更新日時 2013年11月26日

 伊江村(いえそん)は、沖縄県国頭郡の村。沖縄本島の本部半島から北西9kmの場所に位置する周囲22.4kmの伊江島(いえじま)から成る。沖縄本島本部半島の北西約9kmの位置にある伊江島一島の全部からなる。島中央から少し東にずれたところにある標高172.2mの城山(ぐすくやま)は本島からもよく見え、伊江島タッチュー(イータッチュー)の愛称で親しまれている。産業は主に農業、漁業から成り立っている。本部港からもフェリーで30分あまりということもあり、「日帰り可能な離島」としての人気も高い。また、戦争に関する施設・史跡もあることから県内外からの修学旅行の需要も多い。川平、東江前、東江上、西江前、西江上、阿良(あら)、真謝(まじゃ)、西崎の8つの集落からなる。定期便のフェリーが発着する港がある川平周辺が、島の中心部になっている。島の北西部には在日米軍の伊江島補助飛行場があるなど基地の島でもある。一時は島の面積の約半分が米軍基地であったが、島民による基地返還闘争が継続的に行われ、5度にわたり部分的な返還がなされた。この結果、基地の面積は島全体の35%となっている。
本部港旅客フェリーターミナル。
伊江島行きのフェリー切符売場と待合室の風景。
伊江島行きのフェリー「いえじま」です。人も車も後部から上下船します。
フェリー「いえじま」の自動車・トラック等の甲板です。パレットの荷物も直接積み込みます。
「いえじま」自販機もあります。 「いえじま」のオープンデッキです。
椅子席も有ります。 雑魚寝用の部屋もあります。
優先席もあります。 テーブル席もあります。
 フェリー「いえじま」には売店も有り、コーンスープとおにぎりを食べました。30分の航海の割には設備が充実しています。伊是名島伊平屋島のフェリーに比べて乗船率が高いためでしょうか?(伊是名島のフェリーにはウオシュレットが付いていました。伊平屋島のフェリーにはウオシュレットが付いていなかった)
@伊江島のフェリーターミナルです。
@伊江島のフェリーターミナルです。
@フェリーの切符売り場です。 @フェリーターミナル内の売店です。
@伊江島牛です。 @フェリー「いえしま」就航記念碑。
 A世界的に有名な従軍記者、アーニーパイルは1945年4月18日、伊江島に上陸した米第305連隊と行動を共にし戦場を取材中、日本軍の機関銃弾に倒れた。同記者は、戦場にあっても一般の兵士の不安や怒り、喜びや悲しみを愛情をもって報道しつづけた。遺体は粗末な木製の十字架之したに埋葬されていたら、後に沖縄本島の陸軍墓地、そして、ホノルルの国立墓地へ移された。彼の戦死の地には、米軍の手によってこのアーニーパイル記念碑が建てられた。
 Bニャティヤ洞のビジル石:ビジル石は洞内にあり、古来から子授けの神と崇められています。持ち上げて軽いと感じれば女の子、重いと感じたなら男の子だと云い伝えられており、子宝を授かりたいと祈願して持ち上げれば願いが叶うとも言われています。毎年旧暦3月にはノロ(女神)による3月ニャティヤ祭りがある。
Bニャティヤ洞へ降りる階段です。
 B「力石」があり、子宝に恵まれない女性が持ち上げると願いがかなうという言い伝えがあります。また、戦争中は住民の防空壕として利用され、多くの人を収容した事から「千人洞(ガマ)」とも呼ばれています。
Bニャティヤ洞内です。
B「力石」です。鎖が切れています。 B石碑も設置されています。
Bニャティヤ洞を出るとそこは直ぐ海に繋がっています。台風が来ると水しぶきが凄そうですね。
C伊江島の農道の雰囲気です。
D伊江島にデザインマンホールが有ったと思ったら、うるま市のマンホールでした。3枚有りました。
 Eこの先の伊江島灯台と慰霊碑は米軍施設内の為、入れません。写真の説明書きを拡大してみると、初代伊江島灯台は、明治30年3月に灯台航路の開設に伴い設置されましたが、昭和20年4月の米軍の爆撃により破壊しました。現在の灯台は昭和29年米軍によって設置されたものを昭和47年の復帰時に引き継いだもので、第十一管区海上保安部により維持管理している。慰霊碑:昭和20年4月の爆撃により当時灯台に勤務していた職員3名、家族5名の計8名が殉職された。33回忌を迎える昭和52年11月1日の灯台の日、灯台職員及び関係者による基金で、殉職者の慰霊碑を建立した。毎年4月には慰霊祭を開催している。
F伊江島民俗資料館?多目的ホール。この日は開館していなかった。
 G伊江島補助飛行場(いえじまほじょひこうじょう Ie Jima Auxiliary Airfield)は、沖縄県国頭郡伊江村にあるアメリカ海兵隊の飛行場・演習場。伊江島北西部の約8.02kuを占める。平行して伊江島空港がある。滑走路をはじめヘリパッド、ハリアーパッドを擁し、村面積のおよそ35.3%の区域面積をもつ。しかし区域内の一部の道路の通行は米軍の活動を妨げないことを条件に認められているほか、同区域内に300戸近くの住宅が存在し、実際に生活を営んでいるという特殊な状況下にある。
H伊江島補助飛行場の滑走路は荒れ放題である。いざというときに使えるのか?
I伊江島補助飛行場の滑走路を観光バスも走る。
J伊江島補助飛行場の滑走路の北側終端。
 K伊江島空港(いえじまくうこう Iejima Airport)は、沖縄県国頭郡伊江村(伊江島)にある地方管理空港である。伊江島の中心あたりに位置している。島の西側には米軍の演習場となっている伊江島補助飛行場があり、その滑走路は平行して設置されている。空域も米軍空域内のために運用の制限がある。年間利用客数は、国内207人(2007年度)。2008年10月までエアードルフィンによるチャーター便が那覇空港との間に運航されていたが、同社の事業休止により現在は運航されず、その後は緊急輸送等のみである。入口のシャッターも錆びている。
 Lゴヘズ洞穴の場所が解りづらい場所に有り、地元のお爺さんに連れてってもらった。沖縄の方言も解りづらく、色々説明をしてくれたが、よく解らなかった(笑)。伊江島空港の西、ゴヘズ山(標高約82m)にあることからこの名がついています。洞穴は直径2mの入口から地下へ広がり、複雑に奥へのび、上洞は奥行き19m、さらに進むと奥行き35mの下洞と続いている。昭和50年からの調査では鹿の化石、叉状骨器、人骨や貝殻などが土出しました。鹿の化石は、リュウキュウジカとリュウキュウムカシキョンという更新世(約200万〜1万年)の鹿の一種と言われています。人骨は、およそ2万年前、土器は沖縄考古編年後期(約2200年〜800年前)と推定されています。
M湧出展望台。公衆トイレも整備されています。(ニャティヤ洞にも公衆トイレが有りました)
 M島の北西岸に位置し、水が湧き出ることから「湧出」をいう。昔からの大事な水源地として今なお飲料水として使用されています。この場所は当時、岩間を通って水を汲みに行っていたが、戦後、米軍らの手によって輸送管路が設置され便利になり、水不足に悩んだ島もたちまち水のあふれる島になった。現在は、島の水源地を海底送水(本部半島)によって生活をしています。この一帯は60mを越える断崖絶壁が連なり、潮の干潮や空の色によって様々な姿をみせ、伊江島随一の奇観を呈しています。
M湧出展望台からの風景。
M「湧出」の水源。隧道を閉鎖したような形ですね。中に入ってみたいですね。
M「湧出」の海岸です。
 N島の中央やや東寄りにある海抜172mの岩山で村外からは「伊江島タッチュー」のなで親しまれています。城山は、島より7千万年も古く、世界でも珍しいオフスクレープ現象(古い岩盤が新らしい岩盤に潜りこむ中で一部が剥がれて新しい岩盤の上に乗る現象)によって形づくられました。この現象は、理論として語られていたが実際に見るのは世界でも伊江島しかありません。鳥帽子を思わせる独特な形から古くから近海を航海する船が目印にしていました。また、航海の安全と健康あるいは豊作を祈願する城山御嶽があります。
N麓からの登山口もあります。 Nカタンナーバ。
N城山登山口です。頂上までは階段で登って行きます。
N城山の頂上です。国土地理院の四等三角点が設置されています。
N城山から見た伊江島の風景です。
N記念撮影(笑)下の駐車場から登って来ましたが、11月なのに汗だくだくです。
O伊江島の風力発電です。2基あります。
 P伊江村役場と公益質屋跡:公益質屋跡の建物は昭和4年12月に建てられたものである。公益事業は個人高利貸の暴利に泣く村民を救う村の唯一の福祉事業で利用者から質草を受け低利により融資を行いその更生ををはかった。第2次世界大戦の悲惨な攻撃を受け村内にある建物はことごとく焼き拂われたがかろうじて原形を保っているのはこの建物のみである。
Qニーバナ児童公園。
 Qパイル記念碑からわずか北側の高台には、沖縄戦で犠牲となった島民と軍人約3500人をまつった芳魂之塔がたてられている。沖縄戦の中でも激戦地として知られる伊江島で戦死した備軍将兵約2,000人と住民1,500人、計3,500人が合祀されています。伊江島戦では、伊江島地区隊(井川正少佐指揮の下、第2歩兵第1大隊、独立機関銃中隊、速射砲中隊、野砲小隊)のほとんどが戦死した一方、地元住民も女子救護班、女子協力隊、青年義勇隊などを編成して戦闘に参加し、犠牲者を出しました。毎年4月21日に平和祈願祭が行われています。
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出典: 伊江村
夕陽とロマンのフラワーアイランド 伊江島