更新日時 2015年12月13日

 硫黄島は白煙噴く硫黄岳を抱く硫黄島は、火山のエネルギーに満ち、自然の雄々しさを感じさせる島です。霧島火山帯に沿って噴出した海底火山の一つである硫黄島は、鬼界カルデラの中央火口丘に当たり、絶え間なく湧出する様々な温泉により七色に染まった海岸線が神秘的な趣です。野趣あふれる海岸の露天風呂も火山からの贈り物。島を闊歩する野生化した孔雀の姿も、生命力にあふれています。鬼界カルデラの北縁に形成された火山島であり、ランクAの活火山に指定されている。 主峰の硫黄岳(後述)は標高703.7mで常時噴煙を上げており、亜硫酸ガスによってしばしば農作物に被害が発生する。また、港内は港底から鉄分を多量に含んだ温泉が湧出し、海水との反応で赤茶色に変色している。硫黄のために島の周辺海域が黄色に変色していることから「黄海ヶ島」と呼ばれ、これが「鬼界ヶ島」に書き換えられたとの説がある。古くは『平家物語』に語られる俊寛が流刑された地と伝承されている。また、『吾妻鏡』正嘉2年(1258年)9月2日条に、2人の武士が硫黄島に流刑にされた記述があり、その内の1人は祖父も治承の頃(12世紀末)に硫黄島に流刑にされたと記録されていることから、平安時代末期からこの島が流刑地であったことが分かる。
三島村行きの鹿児島港のフェリー乗り場です。
フェリーみしまです。
フェリーみしまの売店です。 フェリーみしまのロビーです。
フェリーみしまの食堂です。自販機しか有りません。
この先は1等の船室です。洋室のベットがあります。
2等雑魚寝の部屋です。 珍しく喫煙ルームもあります。
硫黄島です。 @硫黄島港に入港です。
@これが有名な硫黄島の茶色い海です。 @お出迎えの音楽隊です。
 @硫黄島港に入港したフェリーみしまです。硫黄港(長浜港)は 海底からの噴出物で、常時鉄錆色に染まっている。海水と海底から湧き出る温泉水の化学反応によるもので、茶色は炭酸泉からの噴出による鉄化合物である。噴出量は、変色した海域の面積より年間2億トンに達すると計算されている。
@硫黄島港の待合所です。
 A御番所跡:島津藩政時代三島村は、御船手奉行の支配下にあった。奉行は、硫黄島に在番所を置き在番所役人を派遣して島の諸政に当たらせた。ここが在番所の跡地である。役人では元禄3年(1690年)伊集院賢吉氏の名が初めて見えるが、それ以前から置かれていたらしいい。各島からの貢祖とりたてなどもその重要な仕事であった。
 A硫黄島の熊野神社です。硫黄大権現宮とも呼ばれ、安徳帝晩年の皇居跡とも伝えられている。治承元年(1117)鹿ヶ谷荘での平氏打倒の陰謀を知った平清盛は、藤原成経、平判官康頼、大僧都俊寛の3人を鬼界ヶ島(今の硫黄島)に流刑された。成経と康頼は早く許されて都に帰れるようにと紀州熊野三所権現を勧請してここに祭った。後に文治元年(1185)安徳帝が居住されてから、来真三種権現(くまさんしゅごんげん)と改められ、三種の神器を内陣に祭られた。
A硫黄島の郵便局です。Ingressのポータルになっています。島で唯一の金融機関。ATMなし。
A硫黄島駐在所。 A孔雀が闊歩している。
A硫黄島の墓地。 A無縁墓はすこし離れた所に設置。
 A安徳帝墓所: 安徳天皇のものと伝えられる御陵が存在する。島の伝説では、安徳天皇はこの地で寛元元年(1243年)に崩御したという。周囲には御前山と呼ばれる丘陵地に「平家一門墓」といわれる中世墓地の遺跡がある。
Aマリンハウス 孔雀の里。
A三島開発総合センター。 A俊寛の像。
 A硫黄港の正面に高さ80mの溶岩絶壁があり、その東縁が鬼界カルデラのカルデラ壁と考えられている。硫黄島は、硫黄港から矢筈岳山体の南東側、平家の城を経て、竹島に至る東西20km、南北17kmの鬼界カルデラの北西縁に位置している。
A硫黄島温水プール施設。
A三島村総合体育館。 A三島村の消防車。
A岩を切り裂いて木が生えてきています。 B廃墟のようです。
B廃墟は建設会社の倉庫になっているようです。
Bみしまジャンベスクール。 Bこの木、何の木、気になる木。
B応永年間の平家の墓。
C九州電力硫黄島発電所。
D稲村岳脇の外周道路。自動車は通行止め。
D稲村岳脇の外周道路から硫黄岳を望む。
E自動車が通れる道路との合流部。
F島の大半を占める竹林資源を利用し、竹の子生産加工が行われている。
Gまとまった雨が降る日は滝が見える。(硫黄島那智の滝)
Hこの先に東温泉がある。海の色も変色している。
Hドローンを使い東温泉を撮影。
 H海を臨む岩礁に湯船をくりぬいた野湯である。やや熱めの源泉が湧いており、源泉から順に3つの湯船に注ぎ込むようになっていて、その時の湯温に合わせて好みの湯船を利用する。 更衣施設等は一切無い。定期的に地元住民が清掃しているので、野湯の割には概ね清潔である。
H東温泉 - 島内の温泉ではしばしば全国露天風呂ランキングに取り上げられる。
I硫黄岳山頂へと向かう分岐点。
 J岳乃神(たけんかん)神社。「三国名勝図会」天保14年(1843年)では、ここに蔵王権現(山岳信仰の神)が祀られていたと記されている。この神はかつての稲村岳登山口であり、遙拝所でもあったと考えられる。延慶本「平家物語」に登場する「岩殿」はこの岳乃神だと推定され、同書には島の人々の尊崇の篤かったことや平康頼が硫黄島熊野三山を「岩殿」周辺に勧請されたことが記されている。島の人々の記憶によると、昭和の戦後に、硫黄岳の中腹にあった小祠(硫黄岳の神を祀る)をここ岳乃神に移したとのことなので、現在では稲村岳の神と硫黄岳の神が合祀されていることになる。古くから厄払いの神様として島々の人々に大切にされている。
K稲村岳登山道入口。
K舗装されていない道路とその脇に捨てられた廃車。
 L冒険ランドいおうじまは鹿児島市が建設したキャンプ施設。敷地面積21,000平方メートル、宿泊定員は150人。
 M徳躰神社。祭神は、軽野大臣と伝えられている。軽野大臣は、初期の遣唐使として中国に渡ったが唐の皇帝の怒りに触れて毒薬を飲まされ、言葉の言えない灯台鬼にされてしまった。後年、その子春衡も遣唐使として中国に渡ったが、祝宴の時、頭に燭台をのせてたっている灯台鬼が春衡に歩み寄り目に一杯の涙を溜めながら、こっそり我が指を噛んで傷つけその血で床に「燈し火の影恥かきし身なれども子を思う やみの悲しかりけり」と書いた。この歌を読んだ春衡は、ハッと驚き、これこそ帰らぬ父の姿よと思い、唐亭に無理にお願いをしてその灯台鬼となっている父を貰い、日本を目指して帰国の途についた。途中の船は嵐にあい、硫黄島坂本に漂着した里村に出て弱った父の看護をしたいと思いここまで連れていたが、衰弱のあまり大臣は息絶えたのでここに葬り、その霊を徳躰神社として祭り、石祠を建てた。
N硫黄島の道路。石垣もある。
O硫黄島の崖の崩落防止の工事を行っている。
O崩落防止工事現場から見る硫黄島港のカルデラ壁。
P地図上では集落への近道が書かれているが、通れそうもない廃道だ。
P道路から水が漏れている。トイレ用の水道管の破裂か?
PNTTの電波塔? P硫黄岳から煙が出ている。
 Q薩摩硫黄島飛行場は鹿児島県鹿児島郡三島村(硫黄島)にあり、三島村設置管理者となっている非公共用飛行場。1973年にヤマハリゾートが開設。1994年4月1日に同社から三島村に移管され、日本で最初の村営飛行場となった。現在は新日本航空が鹿児島空港から週1往復の定期チャーター便を運航している。かつては枕崎飛行場との間にチャーター便が運航されていたが、運航会社が休業し、のちに枕崎飛行場も廃止された。2014年8月6日、新日本航空(NJA)により定期チャーター便の運航が始まっている。
Qトカラ馬? R草原が広がる。
R気象庁火山観測施設。 R運輸省の境界杭。
R薩摩硫黄島燈台。 RNTTドコモ硫黄島基地局。
S岬橋から見た硫黄島港。
S岬橋。渡るとふわふわと上下に揺れている。
S岬橋から見た岩穴。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『薩摩硫黄島』を掲載」
孔雀が闊歩する活火山の島 硫黄島