更新日時 2014年08月10日

 姫島村(ひめしまむら)は、大分県北東部にある離島姫島を行政区域とする一島一村の村である。東国東郡に属する。2005年3月31日以来、大分県内で唯一の村となっており、2006年3月31日以降は東国東郡に属する唯一の自治体となっている。大分県国東半島の北、瀬戸内海西端、周防灘と伊予灘の境界に位置する離島。国東市国見町の中心部(伊美地区)から約6kmの海上に位置する。島の長さは東西約7km、南北約4kmで東西に細長い形をしている。島中央部に標高266mの矢筈山、島西端に標高105mの達磨山、島西北部に標高62mの城山があり、この3つの山の間が中心集落になっている。島の西北部(城山より北側)の観音崎地区では、黒曜石の断崖がある。露天状態の黒曜石は日本国内では極めて数が少ない。
伊美港の姫島行きフェリー乗り場。
第1姫島丸。
車用の甲板です。 以外にもウオシュレット付。
屋内の座席です。 屋外の座席です。
@姫島のフェリーターミナルです。
 @姫島の南浜公園に展示されている姫島産の天然記念物の黒曜石。姫島は国東半島北方の周防灘に浮かぶ島で、その西北部の観音崎に、海底から高さ約40m、幅約120mにわたって黒曜石の層が露出した断崖がある。このように黒曜石が地表に露出し、容易に観察できる場所は、日本国内では北海道遠軽町(旧白滝村)や長野県霧ヶ峰など数例しかない。特に、姫島では、海岸の断崖に露出しているため、黒曜石が波に洗われる独特の景観を呈している。また、一般の黒曜石がその名の通り黒色であるのに対して、姫島では、乳白色から乳灰色で微細な斑点を有する特徴的な黒曜石を産出する。黒曜石は、ガラス質で、割れ口は先鋭な貝殻状断面を呈し、容易に刃物状に加工できるため、旧石器時代から石器の材料として用いられてきた。姫島の黒曜石は、瀬戸内海が陸化していた旧石器時代には山頂にあって採集が困難であったと推定されるが、海水面が上昇し採集が容易になったと考えられる縄文時代に入ると利用が急激に広がった。姫島の黒曜石は、その独特の色によって産地の識別が容易であり、東九州を中心に、中国地方や四国地方をはじめ、鹿児島県種子島から大阪府に至る広域で使用が確認されている。姫島の黒曜石は、その地学及び考古学上の重要性に鑑み、1959年に大分県の天然記念物に指定され、2007年7月26日には国の天然記念物に指定されている。
A姫島海水浴場。
B姫島の外周道路。
C姫島の外周道路。
 C海蝕岩(鷹の巣)風雨や海の波などによる浸食作用で削られた、切り立った崖で、地層がうねるように波打っています。鷹の巣の名前は、鷹(ハヤブサ)が棲んでいたことに由来します。
D姫島の東浦(大海)漁港。
 E大海のコンボリュートラミナ:平坦になった地層の中にある、まるで瓦を差し込んだような模様の地層は、火山活動等に伴う地震による揺れで、上下の硬い地層に挟まれた、軟らかくもろい部分が、液状化現象により押し出され、複雑に変形して出来たと考えられ、大分県では珍しい地層です。昭和34年に大分県の天然記念物に指定されています。
E大海浄化センター。 E姫島村のマンホール。
 F大海の褶曲構造:砂岩、礫岩などからなる、高さ40mの断崖に、水平約150mに渡って向斜構造の褶曲が見られます。また、地層の中には、地殻変動により、ある面に沿ってずれた断層が、数カ所見られます。
G姫島の外周道路。
G番外鯖大師本坊 灘見大師。
H車エビの養殖場。
 I浮田:大昔、池に大蛇が棲んでいた。誤って、この大蛇を埋めてしまったため大蛇の怒りで田が揺れるといわれています。
 J阿弥陀牡蠣:灯台の下の海蝕洞窟内の海面から上2米位の所に「牡蠣」が群棲し海水につかることがなく、食べると腹痛を起こすといわれています。その牡蠣が阿弥陀三尊の形に似ているので、この名があります。
K石造りの排水路。
K姫島灯台への石畳。 Kハートの切り株。
K姫島灯台の門柱。 K姫島灯台の管理棟(吏員退息所)
 K姫島灯台は、大分県国東半島沖の姫島東端の柱ケ岳に立つ灯台である。保存灯台(Bランク)に指定されている。山口県徳山市で産出した花崗岩を用いた石造の灯台である。灯塔は3階建てで、1階が燃料室、2階が当直室、3階が灯室として用いられた。灯台の脇にはかつての吏員退息所がある。現在、灯台の周囲は公園として整備され、桜の名所となっている。旧吏員退息所は休憩所として利用されている。
 Lお姫様(比売語曽神)がおはぐろをつけた後、口をゆすごうとしたが水がなく、手拍子を打って祈ったところ水が湧き出したので拍子水といいます。溶存ガス成分として遊離炭酸が豊富で、源泉は多くの気泡と共に湧出する。源泉池の中にある湧出口まで橋が渡されているため、湧出口から直接掬って飲泉が可能。知覚試験では、無色・澄明・強炭酸味・中金気臭と評価されている。糖尿病、高血圧症、慢性皮膚病、神経痛、慢性消化器病等に効能があるとされる。拍子水ユーチューブ動画リンク
 L比売語曽社(ひめこそしゃ)は、大分県の姫島(東国東郡姫島村)にある神社である。比売語曽神社とも呼ばれる。祭神は比売語曽神。
 L比売語曽社は姫島の名前の由来となった比売語曽神を祀る神社であり、旧村社・国史見在社。創建年代は不詳。毎年4月3日に春の大祭が開かれる。ひめこそは姫社とも表記し、姫を祀った神社という意味の古語である。祭神の比売語曽神について、『日本書紀』では、垂仁天皇の時代に、意富加羅国(おほからのくに。現在の韓国南部にあったと考えられている。)の王子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が、白石から生まれた童女(阿加流比売神)に求婚すると、美女は消え失せ、都怒我阿羅斯等が追いかけると日本に渡り、摂津及び姫島に至って比売語曽社の神となったと伝えている。このうち、姫島の比売語曽社が当社であり、摂津の比売語曽社は大阪府東成区の比売許曽神社であるとされる(ただし、後者については異説あり)。
 L比売語曽神については他に、新羅王の子天之日矛の妻、新羅王波沙寝錦の妃、大己貴命の女である下照姫命、辛国息長大姫大目命、真野の長者の娘の玉依姫(般若姫)などの諸説がある。また、宇佐神宮の祭神のうちの比売大神を比売語曽神とする説もある。
 L金溶岩は、金火山の噴火によって流れた溶岩が、冷えて固まったものです。この場所では、溶岩が流れた跡を見ることができます。
 Mかねつけ石:お姫様がおはぐろをつける時、石の上に猪口と筆をおいたところ、その跡ができたといわれています。
 N昔、弘法大師が行脚のおり、この辺りにさしかかった時、日が暮れてしまい、泊まるところもなく空腹のまま小川に架けた土橋の下で野宿をされました。その折に、一夜限りとはいえ夜明けまでの時間が十夜の長さに感じられ「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠ったことから十夜ヶ橋と名がついたといわれています。。
Oお姫様が使った柳の楊枝を土中に逆さまに挿したところ、芽を出したので逆柳といわれています。
P姫島の長尾トンネル。
Q姫島の大海トンネル。
R姫島浄化センター。
S昔の製塩工場の煙突。
Sかつての塩田跡地で車エビの養殖が行われている。
 @浮洲:沖合の小さな洲に漁業の神様、高倍様を祀っており、高倍様と鳥居は高潮や大しけの時でも決して海水につかることがないというのでこの名があります。
A観音崎の海岸に洞窟があったが、時間が無かったので今回は探索をパスした。
A千人堂までの石仏類。
A千人堂までの石仏類。
A千人堂までの石仏類。
A千人堂までの石仏類。
 A観音崎火口跡:観音崎火口跡は、直径が70mほどあり、火口跡周辺では、乳白色の黒曜石が露出しています。
 A千人堂:観音崎に馬頭観世音を祀った小さなお堂があります。大晦日の夜、債鬼に追われた善人を千人かくまうことができるのでこの名があります。
 A姫島の黒曜石産地は、地表に露出し観察が容易な黒曜石産地として、北海道の十勝(白 滝地方)や長野県霧ヶ峰周辺などと並び全国的に貴重です。露天の黒曜石は、観音崎一 帯に見られ、この黒曜石が波に洗われる様は壮観で、他では見られない景観となっています。また、全国の黒曜石が黒色であるのに対し、姫島産黒曜石は乳白色を呈し、極めて特徴的です。黒曜石は火山の岩漿が地表上に噴出して急速に固まった火山岩の一種です。石器時代には「矢じり」などに重用され、特に縄文時代に利用の急激な拡大がみられま す。姫島から海を渡って運ばれた黒曜石が、九州だけではなく四国や中国地方の遺跡からも出土しています。
B姫島村役場と黒曜石。
C姫島の小規模な造船会社。トロッコレールが道路を横断して設置されている。
D姫島のコンクリートプラント。
E達磨山火口跡に海水を汲み上げて車エビの養殖場にしている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『姫島村』を掲載」
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