川変電所脇に旧京浜急行のKHKの境界杭が残る。
P常光寺の煉瓦の御堂。この日は17時を過ぎていたので、境内に入れなく外から撮影。
P常光寺の煉瓦の御堂。この倉庫もフランス積みの倉庫。
Q長徳寺閻魔堂。本堂左の小ぶりのお堂。像高88センチメートルの木造閻魔王坐像が祀られている。江戸時代より「南品川のおえんまさま」として信仰を集めた。陰暦の正月と7月16日は、地獄の釜のふたが開く日といわれ、閻魔王に参詣する人で賑わったという。
Q長徳寺の煉瓦造りのお墓がある。
Q長徳寺の煉瓦造りのお墓がある。煉瓦はフランス積みで積まれている。
R竹内医院の基礎が煉瓦基礎で出来ています。
R竹内医院の煉瓦基礎はイギリス積みの基礎になっている。
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