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更新日時 2018年01月22日

煉瓦構造物 広島電燈亀山発電所
 広島電燈亀山発電所は広島県安佐郡亀山村大字今井田字長尾(現広島市安佐北区)にある、明治末から昭和にかけて稼働していた水力発電所である。広島太田川電力株式会社が設立され、明治40年(1907年)12月 太田川電力が河川使用許可を広島電燈へ譲渡。明治43年(1910年)10月に着工、明治45年(1912年)6月に竣工し、7月より送電を開始した。発電開始から60年間、度重なる洪水による被害や渇水による出力低下などを乗り越え稼働してきたが、昭和47年(1972)の大水害(昭和47年7月豪雨)を契機に老朽化した発電所の操業は翌年3月に停止した。現在は太田川漁業協同組合が建物を所有し、事務所として使用している。明治時代のレトロな赤煉瓦造りの建物が周辺の豊かな緑と対比をなしている。
@広島電燈亀山発電所。当発電所は、水路式発電所で、W字の起点部分にあたる数キロ上流に水流を斜めに仕切る堰を設け取水口を設置し、全長2670メートル(内トンネル380メートル)の水路により発電所へ水を供給した。発電所には3組の水車(タービン)と発電機が設置され出力2100キロワット後に2400キロワットの電力を供給した。
@広島電燈亀山発電所の建物は基礎に御影石と煉瓦造りの間に2層の御影石を組み込んで造られている珍しい構造。
@広島電燈亀山発電所の窓部分上部には要石が配置されている。
@広島電燈亀山発電所は幾度も水害にあっており、操業開始後8年目の大正8年7月には床上2.5メートル以上浸水し、昭和18年には7月に2メートル、9月には最大の3.5メートル以上の浸水があった。建屋の正面の壁に10回の洪水の水位が記録されている。同発電所の廃止の理由の一つとなった昭和47年7月の洪水の水位は約2.5メートルであった。発電所の建屋は平時の太田川の川面より数メートル上にあるので、最大の洪水であった昭和18年9月には川は10メートル近く増水した事になる。発電開始から60年間、度重なる洪水による被害や渇水による出力低下などを乗り越え稼働してきたが、昭和47年(1972)の大水害(昭和47年7月豪雨)を契機に老朽化した発電所の操業は翌年3月に停止した。
@広島電燈亀山発電所は現在は太田川漁業協同組合が建物を所有し、事務所として使用している。明治時代のレトロな赤煉瓦造りの建物が周辺の豊かな緑と対比をなしている。
@広島電燈亀山発電所。
@広島電燈亀山発電所。
@広島電燈亀山発電所裏の階段部分には、崩壊した煉瓦が積まれていてその中には煉瓦の刻印が確認出来た。
@広島電燈亀山発電所で使われている煉瓦は六角形に三の煉瓦の刻印は確認出来た。六角形の刻印は旧広島陸軍糧秣支廠の軒下にも見られ、同じ製造所の煉瓦の刻印の可能性も有る(六角形内部の文字は違う)
@広島電燈亀山発電所の軒下の煉瓦の刻印(マウスを乗せると拡大)
@広島電燈亀山発電所の軒下の煉瓦の刻印(マウスを乗せると拡大)
@広島電燈亀山発電所の軒下の煉瓦の刻印(マウスを乗せると拡大)ハッキリは確認出来ないが六角形に水の煉瓦の刻印に見える。旧広島陸軍糧秣支廠の煉瓦の刻印と同じ?
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