更新日時 2014年01月26日

底原ダム・真栄里ダム
 底原ダム(そこばるダム)は、南西諸島の石垣島中部を流れる宮良川水系底原川に建設された灌漑のためのダムである。農業用のフィルダムとしては日本で最も長い堤体をもつ。宮良川土地改良事業の一環として真栄里ダムとともに建設された。ダムで蓄えられた水は灌漑用水として使用され、石垣島中部から南部にかけて広がる3,460ヘクタールの農地を潤している。洪水吐は長さ60メートルの扇形自由越流式(シュート式)であり、取水設備として3基のスライドゲートと1基のローラーゲートを備えた斜樋が採用されている。隣接する真栄里ダムとは全長929メートルの於茂登導水路で結ばれており、貯水量の少ない真栄里ダムの余剰水を受け入れる役割も担っている。ダム右岸(西側)に管理棟と「世果報の水」の石碑が置かれている。ダム提体上には遊歩道が伸びており、於茂登岳やカラ岳を眺めることができる。ダム湖の周辺にも遊歩道が整備されている。
所在地 沖縄県石垣市宮良。河川 宮良川水系底原川。ダム諸元 ダム型式 ゾーン型フィルダム。
堤高 29.5 m。堤頂長 1,331.0 m。堤体積 3,120,000 立米。流域面積 5.04 ku。湛水面積 127 ha。総貯水容量 13,000,000 立米。有効貯水容量 12,850,000 立米。利用目的 灌漑。事業主体 内閣府沖縄総合事務局。着工年/竣工年 1982年/1992年 。
底原ダム
 @石垣島は年間降水量が多いものの大半は梅雨と台風によるものであり降水量は不安定である。このためしばしば干魃が発生し、農業生産は不安定であった。特に1971年は3月から9月にかけて191日間にわたり雨が降らず深刻な事態となった。沖縄本土復帰を経て1975年(昭和50年)から宮良川土地改良事業が始まり、1992年(平成4年)までにダムや配水池などが整備された。
 @底原ダムはこの事業の一つとして1982年(昭和57年)6月10日に着工し、1990年(平成2年)9月11日に湛水式、1992年(平成4年)11月4日に竣工式、翌5日に完工式が行われた。底原ダムの建設に要した費用は概算で176億円であった。ダムの管理は1993年(平成5年)4月1日から沖縄県に委託されている。
@底原ダムの堤頂とダム湖。
@底原ダムの下流側。
底原ダムは堤高 29.5 mと低いですね。
 @洪水吐は長さ60メートルの扇形自由越流式(シュート式)であり、取水設備として3基のスライドゲートと1基のローラーゲートを備えた斜樋が採用されている。隣接する真栄里ダムとは全長929メートルの於茂登導水路で結ばれており、貯水量の少ない真栄里ダムの余剰水を受け入れる役割も担っている。
@洪水吐の下流側。
@底原ダムのダム湖。
真栄里ダム
 A真栄里ダム(まえざとダム)は、南西諸島の石垣島中部を流れる宮良川水系本流に建設された灌漑、治水、上水道供給のためのダムであり、日本で最も南に位置する多目的ダムである。宮良川土地改良事業の一環として底原ダムとともに建設された。灌漑に加えて、設計洪水流量290m3に対して90m3/sの洪水調節能力を持つ。また、不特定用水として上水道用水が供給される。
 A石垣島は年間降水量が多いものの大半は梅雨と台風によるものであり降水量は不安定である。このためしばしば干魃が発生し、農業生産は不安定であった。特に1971年は3月から9月にかけて191日間にわたり雨が降らず深刻な事態となった。沖縄本土復帰を経て1975年(昭和50年)から宮良川土地改良事業が始まり、1992年(平成4年)までにダムや配水池などが整備された。
 A洪水吐は側溝越流式、取水設備は斜樋である。ダム左岸(東側)に管理棟が置かれている。隣接する底原ダムとは全長929メートルの於茂登導水路で結ばれており、余剰水を貯水量の多い底原ダムに送ることができる。
 B真栄里ダムはこの事業の一つとして1975年(昭和50年)10月に着工、1977年(昭和52年)2月7日に仮排水路工事が始まり、同年10月21日に起工式が行われた。翌1978年3月23日に堤体が着工され、1981年(昭和56年)6月12日に盛立が完了、1983年(昭和58年)3月に竣工した。真栄里ダムの建設に要した費用は約45億6千万円であり、そのうち約24億8千万円が農業用としての配分となっている。ダムの管理は1993年(平成5年)4月1日から沖縄県に委託されている。
B真栄里ダムのダム湖。
B真栄里ダムの下流側。
C真栄里ダムのダム湖。
C真栄里ダムの堤頂。
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