更新日時 2017年01月05日

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2017年01月吉日
2015年12月吉日
2015年04月吉日
2014年04月吉日
2013年12月吉日
八丈島は、伊豆諸島の島。行政区分は東京都八丈町。隣の八丈小島と区別するため、八丈本島もしくは八丈大島と呼ばれることもある。日本の気象庁によると火山活動度ランクCの活火山である。1964年、富士箱根伊豆国立公園に指定された。東京の南方海上287km、御蔵島の南南東方約75kmにあり、東山(別名:三原山・標高701m)と西山(別名:八丈富士・標高854m)のふたつの火山が接合した北西-南東14km、北東-南西7.5kmのひょうたん型をした島。気候は、暖流である黒潮の影響を受け、海洋性気候となっている。年平均気温は17.8℃となっており、高温多湿。年間を通して風が強く、雨が多いのが特徴。そのため、「常春の島」とも言われている。
2017年01月吉日
2016年01月吉日
2015年04月吉日
2013年12月吉日
青ヶ島は、伊豆諸島の島。行政区分としては島全体が東京都青ヶ島村に属し、人口は195人(2012年)である。伊豆諸島の有人島としては最も南に位置する。日本の気象庁によって火山活動度ランクCの活火山に指定されている。東京の南358キロメートル、八丈島の南方65キロメートルにある周囲約9キロメートルの火山島。青ヶ島は典型的な二重式カルデラ火山で、島の南部に直径1.5キロメートルのカルデラ(池之沢火口)があり、その中に「丸山(別名オフジサマ)」という中央火口丘があるが、島自体はより大きな海中カルデラ全体の高まりのひとつにすぎず、第1東青ヶ島海丘・第2東青ヶ島海丘・第3東青ヶ島海丘などとともに島の北東にある海中カルデラの外輪山となっている。集落名に関係なく公的な住所は島内全て「青ヶ島村無番地」である。
2016年04月吉日
2011年01月吉日
猿島(正式名称は「えんとう」だが、広く一般的に「さるしま」と呼ばれる)は、神奈川県横須賀市、東京湾に浮かぶ無人島。湾内唯一の自然島である。島内からは縄文時代の土器や弥生時代の土器・人骨が出土し、また日蓮上人にまつわる伝説が残るなど、古くから人々に親しまれた島である。幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点となる。幕末には江戸幕府の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。実際に本施設が実戦に用いられたことはないが、島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積みが見られる。
2016年02月吉日 初島は、静岡県熱海市に属する島。伊豆半島東方沖の相模灘に浮かび、静岡県の最東端でもある。古い文献などでは波島(はしま)、端島(はしま)、波津幾島(はつきしま)との表記もある。1989年(平成元年)にバブル景気から空前のリゾートブームとなり、不動産・リゾート開発会社の日本海洋計画が「初島クラブ」というリゾート施設を建設する計画をたてた。1993年(平成5年)8月に施設はオープンしたが、バブル経済崩壊の影響からリゾート会員募集が順調に進まずに当初から苦しい経営となった。1998年(平成10年)度には売上高は目標額の3分の2となり、ついに経営が行き詰まり1999年(平成11年)4月26日に会社更生法の適用を申請し倒産した。その後、リゾートトラストの支援の下、新会社の「リゾートトラスト初島」となり、施設の名称も「エクシブ初島」と変更され営業を続けている。
2016年02月吉日 神島は伊勢湾口に位置する、周囲3.9km、面積0.76km2の島で、三重県鳥羽市に属する。三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台になったことで有名。人口は500人あまりで過疎化が進んでいる。1989年(平成元年)にJTBが雑誌「旅」の9月号が創刊750号目を迎えるのを記念して開いたシンポジウムにおいて、神島は日本の秘境100選に選定された。古くは、歌島、亀島、甕島などと呼ばれた。神島の名が示すように、神の支配する島と信じられていた。後に八代龍王を祭神として八代神社が設けられた。神社には、古墳時代から室町時代にわたる総数百余点の神宝が秘蔵されている。各種の鏡(唐式鏡、和鏡)や陶磁器などである。鳥羽藩の流刑地であったため、志摩八丈と呼ばれたこともあった。小説潮騒の舞台であり、5回行われた映画化ではロケ地となった。同作品中では歌島とされている。
2015年12月吉日 十島村中之島:面積、人口ともに十島村で最大の島。中之島港近くに役場の支所が置かれ、村の中心的な役割を担っています。島の中北部にそびえるトカラ列島最高峰の御岳(979m)は登山もでき「トカラ富士」の愛称にふさわしい美しい稜線の山です。麓の高原には鹿児島県天然記念物のトカラ馬が放牧され、ゆったり草を食む姿が見られます。近くの天文台には、九州最大級の60センチ反射望遠鏡を備えており、澄んだ空気のなか素晴らしい天体ショーが観測できます。中之島は、トカラ列島に所属する島である。面積は34.47平方キロ。周囲30km、最高点は御岳(トカラ富士)の979m。人口は160人、世帯数は89世帯(2015年11月30日現在。島名は七島の中ほどにある島であるということに由来している。
2015年10月吉日 硫黄島は白煙噴く硫黄岳を抱く硫黄島は、火山のエネルギーに満ち、自然の雄々しさを感じさせる島です。霧島火山帯に沿って噴出した海底火山の一つである硫黄島は、鬼界カルデラの中央火口丘に当たり、絶え間なく湧出する様々な温泉により七色に染まった海岸線が神秘的な趣です。島を闊歩する野生化した孔雀の姿も、生命力にあふれています。鬼界カルデラの北縁に形成された火山島であり、ランクAの活火山に指定されている。 港内は港底から鉄分を多量に含んだ温泉が湧出し、海水との反応で赤茶色に変色している。硫黄のために島の周辺海域が黄色に変色していることから「黄海ヶ島」と呼ばれ、これが「鬼界ヶ島」に書き換えられたとの説がある。
2015年08月吉日 渡嘉敷島は、沖縄県島尻郡渡嘉敷村に属する島。那覇の西方約30q、慶良間諸島の東端にある。渡嘉敷村の役場が設置されるなど、慶良間諸島を構成する主たる島の一つとなっている。先史時代から人の居住があり、舟越(ヒナクシ)貝塚などの遺跡がある。琉球王朝時代に代々渡唐船の船頭を務めた根元家を始めとして優秀な船乗りを輩出しており、17世紀半ばには沖縄と中国を往来する船の監視を目的に座間味島・渡名喜島・久米島とともに烽火台(「ヒータティヤー」)が設置されている。第二次世界大戦末期には米軍の激しい攻撃に晒され、米軍上陸後に住民の約半数にあたる368名が集団自決した。沖縄戦で亡くなった人々を祀るために島の北東部に建てられた白玉の塔や、自決場所の近くには戦跡碑や集団自決跡地碑などの戦跡もある。
2015年05月吉日 北大東島は、沖縄本島の東方約360kmに位置する北大東村は、沖縄でもっとも早く朝日が昇る島。気候は亜熱帯海洋性気候に属し、一年を通して暖かく、降水量は少ないものの、頻発する台風により雨水がもたらされています。北大東島は、珊瑚環礁が隆起してできた島で、中央部は盆地のように窪んでおり、大小20数個の沼や湿地が散在しています。盆地の周りを屏風のように連なる小高い丘が取り囲み、防風林として島を台風などの災害から守ってきました。1885年日本の領土に編入される。1900年 - 玉置半右衛門を中心とした八丈島からの開拓団が大東諸島に入植し、1903年から北大東島の開拓に着手。戦前は、南大東島と同様、玉置商会〜東洋製糖〜大日本製糖(現在の大日本明治製糖の前身)が島全体を所有する「社有島」であった。
2014年12月吉日 大和と琉球がまじりあう島 与論島
与論島は、奄美群島のひとつで、鹿児島県最南端の島である。奄美群島のなかでも沖縄に近く、南には沖縄本島最北端の辺戸岬が望める。島の周囲はリーフで囲まれた、美しいサンゴ礁の島である。一島一町で、鹿児島県大島郡与論町。人口は約6,000人で、主な産業は農業と観光である。1983年(昭和58年)にはミニ独立国、「パナウル王国」を設立した。島で唯一製造されている黒糖焼酎「有泉」は、ほとんどが島で消費され、客人をもてなす時などには 「与論献奉」と呼ばれる島流の飲み方で有泉を飲む。与論献奉(よろんけんぽう)と呼ばれる与論島への客人をもてなす習慣で、焼酎を人数分まわし飲みをする儀式。
2014年12月吉日 ハナシャヌ島 沖永良部島:沖永良部島は奄美群島の南西部に位置する島、鹿児島県大島郡に属し、九州本島から南へ536km、沖縄本島から北へ約60km、北緯27度東経128度付近に位置する。和泊町と知名町の2町からなり平成24年1月1日現在の和泊町人口(男3495)(女3601)計7096人、知名町人口(男3366)(女3305)、計6671人両町の合計人口13767人(2012年)。島の名前の読みについては、1973年(昭和48年)に当時の和泊町長が町議会で「おきのえらぶじま」が正式であると答弁している。和泊町議会において「おきえらぶじま」と「の」を抜いた形での呼称統一を決議したものの、町側は区長会や観光協会、地女連など町内5団体と意見交換した結果、いずれも「変更の必要なし」との結果になった。これらを踏まえ、同町はどちらも正しいとして「変更の必要はない」と結論付けた。
2014年12月吉日 徳之島は、南西諸島の奄美群島に属する離島の1つであり、島内には鹿児島県大島郡徳之島町、伊仙町、天城町の3町がある。県内では奄美群島は奄美大島を中心とする、奄美地方という地区に分類される。面積は約247.77km2、周囲およそ80km。日本では北方領土の色丹島よりやや小さく、14番目の面積を持つ。人口約27,000人の島である。合計特殊出生率の高さでは、国内第1位-第3位を島内の3町が占めている。主要な産業はサトウキビ、ジャガイモ、ショウガ、果樹などの農業、キハダマグロ、ソデイカ、カツオ、イセエビ類などの近海漁業、黒糖を原料とした菓子、黒糖焼酎製造など。気候は沖縄諸島などと同じく亜熱帯性気候に属する。本土に比べれば1年を通して暖かい。
2014年07月吉日 姫島村は、大分県北東部にある離島姫島を行政区域とする一島一村の村である。東国東郡に属する。2005年3月31日以来、大分県内で唯一の村となっており、2006年3月31日以降は東国東郡に属する唯一の自治体となっている。大分県国東半島の北、瀬戸内海西端、周防灘と伊予灘の境界に位置する離島。国東市国見町の中心部(伊美地区)から約6kmの海上に位置する。島の長さは東西約7km、南北約4kmで東西に細長い形をしている。島中央部に標高266mの矢筈山、島西端に標高105mの達磨山、島西北部に標高62mの城山があり、この3つの山の間が中心集落になっている。島の西北部(城山より北側)の観音崎地区では、黒曜石の断崖がある。露天状態の黒曜石は日本国内では極めて数が少ない。
2014年07月吉日 奄美大島は、九州南方海上にある奄美群島の主要な島で、単に大島ともいう。面積712.39km2であり、本州など4島を除くと佐渡島に次ぎ面積5位の島である。年間の日照時間が日本一短い。大島海峡沿岸や湯湾岳などは奄美群島国定公園の一部となっている。島を代表する生産品である黒砂糖や大島紬は中国大陸方面から伝えられ、焼酎(黒糖焼酎)やチヂン(奄美大島独自の太鼓)、高倉は東南アジア方面から伝えられたとも言われる。1185年の壇ノ浦の戦いで敗れ落ち延びてきた平家たちにより、重要無形民俗文化財の諸鈍芝居(諸鈍シバヤ)が伝えられ、幾つかの城砦が築かれたとの伝承も残る。
2014年07月吉日 喜界島は奄美群島の北東部に位置するの島。鹿児島県大島郡に属し、全島が喜界町に属している。東経130度線上に位置している。隆起性サンゴ礁の島で全島ほとんどがサンゴを起源とする石灰岩で出来ている。現在も年間約2mm隆起を続けている。戦跡も多く残る。
2014年06月吉日 種子島は、九州の鹿児島県に属し、大隅諸島を構成する島の1つ。県内有人離島の中で最も東に位置し、人口(約33,000人)は奄美大島に次いで2番目に多く、面積は444.99km2で、奄美大島、屋久島に次いで3番目に大きい。日本では、10番目の面積を持つ。標高は最高点でも282mしかなく、海側から見ると殆ど平らにしか見えない。1936mある隣の屋久島と比べると対照的である。中心都市は西之表市。現在は種子島宇宙センターなど宇宙関連施設が多く建てられ、日本に於ける宇宙開発の一翼を担っている。また、最近では多くのサーファーが移住し、マリンスポーツ等も盛んに行われている。戦前より県内外からの移住者が多く、その出身元も多様。島の内陸部にある十六番や二十番という地名は、開拓番号がそのまま集落名になったものである。
2014年06月吉日 海士町(あまちょう)は島根県隠岐郡の町である。隠岐諸島の島前三島のひとつ・中ノ島に位置する。中ノ島(なかのしま)は、日本の島根県・隠岐諸島の島前に属する島の一つ。海士島(あまとう)の別名で呼ばれることもあり、隠岐郡海士町の主島となっている。1221年には後鳥羽上皇が海部郡に流刑となり、源福寺を配所として崩御するまで19年間暮らした。1939年、上皇の700年祭を記念して隠岐神社が創建された。江戸時代には松江藩の支配を受け町域は海士村、豊田村、崎村、宇津賀村、知々井村、福井村、太井村に分かれていた。1904年に1郡1村の海士郡海士村となり、村役場を海士に置いた。
2014年06月吉日 隠岐の島(島後)は、島根半島の北方約50kmにある諸島。当諸島は、島前(どうぜん)と島後(どうご)に分かれている。隠岐諸島は島後水道を境に島前(どうぜん)と島後(どうご)に分けられる。島前は「島前三島」と呼ばれる知夫里島(知夫村)、中ノ島(海士町)、西ノ島(西ノ島町)から構成される群島であるのに対し、島後は島前三島から島後水道を隔てた島後(隠岐の島町)の一島から構成される。500万年前の火山島だが侵食で火山地形が失われているため火山ではなく第三紀の火山岩類として扱われる。ちなみに、火山とは第四紀に活動したものを指し、第三紀のものは火山岩類という。黒曜石の産地として有名。日本最古の石「隠岐片麻岩」もみつかっている。
2014年06月吉日 知夫里島は、日本の島根県・隠岐諸島に属する島の一つ。県内唯一の村である隠岐郡知夫村の主島であり、村役場が置かれている。西ノ島(西ノ島町)・中ノ島(海士町)と共に隠岐諸島西部・島前三島(どうぜんさんとう)を構成する。島後島を含む隠岐諸島の有人島4島の中では最も人口が少ない。松江市・七類港からの直行便は朝の1便のみでそれ以外の便は西郷港(島後・隠岐の島町)や別府港(西ノ島町)を経由する。来居港からは境港への直行便はあるが、七類港の直行便は無く、別府港か菱浦港で隱岐観光の島前内航船(フェリー・高速船)に乗り換える必要がある。空路の場合は島後の隠岐空港から西郷港へ行き、隠岐汽船で別府港か菱浦港(海士町)を経由して島前内航船に乗り換える。
2014年06月吉日 西ノ島町は島根県隠岐郡の町。隠岐諸島の西ノ島に所在する。面積56.05平方キロメートル、人口3,161人(平成24年5月1日現在)。隠岐郡内では隠岐の島町に次ぐ2番目に大きな町である。島は山がちで耕地は少ない。島の南部は島前3島に囲まれ、穏やかな良港が多い。北部は荒海であるが、良漁場である。1915年(大正4年)島中央部に船引運河が開削され、島南部の港から北部の漁場へ簡単に行けるようになった。浦郷港は隠岐最大の漁業基地となっている。古代の隠岐国知夫(ちぶり)郡三田(みた)郷の地である。延喜式神名帳の名神大社である由良比女神社をはじめ式内社が多い。1957年2月11日、浦郷村と黒木村が合併して西ノ島町が成立した。
2014年05月吉日 奥尻島は、北海道南西部の日本海上に浮かぶ島。面積は142.97kuであり北海道では5番めに面積の広い島である。島全体で北海道奥尻郡奥尻町をなす。主な産業は漁業および観光。特に夏はとれたてのうにやいかが食べられる。奥尻空港があり、函館空港から1往復就航する。また奥尻港には江差町との間に通年で日に往復2便運航する。1993年7月12日に起こった北海道南西沖地震では、島の南西部の青苗地区を中心に津波の被害を受け200人あまりの死者を出した。当時約4,700人ほどあった人口は、被害による転出などがあり減少傾向にある。北海道南西沖地震のあと、防波堤などの大規模な津波対策がなされた。スマトラ沖地震のあと、島における津波対策の先進地ということで各国の防災担当者から注目をあびることとなった。
2014年05月吉日 南大東島は、沖縄本島の約400km東方(宮崎県の真南)に位置する大東諸島の島で、沖縄県内では6番目に面積が大きい。近年、航空機の大型化などで観光客が容易に訪れることが可能になり、豊かな自然を生かした観光地としても注目されている。開拓以来、八丈島系住民が沖縄県住民を使役する状態が続いたが、戦後解消されている。サンゴ礁が隆起して出来た隆起環礁の島である。周囲は断崖絶壁で、島の北端から北に10kmの位置にある北大東島のほか沖大東島を除いては、周囲400kmに渡って陸地のない絶海の孤島である。また、島の周りの海は非常に深く、沖へ2kmほど出れば水深は1,000mに達する。島の中央が窪んでいるため、海岸付近の標高が最も高く内陸に進むほど低くなる皿状の形態である。
2014年05月吉日 渡名喜村は沖縄県島尻郡の村。那覇市の北西約60km、久米島・慶良間諸島・粟国島のほぼ中間に位置する有人島の渡名喜島と無人島の入砂島の2島からなる。沖縄県最小、且つ日本で二番目に小さい自治体である。沖縄本島では余り見られなくなった伝統的な赤瓦の家屋が比較的多く残っており、島の集落全体が重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。集落には赤瓦の家屋、フクギの屋敷森、石垣などを特色とする歴史的景観が良好に保持されている。これらの家屋は風よけのため塀に囲われた敷地を掘り下げて屋根を道路とほぼ同じ高さにする工夫をした「掘り下げ屋敷」と呼ばれる渡名喜島に固有の特徴を備えている。
2014年05月吉日 粟国島は、沖縄諸島に属する島である。那覇市の北西約60kmに位置し、周囲12.8km。産業は主に農業と漁業で、近年では製塩業も有名である。周囲に島はなく一島一村となっており、沖縄県島尻郡粟国村に属している。かつては粟の産地として知られており、粟島とも呼ばれ、名前の由来となっている。また飢饉用に植えられたソテツが多く残っており、別名「ソテツの島」ともいわれる。また、筆ん崎の沖は流れが強いものの、5月〜7月にかけてギンガメアジが非常に大きな群れを作る場所になっており、上級者向けのダイビングポイントとして有名である。島の西側の標高が高く、東側へ緩やかな傾斜となっている。西端が真鼻岬(筆ん崎)で、白色凝灰岩の断崖絶壁となる。
2014年04月吉日 座間味島は、慶良間諸島に所属する島で、沖縄県島尻郡座間味村に属する。古座間味ビーチや阿真ビーチなど美しい海を求めて多くの観光客がこの島を訪ねる。また、島内の山や岬にある展望台からの眺望も美しい。映画『マリリンに逢いたい』は、この島に飼われていた雌犬マリリンに逢うために、対岸の阿嘉島にいた雄犬シロが潮流の速い海を泳いで渡った実話を基にしている。座間味島にはマリリンの像が設置されている。
2014年04月吉日 久米島は、沖縄本島から西に約100km、沖縄諸島に属する島で、最も西に位置する島である。人口は1万人弱で、行政上は島全域が久米島町に含まれる。沖縄県内では、沖縄本島、西表島、石垣島、宮古島に次いで5番目に大きな島である。ダイビング地として有名で、国内の大手航空会社が共にリゾートホテルを展開しており(現在は撤退または撤退予定)、長く広がるイーフビーチには民宿なども多く点在する。また、東北楽天ゴールデンイーグルスが発足年度からこの地にキャンプを構えたことで、その方面でも広く知られるようにもなった。
2014年04月吉日 多良間島は、宮古島と石垣島の中間に位置し、沖縄県宮古郡多良間村に属する島である。宮古列島の南西端に位置し、東方にある宮古島との距離は約67km、西方にある石垣島との距離は約35kmである。また、多良間島の北方8kmには水納島がある。東西約6km・南北約4.3kmのほぼ楕円形をした島で沖縄県の島で11番目の大きさである。隆起サンゴ礁からなるため、島全体が平坦で山や河川はない。最高点は北部にある八重山遠見台の34.2m。島の周囲は砂浜に囲まれ、サンゴ礁が発達している。
2014年04月吉日 宮古島は、沖縄本島から宮古海峡を経て南西に約290km、東経125度、北緯24度に位置し、太平洋と東シナ海の間にある島である。南西諸島西部の島嶼群宮古列島に属し、先島諸島の一部を成している。近隣には、池間島、大神島、伊良部島、下地島、来間島などがある。「宮古(ミヤコ)」という地名は、元は「ミヤク」であったと考えられている。池間島(字池間・字前里)・狩俣地区(字狩俣)に残された600年以上の歴史を持つアヤグ(宮古方言での詩歌のこと)によると、ミヤクとは「人(自分自身)の住んでいる所(地域・集落)」という意味である。この場合、言葉の由来は言葉の音によって「ミ(自分)」「ヤ(住んでいる)」「ク(場所・村)」の意味に分けられる。
2014年04月吉日 御蔵島は、伊豆諸島に属する日本の島。東京都御蔵島村に属する。周辺海域に野生のミナミハンドウイルカが生息していることでエコツーリズムの拠点として発展、全国に名前が知れ渡った。ほかに全国有数の巨樹の森、オオミズナギドリの繁殖地としても有名。東京都心の南約200km、三宅島の南南東19kmの太平洋上に位置する。島はほぼ円形をしており、中央に御山(851m)を擁する。島全体が豊かな原生林で覆われているため、島としては珍しく水に恵まれている。暮らしは定期船の入港に左右され、悪天候が続けば食料やその他物資などが不足することもある。そうした場合、東京から八丈島経由でヘリコミューターを使った輸送を行うこともある。村内に公共交通機関やタクシー、レンタカーなどはない。旅行者は徒歩、もしくは宿泊施設の車両を利用することになる。御蔵島にはお寺は無く、神社しかない。
2014年02月吉日 小豆島は、瀬戸内海・播磨灘にある島。行政区分は香川県小豆郡に属し、小豆島町、土庄町の2町からなり、人口は約30,000人(2013年度推計)。古代には「あずきしま」と呼ばれ、その後中世までは「しょうずしま」と呼ばれた。素麺、醤油、佃煮、胡麻油、オリーブなどの生産が盛んであり、いずれも日本有数の生産地となっている。特にオリーブは国内栽培の発祥地として広く知られる。また、小説『二十四の瞳』の作者壺井栄の故郷としても知られ、島をロケ地として、同小説はこれまで二度映画化された。小豆島は、香川県の県庁所在地高松市の約20km北東沖に位置し、同県最大の島である。瀬戸内海では淡路島に次いで2番目の面積で、日本の島においては19番目の大きさである。
2014年02月吉日 大崎上島町は、広島県豊田郡の町。2003年4月1日に、東野町、大崎町、木江町の対等合併により発足した自治体である。国立広島商船高専や中国電力大崎火力発電所、東邦亜鉛契島製錬所がある。竹原、安芸津からのフェリーで約30分の芸予諸島の中程に位置する。造船業が盛んで、島内浦々に造船所がある。気候は温暖で降雪も少ない。平地は少なく、切り立った斜面が多い。柑橘類の栽培に適した環境である。また、周辺には多数の無人島が点在し、漁業振興を目的とした保護水面もあった。昭和期には、真珠の養殖も行われていた。現在の大崎上島の平地は、埋め立てにより建設されたところが多い。伊能大図を参考にすると、大崎地区原下、大西、原田、大串界隈の海岸線が内陸にあることからも理解できる。
2014年02月吉日 愛媛県上島町は、愛媛県にある町。2004年(平成16年)10月1日に越智郡弓削町・生名村・岩城村・魚島村が合併して誕生。瀬戸内海に浮かぶ18の島々から成り、海上で広島県尾道市に接している。上島町は、瀬戸内海のほぼ中央、愛媛と広島の間に点在する芸予諸島の中でも、愛媛県側で最も東に位置している。広島県尾道市因島に近く、最も近い生名島の場合、その間はわずか300メートルであり、生活圏は因島側に属している。日立造船の造船所があり、この地域の造船業の中心地であった因島(現在は尾道市の一部)との結び付きを強め、ベッドタウン的な傾向を持つようになった。ところが、オイルショックとそれに続く造船・海運業の不況により、離職者が相次ぎ、「島が沈む」とまでいわれた。
2013年04月吉日
2013年12月吉日
2014年02月吉日
函館市青函連絡船摩周丸は北海道函館市にある博物館船である。日本国有鉄道(→北海道旅客鉄道)青函航路に就航していた津軽丸型連絡船「摩周丸(2代目)」の船体を使用(博物館船)し、内部も一部現役当時のものを残している。函館市青函連絡船記念館摩周丸の前身は「函館シーポートプラザ」で、摩周丸はその一部という位置づけであった。摩周丸は展示のための係留船で、海上に浮かぶ建築物とも見なされていることもあり消防法や建築基準法が適用されているほか、現在展示に供されていない区画(普通船室・グリーン自由席・貨車甲板・機関室・総括制御室・船首部など)に関してはアスベストが残存しているほか、安全管理上の問題から非公開とされている。
函館市青函連絡船八甲田丸
2014年01月吉日 石垣島は、沖縄県石垣市に属する島である。沖縄県内では沖縄本島、西表島に次いで3番目に広い島である。日本全体では、本土と沖縄本島を含め、熊本県上天草市・天草市に属する天草上島に次いで 21番目の面積を持つ。人口は約4万5千人。石垣島は八重山諸島の政治・経済・教育・交通などの中心地で、県庁所在地である那覇市との距離は南西に410km以上離れており、その距離は東京から岐阜間に相当する。逆に台湾とは概ね270kmしか離れておらず、地理的には日本のほとんどの地域よりも台湾に近い場所に位置している。概形としてはほぼ正方形に近く、北東部に細長く平久保半島が突き出ている。島の中央やや北にある標高 525.5m の於茂登岳は沖縄県の最高峰であり、この山以北は山がちとなっている。
2014年01月吉日 与那国島は、日本の最西端の島。南西諸島八重山列島の西端、日本最西端の地を擁す国境の島。八重山諸島の西端、台湾の北東に位置する島。方言名の「どなん」は、渡航が難しいという意味の「渡難」に由来する。行政区分は沖縄県八重山郡与那国町。北緯24度26分58秒東経122度56分01秒に位置する西崎(いりざき)は、正式な日本の東西南北端の中で唯一、一般の交通機関で誰でも自由に訪れることができる場所である。年平均気温23.6℃。石垣島からは124kmの国境の島で、台湾宜蘭蘇澳港までは111kmしかなく、年に数回晴れて澄んだ日には水平線上に台湾の山々を望むことができる。島は東西に細長く、ちょうどサツマイモのような形をしていて、起伏は激しいものの自転車でも3 - 4時間で一周が可能な大きさである。
2014年01月吉日 波照間島は、沖縄県の八重山諸島にある日本最南端の有人島。島の成因は隆起珊瑚礁であるが比較的起伏が大きく、中央部には標高60mに達する地点もあり、この付近に灯台が立つ。主な産業はサトウキビ栽培と製糖である。また、島内の酒造所では、泡盛の中でも、製造量が少なく入手困難なことで有名な「泡波」という銘柄を生産している。有人島として日本最南端の島であるとともに、民間人が日常的に訪問できる日本最南端の地でもあり、「日本最南端の碑」と「日本最南端平和の碑」が建てられている。また、島内にある波照間郵便局は「日本最南端の郵便局」である。波照間島にはサキシマハブなどハブ類は生息していない。島内には信号機が一つも無い。
2013年11月吉日 伊江村は、沖縄県国頭郡の村。沖縄本島の本部半島から北西9kmの場所に位置する周囲22.4kmの伊江島から成る。沖縄本島本部半島の北西約9kmの位置にある伊江島一島の全部からなる。島中央から少し東にずれたところにある標高172.2mの城山(ぐすくやま)は本島からもよく見え、伊江島タッチュー(イータッチュー)の愛称で親しまれている。産業は主に農業、漁業から成り立っている。本部港からもフェリーで30分あまりということもあり、「日帰り可能な離島」としての人気も高い。一時は島の面積の約半分が米軍基地であったが、島民による基地返還闘争が継続的に行われ、5度にわたり部分的な返還がなされた。この結果、基地の面積は島全体の35%となっている。
2013年11月吉日 伊平屋村は沖縄県島尻郡の村。沖縄県の有人島としては最北端である伊平屋島を主島とし、第一尚氏王朝をひらいた尚巴志の祖父:佐銘川大主(または鮫川大主とも)の出身地であるとされる。沖縄の島々の中で、最北端にある伊平屋島は、細長い形をしています。200mを越える緑の山々。平野部には広々とした田畑。サンゴ礁が連なる海岸線。えんえんと続く砂浜。そして、澄んだエメラルドグリーンの海。伊平屋は山の幸・海の幸に恵まれています。最も古い遺跡は縄文時代前期にあたる久里原貝塚で、発掘調査からヒトが継続的に生活していたことがうかがえる。琉球王国期には、伊是名島、伊平屋島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされ、そのため行政区としては王府の聖域が多く存在する本島南部の島尻郡に属すことになった。
2013年11月吉日 伊是名村は、沖縄県島尻郡に属する村である。沖縄本島辺戸岬の西約30kmに位置し、有人島の伊是名島および、無人島の屋那覇島・具志川島・降神(うるがみ)島の4島からなる。沖縄貝塚時代の前半(縄文時代にあたる)時期の遺跡が多く、特に貝塚時代前半の伊是名貝塚からは竪穴式住居や土器などがみつかっている。また、北側にある具志川島遺跡群ではオオベッコウガサガイ製の腕輪(貝輪)をはめた人骨が県内で初めて発見された。琉球王国においては、伊是名島および伊平屋島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされた。島の水道水は石灰分が多く硬水で、石鹸の泡もあまり泡立たず、シャワーを浴びても何時までもぬるぬるしている。
2013年10月吉日 五島市は、長崎県の西部、五島列島の南西部に位置する市。2004年8月1日に福江市、南松浦郡富江町、南松浦郡玉之浦町、南松浦郡三井楽町、南松浦郡岐宿町、南松浦郡奈留町の合併(新設合併)により誕生した。五島列島(ごとうれっとう)は、九州の最西端、長崎港から西に100kmに位置し、北東側から南西側に80km(男女群島まで含めると150km)にわたって大小あわせて140あまりの島々が連なる列島。全島が長崎県に属し、人口は約7万人。
2013年10月吉日 新上五島町は、長崎県五島列島の中通島・若松島とその周囲の島を町域とする町である。現在では南松浦郡唯一の地方自治体となっている。2004年(平成16年)8月1日、有川町・上五島町・若松町・新魚目町・奈良尾町の5町が合併して誕生した。五島列島(ごとうれっとう)は、九州の最西端、長崎港から西に100kmに位置し、北東側から南西側に80km(男女群島まで含めると150km)にわたって大小あわせて140あまりの島々が連なる列島。全島が長崎県に属し、人口は約7万人。
2013年10月吉日 小値賀町は、長崎県の五島列島北部の小値賀島と周辺の島々を行政区域とする町で、北松浦郡に属する。春にはおぢか国際音楽フェスティバルがあり、多くの観光客が来島する。2004年(平成16年)より、九州鹿をモデルとしたちかまるが小値賀町のマスコットキャラクターとなっている。五島列島(ごとうれっとう)は、九州の最西端、長崎港から西に100kmに位置し、北東側から南西側に80km(男女群島まで含めると150km)にわたって大小あわせて140あまりの島々が連なる列島。全島が長崎県に属し、人口は約7万人。自然海浜や海蝕崖、火山景観など複雑で変化に富んだ地形で、ほぼ全域が西海国立公園に指定されるなど豊かな自然景観を有している。
2013年10月吉日 壱岐島は、九州北方の玄界灘にある南北17km・東西14kmの島である。九州と対馬の中間に位置する。周囲には23の属島(有人島4・無人島19)が存在し、まとめて壱岐諸島と呼ぶ。全域が壱岐対馬国定公園に指定されている。レオタードを着ての漁:壱岐島の東部・八幡(やはた)地区では、今も海女が古(いにしえ)の海人族からの伝統の潜水漁を営んでいるが、ウェットスーツではなく、レオタードを着て海に潜っている。なぜかと言うと、八幡では昔から乱獲を防ぐため、ウェットスーツの着用を禁止しているからである。伝統漁の「海女」と「レオタード」を組み合わせて「レオタード漁」と呼ばれることがある。八幡の海女の仕事は5月1日から9月末までとなっている。
2013年10月吉日 対馬は、日本の九州の北方の玄界灘にある、長崎県に属する島である。面積は長崎県最大で、日本では第10位である。古くは対馬国や対州、また『日本書紀』において対馬島と記述されていた。旧字体では對馬。地理的に朝鮮半島に近いため、古くからユーラシア大陸と日本列島の文物が往来し、日本にとっては大陸との文化的・経済的交流の窓口の役割を果たしてきた。また、地政学的にはチョークポイントにあたるところから古代より国防上重視され、明治時代からは陸軍対馬警備隊が、戦後は陸上自衛隊対馬警備隊・対馬駐屯地が置かれている。また、戦前には対馬要塞が築かれた。
2013年09月吉日 三宅島は、伊豆諸島の島。雄山(おやま)を中心としてしばしば激しく噴火をすることで知られ、日本の気象庁によって火山活動度ランクAの活火山、常時観測対象火山に指定されている。最近では2000年から活発な火山活動が続いている。島の全域が富士箱根伊豆国立公園となっており、行政区画は島全体が東京都三宅村に属する。東京の南海上175km、伊豆大島の南57kmに位置する。直径8kmのほぼ円形をした島。伊豆-小笠原海嶺の上にあり、第四紀更新世の後期(約1万〜15万年前)になってこの付近の海底で噴火が始まり、島が形成されたと考えられている。
2013年08月吉日 粟島浦村は、新潟県岩船郡の村。県北部、日本海に浮かぶ粟島の島内唯一の自治体である。中心部の内浦と、島の反対側にある釜谷の2つの集落で構成される。民宿が多く、夏には海水浴客でにぎわう。地学的には、隆起の激しい島であり、島の北部には海岸段丘が発達している。冬の粟島は大陸からの寒波にさらされ、海が荒れる。そのため酷い時は一週間も船が欠航し、郵便等の貨物や新聞のやり取りができなくなる。 下水道普及率は新潟県NO.1の100%で粟島浦村(釜谷地区)固有のマンホールもある。
2013年08月吉日 直島町は、香川県香川郡に属する町。瀬戸内海上に浮かぶ直島を中心とした直島諸島の島々で構成される。瀬戸内海の香川県高松市の北に約13km、岡山県玉野市の南に約3kmの位置にあり、直島を中心とした大小27島の島々で構成される。本土の陸地自体への距離は直島町が所属する香川県よりも岡山県の方が近いが、県庁所在地への距離は香川県の方が近く、岡山県庁(岡山市)が約23.1kmなのに対し香川県庁(高松市)は約14kmである。井島は岡山県と香川県の県境が存在し、南側が直島町に属している。いくつかの島は三菱マテリアル直島製錬所の操業により煙害で禿山となっていたが、戦後まもなくから植林の努力は続いている。特に荒神島の緑は近年見事なまでに復活している。直島の南側は緑豊かな海岸となっており、瀬戸内海国立公園に指定されている。
2013年05月吉日 礼文島・利尻島
 礼文島(れぶんとう)は、北海道の北部、稚内の西方60キロメートルの日本海上に位置する礼文郡礼文町に属する島。地名語源はアイヌ語のレプン・シリ(沖の島)。礼文水道を挟んで利尻島の北西に位置する。
 利尻島(りしりとう)とは、北海道北部、日本海上に浮かぶほぼ円形の島。面積182.11km2。日本の島嶼部で18番目に広い面積を有している。島内には利尻富士町と利尻町の自治体があり、『平成22年住民台帳人口・世帯数』における島の総人口は約5,400人である。北には礼文水道を挟み礼文島が浮かぶ。
2013年05月吉日 ハートランドフェリー株式会社 (Heart Land Ferry) は、日本の海運会社。北海道から離島および、サハリン(樺太)のコルサコフ港(旧・大泊)へのフェリー航路を運航している。旧称は東日本海フェリー(ひがしにほんかいフェリー)。昭和初期に稚内港と利尻・礼文島間の定期航路を開設した事が事業の始まりであるが、丸一水産の頃から赤平町で陸運業などを手がけていた蔦井與三吉が経営参画し、稚内利札運輸と改組した頃から道内で海運を中心に手広く事業を興す。1972年に東日本海フェリーへ社名変更を行い、奥尻島-江差港航路を蔦井が経営する道南海運から譲受され、日本海側の道内都市と離島間の輸送に特化している。1999年には国際航路の運航を開始。2008年1月に現社名に変更した。
2013年03月吉日 父島(ちちじま)は、東京都・小笠原諸島の島。小笠原諸島最大の島であり、周囲の兄島、弟島などの島とともに父島列島を形成する。一度も大陸と陸続きになったことがない海洋島で、多くの固有種が存在する。島全体が小笠原国立公園に指定されている。東京都小笠原村の中心的機能を担う島であり、小笠原村役場はこの島に所在する。集落は島の北西部の大村地区が中心。島の西側に西に開けた二見湾があり、湾の北部に二見港がある。1920年代から陸軍によって砲台などの軍施設が建設され、太平洋戦争の頃には更に増強が進み父島要塞となった。現在でも夜明山や衝立山などには軍施設・塹壕・砲台の跡、高射砲などの残骸が残っている。現在では、海上自衛隊の父島基地や宇宙航空研究開発機構(JAXA)の小笠原追跡基地、国土地理院のVLBI観測局などが設置されている。
2013年03月吉日 おがさわら丸は、小笠原海運が運航する貨客船。本土(東京)と小笠原諸島(父島)を結ぶ定期航路としては唯一の交通手段である。1996年6月竣工、1997年2月20日就航、2004年改造。黒潮を横切るため、機関出力を高くしているのが特徴。また、外洋航海となるため揺れ防止のフィンスタビライザーを装着している。 現役の内航在来型貨客船としては最大・最高速である。 小笠原海運および鉄道建設・運輸施設整備支援機構の共有である。東京(竹芝桟橋)- 父島(二見港)間を標準所要時間:片道25時間30分で結んでいる。6 - 7日程度に1便運航しており、通常は10:00に竹芝を出港し、翌日の11:30に父島に到着する。折り返し便は、通常は3泊4日後の14:00に父島を出港し、翌日の15:30に竹芝に到着する。年末年始、夏休み等には父島を同日に折り返すなど、増便が行われている。
2013年02月吉日 利島村(としまむら)は、東京都心の南約130kmの太平洋上に浮かぶ伊豆諸島の島である。 島は富士箱根伊豆国立公園内にある。東京都の村。伊豆諸島の町村であるため、所属する郡が存在せず、「東京都利島村」が正式な表記である。住所はすべて「東京都利島村***番地」となる。宮塚山508mは火山であるが、最新の噴火活動は4000 - 8000年前と見られる。伊豆諸島では御蔵島と並んで火山活動を休止している期間が長い。伊勢エビ、サザエ(大サザエ)、椿で知られる。椿の栽培が盛ん。全島の80%を占めるとも言われる椿林から生産される椿油は、全国一の生産量を誇る。隣の大島町で売られている椿油も利島産のものが多い。風波の影響を受けやすく、冬場はジェット船はもちろんのこと大型客船の欠航も多い。
2013年01月吉日 新島は、伊豆諸島を構成する島の一つであり、東京から南に約160km、静岡県下田市から南東に36kmの位置にある。東京都新島村。島の最高地は宮塚山の標高432メートル。火山島であり、近年においても1991年、2000年に群発地震が発生している。2000年の群発地震では島内の道路が一部崩落し、島内北部に位置する「若郷」へと続く道が寸断されるなど、大きな被害が出た。 なお、今でも山肌が露出している場所はあるもののインフラ面は完全に復興している。地質は流紋岩が多いため、島全体を通して砂や地面が白く美しい。主に向山で採掘される石は、イタリアのリパリ島とここ新島でしか産出されない抗火石(こうがせき、コーガ石)と言うもので、建築用、装飾用として珍重されている。
2013年01月吉日 神津島は、伊豆諸島の島の一つ。面積は18.48q2。東京都神津島村に属する。神話によれば伊豆の島々を造った神様が集まるところということから「神集島」が生まれ、それが転訛して神津島といわれる。古文書の中には「神集島」と書かれたものもある。本島は式根島とは10kmほどしか離れていない。伊豆諸島の有人島としては最も西にある。ひょうたん型をしており天上山(標高571m)を中心とした北部と秩父山のある南部とに大きく分けられる。天上山には火口原があり、ここに、「表砂漠」「裏砂漠」と呼ばれる砂地がある。頂上が平坦で高度もあまり高くないにもかかわらず、本州では2000m級の高山に生育しているような高山植物も見られる山である。天上山は838年(承和5年)に大規模な噴火をしたことが『続日本後紀』の記録などから明らかになっている。
2013年01月吉日 伊豆諸島の船旅 かめりあ丸
かめりあ丸は、1986年(昭和61年)に就航した東海汽船の貨客船である。さるびあ丸2が就航するまでは東海汽船のフラグシップであり、夏季納涼船にも使用された。東京 - 伊豆大島 - 神津島航路、および東京 - 八丈島航路で使用されている。船体の大きさは、かつての「すとれちあ丸」と同大の大きさであるが、旅客定員、貨物搭載量は減っている。 本船の特徴としてどの海域でもテレビ放送を鮮明に受信出来るように衛星放送テレビ受信装置を初めて装備している。
2012年07月吉日 軍艦島(端島)とは、長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。かつては海底炭鉱によって栄え東京以上の人口密度を有していたが、閉山とともに島民が島を離れたため、現在は無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。長崎港から南西の海上約17.5キロメートルの位置にある。島は本来は、現在の3分の1ほどの面積しかない小さな瀬であった。小さな瀬と周囲の岩礁・砂州を、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)にわたる6回の埋め立て工事によって拡張したものが、現在の端島である。島全体が護岸堤防で覆われている。面積は約6.3ヘクタール、海岸線の全長は約1200メートル。島の中央部には埋め立て前の岩山が南北に走っており、その西側と北側および山頂には住宅などの生活に関する施設が、東側と南側には炭鉱関連の施設がある。
2010年04月吉日 ヤクスギランドは安房川の支流、荒川の上流にある面積270.33haの自然休養林で、安房から約16km、標高約1000mのところに入口があります。林内はいくつものコースに分れ、ヤクスギ林帯を代表するスギ、ツガ、モミなどの大木が見られます。世界自然遺産地域には入っていませんが、屋久島森林生態系保護地域の保全利用地区、国立公園第三種特別地域などに指定されています。 屋久杉は推定樹齢1800年の仏陀杉をはじめ三根杉、母子杉、天柱杉などの巨木が見られます。蛇紋杉は1997年9月の台風19号で倒れました。蛇紋杉の倒木の上には、もう次の世代の木々が更新を始めています。天柱橋は元々屋久杉倒木の天然の橋でしたが、台風で流され、最近造り直されました。天柱杉は、屋久島で一、二位の樹高を誇ります。
2010年04月吉日 縄文杉(じょうもんすぎ)は、屋久島に自生する最大級の屋久杉。屋久杉を代表する古木として著名である。縄文杉を見るためには、徒歩で往復8〜10時間程度かかる。現在は保護のため木の周りには立ち入ることはできない。屋久島(やくしま)は、九州大隅半島の南南西約60kmの海上に位置する島。島は周囲約132km。火山島ではなく、大部分は花崗岩からなっている。中央部には日本百名山の一つで九州地方最高峰の宮之浦岳 (1,936m) がそびえるほか、他にも数多くの1,000m級の山々を有し、「洋上のアルプス」の呼び名がある。また、海からの湿った風がこれらの山にぶつかり、「屋久島は月のうち、三十五日は雨」と表現されるほど大量の降雨をもたらすため、年間降水量は平地で約4000mm、山地では8000mmから10000mmにも達する。
 工事中 
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