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更新日時 2019年03月03日

煉瓦隧道 山下堀の日野煉瓦トンネル
 山下堀の日野煉瓦トンネル:JR中央線の前身である甲武鉄道は、明治22年(1889年)4月11日に新宿駅〜立川駅間が開業。しかし八王子駅に至までには、多摩川の浅川鉄橋建設という大事業を控えていました。そこで、地元日野宿の有力者達は日野煉瓦工場を設立し、鉄道建設に使うための煉瓦の製造を始めました。明治22年(1889年)8月11日に立川駅〜八王子間が開業。明治23年1月6日日野駅開業。日野煉瓦工場では、明治23年8月に廃業するまでの間、約50万個の日野煉瓦が生産され、その大半は多摩川鉄橋の橋梁や立川駅〜八王子駅間の陸橋やトンネル建設に使われました。
@山下堀に降りるマンホール。マンホールの蓋は長島鋳物製。
@山下堀の水量は日野市の方が、水量調整をして頂いて、少なくなっています。
@山下堀の煉瓦隧道に入るのに階段の様な落差があります。
@山下堀の煉瓦隧道。
@山下堀の煉瓦隧道。
@山下堀の煉瓦隧道は焼き過ぎ煉瓦が使われている。
@山下堀の煉瓦隧道の腰壁天端の一部を確認したが煉瓦の刻印は確認出来なかった。日野煉瓦の製造所刻印は無いそうだが、いろはにほへとの刻印はあるそうだ。
@山下堀の煉瓦隧道の煉瓦の長さは210mm以上の長い煉瓦。JIS規格と違いサイズもバラツキが多い。
@山下堀の煉瓦隧道の煉瓦の寸法。
@山下堀の煉瓦隧道の煉瓦の寸法。
@山下堀の当時の写真。当時は隧道以外は開鑿されていた。
@日野市の当時の地図。
@甲武鉄道の多摩川を渡る当時の写真。
A飯綱大権現。
A飯綱大権現。
A飯綱大権現「いいずな」で変換すると確かにこの漢字も出てくるからあながち間違いでもないかもしれない。
A飯綱大権現の煉瓦の基礎。
A飯綱大権現の煉瓦の基礎。煉瓦の刻印を探したが見つからなかった。
A飯綱大権現基礎の煉瓦の寸法。
A飯綱大権現基礎の煉瓦の寸法。
A飯綱大権現基礎の煉瓦の寸法。
BJR中央線の前身である甲武鉄道の多摩川鉄橋の橋脚には日野で造られたおよそ20万個の煉瓦が使われている。日野宿の土淵英が日野煉瓦製造所の新設認可願いを提出したのは、明治20年10月12日のことでした。煉瓦工場は日野宿字下河原(現在の日野警察署北側)にあり、翌21年には本格的に操業を開始しました。煉瓦工場は、支配人土淵英の急死によって明治23年8月に廃業、わずか2年半しか操業しませんでしたが、およそ50万個の煉瓦が製造されました。長沼(八王子市)の八王子煉瓦工場の設立が明治29年ですから、日野煉瓦工場の設立は多摩地域では他に先駆けたものといえます。日野煉瓦は、多摩川鉄橋、浅川橋梁、日野用水上・下堰暗渠、山中眼鏡橋(立川市)など甲武鉄道立川-八王子間の諸施設のほか、旧日光橋(福生市)、飯綱権現社(日野駅横)河野家稲荷神社・養蚕用火炉、高木家煉瓦塀などに使用されたことがわかっています。
C日野市第1中学の壁に埋め込まれている日野煉瓦のモニュメント。
C日野市第1中学の壁に埋め込まれている日野煉瓦の刻印。HBWの煉瓦の刻印は展示用の刻印。
C日野市第1中学の歩道に埋め込まれている煉瓦のモニュメント。
C日野市第1中学の歩道に埋め込まれている煉瓦は大阪窯業の刻印。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『日野市』を掲載」