廃線探索 宇品線

更新日時 2014年04月16日

 宇品線(うじなせん)は、広島県広島市の広島駅から南下し宇品駅までを結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。現在は廃止されている。戦後は沿線の学校、大学病院、県庁仮庁舎、工場などへの通勤・通学および貨物輸送を行っていた。広島駅では1番線ホーム東側切欠き部の0番線に発着していた。しかし市内の復興が進行するとともに県庁を始めとする沿線の公共施設が市の中心部へと転出、また同様に広島駅 - 広島港を結ぶ広島電鉄皆実線・宇品線(路面電車)やバス路線の利便性との差が大きくなり客足が減少、営業係数が4000を超える全国有数の赤字路線となった。定期券客をのぞいて旅客営業は1966年(昭和41年)限りで廃止(同時に広島駅0番線も廃止され、市販の時刻表にも非掲載となる)。その定期券旅客扱いおよび貨物扱いも1972年(昭和47年)に廃止され、国鉄の営業線としては使命を終えた。その後は「宇品四者協定線」として通運業者四者(広島県経済連・日本通運・トナミ運輸・広島運輸)が、広島駅東側に位置する貨物駅の東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅) - 宇品駅間の国鉄側線扱いとして使用していたが、1986年(昭和61年)に廃止された。
宇品線(廃線)
広島駅 - 大須口駅 - 南段原駅 - 上大河駅 - 下大河駅 - 丹那駅 - 宇品駅
@宇品線の広島駅 - 大須口駅間の廃線跡。
A宇品線の広島駅 - 大須口駅間の廃線跡。
C宇品線の広島駅 - 大須口駅間の廃線跡。
D宇品線の大須口駅 - 南段原駅間の廃線跡。
E宇品線の大須口駅 - 南段原駅間の廃線跡。
F宇品線の大須口駅 - 南段原駅間の廃線跡。
 G南段原駅(みなみだんばらえき)は、かつて広島県広島市段原山崎町(現在の南区段原山崎)にあった日本国有鉄道(国鉄)宇品線の旅客駅である。第二次世界大戦前、宇品線の一般旅客営業を委託されていた芸備鉄道によって新設・開業された。戦後の一時期は沿線への官公庁移転に伴う輸送力の向上をはかるため行き違い駅の機能が有していたこともある。利用者の多くは近隣の学校への通勤・通学客であり、1960年代に入って利用者数の減少が問題化すると、1972年4月に廃止となった。1980年代以降の段原地区再開発事業の進行によって線路や駅施設が完全に撤去された上、街路や区画が往事のものと若干変更されているため、近辺に設置されたいくつかのモニュメントを除けば当時の名残はほとんどない。
 H宇品線の南段原駅 - 上大河駅間の廃線跡。
 I上大河駅(かみおおこうえき)は、かつて広島県広島市出汐町(現在の南区出汐)に所在していた日本国有鉄道(国鉄)宇品線の旅客駅である。第二次世界大戦前、宇品線の営業を委託されていた芸備鉄道により、現在の広島大学霞キャンパス正門付近に開業された「比治山駅」が、その後国鉄への移管を経て、戦時中の燃料事情により休業していたものを、戦後になり上大河駅と改称し、新たに開業したものである(これにより次駅である同名の「上大河駅」は廃止された)。駅の乗降客の多くは、戦前においては駅前に所在した広島陸軍兵器支廠(現在の南区霞)の職員・従業員、戦後においては兵器支廠跡地に移転した広島県庁を始めとする官公庁の職員、および広島大学医学部・附属病院を始めとする近隣の学校に通勤・通学する教職員・学生・生徒であった。広島駅からの所要時間は1960年代後半には8〜9分(南段原駅通過の場合は6分)。1972年の宇品線の旅客営業全面廃止に伴い廃止されたのち、2014年時点で駅施設・線路などは完全に撤去されており、駅の跡地を示すモニュメントも設置されていない。
 J宇品線の上大河駅 - 下大河駅間の廃線跡。
 K下大河駅(しもおおこうえき)は、かつて広島県広島市旭町(現在の南区西旭町)に所在していた日本国有鉄道(国鉄)宇品線の旅客駅である。芸備鉄道により宇品線唯一の行き違い駅として設置された。その後芸備鉄道の国有化による国鉄移管を経て、戦後の1966年、宇品線の一般旅客営業廃止に伴いこの駅も廃止となった。2014年現在、駅施設・線路は完全に撤去されているが、跡地には小公園が作られモニュメントが設置されている。
 L宇品線の下大河駅 - 丹那駅間の廃線跡。レール及び踏切警報機のモニュメントが設置されている。
 M丹那駅(たんなえき)は、かつて広島県広島市宇品(現在の南区宇品東三丁目)に所在していた日本国有鉄道(国鉄)宇品線の旅客駅である。第二次世界大戦前、芸備鉄道によって開業された宇品線の駅(開業当時は停留場)の一つであり、芸備鉄道の国有化に際して国鉄に移管された。戦後、乗降客数の減少によって廃止され、ホームなどの施設が撤去されて久しいため、駅の正確な位置など不明な点が多い。
 M丹那駅(たんなえき)は、1930年12月、丹那駅は当時宇品線の運営を委託されていた芸備鉄道により「丹那停留場」として開業した[1]。その前身は1904年6月、山陽鉄道によって開業された丹那簡易停車場[2]であるが、同停車場はのちの丹那駅の南0.2kmの地点に所在していた。この停車場は山陽鉄道国有化(1906年12月)ののち1919年8月に宇品線の旅客営業が一旦停止になったため廃止になった。丹那停留場は1937年7月の芸備鉄道国有化により丹那駅と改称され、戦時中の燃料事情によって宇品線の一部の駅が営業休止になるなかでも存続したが、第二次世界大戦後には乗降客数が減少し、1966年12月、宇品線の一般旅客営業停止に伴い廃止された。
 N下丹那駅は1934年(昭和9年)12月1日、芸備鉄道により「人絹裏停留場」(じんけんうらていりゅうじょう)として開業された。駅名は1933年に誘致された近隣(駅西側)の錦華人絹(のちの大和紡績)広島工場にちなむもので、広島駅からは4.7kmの地点にあり、前駅の丹那駅、次駅の宇品駅との駅間距離はそれぞれ0.9km、1.2kmであった。1937年7月1日、芸備鉄道国有化により停留場から停車場に昇格され下丹那駅と改称したが、戦時中の燃料事情により1943年10月1日営業休止となり、そのまま復活せず廃止となった。
N下丹那駅跡。
O宇品線の下丹那駅 - 宇品駅間の廃線跡。
P宇品線の下丹那駅 - 宇品駅間の廃線跡。
 Q宇品駅(うじなえき)は、かつて広島県広島市(現在の南区宇品)にあった日本国有鉄道(国鉄)宇品線の駅。同線の終着駅であった。駅構造は単式ホーム1面1線と、複数の貨物用側線を有していた地上駅。ホームは563mあり、京都駅の558mよりも長く日本一だったと言われていた。ホーム上には陸軍糧秣支廠のレンガ倉庫があり、1986年まで通運業者の倉庫として使用されていた。また、広島港県営上屋などへの専用線も分岐していた。なお、近くには広島電鉄宇品線(路面電車)の海岸通電停があった。
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