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更新日時 2017年01月08日

 この給水塔は、1945年(昭和20年)8月6日の原爆にも耐えその姿を今日に残しています。1919年(大正8年)創業の日本麻紡績は、当時、己斐の山陽本線沿線の広大な敷地を持ち、多くの平屋建ての工場や倉庫が立ち並んでいました。工場内には4面にアーチをあしらった、レンガ造3階建の給水塔があり、近代的な工場の象徴となっていました。爆心地から2.83キロメートルで被爆。木造建物は半壊しましたが、給水塔と煙突、井戸は幸いにも残りました。現在は給水塔にはポンプが設置され、造園会社が経営している園芸店舗、己斐ガーデンスクエアのシンボル塔となっています。煙突は解体してなくなりましたが、井戸は現在も現役で己斐ガーデンスクエアで使用されています。
@〒733-0812
住所:広島市西区己斐本町3-12
浜田樹苗園の開園時間だけ見学が可能。
営業時間:9:30〜18:00
定休日:1月・2月・7月・8月、毎週月曜日
@日本麻紡績給水塔(被爆建物)
被爆建物の看板が掲げられている。入口部分は3重のアーチ。
@日本麻紡績給水塔(被爆建物)
蔦がかなり絡まっている。樹苗園の為か?それとも被爆前も蔦が絡まっていたのか?一説によると内部の温度を下げるため、意図的に蔦を絡ませていると聞いたことがある。
@日本麻紡績給水塔(被爆建物)内部の構造が解らないが、外壁の階が違う部分の軒部分の装飾が凝っている。
@日本麻紡績給水塔(被爆建物)窓部分もアーチの煉瓦が組まれている。
@日本麻紡績給水塔(被爆建物)
入口部分は3重のアーチ。
@日本麻紡績給水塔(被爆建物)はイギリス積みで積まれている。
@日本麻紡績給水塔(被爆建物)の平面が出ている部分を確認したが、煉瓦の刻印は見つからなかった。黒いのは焼きすぎ煉瓦?と思ったが、普通の赤煉瓦の様だ。被爆の焼け焦げの影響?
@日本麻紡績給水塔(被爆建物)の平面が出ている部分を確認したが、煉瓦の刻印は見つからなかった。
@日本麻紡績給水塔(被爆建物)の平面が出ている部分を確認したが、煉瓦の刻印は見つからなかった。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『広島市』を掲載」
出典: ひろしまナビゲーター日本麻紡績給水塔
煉瓦構造物 日本麻紡績給水塔