更新日時 2018年11月18日

東京湾 第二海堡
 第二海堡は1889年8月起工、1914年6月完成。第一海堡と共に富津市に属する。浦賀水道と内湾の北側境界に位置し面積は約41,000m2。1923年9月1日の関東大震災により被災、その年の内に廃止・除籍された。 その後海軍が使用し、第二次世界大戦中は対空砲が設置されるほか、敵潜水艦の東京湾への侵入を防ぐ防潜網が設置された。敗戦にともない第一海堡同様、施設を爆破処理される。戦後は灯台が設置され、さらに1977年からは海上災害防止センターの消防演習場として利用されている。以前は神奈川県からの渡し舟で釣り人が渡航していた。侵食が進んでいることによる安全上の理由から2005年6月末に立入りが禁止された。許可を得た上陸ツアーが行われることがある。現在は第一海堡とともに海上保安庁によって灯台が設置されている。浦賀水道航路および中ノ瀬航路に接し、くの字に折れ曲がった航路の凹部に隣接する。海底の水深は8mから12mであり、第二海堡を撤去しても喫水の大きい船が航行するには更なる浚渫が必要。将来、直下型の大地震が起きた際に劣化した護岸が崩壊し、流出する土砂が航路の海底に堆積して大型船舶の往来を妨げる危険があることから、2006年度から護岸整備工事が行われている。今後も灯台と消防演習場として存続される予定。
第二海堡に行く途中浦賀水道で小笠原丸と交差しました。
浦賀水道を航行するセブンアイランド。 @第二海堡へのチャーター船Sea Friend Zero。
@国有地につき立入禁止の看板。
@海上災害防止センター消防演習場。
@倉庫の壁は煉瓦でイギリス積み屋根はコンクリートで造られ、防水のためアスファルトを塗布。
@煉瓦倉庫に小菅で造られたと思われる煉瓦の刻印を発見。
@危険物庫? @何のBOXだろうか?
@第二海堡は段々になっていて、下部が石積み上部は煉瓦壁。
A煉瓦壁は焼き過ぎ煉瓦のイギリス積み。一部に石が使われている。
A掩蔽壕無理すれば潜れそうですね。
A煉瓦壁に草が生えている。ケーブルフックは輸入された鉄を使用している。
B第二海堡灯台。初代は明治27年7月完成。改築は昭和58年3月完成。
B第二海堡。
B第二海堡灯台。 B東京大学の地震計。
B貯水槽? B監視所?
C煉瓦擁壁の厚みが解る。 C15cmカノン砲が有った場所。
C小菅集治監の煉瓦の刻印。右は焼き過ぎ煉瓦。
C小菅集治監の煉瓦の刻印
C15cmカノン砲が有った場所。
C砲弾?
D光ケーブル埋設場所。
D第二海堡灯台。
E護岸工事を行い崩壊を防止している。
F高射砲の基礎。
F太陽光発電設備。以前はディーゼル発電でしたが、時化の時に燃料補給が難しい為変更。
G工事用に使われる桟橋。 G戦前に食糧としてサボテンが栽培。
G海上保安庁の設備関連?
G海上保安庁の設備関連? G第一海堡。
G防空司令所跡。
G兼用点 新湾口3 東京湾口航路事務所。水準点標高13.1m。
G海上災害防止センター消防演習場。
G海上災害防止センター消防演習場。三角屋根は戦前の宿舎。
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