廃線探索 鬼村鉱山軌道(トロッコ)

更新日時 2011年03月11日

 鬼村鉱山軌道(トロッコ):鬼村の古屋谷では、、慶応年間(1867年)頃より漢方薬として使用され、その後、明治42年(1909年)頃から石膏の採掘(セメントの原料などに利用)が行われていました。最盛期の大正末期(1923年頃)には従業員が100人を超え、品質の高い石膏の産地として県内外から脚光をあびていました。石膏の搬出は、当初は人が背負って隣町の静間まで出し、荷車で和江港へ運び船積みされていましたが、時代の変遷と共に人力から大八車、馬、馬車、そしてレールを敷手で押して運ぶ「トロッコ」、自動車へと変わっていきました。しかし、石膏は化学セメントなどにおされ、又、採算性や自然災害などもあって、昭和42年(1967年)ついに休山となり60年余「石膏場」と地区民が呼び親しんだ「鬼村鉱山」の歴史は幕を閉じました。
@静間駅(しずまえき)は、島根県大田市静間町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。
 @静間駅構造は浜田鉄道部管理の無人駅。現在は駅舎寄りの単式1面1線(江津方面に向かって右側に位置)のみの地上駅(停留所)であるが、路盤を挟んで反対側に2001年3月まで使用されていた島式ホームの遺構がある。駅舎本屋が木造の風格あるものなのに対し、待合室と扉一つでつながるトイレは最近増築されたもので、障害者用も備えた明るく近代的な構造。これらが外見では、ほぼ違和感無くまとまっている。駅舎内には乗車駅証明書発行機が設置されている。また本屋の東半、かつての駅事務室は2000年4月に「静間駅会館」として改築され、地元での交歓に役立っている。
1926年(大正15年)9月16日 国有鉄道山陰本線の石見大田駅(現・大田市駅)-五十猛駅間に新設開業。
                  客貨取扱を開始。
1973年(昭和48年)6月15日 貨物取扱を廃止。
A鬼村鉱山軌道跡と推測される道。1947年の航空写真だと、駅前からの道はこの道しかない。
B鬼村鉱山軌道跡と推測される道。1947年の航空写真だと、駅前からの道はこの道しかない。
C鬼村鉱山軌道跡と推測される道。左写真右からの道。
D鬼村鉱山軌道跡と推測される道。
E鬼村鉱山軌道跡と推測される道。
F鬼村鉱山軌道跡と推測される道。
G鬼村鉱山軌道跡と推測される道。
H鬼村鉱山軌道跡と推測される道。
 Hこの岩は「鬼岩」といい地域のシンボルとして親しまれています。付近には「鬼の誕生岩」「腰掛け岩」「傘岩」などがあります。近くの山に住む鬼が城を造るために岩を運んできて積み上げ、その時の五つの指の跡が残ったという伝説や、裏の「仏谷」で毎夜赤子が泣くので鬼岩に石仏を祀り供養したら泣かなくなったなど鬼岩にまつわる数々の伝説が残っています。岩の穴には石仏や鬼村鉱山(石膏場)の盛んな頃、馬車業者などが、安全祈願のために祀った「馬頭観音」などがあります。毎年8月には鬼岩周辺で耕作している人たちが草刈りをしたり、祀ってある仏様や観音様の供養を行っています。
I鬼村鉱山軌道跡と推測される道。
I鬼村鉱山軌道跡と推測される道との分岐点と看板。
J鬼村鉱山軌道跡と推測される道。
K鬼村鉱山軌道跡。倒壊している建物は管理棟だった様だ。左写真の家のお婆さんの証言。
K鬼村鉱山跡。コンクリートの遺構やワイヤーロープが残る。
K鬼村鉱山跡。湧水により鬼村鉱山跡は沼地のようだ。
K鬼村鉱山跡。倒壊した建物。 K鬼村鉱山跡に残る鉱石(石膏?)
L笹藪の部分が鬼村鉱山跡と倒壊した建物。
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