更新日時 2013年01月17日
かめりあ丸は、1986年(昭和61年)に就航した東海汽船の貨客船である。さるびあ丸2が就航するまでは東海汽船のフラグシップであり、夏季納涼船にも使用された。東京 - 伊豆大島 - 神津島航路、および東京 - 八丈島航路で使用されている。船体の大きさは、かつての「すとれちあ丸」と同大の大きさであるが、旅客定員、貨物搭載量は減っている。 本船の特徴としてどの海域でもテレビ放送を鮮明に受信出来るように衛星放送テレビ受信装置を初めて装備している。 | |
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竹芝桟橋のチケット売り場と待合室ロビーです。出発直前にはかなり混みます。 | |
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竹芝桟橋です。 | |
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さるびあ丸。 | かめりあ丸。 |
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2等椅子席。 | 2等和室。 |
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特2等室。 | トイレは洋式もありますが、ウオシュレットはありません。 |
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軽食コーナーです。 | |
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船内の自販機です。アルコール類は免許証認証形。 | 2等椅子席でお酒を飲みます。 |
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東京湾のレインボーブリッジが見えます。 | 川崎の工業地帯です。 |
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携帯電話は圏外です。 | 横浜ベイブリッジの下を通過。 |
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横浜港の観覧車と赤レンガ倉庫。 | |
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週末は横浜港にも寄港します。 | |
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2等椅子席は空いているので横になっている人もいる | 大島到着は午前6時のためまだ暗い。 |
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利島村(としまむら)は、東京都の村。伊豆諸島の町村であるため、所属する郡が存在せず、「東京都利島村」が正式な表記である。東京都の行政出先機関は東京都総務局大島支庁である。 | |
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新島は、伊豆諸島を構成する島の一つであり、東京から南に約160km、静岡県下田市から南東に36kmの位置にある。東京都新島村。 | |
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新島は白バイや比較的新しパトカーがあります。 | |
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各港ではかめりあ丸からコンテナの積み下ろしを行います。 | |
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新島港の通路。 | 地内島。 |
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式根島は、伊豆諸島を構成する島の一つであり、新島の南西に位置する。行政上の所属は、東京都新島村。面積3.9q2、人口約600人。最高地点はしばしば北部の神引山98.5m(三角点)と言われるが、実際には島西北部に109mの標高点が存在する。式根島には江戸時代の元禄大地震(1703年)の大津波によって新島から分離されたという説が流布されている。しかし、前年の1702年に作成された古地図には新島と鋪根島(式根島)がはっきり分かれて描かれている。逆に元禄大地震で両島が分離されたことを記した古文書は現在まで見つかっておらず、元禄大津波が原因で新島と式根島が分離されたと断定することはできない。 | |
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神津島(こうづしま)は、伊豆諸島の島の一つ。面積は18.48q2(国土地理院調べ)。東京都神津島村に属する。本島は式根島とは10kmほどしか離れていない。伊豆諸島の有人島としては最も西にある。ひょうたん型をしており天上山(標高571m)を中心とした北部と秩父山のある南部とに大きく分けられる。天上山には火口原があり、ここに、「表砂漠」「裏砂漠」と呼ばれる砂地がある。頂上が平坦で高度もあまり高くないにもかかわらず、本州では2000m級の高山に生育しているような高山植物も見られる山である。天上山は838年(承和5年)に大規模な噴火をしたことが『続日本後紀』の記録などから明らかになっている。 | |
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大型船が寄港する時は必ず警察がいます。 | 神津島の多幸港。 |
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多幸港に接岸のかめりあ丸。 | |
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神津島の多幸港。 | |
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