更新日時 2019年02月18日
伊豆大島は日本の伊豆諸島北部に位置する伊豆諸島最大の島。東京から約120km、伊豆半島からは南東方約25kmに位置する。大島と名のつく島は日本各地にあるが、国土地理院では伊豆大島と表記する。面積は91.06km2。行政区域は東京都大島町。名物はツバキで、椿油が特産品。島の97%が富士箱根伊豆国立公園に指定されている。大伊豆大島は、伊豆・小笠原弧の火山島である。島は水深300〜400mほどの海底からそびえる火山の陸上部分であり、海底部分まで含めると1,000m程度の高さの火山となる。山頂部にはカルデラがあり、その中には中央火口丘の三原山がある。島の最高地点はこの三原山の標高758mの三原新山と呼ばれる高まりである。 2007年には日本の地質百選に選定、2010年には日本ジオパークに認定された。火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山にも選定されている。 | |
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セブンアイランド愛、セブンアイランド友。東京発8:00立山経由と東京発8:10久里浜経由では久里浜経由の方が、伊豆大島に5分早く到着する。(合計15分早い)セブンアイランド愛1980年竣工(ボーイング製17番船)。279総トン、全長27.4m、船客定員260名。カラーデザインはハートがモチーフ。2000年10月まで加藤汽船・関西汽船が阪神 - 高松航路(ジェットライン)で「ジェット7」として運航していた。セブンアイランド虹1981年竣工(ボーイング製19番船)。289総トン。(旧トン数表示)船歴は「セブンアイランド夢」と同じ。前の船名は「シージェット・カラ」 (SeaJet kara) 。セブンアイランド友1989年竣工(川崎重工業製2番船)164トン。以前は鹿児島商船「トッピー1」として鹿児島・指宿 - 種子島・屋久島航路に就航していた。セブンアイランド大漁1994年6月竣工(川崎重工業製14番船)165トン。以前はJR九州高速船で「ビートル5世」として福岡県博多港・対馬 - 大韓民国釜山港航路に就航していた。 | |
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@伊豆大島の旅客船待合所。 | |
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@伊豆大島の旅客船待合所。セブンアイランド「虹」「大漁」「友」そろい踏み。 | |
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A東京都大島空港。 | |
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A大島町消防本部。 | |
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AJAXAのヘリが大島空港に駐機していた。 | |
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B伊豆大島岡田港。 | |
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B伊豆大島岡田港。ラフタークレーンを使用し荷下ろしを行っていました。 | |
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C東京電力の伊豆大島発電所。 | |
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D伊豆大島火山博物館。入館料500円。9:00〜17:00。 | |
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D溶岩樹形:溶岩が樹木を囲んで流れると美樹の周りに高温の溶岩が付着して、やがて冷え固まる。この時に木の幹は燃えてしまうため、幹の形がそのまま円筒状空洞となって残されたものを溶岩樹形という。 | |
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D三原山火口探索のゴンドラ:昭和初期には三原山火口への自殺者が多かった。読売新聞社は自殺者がいかに悲惨な状態になるかを世に知らせるべく、また、火口内の状態を調査する目的で、有人ゴンドラを火口に入れる計画をたてた。入念な検討と学者の協力を得て、クレーンによる吊り下げ方式により、昭和8年5月29日に当時の社会部次長 岩田得三が375mの深度まで下降することに成功し、続いて写真課長 真柄秋徳も200mまで下降しました。当時の三原山は火口底で頻繁に噴火を繰り返していたが、、あらゆる困難を克服して火口内部の状態や火山ガスの採集等貴重な資料が得られた。ゴンドラは60年前の偉業を記念すべく、資料をもとに等寸大で復元したものである。 | |
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D伊豆大島火山博物館の展示。正直なところ500円を払ってまで見たいとは思わない。 | |
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E三原山外輪山駐車場(駐車料金無料) | |
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E警視庁大島警察署外輪山警備派出所。 | E名代歌乃茶屋。 |
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E名代歌乃茶屋。 | |
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E御神火茶屋。時間が有れば寄りたかったが、次回来たとき寄りたいと思います。 | |
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E外輪山三原山展望所。ここから火口まで約45分かかります。 | |
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F三原山火口への遊歩道。舗装はされているが、駐車場から車の進入禁止。 | |
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F三原山火口への遊歩道の途中には噴火時の待避口が所々に設置されている。 | |
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G1986年溶岩流先端部。1986年11月19日、三原山山頂火口から溢れた溶岩は斜面を下り、カルデラ内に流れてきました。溶岩の流れる速さは、伊豆大島火山では一般に人が歩く速さよりも遅いです。溶岩流の先端部は厚さが5mあります。表面は起伏に富みゴツゴツとした岩塊に覆われています。このような溶岩をアア溶岩と言います。 | |
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G三原山火口への遊歩道のこの上り坂はきつかった。 | |
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G三原山火口への遊歩道中腹からの風景。 | |
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H三原山の三角点。△673.2。 | |
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H東大-地震研究所。基準点。光学の反射鏡も設置されている。 | |
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H三原山の噴火口から煙が上がっている。火山が生きている証拠。 | |
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H大型のアグルチネート:大きな岩はアグルチネートのかたまりです。アグルチネートは、噴火の時に吹き上げられた溶岩のしぶきなどが落ちて、積み重なって出来ています。高さは5mもあります。よく見ると、大きな部分や小さな破片がくっつき合っているのがわかります。1986年の噴火の時には、火孔が溶岩で一杯に満たされ、溶岩の湖になりました。この大きな岩は、その時の溶岩の表面のかけらです。火孔から溢れた溶岩の流れに乗って、約500mも運ばれましたが、火口の縁を越えることが出来ずに、ここで止まりました。 | |
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H三原神社。古代から三原山の噴火は神のなせる業として 受けとめ、噴火口全域を御神火として信仰し崇めてきた。三原山の近くに阿治古と呼ばれ る古い地域に集落があり、阿治古神社が鎮座 していた。たびたびの噴火降灰により、1466年(室町時代、文正2年)祭神阿治古命 を大宮の地に遷座したため、御神火が遠くな り阿治古命を三原大明神として祀る様になっ たと思われる。伊豆大島差出し帳の記述によれば1789年 (天明9年)にはすでに三原神社が鎮座して おり毎年6月1日に三原神社の祭礼が行われ 島民は神主と共に祭礼の一週間前よりお籠り をして身を清め参拝したとある。これまでに溶岩が火口より砂漠へ流れ出した のは1910年〜1923年(明治大正)と 1950年〜1953三年及び1968年(全 島民避難)の噴火である。三原神社はこの昭和の大噴火による溶岩流も「なぜか」神殿を 避け直前で両側へとながれを変えている。これこそ古代からの信仰である御神火のなせる 業ではないだろうか。不思議の一言につきる。 | |
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H展望台及びトイレ。 | |
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H展望台からの風景。 | |
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H展望台からの風景。火口の煙が見える。 | |
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H展望台からの風景。電子基準点。 | |
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H展望台からの風景。 | |
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I何かの工事中。 | I地殻変動観測施設。 |
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Iホルニト:1950年〜1951年の噴火の時には、火口から溢れた溶岩が三原山の斜面を下って流れました。一部では溶岩の表面が固まってトンネルのようになり溶岩はトンネルの中を流れました。トンネルの天井が破れたところからガスや溶岩が噴き出して、塚になった物がホルニトです。このホルニトの下には、幅10m、長さ15m、高さ6mの空洞が有り、その奥には10m以上のトンネルもあります。ホルニトは、パホイホイ溶岩と呼ばれる流動的な溶岩に出来ます。この周辺の地面には、表面から滑らかなパホイホイ溶岩が見られます。この穴からは水蒸気のような温かい空気が流れてきます。 | |
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I三原山から見た景色。 | |
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J都道208号線の大宮沢を渡る大宮橋梁。 | |
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K地層大切断面。地層の大切断面は伊豆大島の火山噴火史を物語る証で、100層ほど積み重なった見事な縞模様は、おおよそ150年前後に1度と言われている大噴火によってスコリア火山灰主体の降下堆積物で形成されています。大島では「バウムクーヘン」と呼ばれるこの地層は、1953年(昭和28年)道路建設工事中に偶然発見されたもので、長さ630m、標高70m前後の都道沿いに高さ24m程に渡って続いております。起伏に富み、一見褶曲のような見かけですが、三原山A火孔より数km飛ばされて来た火砕物が地形を覆って降り積もった堆積物です。典型的な不整合もみられます。路面壁の一部分はおおよそ1万5千年〜2万年以前と言われています。 | |
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K地層大切断面。 | |
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K地層大切断面。 | |
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L差木地漁港。 | |
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M波浮港。 | |
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N竜王埼灯台。 | |
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N鉄砲場。塹壕。 | |
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N竜大崎周辺には第2次世界大戦時、日本陸軍の監視所として、多くの兵士と小学校高等科を卒業して兵役年齢(20歳)に満たない年齢15歳〜19歳の青年達が生活し監視の教育を受け、共にその任務に従事していた場所である。本土襲撃のB29爆撃機の一番機はこの監視所から発見されたと伝えられる。兵舎は3棟有り、周辺には防空壕、弾薬庫、食料庫、貯水槽が併設され、海に向かった斜面には攻撃用の塹壕、蛸壺壕が無数に掘られていた。 | |
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N堤防に鳥がたくさん休んでいた。 | |
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O筆島。 | |
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O筆島。 | |
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O都道208号線の筆島展望台の避難壕。 | |
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P月と砂漠ライン入口。 | |
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Qこの先は東京航空局。 | Q月と砂漠ライン駐車場。 |
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R海のふるさと村入口。 | |
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S大島公園。 | |
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