更新日時 2020年12月09日

本河内低部ダム
 本河内低部ダム:第1次長崎水道拡張事業は、明治34年(1901年)1月に起工し、明治37年(1904年)3月に完成した。本河内低部ダムはこの事業において西山ダムと共に建設されたダムである。吉村長策は神戸市水道工事長として明治32年(1899年)日本初のコンクリート造重力ダム「神戸水道五本松ダム」(布引ダム)を完成させた。本河内低部水道ダムは、日本で2番目のコンクリート造水道ダムである。ダム本体は、ダム上流側の右岸の岩石を砕いた粗石をコンクリートで固めた粗石造コンクリート。国産セメントが生産され始めた我が国の黎明期のコンクリート構造物である。ダムの表面は、上流側はコンクリート製のブロックで造られている。ダム中央のトンネルは送水管の設置と管理用の通路である。入り口の扁額には、男爵・伊東巳代治の書・「水旱無増減」(絶えることのない清浄の水源)が記されている。
@本河内低部ダム堤体。
A本河内低部ダム管理施設。
Bダム中央のトンネルは送水管の設置と管理用の通路である。
B入り口の扁額には「水旱無増減」(絶えることのない清浄の水源)が記されている。
Bダム中央のトンネルは送水管の設置と管理用の通路である。
C本河内低部ダム堤頂。
C本河内低部ダム堤頂に行く門。
C本河内低部ダム堤頂。
D本河内低部ダムの下流側。
E本河内低部ダムの洪水吐き竪坑(グローリーホール)
E本河内低部ダムの洪水吐き竪坑(グローリーホール)
F本河内低部ダムのダム湖側堤体。
G本河内低部ダムのダム湖側堤体。
G本河内低部ダムのダム湖側上流。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『長崎市』を掲載」