更新履歴

更新日時 2018年02月18日

煉瓦構造物 千代ヶ崎砲台跡
 千代ヶ崎砲台は1892年(明治25年)に着工し、1895年(明治28年)に竣工。東京湾要塞に属する沿岸砲台で、28cm榴弾砲3砲座6門が備砲された榴弾砲砲台と15cm臼砲4門、機関砲4門などが備砲された近接防御砲台から構成。千代ヶ崎砲台跡にみられる煉瓦組積法は、イギリス積みで、煉瓦製造元は小菅集治監が主要で有るが、御幸煉瓦製造所の刻印・他も確認されている。千代ヶ崎砲台に使われている煉瓦は、普通煉瓦と焼過煉瓦が用途によって明確に使い分けられ、露天空間に設けられた施設の前面壁、あるいは露天空間と接する隧道の出入口には雨水に対する防水と帯水防止のため焼過煉瓦が採用されている。また、塁道の屈曲している部分には、斜架拱(ねじりまんぽ)といった高度な煉瓦組積法が採用されている。明治10〜20年代前半に建設された砲台の天井は煉瓦造であったが、明治20年代中ごろに起工した千代ヶ崎砲台跡ではコンクリート造に変化している。
@千代ヶ崎砲台跡の入口は土塁に囲まれた部分に切り通しが設置されている。
@千代ヶ崎砲台跡の入口は凝灰質礫岩切石ブラフ積被覆壁。
A千代ヶ崎砲台跡の入口部分には井戸が設置されている。
B千代ヶ崎砲台跡の見学会の説明風景。
C千代ヶ崎砲台跡の観測所のコンクリート片。無筋コンクリートで有ることが解る。
C千代ヶ崎砲台跡の採掘時に出た煉瓦の破片。
D千代ヶ崎砲台跡の採掘時に出た煉瓦の破片。
D千代ヶ崎砲台跡の採掘時に出た煉瓦の破片。円形の煉瓦及び石は砲台の回転部分?
D千代ヶ崎砲台跡の採掘時に出た煉瓦の破片に小菅集治監の煉瓦の刻印。
D千代ヶ崎砲台跡の遺構。
D千代ヶ崎砲台跡の遺構。下に降りる階段が残る。煉瓦は焼き過ぎ煉瓦が使われている。
D千代ヶ崎砲台跡の構造物にも煉瓦の破片に小菅集治監の煉瓦の刻印。
E千代ヶ崎砲台跡。
E千代ヶ崎砲台跡。
E千代ヶ崎砲台跡。
F千代ヶ崎砲台跡。
F千代ヶ崎砲台跡。
G千代ヶ崎砲台跡の採掘時に出た煉瓦の破片。煉瓦片を確認したが煉瓦の刻印は見つからなかった。刻印が入った煉瓦は、見つかれば仮設事務所に保管されているようだ。
G千代ヶ崎砲台跡から土塁を見る。
G千代ヶ崎砲台跡の地下部分の見学を待つ人々。見学者は私より年齢が上の方が8割位の感じですね。
G千代ヶ崎砲台跡の地下部分の通路。
G千代ヶ崎砲台跡の地下部分の通路上部には隧道の入口が有る。
H千代ヶ崎砲台跡の地下部分の通路。切り通し部分は凝灰質礫岩切石ブラフ積被覆壁。
I千代ヶ崎砲台跡のEに繋がる隧道?。下部は煉瓦積みで、入口部分は焼き過ぎ煉瓦が使われている。天井部分はコンクリートが使われている。コンクリートは無筋コンクリートと思われる。
I千代ヶ崎砲台跡の地下部分の通路。切り通し部分は凝灰質礫岩切石ブラフ積被覆壁。
I千代ヶ崎砲台跡の防火用水(井戸)
I千代ヶ崎砲台跡の防火用水(井戸)
I千代ヶ崎砲台跡の雨掛かり部分は焼き過ぎ煉瓦が使われている。煉瓦の積み方はイギリス積みで積まれている。
I千代ヶ崎砲台跡の貯水槽。
I千代ヶ崎砲台跡の貯水槽の円形の部分は小口積みで積まれている。使われている煉瓦は焼き過ぎ煉瓦が使われている。
I千代ヶ崎砲台跡の貯水槽の内部に10cm程度の水が溜まったいる。雨水を濾過して貯水していたようだ。
I千代ヶ崎砲台跡の閉鎖部分。コンクリートで閉鎖されている部分に配管の穴跡が沢山残る。戦後の通信設備用の遺構関係か?
I千代ヶ崎砲台跡の閉鎖部分。換気のファンが付いているので、戦後の通信設備用の遺構関係か?
I千代ヶ崎砲台跡のメイン通路。
I千代ヶ崎砲台跡のメイン通路部分の入口周囲の雨掛かり部分は焼き過ぎ煉瓦が使われている。焼き過ぎ煉瓦は普通煉瓦より吸水率が少ないが、赤煉瓦の倍以上の値段がするため、必要な部分にしか使われていない。
J千代ヶ崎砲台跡のEに繋がる隧道?。下部は煉瓦積みで、入口部分は焼き過ぎ煉瓦が使われている。天井部分はコンクリートが使われている。コンクリートは無筋コンクリートと思われる。
J千代ヶ崎砲台跡のFに繋がる隧道?。下部は煉瓦積みで、入口部分は焼き過ぎ煉瓦が使われている。天井部分はコンクリートが使われている。コンクリートは無筋コンクリートと思われる。
J千代ヶ崎砲台跡の横穴は塞がれている。防衛省が管理しているようだ。
J千代ヶ崎砲台跡の横穴は塞がれている。防衛省が管理しているようだ。2007年(平成19年)に防衛庁から防衛省に名称が変更されている。この表示は防衛省に変更されて直ぐに表示されたようだ。
K千代ヶ崎砲台跡のLに繋がる隧道?。下部は煉瓦積みで、入口部分は焼き過ぎ煉瓦が使われている。天井部分はコンクリートが使われている。コンクリートは無筋コンクリートと思われる。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡のランプ小屋。当時は電気が無かったので火薬庫を照らすランプは硝子で隔たれた場所で菜種油を燃やしていた。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡のランプ小屋。当時は電気が無かったので火薬庫を照らすランプは硝子で隔たれた場所で菜種油を燃やしていた。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡。砲弾を上げる為のピット。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡。砲弾を上げる為の上部の穴1箇所目。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡。砲弾を上げる為の上部の穴2箇所目。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡。砲弾を上げる為の上部の穴1箇所目上部より覗き込む。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡。砲弾を上げる為の上部の穴1箇所目上部には砲弾を吊り上げていた設備の一部が残る。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡。砲弾を上げる為の上部の穴2箇所目上部より覗き込む。
K千代ヶ崎砲台跡の火薬庫跡。壁に埋め込まれているのは、砲弾を運ぶ為の設備(トロッコレールが敷かれていた?)と案内人は言っていました。
L千代ヶ崎砲台跡。大砲を撃つときには、観測所より指令が来て、発射角度や方向の指示が来たようです。射撃手は海が見えない状態で射撃していたそうです。実践には使われなかったそうです。
L千代ヶ崎砲台跡を上から見た風景。
L千代ヶ崎砲台跡を上から見た風景。
L千代ヶ崎砲台跡。
L千代ヶ崎砲台跡。伝令管。ここから指令が伝令された。
L千代ヶ崎砲台跡。伝令管内部奥に光が見える。
L千代ヶ崎砲台跡。通路部はアーチ状の煉瓦が積まれている。
L千代ヶ崎砲台跡。通路部はアーチ状の煉瓦が積まれている。測定はしていないが、JIS規格の煉瓦より長い気がする。煉瓦は焼き過ぎ煉瓦。
M千代ヶ崎砲台跡。この横穴は居住室?
M千代ヶ崎砲台跡。横穴内部奥の壁には上部に向かっての通風口が空いている。
M千代ヶ崎砲台跡。横穴内部奥の壁には上部に向かっての通風口が空いている。
M千代ヶ崎砲台跡。横穴内部奥の壁には上部に向かっての通風口が空いている。通風口の上部は現在はコンクリートで埋められている。
N千代ヶ崎砲台跡。横穴内部。
N千代ヶ崎砲台跡。横穴内部。窓部分の煉瓦。
N千代ヶ崎砲台跡。横穴内部分の平面が出ている部分に小菅集治監の煉瓦の刻印が確認出来る。
N千代ヶ崎砲台跡。横穴内部分の平面が出ている部分に小菅集治監の煉瓦の刻印が確認出来る。
N千代ヶ崎砲台跡。開鑿部分。
N千代ヶ崎砲台跡。開鑿部分に上に登る階段が設置されている。
O千代ヶ崎砲台跡。奥に井戸又は貯水槽が設置されている。
O千代ヶ崎砲台の横穴(井戸又は貯水槽)の横穴は主要の隧道に対して、斜めに掘られている為か、入口部分だけだが、「ねじりまんぽ」の様に積まれている。これは、現在30箇所残存する「ねじりまんぽ」の31箇所目としての発見と言える。
O千代ヶ崎砲台の横穴の「ねじりまんぽ」部分。
O千代ヶ崎砲台の横穴の「ねじりまんぽ」部分。
O千代ヶ崎砲台の主要隧道出口。
O千代ヶ崎砲台の主要隧道出口部分の煉瓦も斜めに積まれた「ねじりまんぽ」部分。
O千代ヶ崎砲台の主要隧道出口部分。
P千代ヶ崎砲台の現在は民有地(観光果樹園)の敷地内に残る砲台跡。
P千代ヶ崎砲台の現在は民有地(観光果樹園)の敷地内に残る砲台跡。
Q千代ヶ崎砲台の現在は民有地(観光果樹園)の敷地内に残る砲台跡の通気口。通気口が飛び出しているのは土塁が削られたそうだ。
Q千代ヶ崎砲台の現在は民有地(観光果樹園)の敷地内に残る砲台跡の通気口。通気口が飛び出しているのは土塁が削られたそうだ。
R千代ヶ崎砲台の現在は民有地(観光果樹園)の敷地内に残る砲台跡の通気口。通気口が飛び出しているのは土塁が削られたそうだ。
R千代ヶ崎砲台の現在は民有地(観光果樹園)の敷地内に残る砲台跡の通気口。通気口が飛び出しているのは土塁が削られたそうだ。
S発掘調査の仮設事務所に展示されている煉瓦及び出土品。
S小菅集治監の煉瓦の刻印。
S御幸煉瓦製造所の煉瓦の刻印。
S製造元不明の煉瓦の刻印。
S千代ヶ崎砲台で使われていた榴弾砲の模型。
 Copyright (C) 2006-2023 hotetu.net All Rights Reserved
外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『横須賀市』を掲載」
出典:横須賀市