廃線探索 鴻紋軌道

更新日時 2019年07月18日

 鴻紋軌道(こうもんきどう)は、かつて北海道網走支庁管内の紋別郡紋別町に存在した軽便鉄道路線である。鴻之舞軌道(こうのまいきどう)と呼ばれる場合もある。鴻之舞鉱山拡張に必要な資材の運搬や、人口が1万3千人を超す鴻之舞地区住人の生活物資の運搬を目的として、1940年(昭和15年)10月に着工された。当初は1942年(昭和17年)に完成予定であったが、元紋別地区にある沢の埋め立てが難工事となって、鴻之舞地区から大量の石を運搬したのが影響して工期が延びていた。翌1943年(昭和18年)6月に完成したものの、鉱山は戦時産業統制の一環で前年12月26日に休山命令を受けており、最初の活躍の場は解体された機器類を他の鉱山に転用するための運搬という、当初目的から外れた皮肉な結果となった。軌道自体は休山中も残る人の通勤や生活物資輸送のために運行を継続している。鉱山は1947年(昭和22年)に復興したものの、周辺道路の整備による自動車輸送に圧されたため翌1948年(昭和23年)に廃止されている。なお、鴻紋軌道や鴻之舞地区はザ・ピーナッツやダークダックスが歌った「銀色の道」(塚田茂作詞/宮川泰作曲)のモデルとなった場所であることでも知られる。
駅一覧
元山駅(もとやま) - 元町(もとまち) - 住吉停留所(すみよし) - 末広駅(すえひろ)- 栄町(さかえまち) - 桜町駅(さくらまち) - 曙停留所(あけぼの)- 長島駅(ながしま) - 中藻別停留所(なかもべつ)- 野中駅(のなか)- 木原(きはら)- 草鹿 - 元紋別停留所(もともんべつ) - 紋別駅(もんべつ)
@旧紋別駅舎跡に紋別駅の駅名標。 @鴻之舞金山の金鉱石。
 @思い出の名寄本線。大正10年3月、国鉄名寄本線が開通して以来、紋別駅周辺は、街の玄関口として商店街が集まり活気に溢れ、市民の生活に密着した、反映のシンボルでありました。昭和30年には蒸気機関車に代わってディーゼルカーの運行開始、さらに昭和37年急行”紋別”(紋別−札幌間) 準急”天都”(興部−網走間)が運行され、地域発展に貢献してきました。しかし、昭和57年の「第二次特定地方交通線の廃止」の選定路線に加えられ、8年間の存続運動も実らず、平成元年4月30日、68年間の歴史に終止符をうちました。(2010年7月3日撮影)
 @「鴻紋軌道」紋別鴻之舞間28qの簡易軌道、停留所11カ所、起業用資機材・生活物資輸送の目的で1940年〜1950年に敷設運行された。「銀色の道」軌道敷設技師を父に持つ作曲家宮川泰氏は鴻之舞小学校を卒業している。後年レールのこの軌道跡の水溜まりが月光に映える姿を見てこれこそ銀色の道だと確信したという。南北6qの山間の町は今は自然に帰って人影もない。閉山30周年を迎えるに当たり望郷の念やみ難くここに記念碑を建立する。(2010年7月3日撮影)
A国道238号線(オホーツクライン)を横切るこの辺に築堤跡が有る。昔は国道が無かった。
(2010年7月3日撮影)
B Aからここまでは鴻紋軌道跡は農地でかき消されてしまっている。ここから一部築堤が残る。
(2010年7月3日撮影)
C鴻紋軌道の橋脚が残る。(2010年7月3日撮影)
D藻別川支流の草鹿橋の脇に鴻紋軌道の橋脚が残る。(2010年7月3日撮影)
E紋別市立 藻別小学校(廃校) 電子基準点(NO.020856)が設置されている。(2010年7月3日撮影)
F道道305号線の藻別川を渡る万盛橋。 F今回廃線コラボしたSentimental-Wayさん。
F藻別川の万盛橋脇に鴻紋軌道の橋脚が残る。(2010年7月3日撮影)
G上モベツ4線川に架かる紫仙橋。藪の中を探索。(2010年7月3日撮影)
Gスーツのズボンが真っ白です(笑)上モベツ4線川に架かる鴻紋軌道の橋脚が残る。
(2010年7月3日撮影)
G鴻紋軌道跡が僅かに残る。(2010年7月3日撮影)
H上藻別駅逓開設の地。(2010年7月3日撮影)
H上藻別駅逓の展示品。(2010年7月3日撮影)
H上藻別駅逓の展示品。(2010年7月3日撮影)
H上藻別駅逓の展示品。(2010年7月3日撮影)
H五号杭橋 (27.11 km)と思われる。 H鴻紋軌道の機関車。
H上藻別駅逓の展示品。(2010年7月3日撮影)
H上藻別駅逓。(2010年7月3日撮影)
H鴻紋軌道はこの辺を通っていたそうだ。(2010年7月3日撮影)
H2010年に屋根があったが雪の重みで壊れた?(2019年7月14日撮影)
H上藻別駅逓の展示品。鉱山で使われていたディーゼル機関車。(2010年7月3日撮影)
H人車。 Hグランビー鉱車。
H上藻別駅逓の展示品。鉱山で使われていた機械類。(2010年7月3日撮影)
H上藻別駅逓の展示品。鉱山で使われていた機械類。(2010年7月3日撮影)
I藻別川の桜橋脇に鴻紋軌道の橋脚が残る。(2010年7月3日撮影)
J藻別川の宝橋脇に鴻紋軌道の橋脚が残る。(2010年7月3日撮影)
J藻別川の宝橋脇に鴻紋軌道の橋脚が残る。(2010年7月3日撮影)
J5号坑からは地下水が湧き出ている様だ。この水を中和して処理している?
(2010年7月3日撮影)
J5号坑鍵が掛かっていて中は確認出来ない。酸素濃度は18%以上で2人以上で入坑のこと書かれている。
(2010年7月3日撮影)
K五号杭橋は鉱山水送水施設として現在も活用されている。(2010年7月3日撮影)
Kコンクリートの橋脚も風化が進んでいる様だ。(2010年7月3日撮影)
L鴻ノ舞金山の末広町跡。(2010年7月3日撮影)
M鴻紋軌道記念碑。銀色の道 誕生の地 鴻之舞金山。(2010年7月3日撮影)
M鴻之舞鉱山跡。 M鴻之舞鉱山慰霊碑。
M鉱山関連の遺構。(2010年7月3日撮影)
N清明寮跡。(2010年7月3日撮影)
O紋別市立鴻之舞中学校跡。(2010年7月3日撮影)
P住友のマークが重厚な立派な倉が残っている。(2010年7月3日撮影)
P住友のマークが重厚な立派な倉。(2019年7月14日撮影)
P窓から内部を撮影。(2019年7月14日撮影)
P鴻之舞鉱山関連の住宅が廃墟として残る。(2010年7月3日撮影)
Q大煙突が残る。(2010年7月3日撮影)
Q大煙突空撮。(2019年7月14日撮影)
築堤で囲まれているので火薬庫と思われる。現役なので場所はマル秘(2019年7月14日撮影)
元山第三通洞空撮。場所はマル秘(2019年7月14日撮影)
Q喜楽町跡。 R旭町跡。
Sこのお地蔵さんは定期的に衣替えをしているそうだ。(2010年7月3日撮影)
S舎利塔。ここは火葬場だったそうだ。(2010年7月3日撮影)
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