更新日時 2015年02月16日

廃線探索 下津井電鉄線
 下津井電鉄線(しもついでんてつせん)は、かつて岡山県都窪郡茶屋町(現:倉敷市)の茶屋町駅と倉敷市の下津井駅とを結んでいた下津井電鉄の鉄道路線である。モータリゼーションの進行による乗客の減少のために、1972年4月1日付で茶屋町 - 児島間14.5kmが廃止され、また1991年1月1日付で児島から下津井の間が廃止された。これにより、下津井電鉄は鉄道事業から撤退したが、企業名としての「下津井電鉄」の名称は鉄道事業撤退後も使用されている。1910年に国鉄宇野線が全通し、これに接続する形で宇野 - 高松間で宇高連絡船の運航が開始されると、下津井 - 丸亀間航路の利用者は激減した。そこで四国渡航客を取り戻すために、下津井から国鉄線までの鉄道路線が計画された。終端に当たる琴海 - 鷲羽山付近に大規模な岩盤開削工事が含まれ、その完成までには時間を要したため、児島郡最大の都邑であり、しかも下津井軽便鉄道にとって大口の路線用地提供者であった野ア家が本拠を構える児島までの早期開業が要請された。これに応じて茶屋町 - 味野町(後の児島)間14.5kmが1913年に先行開業し、翌1914年に味野町 - 下津井間6.5kmが開業して茶屋町 - 下津井間21.0kmが全通している。
下津井電鉄線(廃線)
1991年1月1日廃止区間:下津井駅 - 東下津井駅 - 鷲羽山駅 - 琴海駅 - 阿津駅 - 備前赤崎駅 - 児島駅
1972年4月1日廃止区間:児島駅 - 児島小川駅 - 柳田駅 - 稗田駅 - 福田駅 - 林駅 - 藤戸駅 - 天城駅 - 茶屋町駅
 @茶屋町駅(ちゃやまちえき)は、岡山県倉敷市茶屋町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。1972年に部分廃止された下津井電鉄線の乗り換え駅でもあった。
 @茶屋町駅構造は島式ホーム2面3線を有する高架駅。宇野方面行きが主に使用する2・3番のりばは同一の線路(中線)で両側にホームがあり、1・4番のりばの児島方面発着列車とは平面で乗り換えられるようになっている。直営駅(児島駅の被管理駅)である。ICOCAが利用可能(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)であるが、宇野方面は利用できない。1階にみどりの窓口・近距離切符の自動販売機・改札・デイリーイン・トイレがあり、2階のホームとは階段とエレベーターで結ばれている。
@下津井電鉄線の茶屋町駅跡。
A下津井電鉄線の天城駅 - 茶屋町駅間の廃線跡。
B下津井電鉄線の天城駅 - 茶屋町駅間の廃線跡。
C下津井電鉄線の天城駅 - 茶屋町駅間の廃線跡。
D下津井電鉄線の天城駅 - 茶屋町駅間の廃線跡。
E下津井電鉄線の天城駅 - 茶屋町駅間の廃線跡。
F下津井電鉄線の天城駅 - 茶屋町駅間の廃線跡。
G下津井電鉄線の天城駅 - 茶屋町駅間の廃線跡。
H下津井電鉄線の天城駅 - 茶屋町駅間の廃線跡。
 I天城駅(あまきえき)は、かつて岡山県倉敷市藤戸町天城に存在した、下津井電鉄下津井電鉄線の駅である。1972年(昭和47年)4月1日、茶屋町 - 児島間の区間廃止に伴い廃止された。廃止区間(茶屋町 - 児島)は、自転車専用道として整備されている。プラットホーム跡とみられる物は現存するが、旧駅舎は民家の一部として一時期使用されていたものの現存しない。
J下津井電鉄線の藤戸駅 - 天城駅間の廃線跡。倉敷川に架かる塩干橋。1985年3月製作。
K下津井電鉄線の藤戸駅 - 天城駅間の廃線跡。
 L藤戸駅(ふじとえき)は、かつて岡山県倉敷市藤戸町藤戸に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。1972年(昭和47年)4月1日、茶屋町 - 児島間の区間廃止に伴い廃止された。廃止区間(茶屋町 - 児島)は、自転車専用道として整備されている。当時のプラットホームが現存する。また、当時の物と推測される駅名看板が現存する。
M下津井電鉄線の林駅 - 藤戸駅間の廃線跡。
N下津井電鉄線の林駅 - 藤戸駅間の廃線跡。跨線橋の橋台が残る。
O下津井電鉄線の林駅 - 藤戸駅間の廃線跡。
P下津井電鉄線の林駅 - 藤戸駅間の廃線跡。
Q下津井電鉄線の林駅 - 藤戸駅間の廃線跡。
R下津井電鉄線の林駅 - 藤戸駅間の廃線跡。郷内川に架かる。串田西橋。
 S林駅(はやしえき)は、かつて岡山県倉敷市林に存在した下津井電鉄の駅。1972年(昭和47年)4月1日、茶屋町駅から児島駅間の区間廃線に伴い、廃駅となった。対向式ホームが2面あり、2線で列車交換が行われていた。また、かつてはここから尾原中央、黒谷を経て由加山までの同社バス路線が接続していた。廃止区間(茶屋町 - 児島)は、自転車専用道として整備されている。
@下津井電鉄線の福田駅 - 林駅間の廃線跡。
A下津井電鉄線の福田駅 - 林駅間の廃線跡。道路に転用。
B下津井電鉄線の福田駅 - 林駅間の廃線跡。道路に転用。
 C福田駅(ふくだえき)は、かつて岡山県倉敷市福江に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。1972年(昭和47年)4月1日、茶屋町 - 児島間の区間廃止に伴い廃止された。かつてSLが走っていたころは、福田で給水し、福南山の峠を越えていた。児島でも給水していた。駅の所在地は、当時の児島郡郷内村福江(後に児島市を経て、現在倉敷市児島)であるが、福江は同郡福田村(後に福田町を経て、現在は倉敷市水島)との境界にある地区であるため、便宜的に隣接の福田の名称が駅名に付けられている。ちなみに現在、福江には瀬戸中央自動車道の水島インターチェンジがあるが、これも同様の理由によるものである。
D下津井電鉄線の稗田駅 - 福田駅間の廃線跡。道路に転用。
E下津井電鉄線の稗田駅 - 福田駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
F下津井電鉄線の稗田駅 - 福田駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
G下津井電鉄線の稗田駅 - 福田駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
H下津井電鉄線の稗田駅 - 福田駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
I下津井電鉄線の稗田駅 - 福田駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
J下津井電鉄線の稗田駅 - 福田駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
 K稗田駅(ひえだえき)は、かつて岡山県倉敷市児島稗田町に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。交換施設(相対式ホーム2面2線)をもつ駅であり、駅舎も存在した。モータリゼーションの進行による乗客の減少により、1972年(昭和47年)4月1日、茶屋町 - 児島間の区間廃止に伴い、廃止された。
 K稗田駅の駅銘板のモニュメント。
L下津井電鉄線の柳田駅 - 稗田駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
M下津井電鉄線の柳田駅 - 稗田駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
 N柳田駅(やないだえき)は、かつて岡山県倉敷市児島柳田町に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。モータリゼーションの進行による乗客の減少により、1972年(昭和47年)4月1日、茶屋町 - 児島間の区間廃止に伴い、廃止された。
O下津井電鉄線の児島小川駅 - 柳田駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
 P児島小川駅(こじまおがわえき)は、かつて岡山県倉敷市児島小川七丁目に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。相対式ホーム2面2線をもつ駅であり、混合列車による貨物取り扱いも行っていた。モータリゼーションの進行による乗客の減少により、1972年(昭和47年)4月1日、茶屋町 - 児島間の区間廃止に伴い、廃止された。
Q下津井電鉄線の児島駅 - 児島小川駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
R下津井電鉄線の児島駅 - 児島小川駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
 S児島駅(こじまえき)は、かつて岡山県倉敷市児島味野三丁目に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。JR西日本瀬戸大橋線の児島駅とは別の駅であり、当駅はJR駅から西に約700メートル離れた場所に位置する。モータリゼーションの進行による乗客の減少のため、1991年(平成3年)1月1日に下津井電鉄線と共に廃止された。
@下津井電鉄線の備前赤崎駅 - 児島駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
A下津井電鉄線の備前赤崎駅 - 児島駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
A下津井電鉄線の備前赤崎駅 - 児島駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
B下津井電鉄線の備前赤崎駅 - 児島駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
 C備前赤崎駅(びぜんあかさきえき)は、かつて岡山県倉敷市児島赤崎一丁目に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。モータリゼーションの進行による乗客の減少のため、1991年1月1日に下津井電鉄線と共に廃止された。以前は単式ホーム2面2線を有していたが無人化時に交換設備を廃止し、廃線時は1面1線となっていた。廃止されたホームは廃線時までそのまま残存していた。木造の駅舎があったが、無人化後は出札口を板打ちした状態で待合室としてしか機能していなかった。駅名標のローマ字は「Bijenakasaki」となっていた。
C備前赤崎駅跡の駅名標のモニュメント。
D下津井電鉄線の阿津駅 - 備前赤崎駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
E下津井電鉄線の阿津駅 - 備前赤崎駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
 F阿津駅(あつえき)は、かつて岡山県倉敷市児島阿津二丁目に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。モータリゼーションの進行による乗客の減少、および瀬戸大橋線(本四備讃線)により下津井電鉄のバス部門の主力路線である岡山 - 児島の乗客が減少し、鉄道線の赤字補填が困難となったため、1991年(平成3年)1月1日に下津井電鉄線と共に廃止された。廃止区間(児島 - 下津井)は、歩行者と自転車専用道「風の道」として整備されている。プラットホームのみ現存する。また、阿津駅跡を記す碑がある。
G下津井電鉄線の琴海駅 - 阿津駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
H下津井電鉄線の琴海駅 - 阿津駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
I下津井電鉄線の琴海駅 - 阿津駅間の廃線跡。架線柱が残る。
J下津井電鉄線の琴海駅 - 阿津駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
 K琴海駅(きんかいえき)は、かつて岡山県倉敷市大畠一丁目に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。開業当初から交換施設が存在したが、減便などにより撤去された。1988年(昭和63年)、瀬戸大橋開通にともなう観光路線への脱却、利用者増加を見込み、島式ホーム1面2線をもつ駅となった。モータリゼーションの進行による乗客の減少、および瀬戸大橋線(本四備讃線)により下津井電鉄のバス部門の主力路線である岡山 - 児島の乗客が減少し、鉄道線の赤字補填が困難となったため、1991年(平成3年)1月1日に下津井電鉄線と共に廃止された。駅跡からは児島競艇場を見下ろすことができる。
L下津井電鉄線の鷲羽山駅 - 琴海駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
 M鷲羽山駅(わしゅうざんえき)は、かつて岡山県倉敷市下津井田之浦二丁目に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。鷲羽山の登山のための駅として開設された駅である。瀬戸大橋開業後、下津井電鉄は瀬戸大橋を展望できることを宣伝し、観光路線への脱却をはかった。しかし、実際に瀬戸大橋を展望できるのは、この鷲羽山駅付近であり、鷲羽山駅 - 琴海駅にて瀬戸中央自動車道、瀬戸大橋線をくぐる。鷲羽山山頂から西側へ下った、県道393号線(鷲羽山スカイライン)沿いに存在した。モータリゼーションの進行による乗客の減少、および瀬戸大橋線により下津井電鉄のバス部門の主力路線である岡山 - 児島の乗客が減少し、鉄道線の赤字補填が困難となったため、1991年(平成3年)1月1日に下津井電鉄線と共に廃止された。
N下津井電鉄線の東下津井駅 - 鷲羽山駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
O下津井電鉄線の東下津井駅 - 鷲羽山駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
 P東下津井駅(ひがししもついえき)は、かつて岡山県倉敷市下津井吹上一丁目に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。鷲羽山駅より西へ約500mにあり、倉敷市立下津井中学校の最寄り駅であった。モータリゼーションの進行による乗客の減少、および瀬戸大橋線により下津井電鉄のバス部門の主力路線である岡山 - 児島の乗客が減少し、鉄道線の赤字補填が困難となったため、1991年(平成3年)1月1日に下津井電鉄線と共に廃止された。
Q下津井電鉄線の下津井駅 - 東下津井駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
R下津井電鉄線の下津井駅 - 東下津井駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
S下津井電鉄線の下津井駅 - 東下津井駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
@下津井電鉄線の下津井駅 - 東下津井駅間の廃線跡。架線柱が残る。
A下津井電鉄線の下津井駅 - 東下津井駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
B下津井電鉄線の下津井駅 - 東下津井駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
C下津井電鉄線の下津井駅 - 東下津井駅間の廃線跡。架線柱が残る。
D下津井電鉄線の下津井駅 - 東下津井駅間の廃線跡。自転車・歩行者専用道に転用。
 E下津井駅(しもついえき)は、かつて岡山県倉敷市下津井四丁目に存在した下津井電鉄下津井電鉄線の駅。下津井電鉄の中心の駅であり、鉄道事業部の事務所や車両基地、運転基地、工場などがあり、広い構内を有していた。モータリゼーションの進行による乗客の減少、および瀬戸大橋線により下津井電鉄のバス部門の主力路線である岡山 - 児島の乗客が減少し、鉄道線の赤字補填が困難となったため、1991年(平成3年)1月1日に下津井電鉄線と共に廃止された。
 Eかつての四国往来に由来する、下津井 - 丸亀航路との連絡駅であり、駅舎南側から下津井港の発着場まで連絡通路が設置されるなど、同航路との連絡の便が図られていた。開業時の駅舎は本社機能を上層階に持つ、二階建ての堂々たる木造建築であったが、戦後になって老朽化のため、鉄筋コンクリート造の平屋に置き換えられた。この駅舎の北側には1949年の電化時に変電設備が設置され、いずれも中古品と考えられる定格出力160kWのガラス槽水銀整流機と定格出力150kWの回転変流機が設置されていたが、瀬戸大橋完成に伴う1988年3月ダイヤ改正で琴海駅の交換設備を復活し列車増発を行うことが計画されたため、1987年11月に老朽化した水銀整流機は撤去され、代わってシリコン整流機を設置し以後はこれが主用された。開業から廃止まで、プラットホームは駅舎改札口と直結する対向式1面と島式1面を組み合わせた3線2面構成となっており構内踏切で連絡したが、この内車庫寄りの1線は終端駅故の機回り線としての必要から設置されていたものであった。このため路線短縮後は保存車の展示に使用されるなど、実用目的ではほとんど使用されておらず、実際には対向式2面2線相当として使用されていた。構内には鉄骨造トタン張り4線収容の大きな車庫と、2線収容でチェーンブロックなどの検修設備を備えた検車場、それに木造の工場や倉庫などの建物が林立していたが、路線短縮後は車庫の4線の内3線が撤去されて駐車場代用となり、さらに瀬戸大橋博覧会開催直前の構内整備時に車庫と工場・倉庫の各建物が撤去され、跡地には温室と下工弁慶号運転用の環状線路が設置された。
 Eクハ5 - 1931年製造。日本車輌製造製。製造当初はカハ5と称するガソリンカーであったが、1949年の電化時にエンジンを降ろし、制御車へ改造。鮮魚台(バケット)付きが特徴である。
 Eホジ3 - 1955年製造。富士重工製。1972年4月1日の茶屋町駅 - 児島駅間部分廃止時に、架線設備撤去後の線路撤去用として直前に廃止された県内の井笠鉄道より購入。連結器がピン・リンク式で下津井の客貨車で標準であったねじ式連結器とは異なっていたため、貨車1両の連結器を交換してアダプタ代わりに使用した。もっとも、本車は井笠時代から不調気味であったと伝えられており、実際の線路撤去工事ではほとんどの区間でトラックを直接線路敷に乗り入れて作業を行ったという。
 Eホワ6 - 開業時に用意された有蓋貨車。ホカフ9 - 車掌室付きの有蓋貨車。鉄道営業末期にはイラストの塗装をされていた。現在は黒1色に塗り直されている。
Eキトフ5。 E台車が置いてある。
 E下津井駅構内は現在もそのまま下津井電鉄が所有し続けているが、廃止後にほとんどの施設や設備は解体、撤去されて更地になったものの、駅舎とそれに隣接する事務所、末期まで使用された客車8両、貨車3両の合計11両の車両を収容する旧温室(元来はカフェテラスとして建てられた物)と、0kmポストの記念碑などは解体されずに、現役当時の状態で非公開のまま長く残されていた。2005年になり、駅舎と事務所、倉庫、それに0kmポスト記念碑が解体、撤去された。このため現在では旧温室とその中に収容された車両、駅舎や事務所の基礎、ホーム跡、それに整地された広大な旧敷地のみが残されている。駅舎の解体は老朽化が進んだ(屋根瓦の崩落が起きたりしていた)ことが理由であると、後述の「下津井みなと電車保存会」のウェブサイトにて説明されている。駅舎は解体されたもののかつての駅前広場には現役当時の面影が良く残っている。路線短縮時と全廃時に大半の車両が下津井工場で解体処分されたため、現存する車両は少ない。ただ客車8両、貨車3両は前述の下津井駅構内にある旧温室内で廃止後も保管されている。保存車両は、2002年から地元の有志により結成されたボランティア団体「下津井みなと電車保存会」により、下津井電鉄の協力も得て維持整備活動がおこなわれている。2008年からは保存車両の公開をおこなう「下津井みなと電車まつり」が年1回開催されている。会では引き続き構内の線路敷設(展示用)や一時期荒廃した温室周りの整備を進めており、将来は車両を走行可能な状態にまで復元したいとしている。
 Eモハ1001「赤いクレパス号」 - 1954年製造。帝国車輛工業製。製造時はクハ23と称する下津井寄りにのみ運転台を設置した制御車であったが、路線短縮後の1973年に廃車となったモハ52からの機器流用で単行運転用の両運転台付き電動車に改造され、初のワンマンカーともなった。1983年からは、外部、内部共にクレパスなどで自由に落書きしても良い車両として人気があった。外装の落書きは廃止後に消されている。
Eクハ24「フジカラー号」+クハ2101「メリーベル号」
 Eモハ2001+サハ2201+クハ2101「メリーベル号」 - 1988年製造。アルナ工機製。瀬戸大橋開通の観光路線化を目指した展望電車。下津井電鉄最後の新造車両にして最初で最後の冷房車である。廃車後、同じ762mm軌間の近鉄北勢線(現在は三岐鉄道)に譲渡される話もあったが、保安装置や架線電圧の相違があり、立ち消えとなっている。
モハ2001+サハ2201+クハ2101「メリーベル号」
 Eターンテーブル跡か? E 端部にレールが残る。
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