更新日時 2012年08月16日

 王子軽便鉄道(おうじけいびんてつどう)は、北海道苫小牧市の王子製紙苫小牧工場から千歳市烏柵舞(うさくまい)の千歳川上流に設けられた自社工場向け水力発電所や支笏湖畔とを結び、発電所の建設資材や支笏湖周辺の森林資源を運搬する目的で敷設された軽便規格の専用鉄道である。 貨物輸送のための鉄道であったが、後に一般客扱いも行った。1904年(明治37年)9月、経営不振に陥っていた王子製紙は業績浮上を新工場に求め、これを設立する最適地を苫小牧村に定めた。工場のための発電所の建設地へ建設資材を運搬するにあたり、当初は馬車軌道を敷設したが、発電機などの大型機械類運搬に対応できないため、すぐに蒸気機関車運転に変更した。その後支笏湖周辺や樽前山麓の御料林からの木材運搬にも使用されて、1935年(昭和10年)には年間20万石以上の輸送量を記録している。また発電所の建設にあわせ、千歳川下流へと終点駅は移動した。旅客扱いは関係者やその家族等に限り当初より行われていたが、1922年(大正11年)からは支笏湖観光の気運を受けて一般乗客を受け入れ、修学旅行などにも使用された。1936年(昭和11年)頃からは支笏湖対岸の美笛(びふえ)から、湖上運搬船を経由した千歳鉱山(美笛鉱山・千徳鉱山)の金鉱石運搬も行っていたが、戦後、道路が整備されるにつれ、トラックや苫小牧市営バスなどの自動車に押されて廃止された。なお廃止に当たっては当鉄道に従事していた人員を自社バスの運行要員に転換している。苫小牧市民は海側に敷設された苫小牧軽便鉄道(後の日高線、現在の日高本線)を通称「浜線」、山側に敷設されたこの専用線を通称「山線」と呼んで親しんでいた。
駅一覧
山線苫小牧駅 - 六哩駅(マイル) - 十哩駅 - 十二哩駅 - 十三哩駅 - 分岐点駅 - 滝ノ上駅 - 湖畔駅
分岐点駅 - 水溜駅 - 第二発電所駅 - 第三発電所駅 - 第四発電所駅 - 上千歳駅
三井物産株式会社軽便鉄道御召し列車。
 王子軽便鉄道:王子製紙が苫小牧工場から支笏湖まで走らせていた軽便鉄道は通称「山線」とよばれ、1908年(明治41年)に千歳発電所を建設するために敷いた物です。ここに展示している機関車は「山線」4号車で、小樽でつくられました。貴賓車は、1922年(大正11年)昭和天皇が皇太子時代、発電所をご視察される時客車を作り替えたものです。たくさんの人と物を運んだ「山線」は1951年(昭和26年)に惜しまれながら廃線になり、この機関車と貴賓車だけが残って東京の「紙の博物館」に展示されていました。
 @苫小牧駅(とまこまいえき)は、北海道苫小牧市表町6丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅である。JR北海道の駅番号はH18。
 @苫小牧駅構造は島式ホーム2面4線を有する地上駅で、全旅客列車が停車する。乗降用ホームは1番線から4番線の順に並んでおり、最も南側が1番線である。4番線の北側には側線や、それに繋がる苫小牧運転所がある。橋上駅舎を持ち、改札口は駅の北口・南口を結ぶ自由通路に面する。社員配置駅。みどりの窓口(営業時間5時30分-22時00分)、旅行センター苫小牧支店(営業時間10時00分-18時00分、土・日・祝は17時00分まで)、自動改札機、キヨスクがある。Kitacaは札幌方面のみ利用可能であり、室蘭方面や追分方面、それに日高線方面では利用できない。旧駅舎は木造の地上駅で、現在の駅舎より若干室蘭寄りに建てられていた。ホームを結ぶ跨線橋は当時のまま。北口の線路脇には神社がある。鉄道係員が列車にはねられる事故が相次いだことをきっかけに1963年 (昭和38年) に建立された。2008年には建立以来初めて改修が行われ、10月22日に例大祭が行われた。駅構内からは王子製紙専用線が分岐している。本線南側に沿い西へ進み、王子製紙苫小牧工場へ至る路線で、コンテナ輸送に使用されている。
 A王子軽便鉄道山線の苫小牧駅は山線苫小牧駅あるいは単に山線駅と呼ばれ、国鉄(当時)苫小牧駅の駅裏室蘭寄りにあった。王子軽便鉄道の山線苫小牧駅跡。ベルコ苫小牧の駐車場になっている。
B王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。
C王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。
D王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。
E王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。
F王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。
G王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。自転車道に転用されている。
H王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。自転車道に転用されている。
I王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。自転車道に転用されている。
J王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。自転車道に転用されている。
K王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。自転車道に転用されている。
L王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。自転車道に転用されている。
M王子軽便鉄道山線の山線苫小牧駅 - 六哩駅間の廃線跡。自転車道に転用されている。
 N王子軽便鉄道山線の六哩駅(高丘駅)跡。駅間9.6km。市街地の北側を斜めに抜けてオテーネと呼ばれた台地へ向けてカーブを切り、北大演習林を右手に見ながら高丘と呼ばれる傾斜地を登り切る辺りが六哩地点で、ここまでの勾配が全線で一番急なため、後に輸送量の増加に伴い、機関車への補給のために駅が設けられた。
 O王子軽便鉄道山線の六哩駅(マイル) - 十哩駅間の廃線跡。ここから先は自転車道は国道276号線の左側になるが、王子軽便鉄道はそのまま真っ直ぐ、国道276号線の右側の高圧線沿いが廃線跡。ここより十二哩までは、苫小牧川と勇払川支流の勇振川(夕振川)に挟まれた緩やかな上り勾配の台地で、左手に樽前山を望む鬱蒼とした帝室林野局の御料林(戦後は国有林)の中を真っ直ぐに敷かれていた。
P王子軽便鉄道山線の六哩駅(マイル) - 十哩駅間の廃線跡。第一横断林道交差部。
Q王子軽便鉄道山線の六哩駅(マイル) - 十哩駅間の廃線跡。
R王子軽便鉄道山線の六哩駅(マイル) - 十哩駅間の廃線跡。
S王子軽便鉄道山線の六哩駅(マイル) - 十哩駅間の廃線跡。
@王子軽便鉄道山線の十哩駅跡。丸山林道交差部。
A王子軽便鉄道山線の十哩駅 - 十二哩駅間の廃線跡。
B王子軽便鉄道山線の十二哩駅(夕振駅)跡。再び自転車道に転用されている。
C王子軽便鉄道山線の十二哩駅 - 十三哩駅間の廃線跡。
 D王子軽便鉄道山線の十三哩駅跡。十三哩地点には御料林管理小屋(林野局廠舎)があり、周囲には何軒かの集落があった。
E王子軽便鉄道山線の十三哩駅 - 分岐点駅間の廃線跡。第一横断林道交差部。
 F王子軽便鉄道山線の分岐点駅跡。分岐点で発電所へ向かう本線から湖畔へ向かう支線が分かれるが、支線と本線を結ぶ連絡線によってデルタ線を形成していた。
G王子軽便鉄道山線の分岐点駅 - 滝ノ上駅間の廃線跡。デルタ線部分。
H王子軽便鉄道山線の分岐点駅 - 滝ノ上駅間の廃線跡。送電線及び導水管の経路になっている。
I王子軽便鉄道山線の分岐点駅 - 滝ノ上駅間の廃線跡。送電線及び導水管の経路になっている。
J王子軽便鉄道山線の分岐点駅 - 滝ノ上駅間の廃線跡。送電線及び導水管の経路になっている。
K王子軽便鉄道山線の滝ノ上駅跡。
K王子軽便鉄道山線の滝ノ上駅跡。
 L王子軽便鉄道山線の山線鉄橋:山線鉄橋は、明治32年(1899年)北海道官設鉄道上川線の空知川(砂川〜姉背牛間)に架けられた「第一空知川橋梁」であった。この橋は、英国技術者ポーナルの設計によるものであり、英国製の200フィートダブルワーレントラス橋である。その後、王子製紙株式会社がこの橋を払い下げを受け、大正13年頃現在の位置に移設されたものである。一方、明治41年(1908年)王子製紙株式会社が、千歳川に建設する発電所建設資材輸送を目的とした、王子軽便鉄道(通称「山線」)の運行を苫小牧〜支笏湖間において開始した。建設資材・製紙用原木運搬のみならず、旅行者等の輸送も行われ、支笏湖周辺の発展に寄与してきた山線は、昭和26年(1951年)に姿を消すことになる。山線鉄橋は、現在地に移設されてから山線が廃止されるまでの間、道内最古の鉄橋として活躍しその後は支笏湖の景観に溶け込み思いでのある橋として地元住民を始め、多くの観光客に利用されている。子のような由来のある橋を「現地で原形保存・現役で使用」を基本思想として、平成6年(1994年)から平成8年にかけて再生、平成9年(1997年)に同じ場所で生涯現役として復元されたものである。
L支笏湖。 L千歳川源流は支笏湖から流れ込んでいる。
 M王子軽便鉄道山線の湖畔停車場。大正時代中頃に橋を渡らずそのまま湖岸に沿った位置に変更されている。
 N王子軽便鉄道の湖畔駅。湖畔駅は当初千歳川流出口近くに掛けられた橋を渡って現在の支笏湖温泉街側に設けられていたが、大正時代中頃に橋を渡らずそのまま湖岸に沿った位置に変更されている。既に1907年(明治40年)に支笏湖周囲御料林の伐採許可を受けていた王子製紙は、筏による湖面輸送(対岸の美笛からは8時間以上かかった。)で当駅の湖岸に設けた荷揚げ場に集積し、貨車に積み込んだ。また後には千歳鉱山の専用埠頭も設けられ、側線が敷かれていた。この沖合に防波堤が設けられていたが、現在では水面下に没している。
@王子軽便鉄道山線の分岐点駅 - 水溜駅間の廃線跡。
A王子軽便鉄道山線の水溜駅跡。
 A千歳川第一発電所は支笏湖の流出河川である千歳川への流出口近くに堰堤を設け、そこから取水した川水を導管で発電所へ送っていたが、直接送らずに発電所手前に調整池を設けて水量変化に対応していた。この調整池を水溜と称し、その東側には発電所関係者の住宅地が作られていた。
 Aここから発電所が建てられている千歳川河床まで100m以上の渓谷になっているが、その川添にも住宅が立ち並んでいた。
B王子軽便鉄道山線の水溜駅 - 第三発電所駅間の廃線跡。
C王子軽便鉄道山線の水溜駅 - 第三発電所駅間の廃線跡。
D王子軽便鉄道山線の水溜駅 - 第三発電所駅間の廃線跡。
E王子軽便鉄道山線の水溜駅 - 第三発電所駅間の廃線跡。第三発電所との分岐部分。
E王子軽便鉄道山線の第三発電所駅 - 第四発電所駅間の廃線跡。
F王子軽便鉄道山線の第三発電所駅 - 第四発電所駅間の廃線跡。
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廃線探索 王子軽便鉄道(山線)