更新日時 2016年05月15日

ローカル線の旅 日高本線
 日高本線は、北海道苫小牧市の苫小牧駅から様似郡様似町の様似駅を結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線(地方交通線)である。王子製紙の関連会社であった苫小牧軽便鉄道と日高拓殖鉄道という2つの軽便鉄道を、改正鉄道敷設法別表第133号に規定する予定線の一部として1927年に国有化して改築し、これを1937年に様似駅まで延長した路線である。計画では、襟裳岬を回って広尾を経て帯広まで結ぶこととされ、帯広側では広尾線が広尾まで開業していたが、広尾線は1987年に廃止されている。未成区間の様似 - 広尾間はジェイ・アール北海道バスの日勝線で連絡している。2015年1月8日に起きた高波による土砂流出の影響で、鵡川駅 - 様似駅間が不通となっている。2015年8月17日現在、列車が運行されているのは苫小牧駅 - 鵡川駅間(下り8本・上り9本)のみで、鵡川駅 - 静内駅間(下り8本・上り7本)および静内駅 - 様似駅間(6往復)は代行バスが運行されている。JR北海道は鉄道総合技術研究所のコンサルティング報告に基づき、根固工の施工や消波ブロックの設置などのほか、護岸改築などの抜本的な対策が不可欠だと判断。同年4月28日に概算工事費と必要工期について2案を発表した。しかし、同年9月12日の台風17号の影響で、豊郷駅 - 清畠駅間および厚賀駅 - 大狩部駅間でさらなる路盤流出が発生した。
北海道旅客鉄道 日高本線
苫小牧駅 - 苫小牧貨物駅 - 勇払駅 - 浜厚真駅 - 浜田浦駅 - 鵡川駅 - 汐見駅 - フイハップ浜 - 富川駅 - 日高門別駅 - 豊郷駅 - 清畠駅 - 厚賀駅 - 大狩部駅 - 節婦駅 - 新冠駅 - 静内駅 - 静内海水浴場 - 東静内駅 - 春立駅 - 日高東別駅 - 日高三石駅 - 蓬栄駅 - 本桐駅 - 荻伏駅 - 絵笛駅 - 浦河駅 - 東町駅 - 日高幌別駅 - 鵜苫駅 - 西様似駅 - 様似駅
 苫小牧駅(とまこまいえき)は、北海道苫小牧市表町6丁目4番3号にある北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅。駅番号はH18。電報略号はトマ。
 苫小牧駅構造は島式ホーム2面4線を有する橋上駅。乗降用ホームは1番線から4番線の順に並んでおり、最も南側が1番線である。4番線の北側には側線・それに繋がる苫小牧運転所がある。終日社員配置駅。みどりの窓口(営業時間:5時30分 - 22時00分)・ツインクルプラザ苫小牧支店(営業時間:10時00分 - 18時00分、土・日・祝は17時00分まで)・自動券売機・自動改札機・キヨスク設置。改札口は駅の北口・南口を結ぶ自由通路に面する。Kitacaは札幌方面のみ利用可能であり、室蘭方面・追分方面・日高線方面では利用できない。北口の線路脇には神社がある。鉄道係員が列車にはねられる事故が相次いだことを切っ掛けに1963年(昭和38年)に建立された。2008年には建立以来初めて改修が行われ、10月22日に例大祭が行われた。駅構内からは王子製紙専用線が分岐している。本線南側に沿い西へ進み、王子製紙苫小牧工場へ至る路線でコンテナ輸送に使用されている。
日高本線の苫小牧駅 - 勇払駅間で撮影。
日高本線の苫小牧駅 - 勇払駅間で撮影。
日高本線の苫小牧駅 - 勇払駅間の企業団西踏切で撮影。
日高本線の苫小牧駅 - 勇払駅間の水源地踏切で撮影。
 勇払駅(ゆうふつえき)は、北海道(胆振総合振興局)苫小牧市字勇払にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はユフ。1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行「えりも」の停車駅であった。
 勇払駅構造は島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(様似方面に向かって右手側、旧2番線)に存在する。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。駅舎側が上りの1番線、反対側が下りの2番線となっていた。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去された。そのほか1983年(昭和58年)4月時点では1番線の駅舎側に側線(副本線)を1線と、そこから分岐した貨物側線などの行き止まりの側線を2線有し、また日本製紙勇払工場の引込み線も存在した。無人駅となっている。駅舎は構内の南側に位置しホームとはかなり離れており、ホーム南側とを結ぶ長い通路で連絡している。これは以前駅舎とホームの間に側線や専用線が敷設されていた名残である。有人駅時代の駅舎を有する。交換設備運用当時は駅舎とホームの間は跨線橋で結ばれていた。駅舎はコンクリートブロック造り二階建ての大きな建物であるが、1階の旧事務部分室や2階部分などは開口部に板材が打ち付けられ完全閉鎖されている。1962年移転前の旧駅は、駅舎は海側に位置し、千鳥状にずれた相対式ホーム2面2線と駅裏に留置線、駅舎横の苫小牧側に貨物ホームと引込み線を有していた。またホーム間に跨線橋は無く構内踏切で連絡していた。
日高本線の勇払駅 - 浜厚真駅間の開拓道路踏切で撮影。
日高本線の勇払駅 - 浜厚真駅間の東厚真通り踏切で撮影。
日高本線の勇払駅 - 浜厚真駅間の開拓農道踏切で撮影。
日高本線の勇払駅 - 浜厚真駅間の厚和通り踏切で撮影。
 浜厚真駅(はまあつまえき)は、北海道(胆振総合振興局)勇払郡厚真町字浜厚真にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はハマ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名のうち「厚真」は、アイヌ語の「アツ・オマ・プ」の転訛した「アトマプ」(オヒョウ(ニレ科の落葉高木)のあるところ)に由来する。アットゥシの生地となる繊維をオヒョウより取ったとのことである。当駅所在地周辺は「厚真」の海岸寄りにあるため「浜」を冠す。
 浜厚真駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南側(様似方面に向かって右手側、旧1番線)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは少しずれた位置にあり、駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側(南側)が上りの1番線、対向側(北側)が下りの2番線となっていた。そのほか1983年(昭和58年)時点4月では1番線の苫小牧方から分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の旧貨物ホームへの側線を1線有していた。交換設備運用廃止後は線路は側線を含め1993年(平成5年)までには撤去された。無人駅となっている。駅舎は構内の南側に位置しホームに接している。有人駅時代の駅舎は改築され、車掌車改造の貨車駅舎となっている。
日高本線の浜厚真駅 - 浜田浦駅間の小学校通り踏切で撮影。
日高本線の浜厚真駅 - 浜田浦駅間の三宅沼通り踏切で撮影。
日高本線の浜厚真駅 - 浜田浦駅間の浜シケウシ踏切で撮影。
 浜田浦駅(はまたうらえき)は、北海道(胆振総合振興局)勇払郡むかわ町田浦にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はハウ。駅名の由来は当駅の所在する地名に「浜」を冠する。田浦地区の海岸寄りにあるため「浜」を冠した。
 浜田浦駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。開業時からの無人駅で駅舎は無いが、ホームから少し離れた位置に待合所を有する。コンクリートブロック造りの小さな建物で、人は数人しか入れない。
日高本線の浜田浦駅 - 鵡川駅間の第5入鹿別踏切で撮影。
日高本線の浜田浦駅 - 鵡川駅間の第6入鹿別踏切で撮影。
 鵡川駅(むかわえき)は、北海道(胆振総合振興局)勇払郡むかわ町末広2-1にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はムカ。かつては富内線の分岐駅で、1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行「えりも」の停車駅であり、廃止後も日高本線の列車運行において重要な位置づけをされており、当駅発着の列車もいくつか設定されている。むかわ町の中心駅である。駅名の由来は当駅の所在する地名(旧・鵡川町)より。地名は、アイヌ語の「ムッカ・ペッ」(塞がる川)に由来する。上げ潮時、鵡川の河口が砂で塞がることから付いた。そのほか同じくアイヌ語の「ムカプ」(ツルニンジンがある所)、「ムカ」(水が滲み出す)など、由来には諸説ある。
 鵡川駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは少しずれた位置にあり、駅舎側ホーム西側と対向ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡する。富内線が営業していた頃は3番線まであり、3番線に同線の列車が発着していた。富内線廃止後、3番線の線路は撤去された。
日高本線の鵡川駅 - 汐見駅間の鵡川大踏切で撮影。
日高本線の鵡川駅 - 汐見駅間の八線道路踏切で撮影。
日高本線の鵡川駅 - 汐見駅間のオイルカ線踏切で撮影。
日高本線の鵡川駅 - 汐見駅間のチンタ浜踏切で撮影。
 汐見駅(しおみえき)は、北海道(胆振総合振興局)勇払郡むかわ町汐見一区にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はオミ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。
 汐見駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。開業時からの無人駅で駅舎は無いが、ホームから少し離れた位置に待合所を有する。コンクリートブロック造りの建物で内部には布張りのソファーが設置されている。ホームは砂利敷きで苫小牧寄りに上屋を有する。
日高本線の汐見駅 - 富川駅間のフエカップ踏切で撮影。
日高本線の汐見駅 - 富川駅間の旭町通り踏切で撮影。
 富川駅(とみかわえき)は、北海道(日高振興局)沙流郡日高町富川南2丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はミハ。1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行「えりも」の停車駅であった。かつては平取までの沙流鉄道の接続駅であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。旧駅名の佐瑠太(さるふと)は、アイヌ語の「サル・プト」(沙流川の河口)に由来する。
 富川駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南東側(様似方面に向かって右手側、旧1番線)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側(南西側)が上りの1番線、対向側(北東側)が下りの2番線となっていた。また島式ホームの外側1線が側線として残っており、この側線からは苫小牧方に分岐する行き止まりの短い側線を1線有した。そのほか1番線の苫小牧方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の旧貨物ホームへの側線を1線、1番線苫小牧方と2番線様似方を結ぶ渡り線を1線有していた。交換設備運用廃止後は対向側の線路は側線を含め1993年(平成5年)までには撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっている。駅舎は構内の南東側に位置しホームに接している。有人駅時代の駅舎は改築され、明かり窓を配した鋭角的にそそり立つ合掌部分と板張りの外壁を有する木造駅舎となっている。ホーム側には木彫りの熊の顔が掛けられている。駅舎とは別棟でトイレ棟を有する。かつては駅舎内に売店があった(1993年(平成5年)3月時点では営業中であった)。また「ハヨピラ ししゃも祭り」と記載された駅スタンプが設置されていた。自動券売機設置駅。
日高本線の富川駅 - 日高門別駅間の富川大踏切で撮影。
日高本線の富川駅 - 日高門別駅間の富浜道路踏切で撮影。
日高本線の富川駅 - 日高門別駅間の門別大踏切で撮影。
 日高門別駅(ひだかもんべつえき)は、北海道(日高振興局)沙流郡日高町門別本町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はタモ。1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行「えりも」の停車駅であった。日高町門別地区(旧・門別町)の代表駅である。駅名の由来は当駅の所在する地名に旧国名の「日高」を冠する。地名は、アイヌ語の「モ・ペツ」(子となる川)に由来する。異字である「紋別」と同じ語源であり、各所に存在することから旧国名を冠した。
 日高門別駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅。駅舎側(南側)が上りの1番線、外側が下りの2番線となっている。そのほか1番線の苫小牧方から分岐し駅舎東側部分までの行き止りの側線(横取線)を1線有する。無人駅となっている。かつてはキヨスク(営業時間8時00分から18時00分)が営業していたが、2010年(平成22年)3月の簡易委託解除と同時に閉店となり、構内は閉散としている。駅舎は構内の南側に位置しホーム東側を結ぶ長い通路で連絡している。有人駅時代の駅舎は改築され、出入口のゲート状の屋根と柱(レトロな照明器具付き)が印象的な、サイディング張りの外壁を有する駅舎となっている。駅舎内にトイレを有する。また駅舎には最初から事務室が作られておらず、簡易委託受託者でもあったキヨスクと、町の特産品展示コーナー、観光案内図などがある。駅前にはロータリーと駐車場があり、馬のシンボル像が象られた時計台のモニュメントが設置されている。駅横には遊具や東屋も設置された小公園がある。
日高本線の日高門別駅 - 豊郷駅間の門別大踏切で撮影。
日高本線の日高門別駅 - 豊郷駅間の門別神社踏切で撮影。
日高本線の日高門別駅 - 豊郷駅間の浜山道路踏切で撮影。
 豊郷駅(とよさとえき)は、北海道(日高振興局)沙流郡日高町字豊郷にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はヨサ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。旧駅名の波恵(はえ)は、アイヌ語の「ハイ」(イラクサ)に由来する。当地附近にイラクサが繁茂していたことから付いた。
 豊郷駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側(様似方面に向かって左手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。無人駅となっている。駅舎は構内の北側に位置し、ホームから少し離れている。有人駅時代の駅舎は改築され、清畠駅と同型の、待合所機能だけの駅舎となっている。大型アルミサッシが2面に設置されている内部まで明るい建物で、清畠駅舎とは腰壁のパネルの塗色が異なっている。
日高本線の豊郷駅 - 清畠駅間の浜山道路踏切で撮影。
 清畠駅(きよはたえき)は、北海道(日高振興局)沙流郡日高町字清畠にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はヨハ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。旧駅名の慶能舞(けのまい)は、アイヌ語の「ケニ・オマ・イ」(昼顔の根のある所)に由来する。
 清畠駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側(様似方面に向かって左手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。また1983年(昭和58年)4月時点では本線の苫小牧方から分岐し構内外側への行き止りの側線を1線有していた(ただしその時点では転轍機の先部分に車止めが設置されていたが、1993年(平成5年)3月までには撤去された。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっている。駅舎は構内の北側に位置し、ホームから少し離れている。有人駅時代の駅舎は改築され、豊郷駅と同型の、待合所機能だけの駅舎となっている。大型アルミサッシが2面に設置されている内部まで明るい建物で、豊郷駅舎とは腰壁のパネルの塗色が異なっている。ホームは砂利敷きとなっている。
日高本線の清畠駅 - 厚賀駅間の漁場通り踏切で撮影。
日高本線の清畠駅 - 厚賀駅間の賀張本道路踏切で撮影。
 厚賀駅(あつがえき)は、北海道(日高振興局)沙流郡日高町字厚賀町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はツカ。1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行「えりも」の停車駅であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は当時の「厚別村」と「賀張(がばり)村」の境に当たるため、双方の頭文字から採用された合成地名である。
 厚賀駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(様似方面に向かって右手側、旧1番線)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側(南西側)が上りの1番線、対向側(北東側)が下りの2番線となっていた。また島式ホームの外側1線が様似方の転轍機が維持された行き止りの側線となっていた。交換設備運用廃止後は対向側の線路は側線を含め1993年(平成5年)までには撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっている。駅舎は構内の南西側に位置しホームに接している。有人駅時代の駅舎は改築され、アーチ状で木製の窓を持つ木製板張りの外壁を有する駅舎となっている。駅入口の駅銘板は一枚板に駅名が彫刻された立派な物である。駅舎横に駅舎とは別棟で、富川駅の建物と同型のトイレ棟を有する。かつては駅舎内に売店があった(1993年(平成5年)3月時点では営業中であった)。駅附近は落石の多い区間であり、1983年(昭和58年)4月時点では落石予防・早期発見設備が存在した。
日高本線の厚賀駅 - 大狩部駅間の厚賀通り踏切で撮影。
 大狩部駅(おおかりべえき)は、北海道(日高振興局)新冠郡新冠町字大狩部にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はオリ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「オ・カル・ペツ」(川尻が曲がっている川)に由来するとされる。
 大狩部駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北東側(様似方面に向かって左手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。開業時からの無人駅で駅舎は無いが、ホームから少し離れた位置に待合所を有する。コンクリートブロックを積み重ねただけの、扉及び窓の無い、人は数人しか入れない建物である。トイレは工事現場用の仮設便所となっている。ホームは海のすぐそばにあり、崖の中腹に張り付いた様な形状となっている。有効長は30mである。駅名標の隣にテレビドラマのロケ現場であったことを記載した案内板が立つ。附近は海風が大変に強く、それを防ぐために線路際に木の杭と廃タイヤで支えられた木塀が作られている。
日高本線の大狩部駅 - 節婦駅間の踏切で撮影。
 節婦駅(せっぷえき)は、北海道(日高振興局)新冠郡新冠町字節婦町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はセフ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ポロ・セプ・ペッ」(親である広い川)、或いは「ホロ・セップ・ペッ」(大きな黄色い川の中)、また単に「セプ」(広い所)[7]など、由来には諸説ある。
 節婦駅構造は島式ホーム片面使用の1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎側の1線は交換設備運用廃止後も苫小牧方の転轍機と構内踏切手前までのレールが維持された状態で側線として残っていた(但し1983年(昭和58年)4月時点では転轍機の先、ホームに至る間の部分に車止めが設置されていた)が、1993年(平成5年)3月までには撤去された。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっている。駅舎は構内の南西側に位置しホームに接している。有人駅時代の駅舎は改築され、車掌車改造の貨車駅舎を経て新築のログハウス風の建物に建て替えられ、駅舎の位置も現在の場所に移動している。先代の貨車駅舎は高級ブランドの「ティファニー」を想起させる淡緑色に塗られていた。駅舎の前には花壇が設置されていた。またトイレは工事現場用の仮設便所となっていた。当線が日高三石駅までしか開業していなかった当時、ほとんどの列車がこの駅で交換した。
日高本線の節婦駅 - 新冠駅間の学校通り踏切で撮影。
日高本線の節婦駅 - 新冠駅間の節婦大踏切で撮影。
日高本線の節婦駅 - 新冠駅間の新冠学校通り踏切で撮影。
 新冠駅(にいかっぷえき)は、北海道(日高振興局)新冠郡新冠町字本町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はニフ。1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行「えりも」の停車駅であった。新冠町の代表駅である。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ニカプ」(オヒョウダモの皮)に由来する。当地附近にオヒョウダモが繁茂していたことから付いた。旧駅名の高江(たかえ)は、当時の地名(新冠郡高江村)より。附近の丘に水のたまる場所があり、杯の台の「たかいさら」に似ているので「高江」となったとされている。
 新冠駅構造は島式ホーム片面使用の1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている[2]。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎側の1線は交換設備運用廃止後も苫小牧方の転轍機と構内踏切手前までのレールが維持された状態で側線として残っていた(但し1983年(昭和58年)4月時点では転轍機の先、ホームに至る間の部分に車止めが設置されていた)が、1993年(平成5年)3月までには撤去された。転轍機の形状は方開き分岐であった。無人駅となっている。有人駅時代の駅舎は改築され、「出会いと憩いのセンター」と名付けられた町の施設となっている。駅舎は正面に丸い列柱が印象的なポーチを備え、内装の壁及びベンチ、ゴミ箱などが木製でコーディネートされている。駅舎内にバリアフリーのトイレを有する。また町の特産品展示コーナー、観光案内図がある。旧駅舎部分は踏切となり、駅前商店街と国道を結ぶ道路となっている。
日高本線の新冠駅 - 静内駅間の新冠第1踏切で撮影。
日高本線の新冠駅 - 静内駅間の氷川神社下踏切で撮影。
日高本線の新冠駅 - 静内駅間の営林署踏切で撮影。
 静内駅(しずないえき)は、北海道(日高振興局)日高郡新ひだか町静内本町5丁目1にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はシナ。1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行「えりも」の停車駅であった。日高本線内では鵡川駅とならび列車運行上の要となる駅である。日高本線が日高拓殖鉄道として開業したのは富川駅から当駅までであった。新ひだか町の代表駅である。
 静内駅構造は相対式ホーム2面2線と側線を持つ地上駅で、夜間滞泊もある。かつては機関区の支区が置かれ、製材工場への専用線もあった。終日社員配置駅でみどりの窓口設置(営業時間7時20分 - 18時40分)。駅レンタカー業務も行う。また、オレンジカード対応の自動券売機も設置されている。なお、起点駅の苫小牧駅を除くと日高本線内では唯一改札業務も行っている。駅舎は大きく、新ひだか町観光情報センター「ぽっぽ」を併設している。 道南バス静内案内所が駅舎内に移転入居し、バス乗車券窓口と売店が設置されていたが、2013年(平成25年)3月20日に営業所終了し、定期券販売などは観光協会への委託に切り替えられた。
日高本線の静内駅 - 東静内駅間の営林署踏切で撮影。
日高本線の静内駅 - 東静内駅間の営林署踏切で撮影。
日高本線の静内駅 - 東静内駅間の踏切で撮影。
日高本線の静内駅 - 東静内駅間の昆布浜線踏切で撮影。
日高本線の静内駅 - 東静内駅間の八田牧場踏切で撮影。
日高本線の静内駅 - 東静内駅間の自衛隊通り踏切で撮影。
日高本線の静内駅 - 東静内駅間の自衛隊裏通り踏切で撮影。
 東静内駅(ひがししずないえき)は、北海道(日高振興局)日高郡新ひだか町東静内にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はヒナ。駅名の由来はかつて当駅の所在地は捫別(もんべつ)と称していたが、地名に合わせて駅名も捫別にすると同音の地名が道内各地にあり紛らわしくなるため、静内町の東方に位置することから東静内とした。地名は駅名に合わせてのちに改称されたものである。
 東静内駅構造は島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。駅舎側が上り線、駅舎と反対側が下り線となっていた。使われなくなった駅舎側の旧上り線は、1983年(昭和58年)4月時点では交換設備運用廃止後も鵡川方の転轍機が維持されホーム端までの線路が側線として残っていた(但し転轍機の先、ホームに至る間の部分に車止めが設置されていた)が、1993年(平成5年)3月までに撤去された。無人駅となっている。駅舎は構内の南側に位置しホームとは通路(かつては構内踏切であった)で連絡している。有人駅時代の駅舎は改築され、有蓋車改造の貨車駅舎を経て、1994年(平成6年)[4]よりコンクリートブロック造りで外壁にガラスブロックを使用し、合掌部分に牧場を想起させるモチーフが設置された現駅舎が供用されている。駅舎内にトイレを有する。
日高本線の東静内駅 - 春立駅間の捫別佐妻踏切で撮影。
日高本線の東静内駅 - 春立駅間のアザミ沢踏切で撮影。
日高本線の東静内駅 - 春立駅間の佐々木牧場踏切で撮影。
 春立駅(はるたちえき)は、北海道(日高振興局)日高郡新ひだか町静内春立にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はハル。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ハル・タ・ウシ・ナイ」(食料となる草の根掘りをいつもする沢)に由来する。この附近は、アイヌ民族が食用としていた山菜の宝庫だった。
 春立駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。駅舎側が上りの1番線、駅舎と反対側が下りの2番線となっていた。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム中央部分を結んだ構内踏切で連絡していた。使われなくなった旧下り線は1993年(平成5年)6月までに撤去された。そのほか1983年(昭和58年)4月時点では1番線の苫小牧方から分岐し駅舎西側部分へ至る行き止まりの側線を1線有していた(この時点で転轍機と終点部分の中間辺りに車止めが設置されていた)。無人駅となっている。駅舎は構内の南側に位置しホームとは通路で連絡している。有人駅時代の駅舎は改築され、有蓋車改造の貨車駅舎を経て、2000年(平成12年)より一見住宅を思わせる、木造で外壁にサイディングボードを張った現駅舎が建築されている。正面から見て駅舎右隣に駅名標が設置されており、駅舎左隣に別棟で身体障害者専用部分も備えたコンクリート造りのトイレ棟を有する。ホームは砂利敷きとなっている。
日高本線の春立駅 - 日高東別駅間の音江遠別線踏切で撮影。
日高本線の春立駅 - 日高東別駅間の第2遠別旧道踏切で撮影。
 日高東別駅(ひだかとうべつえき)は、北海道(日高振興局)日高郡新ひだか町静内東別にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はヒト。駅名の由来は当駅の所在する地名に旧国名の「日高」を冠する。地名は、アイヌ語の「ト・ペッ」(沼・川)に由来する。また道内に「とうべつ」と同音の駅が多いため、旧国名を冠した。
 日高東別駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側(様似方面に向かって左手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。開業時からの無人駅で駅舎は無いが、ホーム中央部分附近にコンクリートブロック造りでアーチ状の出入口が2つある待合所を有する。駅銘板は設置されておらず道路側からは駅と判別しづらい状況である。ホーム側から見て待合所の右隣に別棟でトイレ棟を有する。ホームは砂利敷きとなっている。
日高本線の日高東別駅 - 日高三石駅間の小屋畑踏切で撮影。
日高本線の日高東別駅 - 日高三石駅間の第2遠別線踏切で撮影。
日高本線の日高東別駅 - 日高三石駅間の三石小学校踏切で撮影。
日高本線の日高東別駅 - 日高三石駅間の三石中学校踏切で撮影。
 日高三石駅(ひだかみついしえき)は、北海道(日高振興局)日高郡新ひだか町三石旭町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はヒツ。1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行「えりも」の停車駅であった。駅名の由来は当駅の所在する地名に旧国名の「日高」を冠する。地名は、アイヌ語の「イマニツ・ウシ」(魚を焼く串のある所)に由来する。或いは「イマニツ・ウシ」(同名)の大岩が川辺に存在していたことから付けられたとする別説もある。また山陽本線に同名の三石駅が既に存在することから、旧国名を冠した。
 日高三石駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。駅舎側が上りの1番線、駅舎と反対側が下りの2番線となっていた。互いのホームは駅舎側ホーム東側と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた。使われなくなった旧下り線は1993年(平成5年)3月までに撤去されたが、ホームは荒れた状態ながら残存している。そのほか1983年(昭和58年)4月時点では1番線の苫小牧方から分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。様似方のホーム手前の線路は転轍機の名残で湾曲している。無人駅となっている。駅舎は構内の南側に位置しホームに接している。有人駅時代の駅舎は改築され、緩急車2輌を合わせた貨車駅舎]を経て、1993年(平成5年より道の駅或いはドライブインを思わせる、明かり採りの塔を有する、外壁及び内装が板張りで仕上げられた現駅舎である新ひだか町の施設・「ふれあいサテライトみついし」が供用されている。駅舎内に食堂及びトイレを有する。かつてはKIOSKも入店していたが撤退した。
日高本線の日高三石駅 - 蓬栄駅間の三石幌毛線踏切で撮影。
日高本線の日高三石駅 - 蓬栄駅間の姨布歌笛線踏切で撮影。
日高本線の日高三石駅 - 蓬栄駅間の戸山通り踏切で撮影。
日高本線の蓬栄駅 - 本桐駅間の沼田兄踏切で撮影。
 蓬栄駅(ほうえいえき)は、北海道(日高振興局)日高郡新ひだか町三石蓬栄にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はホウ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、駅附近にある奇岩「蓬莱岩」の「蓬」に、繁栄を願う「栄」を合わせた合成地名である。
 蓬栄駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側(様似方面に向かって左手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。開業時からの無人駅[2]で駅舎は無いが、ホーム西側の出入口附近に待合所を有する。小さな待合所だがトイレを有する。ホームには転落防止用の柵として工事現場用単管足場が利用されている。
日高本線の日高三石駅 - 蓬栄駅間の辺訪本桐踏切で撮影。
日高本線の日高三石駅 - 蓬栄駅間の遠藤踏切で撮影。
 本桐駅(ほんきりえき)は、北海道(日高振興局)日高郡新ひだか町三石本桐にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はキリ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ポン・ケリマプ」(子であるケリマプ川)の前半に由来する。或いは「ポンケリ」(小さき鮭皮の靴)、「ポンキリ」(小さな脛)と、由来には諸説ある。
 本桐駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅となっている。駅舎側が下りの1番線、駅舎と反対側が上りの2番線となっている。そのほか1番線の様似方から分岐し駅舎南側に至る側線を1線有する。当駅から日高本線末端の様似駅までは列車交換可能な駅がない(1閉塞になる)。無人駅となっている。駅舎は構内の東側に位置しホーム北側とを構内踏切のある長い通路で連絡している。有人駅時代の、住宅の様な外観を有した小じんまりとした木造駅舎を有する。正面から見て駅舎右隣に別棟でコンクリートブロック造りでステンドグラス風のパネルが設けられたトイレ棟を有する。かつて駅裏には三石営林署の土場があり、貨物列車営業時代には木材の搬出が行われていた。
日高本線の本桐駅 - 荻伏駅間の鳧舞本桐踏切で撮影。
日高本線の本桐駅 - 荻伏駅間の和寒別線踏切で撮影。
日高本線の本桐駅 - 荻伏駅間の鳧舞和寒別踏切で撮影。
日高本線の本桐駅 - 荻伏駅間の加野畑道路別踏切で撮影。
日高本線の本桐駅 - 荻伏駅間の第4種踏切で撮影。
日高本線の本桐駅 - 荻伏駅間の赤毛踏切で撮影。
日高本線の本桐駅 - 荻伏駅間の荻第7号線踏切で撮影。
日高本線の本桐駅 - 荻伏駅間の荻第1号線踏切で撮影。
 荻伏駅(おぎふしえき)は、北海道(日高振興局)浦河郡浦河町荻伏町元浦河にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はオキ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「オ・ニ・ウシ」(そこに木の多い所)に由来する。森のことである。
 荻伏駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。駅舎側が上りの1番線、駅舎と反対側が下りの2番線となっていた。使われなくなった旧2番線は、1983年(昭和58年)4月時点では交換設備運用廃止後も苫小牧方の転轍機が維持されホーム様似寄りの端までの線路が側線として残っていた(但し転轍機の先の部分に車止めが設置されていた。またホームは撤去されていた)が、1993年(平成5年)3月までに撤去された。無人駅となっている。駅舎は構内の南西側に位置しホームとは通路で連絡している[1]。有人駅時代の駅舎は改築され、ワフ29500形有蓋緩急車を改造した貨車駅舎となっている。出入口扉がアルミサッシに変更されている。塗色は浦河高校美術部の生徒の手によるイラストになっており、正面側が1993年(平成5年)3月時点ではゼリービーンズ、2008年(平成20年)時点ではカラフルな気球、線路側が2007年(平成19年)時点では右上がりの水平線となっている。長い間簡易委託駅となっており、駅舎内の貨物室部分の一番奥の場所に管理人室を設け乗車券を発売していたが、終了した。受託者は近隣の個人で、元国鉄職員で1940年(昭和15年)から当駅に勤務しており、退職後も簡易委託の受託者として勤務した夫婦であった。駅管理も行っていた。正面から見て駅舎右側斜め向いに別棟でトイレ棟を有する。
日高本線の荻伏駅 - 絵笛駅間の跨線橋より撮影。
日高本線の荻伏駅 - 絵笛駅間の井寒台踏切より撮影。
日高本線の荻伏駅 - 絵笛駅間の吉津踏切より撮影。
 絵笛駅(えふええき)は、北海道(日高振興局)浦河郡浦河町字絵笛にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はフエ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「エ・プイ」(小山)に由来する。盛り上がった小山を意味する。
 絵笛駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側(様似方面に向かって左手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。開業時からの無人駅で駅舎は無いが、ホームから少し離れた場所に待合所を有する。コンクリートブロック造りの建物である。ホームには転落防止用の柵として工事現場用単管足場が利用されている。
日高本線の絵笛駅 - 浦河駅間の黒崎踏切より撮影。
日高本線の絵笛駅 - 浦河駅間の上橋踏切より撮影。
日高本線の絵笛駅 - 浦河駅間の神原道路踏切より撮影。
日高本線の絵笛駅 - 浦河駅間の向別里道踏切より撮影。
日高本線の絵笛駅 - 浦河駅間の堺町北通り踏切より撮影。
日高本線の絵笛駅 - 浦河駅間のラムシ向別線踏切より撮影。
日高本線の絵笛駅 - 浦河駅間の堺町大通り踏切より撮影。
 浦河駅(うらかわえき)は、北海道(日高振興局)浦河郡浦河町昌平町駅通にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はウカ。1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行「えりも」の停車駅であった。日高振興局の所在地で浦河町の代表駅でもある。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ウラル・ペッ」(もやの深い川)に由来する。今の元浦河のことだと言う。
 浦河駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北西側(様似方面に向かって左手側)に存在する。そのほか本線の苫小牧方から分岐し構内外側への行き止りの側線(旧3番線の一部)を1線、及びその側線から分岐し苫小牧方に戻る形で車庫を有す行き止りの側線を1線有している。かつては単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム中央部分を結んだ跨線橋で連絡した。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が下りの1番線、島式ホーム駅舎側が上りの2番線、外側が側線扱いの副本線である3番線となっていた。3番線の外側に側線を1線、そこから分岐した行き止りの側線を1線有し、そのほか1番線の様似方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。交換設備運用廃止後は2、3番線をはじめ一部の側線を除き1993年(平成5年)3月までには撤去されたが、様似方のホーム先の線路は転轍機の名残で湾曲している。社員配置駅となっており、駅舎は構内の北西側に位置しホーム中央部分に接している。国鉄時代からの建物であるが、国鉄最後のダイヤ改正で縮小された。みどりの窓口を設置(窓口営業時間は8時15分から16時20分までだが、改札業務は行われていない)。自動券売機は設置されていないため、近距離きっぷもみどりの窓口での購入となる。「サラブレッド観光と乗馬の街」と記載された「わたしの旅スタンプ」が設置されている。また以前の文面は「サラブレッドの馬像がある街」であった。かつては「DISCOVER JAPANスタンプ」が設置されていた。跨線橋は駅の反対側の国道への自由通路となっている。
日高本線の浦河駅 - 東町駅間の浦河大踏切より撮影。
日高本線の浦河駅 - 東町駅間の昌平町大踏切より撮影。
日高本線の浦河駅 - 東町駅間の浜通り踏切より撮影。
 東町駅(ひがしちょうえき)は、北海道(日高振興局)浦河郡浦河町東町うしお1丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はヒチ。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、浦河駅の「東」に位置するために「東町」としたとする。
 東町駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北東側(様似方面に向かって左手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。仮乗降場に出自を持つ開業時からの無人駅で駅舎は無いが、ホーム北側出入口部分に待合所を有する。民家の雰囲気を持つ建物である。かつてはプレハブの待合所であった。待合所とは別棟でトイレ棟を有する。地形の関係でトイレ棟は待合所より一段高い場所に設置されている。
日高本線の東町駅 - 日高幌別駅間で撮影。
 日高幌別駅(ひだかほろべつえき)は、北海道(日高振興局)浦河郡浦河町字西幌別にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はヒヘ。駅名の由来は当駅の所在する地名に旧国名の「日高」を冠する。地名は、アイヌ語の「ポロ・ペッ」(親である川)に由来する。日高幌別川のことである。また室蘭本線に同名の幌別駅が既に存在することから、旧国名を冠した。
 日高幌別駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側(様似方面に向かって左手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった1線は、交換設備運用廃止後1983年(昭和58年)4月までに撤去された。またこの時点では本線の様似方から構内南側へ分岐する行き止まりの側線を1線有していた(但し1983年(昭和58年)4月時点では転轍機の先に車止めが設置されていた)。無人駅となっている。駅舎は構内の北側に位置しホームとは通路で連絡している。有人駅時代の駅舎は改築され、レストランや西幌別簡易郵便局などが入居している複合施設である「レストビレッジ シンザン」という建物になっている。レストランでは競馬グッズが販売されている。駅舎内にトイレを有する。1983年(昭和58年)4月以降、1993年(平成5年)3月までの間に正面入口が三角屋根に改築されているが、改築前に掲示されていた蒸気機関車型の駅銘板が駅舎内のホーム出入口附近に置かれている。
 鵜苫駅(うとまえき)は、北海道(日高振興局)様似郡様似町字鵜苫にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はウト。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ウトマム・ペッ」(抱き合う川)に由来する。鵜苫川が上流で日高幌別川と合流することから付けられた。
 鵜苫駅構造は島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。駅舎側が上りの1番線、駅舎と反対側が下りの2番線となっていた。使われなくなった駅舎側の旧1番線は、1983年(昭和58年)4月時点では交換設備運用廃止後も苫小牧方の分岐器が維持されホーム様似寄りの端までの線路が側線として残っていたが、1993年(平成5年)3月までに撤去された。分岐器の形状は片開き分岐であった。無人駅となっている。駅舎は構内の南側に位置しホームとは通路(かつては構内踏切が存在した)で連絡している。有人駅時代の駅舎は改築され、ワフ29500形有蓋緩急車を改造した貨車駅舎となっている。出入口扉がアルミサッシに変更されている。塗色は1993年(平成5年)3月時点では水色1色であったが、その後は様似中学校美術部の生徒の手による、正面側がカニやタコなど、線路側が魚などの10種類以上の海の生物のイラストになっている。
日高本線の鵜苫駅 - 西様似駅間の鵜苫16号線踏切より撮影。
日高本線の鵜苫駅 - 西様似駅間の苗圃踏切より撮影。
 西様似駅(にしさまにえき)は、北海道(日高振興局)様似郡様似町西町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はニサ。駅名の由来は当駅の所在する地(様似町)の西方に位置することから「西」を冠した。
 西様似駅構造は島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南側(様似方面に向かって右手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。駅舎側が上り線、駅舎と反対側が下り線となっていた。そのほか下り線の様似方から駅舎側に分岐する行き止まりの側線を1線有していた。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去された。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲している。無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車を改造した貨車駅舎となっている。駅舎は構内の南西側に位置しホーム西側とを結ぶ通路で連絡している。尚、貨車駅舎の塗色は2003年(平成15年)に様似中学校美術部の生徒の手により、正面側が虹とロケット、線路側が舞い上がる風船のイラストになっている。ホームは苫小牧方にスロープを有している。
日高本線の西様似駅 - 様似駅間の様似海辺踏切より撮影。
日高本線の西様似駅 - 様似駅間の様似川橋梁より撮影。
 様似駅(さまにえき)は、北海道様似郡様似町大通1丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅で、同線の終着駅でもある。電報略号はマニ。様似町の代表駅。
 様似駅構造は片面ホーム1面1線の地上駅。側線も持っている。かつては転車台や駅近くの日本電工工場への専用線などもあったが、すでに撤去されている。簡易委託駅(営業時間8時00分 - 16時30分)で、ジェイ・アール北海道バスに委託している。マルスはないが、JR全線の乗車券、指定席券を常備券、補充券対応にて取り扱っている。また、当駅発のJRバスの乗車券も同様に取り扱っている。以前は日交観北海道(現北海道ジェイ・アール・サービスネット)だった。駅舎は木造の昔からのものを改造して使っている。駅舎東側は、さまに観光案内所(様似町総合案内所)になっている。翌朝に運転される始発列車の夜間滞泊を行っており、乗務員宿泊所も存在する。発着列車はジェイ・アール北海道バス日勝線と接続しており、これを利用することでスムーズに襟裳岬・広尾へ移動することができる(かつては当線をさらに国道336号沿いに襟裳岬方面へ延伸し、広尾駅で広尾線と接続される予定だった)。以前は駅弁の販売も行われていた。現在観光案内所となった駅舎東側部分には、以前スーパーが入店していた。なお現在では、駅南東側へ徒歩数分でスーパーやコンビニエンスストアがある。
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