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更新日時 2018年03月23日

 高崎市民家煉瓦倉庫:高崎市は1621年(元和7年)の大火から1945年(昭和20年)の高崎空襲被害まで24回の大火に有っている。その為か煉瓦倉庫が多く残っている。九蔵町は享保10年の大火で諸記録を焼失したため、詳細は定かではないが、慶長6年北爪九蔵が居を定め、のちに人家が増えていき、領主から名主を命じられたことに由来すると考えられている。江戸時代には高崎藩の城下町として、中山道69次中4番目に規模が大きい宿場町として、また物資の集散地・商業のまちとして大いににぎわった。街道筋の田町、本町、新町(現:あら町)などに市が立ち、その様子は「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われたほどである。鍛冶町には鍛冶職人が、鞘町には刀の鞘師が、白銀町には金銀細工師らが住み、当時の職人の町は今も町名として留めている。 現代でも県内有数の商業都市として盛えている。また、高崎郊外に位置する問屋町は、日本初の郊外型問屋団地である。
高崎市民家煉瓦倉庫
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高崎市九蔵町の煉瓦倉庫。焼き過ぎ煉瓦で高級感のある煉瓦倉庫。
A高崎市九蔵町の煉瓦倉庫。この煉瓦倉庫は使われていないのか?こちら側の出入口は閉塞している。反対側に出入口が有る?
A高崎市九蔵町の煉瓦倉庫。焼き過ぎ煉瓦の倉庫はイギリス積みで積まれている。
A高崎市九蔵町の煉瓦倉庫。軒下の煉瓦を確認したが煉瓦の刻印は確認出来なかった。
A高崎市九蔵町の煉瓦倉庫。焼き過ぎ煉瓦倉庫の直ぐ隣に赤煉瓦倉庫を住宅に利用した現役と思われる住宅。
A高崎市九蔵町の煉瓦倉庫。
A高崎市九蔵町の煉瓦倉庫。軒下の煉瓦を確認したが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。
A高崎市九蔵町の煉瓦倉庫。軒下を確認したが煉瓦の刻印は確認出来なかったが、機械成型のシワシワ煉瓦の様なので日本煉瓦製造の上敷免製煉瓦と思われる。
B高崎市山田町の煉瓦倉庫。表札には濱田幸作と掲げられていた。
B高崎市山田町の煉瓦倉庫。
B高崎市山田町の煉瓦倉庫。
B高崎市山田町の煉瓦倉庫。軒下を確認したが煉瓦の刻印は確認出来なかった。
B高崎市山田町の煉瓦倉庫。軒下を確認したが煉瓦の刻印は確認出来なかったが、機械成型のシワシワ煉瓦の様なので日本煉瓦製造の上敷免製煉瓦と思われる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『高崎市』を掲載」
煉瓦構造物 高崎市民家煉瓦倉庫