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更新日時 2016年11月30日

煉瓦構造物 日本織物発電所跡
 日本織物株式会社(資本金50万円)は明治20年12月に設立され、明治22年に一部、明治23年に全面操業された。当時の創業の大半は分業による家内制手工業であったが、日本織物株式会社は撚糸・製織・染色・整理など、洋式機械による一貫した織物生産を行い、経営方法まで近代的であった。大規模な工場群は鋸屋根をもつ煉瓦造りの建物で有り明治時代における初期の洋式織物工場としては、桐生で初めてであるばかりでなく、全国的に見ても画期的なものであった。水力発電に利用した水は、渡良瀬川の丸山下取水口から取り入れ延長約1kmの導水路がここまで築かれた。発電所には、アメリカのスタウトミルテンプル会社製(168馬力)のタービン2基を設置し、動力の一部を工場の動力源として、明治22年6月に運転を始めた。同時にこの動力を用いて発電を行い、明治24年11月から100KW、240Vの交流発電機を運転し、工場と寄宿舎に400灯の電灯を点灯した。明治27年5月に電灯会社を設立させ、桐生町内に1000灯を点灯させたが、10燭光の電球で5燭光ぐらいの明るさだったという。この2基のタービンは、大正13年(1924年)にドイツのフォイト会社製(320馬力)と直結させた216KW電動機1台に取り替えられた。今残っているのはこの大正期のものであり、昭和22年の水害で決壊するまで使用され、桐生市の近代織物産業発展の原動力となった。日本織物株式会社の工場建設には、そのために設立された「桐生煉瓦製造会社」製の「桐に生」の刻印を有する煉瓦が用いられここにある門柱状の煉瓦遺構は桐生産の煉瓦であり、水路を潜り発電所と工場を繋ぐトンネルの支えとして造られたものである。明治20年代における民間企業としての日本織物株式会社は、工場の規模、構造等の全てにおいて他に例をもないものであり、ここに遺された発電所跡や煉瓦遺構は、桐生の近代化を象徴するものである。
@日本織物株式会社の発電所で使われた発電機。
@日本織物株式会社の当時の絵図。
@日本織物株式会社の門柱の煉瓦遺構。
@日本織物株式会社の門柱の煉瓦遺構。
@日本織物株式会社の桐生煉瓦製造会社の煉瓦の刻印。「桐に生」の煉瓦の刻印。
@日本織物株式会社の桐生煉瓦製造会社の煉瓦の刻印。「桐に生」の煉瓦の刻印+「○」の刻印。
@日本織物株式会社の桐生煉瓦製造会社の煉瓦の刻印。「川」の煉瓦の刻印。
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