廃線探索 湧網線

更新日時 2014年05月30日

 湧網線(ゆうもうせん)は、日本国有鉄道が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道紋別郡上湧別町(網走支庁管内)の中湧別駅で名寄本線から分岐し、サロマ湖、オホーツク海、能取湖等の沿岸を巡って網走市の網走駅に至る。1960年代より沿線の過疎化やモータリゼーションの進行で利用者が減り、国鉄再建法の制定にともない第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年に廃止された。末期の列車本数は1日5往復まで減らされていた。数あるローカル線の中でも、車窓から見られる風景が美しい路線として知られていた。
湧網線(廃線)
中湧別駅 - 五鹿山(仮) - 福島(仮) - 芭露駅 - 志撫子(仮) - 計呂地駅 - 浜床丹(仮) - 床丹駅 - 若里(仮) - 佐呂間駅 - 堺橋(仮) - 興生沢(仮) - 知来駅 - 紅葉橋(仮) - 仁倉駅 - 浜佐呂間駅 - 北見富丘駅 - 東富丘(仮) - 北見共立駅 - 土佐(仮) - 常呂駅 - 常呂港(仮) - 能取駅 - 中能取(仮) - 北見平和駅 - 卯原内駅 - 二見中央(仮) - 二見ヶ岡駅 - 大曲(仮) - 網走駅
 @網走駅(あばしりえき)は、北海道網走市新町2丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅である。駅番号はA69。電報略号はアハ。日本の鉄道駅をアルファベット順に並べたとき、最初に来る駅である(最後は逗子駅)。複数の鉄道線が乗り入れる乗換駅としては日本最北であり、特急「オホーツク」、快速「しれとこ」の始発・終着駅となっている。かつては湧網線も分岐していたが、1987年(昭和62年)3月19日付で廃止された。
 @2面3線の単式・島式の複合ホーム。全ホーム双方向に発着できるため、厳密な方向分けは行われていない。特急列車と両線直通列車は駅舎に面した1番のりばを使用する。
 @当駅から中湧別駅へ向かっていた湧網線は、0番のりばに発着した。湧網線の列車はキハ22形気動車の単行運転が多く、車両3両分程度の長さであった。現在線路は剥がされ駐車場となっている。
 A湧網線跡:昭和28年(1953年)網走と中湧別を結ぶ全長90qの国鉄湧網線が全通した。網走市内には卯原内、能取などの7つの駅や乗降場があり、オホーツク海沿岸を走る列車は住民の足として親しまれたが、昭和62年赤字線整理のために廃止された。
A大曲公園の網走川に架かる橋梁。この手前に大曲乗降場が有った。
A鐵道省 昭和9年製。
B二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場間の湧網線廃線跡、湖眺橋。
B二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場間の湧網線廃線跡、湖眺橋。
B二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場間の湧網線廃線跡、湖眺橋。
B二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場間の湧網線廃線跡、湖眺橋。
 C二見ヶ岡駅(ふたみがおかえき)は、北海道(網走支庁)網走市字二見ヶ岡にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はフオ。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(網走方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は撤去されたがホーム南側に待合所を有していた。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、近くの丘から網走湖と能取湖が見えることに由来する。
D二見中央仮乗降場 - 二見ヶ岡駅間の湧網線廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
E二見中央仮乗降場 - 二見ヶ岡駅間の湧網線廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
 F二見中央仮乗降場(ふたみちゅうおうかりじょうこうじょう)は、かつて北海道網走市にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(局設定)である。1987年3月20日、湧網線の廃線により廃駅となった。単式ホーム1面1線を有した。駅名標は「ふたみちゅうお」と、「う」が抜け落ちた物が長らく使用されていた。
G卯原内駅 - 二見中央仮乗降場間の湧網線廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
H卯原内駅 - 二見中央仮乗降場間の湧網線廃線跡。オンネニタツ川に架かる東卯原内橋。
I卯原内駅 - 二見中央仮乗降場間の湧網線廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
J卯原川に架かる珊瑚草橋。自転車線用道路に転用されている。
K卯原内駅 - 二見中央仮乗降場間の湧網線廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
 L卯原内駅(うばらないえき)は、北海道(網走支庁)網走市卯原内にあった日本国有鉄道湧網線の駅である。電報略号はウイ。湧網線の廃線により1987年に廃駅となった。
 L廃止時点で、島式ホームの片面を使用する1線を有する無人駅であったが、かつては列車行き違い可能駅であった。
 L駅名の由来:アイヌ語由来の地名だが、湿原に流れ込む川の河口が不明瞭な様を指した「オ・パラ・ライ」(川尻が死んだ川)、反対に「広い河口」を意味する「オ・パラ・ナイ」、あるいは黒っぽい浮遊物が流れる様を表現した「ウパラ・ナイ」(煤の川)など諸説がある。
 Lオハ47 508 オハ47形:0番台(1 - 328、電気暖房付き車両は製造番号 + 2000) 1960年代中盤、高度経済成長の時流に乗った急行列車における、寝台車需要の急激な伸びに対応するため、戦前製優等客車の台枠を再利用して、10系寝台車と同等の車体を新製したオハネ17形が量産された。 このオハネ17形を製造する際、台車の新造は予算面で困難であったため、寝台車の乗り心地向上の見地から、既存台車中で最良の乗り心地であったスハ43形のTR47の流用が実施され、その代わり、台車を供出したスハ43形には、複雑な手続きを経て捻出された[5]TR23を、若干改造のうえで装着することとなった。この改造を受けたスハ43形は、台車が軽くなったため自重が減って「オ」級にランクダウンし、オハ47形に形式変更された。乗り心地は、本来のスハ43に比してやや悪くなった。後に、オハ47形500番台に8両、緩急車のオハフ46形0番台に30両、オハフ46形500番台に1両改造された。 500番台 (501 - 508) オハ47形を北海道向けに改造したもので、8両が改造された。後に、1両がオハフ46形500番台に改造された。
 L9600形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が1913年(大正2年)から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車である。「キューロク」、「クンロク」と愛称され、四国を除く日本全国で長く使用された。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。9600形という形式は、1912年(明治45年)度に12両が試作された2-8-0(1D)型過熱式テンダー機関車が最初に使用(9600 - 9611)したが、本形式に形式を明け渡すため、落成後わずか3か月で9580形(9580 - 9591)に改められた。従って、本形式は9600形の2代目である。
M湧網線の北見平和駅 - 卯原内駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
N湧網線の北見平和駅 - 卯原内駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
O湧網線の北見平和駅 - 卯原内駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
 P北見平和駅(きたみへいわえき)は、北海道(網走支庁)網走市字平和にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はキヘ。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(網走方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は撤去されたがホーム南側に待合所を有していた。ホームはレールと枕木を枠に再利用した盛土のホームであった。また「ホーム」と記載された立て札が存在した。仮乗降場時代に、簡易委託駅として乗車券の販売が行われていた時期もあった(1949年(昭和24年)11月発行の乗車券が確認されている)。駅名の由来は当駅の所在する地名に旧国名の「北見」を冠する。地名は、平和を願って付けられたと考えられる。旧国名は同じ北道道内の夕張市に夕張鉄道平和駅が存在したことにより冠した。
Q湧網線の能取駅 - 北見平和駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
R湧網線の能取駅 - 北見平和駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
S湧網線の能取駅 - 北見平和駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
@湧網線の能取駅 - 北見平和駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
A湧網線の能取駅 - 北見平和駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
 B能取駅(のとろえき)は、北海道(網走支庁)網走市字能取にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はノト。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(網走方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、興浜北線の斜内駅や豊牛駅などと同型のプレハブ駅舎となっていた。駅舎は構内の東側に位置しホームに接していた。また、1983年(昭和58年)時点では使われなくなった貨物ホームが残存し、網走市が買収して公園化する計画もあったという。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ノトロ」(岬の所)に由来する。
C湧網線の常呂駅 - 能取駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
D湧網線の常呂駅 - 能取駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
E湧網線の常呂駅 - 能取駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
F湧網線の常呂駅 - 能取駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
G湧網線の常呂駅 - 能取駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
 H常呂駅(ところえき)は、北海道(網走支庁)常呂郡常呂町字常呂(現・北見市常呂町字常呂)にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はコロ。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造[は廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム東側と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側ホーム(南側)が上り線、対向側ホーム(北側)が下り線となっていた(番線表示なし)。島式ホームの外側の1線は副本線として側線扱いで残っていた。そのほか上り線の中湧別方から駅舎側に分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた。職員配置駅で、駅舎は構内の南側に位置し単式ホーム中央部分に接していた。木造平屋の駅舎であった。流氷の時期には除雪したホームの一部分に、見学のための「流氷観覧席」を設けていた。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ト・コロ・ペッ」(湖を持つ川)に由来する。常呂川周辺に沼が多かったことから付いた。
I湧網線の北見共立駅 - 常呂駅間の廃線跡。自転車線用道路に転用されている。
J湧網線の北見共立駅 - 常呂駅間の廃線跡。自転車線用道路はここまで。
K湧網線の北見共立駅 - 常呂駅間の廃線跡。畑が整備され痕跡は残っていない。
L湧網線の北見共立駅 - 常呂駅間の廃線跡。コンクリート橋梁が残る。
 M北見共立駅(きたみきょうりつえき)は、北海道(網走支庁)常呂郡常呂町字共立(現・北見市常呂町共立)にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はキヨ。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(網走方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホームを結ぶ通路で連絡した。駅自体は完全無人であるが、駅近隣の商店が乗車券を販売している簡易委託駅となっていた。受託者は雑貨店主で、冬季は駅舎の除雪も行っていた。
駅名の由来は当駅の所在する地名に旧国名の「北見」を冠する。当地は以前「下川沿」の名であったが、1941年(昭和16年)改称された。土地改良が行われ、将来農家が共に立つように、との願いから付けられた。「共立駅」は存在しないが旧国名を冠している。
N湧網線の東富丘(仮) - 北見共立駅間の廃線跡。コンクリート橋梁が残る。
 O東富丘仮乗降場(ひがしとみおかかりじょうこうじょう)は、北海道(網走支庁)常呂郡常呂町(現・北見市常呂町)にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(廃駅)である。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1986年(昭和61年)3月3日改正時点で下り4本上り3本)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。廃止時まで仮乗降場であり、無人駅となっていた。駅名の由来は当駅の所在地「富丘」の東に位置するために「東」を冠した。
P湧網線の北見富丘駅 - 東富丘(仮)間の廃線跡。コンクリート橋梁が残る。
 Q北見富丘駅(きたみとみおかえき)は、北海道(網走支庁)常呂郡常呂町字富丘(現・北見市常呂町富丘)にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はキト。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(網走方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎は無いがホーム中央部分に待合所を有していた。ブロック造りで広さが約30平方メートル、電気設備の無い建物であった。駅名の由来は当駅の所在する地名に旧国名の「北見」を冠する。当地は以前「西川沿」の名であったが、1941年(昭和16年)改称された。富んだ丘になるように、との願いから付けられたと考えられる。旧国名は福島県に常磐線富岡駅が存在したことにより冠した。
R湧網線の浜佐呂間駅 - 北見富丘駅間の廃線跡。
 S浜佐呂間駅(はまさろまえき)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町字浜佐呂間にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はサロ。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(網走方面に向かって左手側)に存在した。そのほか本線の網走方から分岐し駅舎北側への側線を1線有していた。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった対向ホーム側の1線は交換設備運用廃止後も転轍機が中湧別方、網走方の両方向とも撤去された形で側線として残っていた(ホームも撤去されていた)。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホームに接していた。木造モルタルで白く塗装された駅舎であった。駅自体は完全無人であるが、駅近隣の個人が乗車券を販売している簡易委託駅となっていた。受託者は駅附近の民宿経営者で、駅舎内で宿泊案内を行う場合もあったという。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、佐呂間より浜に近いために「浜」を冠した。旧駅名の下佐呂間(しもさろま)は、佐呂間より佐呂間別の下流に位置しているため、「下」を冠した。
@湧網線の仁倉駅 - 浜佐呂間駅間の廃線跡。橋台が残る。
A湧網線の仁倉駅 - 浜佐呂間駅間の廃線跡。
B湧網線の仁倉駅 - 浜佐呂間駅間の廃線跡。築堤及びコンクリート製の橋台が残る。
 C仁倉駅(にくらえき)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町字仁倉にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はニク。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(網走方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北側に位置しホームを結ぶ通路で連絡した。駅舎とホームの間には花壇が作られていた。駅自体は完全無人であるが、駅近隣の個人が乗車券を販売している簡易委託駅となっていた。受託者は1983年(昭和58年)時点で70歳に近い農家の老婦人で、駅舎の清掃も行っており、当時の国鉄から「湧網沿線でいちばんきれいな駅」と太鼓判を押されていたという。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ニクリ・アン・ペッ」(森林のある川)に由来する。
D湧網線の紅葉橋(仮) - 仁倉駅間の廃線跡。
 E紅葉橋仮乗降場(もみじばしかりじょうこうじょう)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(廃駅)である。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1986年(昭和61年)3月3日改正時点で下り3本上り3本)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(網走方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。廃止時まで仮乗降場であり、無人駅となっていた。駅舎は無いがホーム中央部分から板敷きの通路を渡った位置に待合所を有していた。ホームは中湧別方にスロープを有し[2]駅施設外に連絡していた。駅名の由来は当駅附近を流れる佐呂間別川に架かる橋の名前に由来する。紅葉の美しい場所とのことである。
F湧網線の知来駅 - 紅葉橋(仮)間の廃線跡。
 G知来駅(ちらいえき)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町字知来にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はチラ。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(網走方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北側に位置し旧線跡を渡りホームを結ぶ通路で連絡した。駅舎とホームの間には花壇が作られていた。駅自体は完全無人であるが、駅前の商店で乗車券を販売している簡易委託駅となっていた。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「チライ・オチ」(イトウのいる所)の前半部分に由来する。駅跡は「知来ゲートボール会館」として再利用されている。
 H興生沢仮乗降場(こうせいざわかりじょうこうじょう)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(廃駅)である。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(網走方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。廃止時まで仮乗降場であり、無人駅となっていた。駅舎は無いがホーム中央部分に高床式の待合所を有していた。ホームは中湧別方にスロープを有し駅施設外に連絡していた。駅名の由来は当地に入植した実習生が当地附近の沢を興して皆で生きよう、という意味で付けた名に由来する。
 I堺橋仮乗降場(さかいばしかりじょうこうじょう)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(廃駅)である。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1986年(昭和61年)3月3日改正時点で下り3本上り4本)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(網走方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。廃止時まで仮乗降場であり、無人駅となっていた。ホームは網走方にスロープを有し、駅施設外に連絡していた。駅名の由来は当駅附近を流れ、佐呂間町東地区と知来地区の境となる佐呂間別川に架かる橋の名前に由来する。但し橋の名は「境橋」であり、仮乗降場名とは相違がある。弘済出版社の道内時刻表には「境橋」と書かれ「さかえばし」と読みがふってあり、漢字とよみのどちらも一致していなかった。
 J佐呂間駅(さろまえき)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町字永代町にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はロマ。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム東側と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側ホーム(北側)が上りの1番線、対向側ホーム(南側)が下りの2番線となっていた。島式ホームの外側の1線は副本線として側線扱いで残っていた。この副本線の外側に側線を3線(うち1線は行き止り)、副本線中途から分岐する行き止まりの短い側線を東西に各1線有した。そのほか1番線の中湧別方から駅舎側に分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、本線の網走方・1、2番線の収束部分の転轍機手前から駅舎側に分岐する側線を1線有していた。職員配置駅で、駅舎は構内の北側に位置し単式ホーム中央部分に接していた。駅舎とは別棟でトイレ棟を有した。トイレ棟は駅前広場から向かって駅舎の右側にあった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「サル・オマッ・ペッ」(芦原にある川)の転訛した「サロマペッ」の前半部分に由来する。佐呂間川を指す。旧駅名の中佐呂間(なかさろま)は、佐呂間の中央部に位置しているため、「中」を冠した。
 J佐呂間駅跡は旧駅構内は1989年(平成元年)4月から佐呂間町により「佐呂間町交通公園」として整備された。跡地は造成され公園となり、D51形蒸気機関車D51 565号機と、それに連結して珍しい郵便・荷物合造車であるスユニ50形 500番台スユニ50 517、ヨ8000形車掌車ヨ 8017の3輌、またD51の隣にDE10形ディーゼル機関車DE10 1677号機と、合計4輌の車輌が静態保存・展示されている。冬期には降雪のため閉鎖となるがその際には全ての車輌にホロが掛けられるなど、保存に配慮がされている。敷地内には腕木式信号機が2本設置保存されており、転轍てこも存在する。また、旧駅舎をイメージして新築された「鉄道記念館」が開設され、館内に駅名標、閉塞器、通標、保線用具、備品、乗車券、駅スタンプ、写真パネルなどの湧網線関連資料が保存・展示されている。
JD51 565。
JDE10 1677。
Jスユニ50 517。
Jヨ8017。
J9600動輪軸。重量2030s。直径1250mm。
K湧網線の若里(仮) - 佐呂間駅間の廃線跡。
L湧網線の若里(仮) - 佐呂間駅間の廃線跡。
M湧網線の若里(仮) - 佐呂間駅間の廃線跡。
N湧網線の若里(仮) - 佐呂間駅間の廃線跡。
O湧網線の若里(仮) - 佐呂間駅間の廃線跡。
 P若里仮乗降場(わかさとかりじょうこうじょう)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(廃駅)である。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1986年(昭和61年)3月3日改正時点で下り1本)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(網走方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。廃止時まで仮乗降場であり、無人駅となっていた。駅舎は無いがホーム南側入口附近に待合所を有していた。ホームは網走方にスロープを有し駅施設外に連絡していた。待合所に掲げられていた駅銘板には「若里乗降場」と表記されていた。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、かつてサロマ湖畔が「若里浜」と呼ばれていたことに由来する。「若里」とはいつまでも若々しいという願望から付けられた名と考えられる。
Q湧網線の床丹駅 - 若里(仮)間の廃線跡。
R湧網線の床丹駅 - 若里(仮)間の廃線跡。
S湧網線の床丹駅 - 若里(仮)間の廃線跡。
 @床丹駅(とこたんえき)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町字若里にあった日本国有鉄道湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はトコ。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(網走方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置し旧線跡を渡りホームを結ぶ通路で連絡した。無人化後も清掃が行き届いていた。駅名の由来は当駅の所在地附近の川の名より。川の名は、アイヌ語の「ト・コタン」(沼・村)に由来する。サロマ湖畔にあるために付けられた。別説として「トゥ・コタン」(滅んだ村)など、由来には諸説ある。
A湧網線の浜床丹(仮) - 床丹駅間の廃線跡。
B湧網線の浜床丹(仮) - 床丹駅間の廃線跡。
 C浜床丹仮乗降場(はまとこたんかりじょうこうじょう)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(廃駅)である。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北西側(網走方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。廃止時まで仮乗降場であり、無人駅となっていた。駅舎は無いがホーム南側入口附近に待合所を有していた。ホームは中湧別方にスロープを有し駅施設外に連絡していた。駅名の由来は当駅の所在する地区「床丹」の浜寄りにあるために「浜」を冠した。
D湧網線の計呂地駅 - 浜床丹(仮)間の廃線跡。
 E計呂地駅(けろちえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡湧別町字計呂地にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はケロ。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。
 E職員配置駅となっており、駅舎は構内の南東側に位置しホーム南側とを結ぶ構内踏切で連絡した。ホームは砂利敷きであった。当駅では手作りの帆立貝殻付きの入場券が発売されていた。
 E計呂地駅構造は廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。駅舎側(東側)が下り線、外側(西側)が上り線となっていた(番線表示なし)。そのほか上り線の外側に側線(副本線)を1線有していた。旧駅構内は1989年(平成元年)5月から湧別町により「湧別町計呂地交通公園」として整備された。駅舎、レール、ホームが保存され、ホームに横付けする形でC58形蒸気機関車C58 139号機と、それに連結して国鉄の旧型客車であるスハ45形スハ45 6、オハ62形客車オハ62 91が静態保存・展示されている。スハ45は車内がカーペットが敷きに改装され、宿泊施設となっている。駅舎は現役当時のままで、鉄道資料室及び公園管理棟となっている。舎内に駅名標、行先票、閉塞器、通標、備品、乗車券、時刻表などの湧網線関連資料が保存・展示されている。駅横には湧網線開通の経緯が記載された「鉄道記念碑」が建立されている。なお、敷地内には現役当時は存在しなかった跨線橋が設置されている。
EC58形蒸気機関車C58 139号機。
E国鉄の旧型客車であるスハ45形スハ45 6、オハ62形客車オハ62 91。
F湧網線の志撫子(仮) - 計呂地駅間の廃線跡。
 G志撫子仮乗降場(しぶしかりじょうこうじょう)は、北海道(網走支庁)紋別郡湧別町にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(廃駅)である湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1986年(昭和61年)3月3日改正時点で下り1本)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。廃止時まで仮乗降場であり、無人駅となっていた。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「シュプン・ウシ」(ウグイの多くいる川)に由来する。志撫子川を指す。
H湧網線の芭露駅 - 志撫子(仮)間の廃線跡。
I湧網線の芭露駅 - 志撫子(仮)間の廃線跡。
J湧網線の芭露駅 - 志撫子(仮)間の廃線跡。
K湧網線の芭露駅 - 志撫子(仮)間の廃線跡。遊歩道に転用されている。
L湧網線の芭露駅 - 志撫子(仮)間の廃線跡。
 M芭露駅(ばろうえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡湧別町字芭露にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はハロ。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(網走方面に向かって右手側)に存在した[1]。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった駅舎側の1線は交換設備運用廃止後も転轍機が中湧別方、網走方の両方向とも維持された形で側線として残っていた[1]。そのほか本線網走方の交換設備ポイントより網走寄りからホームの外側に分岐する行き止りの側線を1線有していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南西側に位置し構内踏切で側線を渡りホーム南側とを結ぶ通路で連絡した。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「パロ」(川口)に由来する。芭露川の河口が大きいことからの地名である。
N湧網線の福島(仮) - 芭露駅間の廃線跡。
O湧網線の福島(仮) - 芭露駅間の廃線跡。太陽光パネルを設置している部分が廃線跡。
P湧網線の福島(仮) - 芭露駅間の廃線跡。
 Q福島仮乗降場(ふくしまかりじょうこうじょう)は、北海道(網走支庁)紋別郡湧別町にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(廃駅)である湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1986年(昭和61年)3月3日改正時点で下り3本上り5本)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。廃止時まで仮乗降場であり、無人駅となっていた。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、1916年(大正5年)に当地に入植した福島団体が故郷を偲んで同じ名を名付けたことに由来する。
R湧網線の五鹿山(仮) - 福島(仮)間の廃線跡。
 S五鹿山仮乗降場(ごかざんかりじょうこうじょう)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町(現・湧別町)にあった日本国有鉄道(国鉄)湧網線の仮乗降場(廃駅)である。湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1986年(昭和61年)3月3日改正時点で下り3本上り5本)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。廃止時まで仮乗降場であり、無人駅となっていた。駅名の由来は当駅附近の山名に由来する。
@湧網線の中湧別駅 - 五鹿山(仮)間の廃線跡。
A湧網線の中湧別駅 - 五鹿山(仮)間の廃線跡。この辺は痕跡が残っていない。
B湧網線の中湧別駅 - 五鹿山(仮)間の廃線跡。この辺は痕跡が残っていない。
C湧網線の中湧別駅 - 五鹿山(仮)間の廃線跡。
 C中湧別駅(なかゆうべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字中湧別中町(現・湧別町中湧別中町)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅(廃駅)である。電報略号はナユ。名寄本線と湧網線が接続する交通の要衝であったが、湧網線(1987年(昭和62年)3月20日)、続いて名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「天都」の停車駅であった。
 C中湧別駅構造は廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム北側と島式ホーム南側を結んだ跨線橋で連絡した。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が上下共用の1番線、島式ホーム駅舎側が名寄本線下りの2番線、外側が湧網線発着用の上下共用の3番線となっていた。また島式ホーム北側は切欠きとなっていたが側線扱いとなっていた。3番線の外側に多数の側線を有し、そのほか1番線の名寄方から分岐し駅舎北側の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた。名寄本線湧別支線と湧網線の合流地点にはシーサス・クロッシングが設置されていた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の北側に位置し単式ホームから少し離れた場所に存在していた。コンクリート製の駅舎であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、湧別川の中流に位置していたために「湧別」に「中」を冠する。
C除雪用モーターカー(番号無し)
Cヨ3500形車掌車ヨ 4407、ヨ 4421、ヨ 4430、ヨ 4433の4両が静態保存・展示されている。
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