更新日時 2016年04月23日

ローカル線の旅 近江鉄道
 近江鉄道本線は、滋賀県米原市の米原駅から滋賀県甲賀市の貴生川駅までを結ぶ、近江鉄道の鉄道路線である。「近江線」「近江本線」などと呼ばれることがある。東海道本線や草津線のルートから外れた近江盆地の穀倉地帯を縦断する鉄道として建設された。高宮 - 五箇荘間で東海道新幹線と並行している。この新幹線建設時に伊吹山や鈴鹿山脈の眺望が失われるとして、近江鉄道が当時の国鉄に補償を求めたという話があるが、実際には新幹線によって交差する道路の安全確認が困難となり、踏切改良、警報器設置などの「防護補強工事費」および新幹線の「併設による旅客収入源」等への補償を求めたというのが真相で、協議の末、実際に1億円(当時)が支払われている。この時、影響の一つとして眺望も付記したことを新聞に「景観料」と面白く書き立てられて風評が広がったと、2000年に林常彦近江鉄道取締役(当時)は鉄道雑誌『鉄道ピクトリアル』で話している。
近江鉄道本線 : 米原駅 - フジテック前駅 - 鳥居本駅 - 彦根駅 - ひこね芹川駅 - 彦根口駅 - 高宮駅 - 尼子駅 - 豊郷駅 - 愛知川駅 - 五箇荘駅 - 河辺の森駅 - 八日市駅 - 長谷野駅 - 大学前駅 - 京セラ前駅 - 桜川駅 - 朝日大塚駅 - 朝日野駅 - 日野駅 - 水口松尾駅 - 水口駅 - 水口石橋駅 - 水口城南駅 - 貴生川駅
 迷い原:かつては琵琶湖から続く内湖と葉原が中山道まで広がっていました。背の高い葉の原に入った人は方向が解らなくなり、そこは迷い原と呼ばれてました。やがて迷い原が米原になりました。
 米原駅(まいばらえき)は、滋賀県米原市米原にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・近江鉄道の駅である。旧国鉄駅は在来線をJR西日本、新幹線をJR東海が管理し、現在は駅構内を分割して管理している。また近江鉄道は駅が独立している。
 近江鉄道の米原駅は、駅周辺の整備工事に伴い2007年6月8日始発よりJR東口駅舎に隣接する場所に移転し、線路も駅手前の約1600m部分についてJR東海道本線下り本線沿いに移設されたが、営業キロの変更は行われていない。現在の駅舎はJR駅舎改築完成までの仮設のもので、ホームは頭端式1面2線となっている。1998年のJR駅縮小前はJRの駅と隣り合っており、JR東口改札から階段を上がり旧1番ホーム経由で入るようになっていた。JR東口の移設後は完全に分離され、駅前広場を挟んで向かい合う形となっていた。駅舎は以前のままの二階建てで入り口が二階部分にあったため、駅前とは階段でつながっていた。駅係員配置は7:00 - 18:00となっている。
米原駅 - フジテック前駅間の近江鉄道の線路。
米原駅 - フジテック前駅間の近江鉄道の線路。
フジテック前駅(ふじてっくまええき)は、滋賀県彦根市甲田町にある近江鉄道本線の駅。
 フジテック前駅単式ホーム1面1線の駅。ホームは全長45mで3両編成分の長さがある。駅舎は木造。駅員配置は平日の朝のみ。エレベーター大手製造会社のフジテックの本社が同社滋賀製作所のある彦根市に移転して来るのに伴い建設された。総工費5400万円のうち駅舎分の4000万円をフジテックが負担し、残りの1400万円で彦根市がトイレと駐輪場を整備した。2006年(平成18年)3月18日 - 開業。
 フジテック前駅西方600m。2006年4月3日に大阪府茨木市から移転。高さ170mのエレベーター研究塔がある。
フジテック前駅 - 鳥居本駅間の近江鉄道の線路。
鳥居本駅(とりいもとえき)は、滋賀県彦根市鳥居本町にある近江鉄道本線の駅。
 鳥居本駅は島式ホーム1面2線の地上駅。現在は終日無人駅となっている。駅舎とは、ホーム南端の構内踏切でつながる。ホーム上には古い待合室がある。駅舎は開業時からのもので、独特の外見を持つ洋風建築。
鳥居本駅 - 彦根駅間の近江鉄道の線路。
鳥居本駅 - 彦根駅間の近江鉄道のトンネル。
鳥居本駅 - 彦根駅間の近江鉄道の線路。
 彦根駅(ひこねえき)は、滋賀県彦根市古沢町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・近江鉄道の駅。かつて、駅東側に住友大阪セメント彦根工場(1996年3月閉鎖)があり、近江鉄道にも住友大阪セメントやキリンビール関連の車扱貨物輸送があった。それらの貨車を扱うため駅東側の下り線に面して側線群があった(そのため、下りは第一場内、第二場内の信号機を持っていた。第一場内は現在第一閉塞信号機の建植位置である)。 側線群は現在線路は撤去されているが、バラストが線路跡地を物語っている。
 彦根駅は島式ホーム1面2線の地上駅である。終日社員配置駅。出札口(営業時間:始発〜最終)、自動券売機1台がある。自動改札機は導入されていない。かつては、国鉄下りホーム(2番のりば)に面して近江鉄道の上りホームがある相対式であったが、橋上化の際新たに下り側のホームを整備し、島式としたものである。その後、JRのバリアフリー化工事(エレベータ設置工事)に合わせて改札が分離された。現在使われている出札・改札口は改札分離前は中間改札として利用されていたものである。
彦根駅構内の近江鉄道の列車。
彦根駅構内の近江鉄道の列車。  ED14形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省がアメリカ合衆国から輸入した直流用電気機関車である。輸入当初は1060形と称した。
彦根駅構内の近江鉄道の列車。
彦根駅構内の近江鉄道の貨物列車。
 ひこね芹川駅(ひこねせりかわえき)は滋賀県彦根市芹川町にある近江鉄道本線の駅。2009年4月8日開業。近江鉄道が自社で新設する駅としては1989年4月の水口松尾駅・水口城南駅以来20年ぶりとなる。
 ひこね芹川駅片面プラットホームの終日無人駅である。プラットホームは長さ 45 m、幅 3 mで、駅前広場や駐車場などは設置されていない。建設費は5,000万円とされている。
ひこね芹川駅 - 彦根口駅間の近江鉄道の線路。
彦根口駅(ひこねぐちえき)は、滋賀県彦根市西沼波町にある近江鉄道本線の駅。
 彦根口駅は相対式2面2線のホームを持つ地上駅。平日の朝のみ有人。ホーム間は構内踏切で移動する。駅舎は米原方面ホームに隣接して建てられているが、貴生川方面ホームへも道路から直接入れるようになっている。 貴生川寄りの分岐の関係で貴生川方面ホームは一部線路とホームが離れた状態となっている。 トイレは駅舎の外に、汲み取り式で小さな男女共用のものがある。
彦根口駅 - 高宮駅間の近江鉄道の線路。
彦根口駅 - 高宮駅間の近江鉄道の線路。
 高宮駅(たかみやえき)は、滋賀県彦根市高宮町876-1にある近江鉄道本線の駅。近江鉄道多賀線の乗換駅。島式・単式2面3線の地上駅で有人。駅舎に繋がる本線上り用の単式ホームと本線下りがある。
高宮駅は多賀線用の扇形の島式ホームがあり、その間に中線がある。 多賀線リンク
高宮駅 - 尼子駅間の近江鉄道の線路。
尼子駅(あまごえき)は、滋賀県犬上郡甲良町尼子にある近江鉄道本線の駅。
 尼子駅は島式ホーム1面2線を有する地上駅。以前は米原〜八日市間で唯一の交換不能駅だったが、2003年に交換設備が設置され、相前後して尼子コミュニティハウスとして2代目の駅舎が整備された。 終日無人駅。
豊郷駅(とよさとえき)は、滋賀県犬上郡豊郷町八目11-1にある近江鉄道本線の駅。
 豊郷駅は相対式2面2線の地上駅。平日朝のみ駅員が配置される。出札口(営業時間:7時00分〜9時00分、土日祝休業)設置。コミュニティハウスを併設している現在の駅舎は3代目である。
豊郷駅 - 愛知川駅間の近江鉄道の線路。
愛知川駅(えちがわえき)は、滋賀県愛知郡愛荘町(旧・愛知川町)市895にある近江鉄道本線の駅。
 愛知川駅は相対式ホーム2面2線の地上駅である。貴生川寄りに引き上げ線がある。7:00〜14:45まで改札業務を行っている。およそ100年の歴史ある駅舎は、老朽のために取り壊され、愛知川コミュニティハウスとして新しく建て替えられた。コミュニティハウス内には「るーぶる愛知川」というギャラリー・観光案内所を兼ねた売店・待合室があり、8:00〜17:00まで営業している。 南側に東海道新幹線が並走している。
愛知川駅 - 五箇荘駅間の近江鉄道の線路。
 五箇荘駅(ごかしょうえき)は、滋賀県東近江市(旧神崎郡五個荘町)にある近江鉄道本線の駅。駅名は「五箇荘」、地名は「五個荘」であることに注意。コンピューターの乗り換え案内で「五個荘」と入力すると引っ掛からない場合がある。
 五箇荘駅は相対式2面3線の無人駅で、構内のすぐ南を東海道新幹線が交差している。西側の米原方面ホームと東側の貴生川方面ホームは構内踏切で結ばれている。米原方面ホームに隣接して駅舎が設置されており、現在の駅舎は近江商人発祥地・五個荘の景観に合わせた瓦葺の木造平屋建て。東近江市シルバー人材センター五個荘事業所が併設され、センター職員が駅舎管理やレンタサイクルの貸し出しを行っている。貴生川方面ホームの東側には側線があり、その貴生川寄りから近江鉄道五箇荘引き込み線が延びる。引き込み線は愛知川河岸の砂利採取場(西武建設)のために引かれたもので、採取場廃止後は愛知川河岸付近(滋賀県道52号栗見八日市線との交点以東)の線路は撤去され、近江鉄道のバラストの積載線として使用されている。現在は滅多に使用されないので、近所の子供たちの恰好の遊び場となっている。
河辺の森駅(かわべのもりえき)は、滋賀県東近江市にある近江鉄道本線の駅。
 河辺の森駅は1面1線の無人駅である。 平屋の駅舎内には待合室とバリアフリー対応トイレ(男女別)が設けられ、屋根には太陽光発電装置が取り付けられている。 車イス用スロープあり。
 八日市駅(ようかいちえき)は、滋賀県東近江市(旧・八日市市)にある近江鉄道の駅。本線と八日市線の乗換駅である。
 乗り場は駅舎に隣接した単式ホーム1面と島式2面の3線構造で単式ホーム側から1・2・3番のりばとなっている。また、単式ホームと島式ホームの間に中線が、島式ホームの外側と米原方に側線がある。終日有人駅。ホームは跨線橋で駅舎と繋がっている。駅舎は近江鉄道の中で最も大きく、近代的な作りである。近江鉄道にしては数少ない、電光式の列車発着表示器が改札口頭上に存在する。
八日市駅 - 長谷野駅間の近江鉄道本線の線路。筏川北踏切より撮影。
八日市駅 - 長谷野駅間の近江鉄道本線の線路。筏川に架かる橋梁。
八日市駅 - 長谷野駅間の近江鉄道本線の線路。八日市道踏切より撮影。
八日市駅 - 長谷野駅間の近江鉄道本線の線路。
 長谷野駅(ながたにのえき)は、滋賀県東近江市今堀町にある近江鉄道本線の駅。単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎は無い。無人駅となっている。
 大学前駅(だいがくまええき)は、滋賀県東近江市布施町にある近江鉄道本線の駅。1面1線の無人駅である。
大学前駅 - 京セラ前駅間の近江鉄道本線の線路。
京セラ前駅(きょうセラまええき)は、滋賀県東近江市(旧・蒲生郡蒲生町)にある近江鉄道本線の駅。
 京セラ前駅は、1面1線の無人駅である。京セラ滋賀蒲生工場が駅東側にあるほか、東方に京セラ滋賀八日市工場などがある布引工業団地がある。駅前には民家はほとんどない。
京セラ前駅 - 桜川駅間の近江鉄道本線の線路。
桜川駅(さくらがわえき)は、滋賀県東近江市(旧・蒲生郡蒲生町)にある近江鉄道本線の駅。
桜川駅は相対式2面2線の交換可能な駅である。朝だけ有人。駅舎は開業当時からのものである。
桜川駅 - 朝日大塚駅間の近江鉄道本線の線路。
朝日大塚駅(あさひおおつかえき)は、滋賀県東近江市大塚町にある近江鉄道本線の駅。
朝日大塚は駅1面1線の無人駅である。以前は駅名標がひどく錆びていたが最近、交換された。
朝日大塚駅 - 朝日野駅間の近江鉄道本線の線路。
朝日野駅(あさひのえき)は、滋賀県東近江市鋳物師町にある近江鉄道本線の駅。
 朝日野駅は1面1線の無人駅である。トイレはない。 かつては2面2線であり、使われていないホーム跡がある。1900年(明治33年)12月28日 開業。
朝日野駅 - 日野駅間の近江鉄道本線の線路。
日野駅 (ひのえき)は、滋賀県蒲生郡日野町にある近江鉄道本線の駅(主管駅)。
 日野駅は相対式ホーム2面3線の地上駅。構内踏切がある。駅舎は開業以来のもの。近江鉄道の主要駅の一つであり、終日有人駅。当駅終点の電車も運行されている。
 1986年〜1996年に八日市以南がレールバス(LE10形)での運行となっていた頃は、当駅にレールバスの基地があった。
日野駅 - 水口松尾駅間の近江鉄道本線の線路。
日野駅 - 水口松尾駅間の近江鉄道本線のトンネル。
日野駅 - 水口松尾駅間の近江鉄道本線の線路。
 水口松尾駅(みなくちまつおえき)は、滋賀県甲賀市水口町にある近江鉄道本線の駅。単式ホーム1面1線の地上駅で、無人駅である。駅舎は無く、簡単なベンチの雨避けが入口の駅名表示板を兼ねている。エホバの証人の水口文化ホールが近くにあるので、旧水口町と同宗教団体との請願駅として開設された。宗教法人格を取得していない宗教団体が駅設置を請願するのは当時でも極めて異例であった。
水口松尾駅 - 水口駅間の近江鉄道本線の線路。
 水口駅(みなくちえき)は、滋賀県甲賀市水口町にある近江鉄道本線の駅。市街地の北外れに位置する。のちに、より市街地に近い場所に水口石橋駅と水口城南駅が開設されている。当駅始発の貴生川ゆきの列車もある。
 水口駅は相対式2面2線の地上駅。日中のみ有人。貴生川方面に駅舎がある。米原方面へのホームへの構内踏切がある。
 水口石橋駅(みなくちいしばしえき)は、滋賀県甲賀市水口町にある近江鉄道本線の駅。駅名は、駅北側を東西によぎる旧東海道の「石橋」に因む。
 水口石橋駅は1面1線の地上駅で、小さな駅舎がある。終日無人。駅の近くに線路の下を通りぬける地下道があったが、現在は埋め立てられている。ホームが大きく曲がっているため、車内放送では「電車と、ホームの間が、広く開いているところがあります。降りる方は、お足元に注意してお降りください」と流れる。なおサイクルトレインで当駅は利用できない。
 水口城南駅(みなくちじょうなんえき)は、滋賀県甲賀市水口町にある近江鉄道本線の駅。単式1面1線のホームを持つ地平駅。日中のみの有人駅。二階建ての駅舎を持つ。 2009年頃に錆びていた駅名標を交換した。
水口城南駅 - 貴生川駅間の近江鉄道本線の線路。
 貴生川駅(きぶかわえき)は、滋賀県甲賀市水口町虫生野(むしょうの)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・信楽高原鐵道・近江鉄道の駅。
 貴生川駅は1面2線の島式ホームを持つ地上駅。JR橋上駅舎の改札外の自由通路から、ホーム端にある独自の改札口へ階段で繋がっている。
 八日市線(ようかいちせん)は、滋賀県東近江市の八日市駅と滋賀県近江八幡市の近江八幡駅までを結ぶ近江鉄道の鉄道路線である。近江盆地の2つの都市間を結ぶ近江鉄道の主力路線となっている。戦前は、新八日市から軍飛行場のあった御園駅までの路線も存在した。ワンマン運転を行っている。多くは八日市 - 近江八幡間折り返し運転だが、米原駅、貴生川駅方面へ直通する列車もある。1998年に700系電車「あかね」(「あかねさす紫の花」の歌碑に由来)が八日市 - 近江八幡間ノンストップの快速で登場した。湖南鉄道が新八幡(現在の近江八幡) - 八日市口(現在の新八日市)間を1913年に開業したのが始まりである。その後、滋賀に進出しつつあった京阪資本に対抗するため、1927年に大津電車軌道と太湖汽船が合併して発足した琵琶湖鉄道汽船に湖南鉄道も合併する。しかし力及ばず、1929年に琵琶湖鉄道汽船は京阪電気鉄道に合併されることになり、旧・湖南鉄道の近江八幡 - 新八日市間は八日市鉄道へ譲渡される。八日市鉄道は戦時企業統合政策により1944年に近江鉄道に合併される。
近江鉄道八日市線 : 八日市駅 - 新八日市駅 - 太郎坊宮前駅 - 市辺駅 - 平田駅 - 武佐駅 - 近江八幡駅
 @八日市駅(ようかいちえき)は、滋賀県東近江市(旧・八日市市)にある近江鉄道の駅。本線と八日市線の乗換駅である。
 @八日市駅は乗り場は駅舎に隣接した単式ホーム1面と島式2面の3線構造で単式ホーム側から1・2・3番のりばとなっている。また、単式ホームと島式ホームの間に中線が、島式ホームの外側と米原方に側線がある。終日有人駅。
 @八日市駅はホームは跨線橋で駅舎と繋がっている。駅舎は近江鉄道の中で最も大きく、近代的な作りである。近江鉄道にしては数少ない、電光式の列車発着表示器が改札口頭上に存在する。
八日市駅 - 長谷野駅間の近江鉄道本線の線路。筏川北踏切より撮影。
八日市駅 - 長谷野駅間の近江鉄道本線と八日市線の分岐点。八日市道踏切より撮影。
A新八日市駅(しんようかいちえき)は、滋賀県東近江市(旧・八日市市)にある近江鉄道八日市線の駅。
 A新八日市駅は相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。正面のみ薄緑色に塗装された、洋風建築の駅舎を持つ。この駅舎はかつて八日市線の前身である湖南鉄道の本社屋でもあったが、かなり老朽化が激しく、2階は閉鎖されて出入りできない。朝のみ駅員が配置される。
B太郎坊宮前駅(たろうぼうぐうまええき)は、滋賀県東近江市(旧・八日市市)にある近江鉄道八日市線の駅。
太郎坊宮前駅 - 市辺駅間の近江鉄道八日市線の線路。
 C市辺駅(いちのべえき)は、滋賀県東近江市市辺町にある近江鉄道八日市線の駅。相対式2面2線の地上駅。駅係員配置は平日の7:00〜9:00。
D市辺駅−平田駅間の近江鉄道の線路。
D市辺駅−平田駅間の近江鉄道八日市線の線路。
D市辺駅−平田駅間の近江鉄道八日市線の線路。
E平田駅(ひらたえき)は、滋賀県東近江市(旧・八日市市)にある近江鉄道八日市線の駅。
E平田駅は相対式2面2線の地上駅。日中のみ有人駅である。 駅舎は、コミュニティホールを併設したもの。
平田駅 - 武佐駅間の近江鉄道八日市線の線路。
F武佐駅(むさえき)は、滋賀県近江八幡市長光寺町にある近江鉄道八日市線の駅。
F武佐駅は相対式2面2線の地上駅。駅舎は比較的新しい。駅員は朝のみ配置。
G武佐駅−近江八幡駅間の近江鉄道八日市線の線路。
G武佐駅−近江八幡駅間の近江鉄道八日市線の線路。
G武佐駅−近江八幡駅間の近江鉄道八日市線の線路。
G武佐駅−近江八幡駅間の近江鉄道八日市線の線路。
G武佐駅−近江八幡駅間の近江鉄道八日市線の線路。
 H近江八幡駅(おうみはちまんえき)は、滋賀県近江八幡市鷹飼町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・近江鉄道の駅。
 H近江鉄道の近江八幡駅の島式ホーム1面2線と側線1線の地上駅である。ホーム上のトイレは、男女共用である。
 H近江鉄道800系電車(おうみてつどう800けいでんしゃ)は、近江鉄道の通勤型電車である。本系列は西武401系を1990年(平成2年)から1997年(平成9年)にかけて譲り受け、自社彦根工場にて改造の上で登場したもので、近江八幡・貴生川寄りからモハ800形(820形)-モハ1800形(1820形)の順に編成されている。
H近江八幡駅の連絡通路から近江鉄道路線を見る。
 多賀線(たがせん)は、滋賀県彦根市の高宮駅から滋賀県犬上郡多賀町の多賀大社前駅までを結ぶ近江鉄道の鉄道路線である。多賀大社への参詣路線。彦根方面への通勤・通学路線でもある。 かつては住友セメント多賀工場やキリンビール滋賀工場への引き込み線があり、高宮駅にはこの中継のための貨物ヤードがあった。線内折り返し運転のほか、本線の彦根駅や米原駅まで直通運転する列車もある。220形電車の単行でワンマン運転を行っている。
近江鉄道多賀線 : 高宮駅 - スクリーン駅 - 多賀大社前駅
廃駅:土田駅:高宮駅から1.9km、多賀駅(現多賀大社前駅)から0.6km
@高宮駅(たかみやえき)は、滋賀県彦根市高宮町876-1にある近江鉄道本線の駅。
@近江鉄道多賀線の乗換駅。島式・単式2面3線の地上駅で有人。
@駅舎に繋がる本線上り用の単式ホームと本線下りがある。
@多賀線用の扇形の島式ホームがあり、その間に中線がある。
 @島式ホームの東側には使用されていないホーム跡と多くの留置線があり、使われていない車輌が置かれている。
@高宮駅 - スクリーン駅間の高宮6号踏切より撮影。
@高宮駅 - スクリーン駅間の高宮6号踏切より撮影。
A高宮駅 - スクリーン駅間の近江鉄道多賀線。
A高宮駅 - スクリーン駅間の高宮8号踏切より撮影。
Bスクリーン駅(すくりーんえき)は、滋賀県彦根市高宮町480-1にある近江鉄道多賀線の駅である。
Bスクリーン駅は単式ホーム1面1線の地上駅。 駅係員は平日の8:00〜10:00までのみ配置される。
 B大日本スクリーン製造彦根地区事業所の敷地内に設けられた駅である。大日本スクリーン製造が従業員の通勤の利便性を目的に、駅の設置を近江鉄道に要望し、約1億円の設置費用を提供して設けられた。 かつては、高宮駅-多賀駅(現多賀大社前駅)間に土田駅があったので54年5ヵ月ぶりに多賀線の新駅の開設となる。
Cスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の高宮11号踏切から撮影。
Dスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の高宮12号踏切から撮影。
Eスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の高宮13号踏切から撮影。
Fスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の多賀1号踏切から撮影。
Gスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の多賀2号踏切から撮影。
Hスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の多賀3号踏切から撮影。
Iスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の多賀4号踏切から撮影。
Jスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の多賀5号踏切から撮影。
Kスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の多賀6号踏切?跡。
Lスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の多賀7号踏切から撮影。
Mスクリーン駅 - 多賀大社前駅間の多賀線。
N名神高速道路下を潜る。
O多賀大社前駅(たがたいしゃまええき)は、滋賀県犬上郡多賀町にある近江鉄道多賀線の駅。
O頭端式ホーム3面2線を持つ地上駅である。改札口とプラットホームの間に段差はない。
 Oかつては、駅西側へ向かい麒麟麦酒滋賀工場へ至る専用線や、駅東側へ向かい住友セメント多賀工場へ至る専用線が当駅から分岐していた。
O駅舎はコミュニティーハウスとなっている。朝のみ、駅員が配置される。
Oドキドキ多賀門。
O絵馬通り。
P絵馬通り。
Q絵馬通り。桜町延命地蔵尊。
R絵馬通り。
 S多多賀大社は「寿命長寿」「縁むすび」「厄除け」の御霊徳高く、古くから「お多賀さん」と呼び親しまれた滋賀県第一の大社です。多賀大社が文献にみえるのは、和銅5年(712年)に撰上された“古事記”で、「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」とあります。社伝によると、神代の昔、伊邪那岐大神は本社東方の杉坂山に降臨され、麓の栗栖(くるす)の里でお休みの後、多賀にお鎮まりになったと伝えています。古くから広く民衆の信仰をあつめ、ことに奈良・平安時代には公家の信仰篤く、鎌倉〜江戸時代には武家からの信仰も集め、その祈願文や寄進の品が多く残されています。鎌倉時代から広まった神仏習合は明治初期まで続きますが、当社に於いても明応3年(1494)、天台宗の不動院が建立され、その後、観音院・般若院・成就院の社僧・坊人たちの活発な布教により多賀信仰が全国各地に広まりました。大正3年には、伊勢の天照大御神の御親神であることや崇敬が全国に及ぶ事から官幣大社に列格されました。
 S町指定文化財 多賀大社の「そり橋」太閤秀吉が多賀大社に寄せた信仰から「太閤橋」とも読んでいるが、実際は「太鼓橋」である。築造は、江戸初期寛永15年に徳川幕府の助成もあって、大僧正慈性によって本殿以下堂社の造営が行われた。「寛永年間多賀大社絵図井指地図」に「そり橋」も記載されていることから、この大造営に築造された物である。この「そり橋」は神橋であって、例祭には御神輿が渡られる。昭和7年の造営には、「そり橋」の付近が改修され現在に至っている。お多賀さん表玄関にふさわしい重厚な橋である。
S「そり橋」と私。カメラを置いた位置が・・・(笑)
 S灯籠と夫婦桜。昭和7年「昭和の大造営」の竣工に際し、延命長寿、夫婦和合の御身徳に因んで植えられました。
 S多賀大明神 室町時代中期の明応3年(1494年)には、神仏習合が推し進められ、当社には神宮寺として不動院(天台宗)が建立された。 神宮寺配下の坊人[1]は全国にお札を配って信仰を広め、当社は中世から近世にかけて伊勢・熊野とともに庶民の参詣で大いに賑わった。 「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」 「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあり、ここに見る「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子である神話体系を歌詞に映したものである。
 S社に残る垂迹曼荼羅(すいじゃく-まんだら)は坊人が神徳を説くのに用いたものであり、これを掲げて神徳を説きながら諸国を巡行し、拝礼させたと考えられる。 また、多賀社隆盛の理由としては、近江国が交通の結節点であったことも挙げるべきであろう。
 S和銅5年(西暦712年)編纂(へんさん)の『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのが、当社のことである。なお、『日本書紀』においては「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれ-みや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」との記述があり、淡路島に「幽宮」を構えたとされている。『古事記』以前の時代については、一帯を支配していた豪族・犬上君の祖神を祀っていたのではないかとの説がある。 犬上君(犬上氏)は、多賀社が属す多賀町を含む地域名「犬上郡」の名祖でもあり、第五回遣隋使・第一回遣唐大使で知られる犬上御田鍬(いぬかみの-みたすき)を輩出している古来の豪族である。
 S藤原忠平らによって延長5年(927年)に編まれた『延喜式神名帳』では、当社は「近江国犬上郡 多何神社二座」と記載され、小社に列している。 「二座」とあることから、この時代にはすでに伊邪那岐命・伊邪那美命2柱が祀られていたことが分かる。なお、摂社(境内社)である日向神社は延喜式内社であり、瓊瓊杵尊(ニニギノ-ミコト)を、同じ摂社の山田神社は猿田彦大神を祀る。 多賀胡宮とも呼ばれ多賀社の別宮として信仰を集める胡宮(このみや)神社は、伊邪那岐命・伊邪那美命・事勝国勝長狭(コトカツ-クニカツ-ナガサノ-ミコト)の3柱を祀り、多賀社の南方2キロメートルにある小高い丘(神体山)に鎮座する。 授子・授産、鎮火の神として崇敬される。
S神馬舎。
S寿命そば。
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