更新日時 2012年07月29日

 三菱石炭鉱業大夕張鉄道線は、北海道夕張市にあった清水沢駅と大夕張炭山駅を結んでいた三菱石炭鉱業の鉄道路線である。「大夕張鉄道線」、「三菱大夕張鉄道」などと略称される。1911年(明治44年)開業の大夕張炭礦専用鉄道(清水沢 - 南大夕張)の経営主体が三菱合資・三菱鉱業として代わったのち、炭鉱の北部開発により延長され1939年(昭和14年)に三菱鉱業株式会社線(清水沢 - 大夕張炭山)として地方鉄道に改組・開業した。1950年(昭和25年)には美唄鉄道株式会社の吸収により「三菱鉱業大夕張鉄道」となり、1956年(昭和31年)6月国鉄との清算を美唄鉄道との併合清算に変更、「三菱鉱業大夕張鉄道線」となった。沿線炭鉱の石炭輸送や、夕張岳山麓から森林鉄道により運び出された林産品の輸送に活躍する一方、道路が未整備だった昭和30年代後半まで沿線住民にとっては貴重な足であった。その後炭鉱の経営主体の変遷により1969年(昭和44年)10月には三菱大夕張炭礦株式会社、1973年(昭和48年)12月には三菱石炭鉱業株式会社に譲渡され、相次ぐ閉山・合理化により1987年(昭和62年)7月に廃止された。
駅一覧
清水沢駅 - 新清水沢駅 - 遠幌駅 - 南大夕張駅 - シューパロ湖駅 - (臨)農場前駅 - 明石町駅 - 千年町駅 - 大夕張駅 - 大夕張炭山駅
 @清水沢駅(しみずさわえき)は北海道夕張市清水沢3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線(夕張支線)の駅である。駅番号はY23。電報略号はシミ。かつては石炭を運ぶ貨物列車が多く往来し、三菱大夕張炭鉱、南大夕張炭鉱の両鉱から石炭を運び出す三菱石炭鉱業大夕張鉄道線との結節点として栄えたが、両鉱の閉山により石炭輸送は廃止され、現在は旅客列車のみが発着する。
 @清水沢駅構造は単式ホーム1面1線のみを持つ地上駅になっている。交換を行っていた時は島式ホーム1面2線であった。現在は旧2番のりば(旧下り線)を使用している。ホームと駅舎との間に跨線橋があったが現存しない。駅舎のあたりと線路の向こう側との間に、歩道橋がある。新夕張駅管理の社員配置駅である。以前は終日社員配置駅(出札・改札は平日のみ)だったが、平日の日中のみ配置となった。出札窓口の営業時間は7時10分〜14時00分(日曜・祝日休み)。指定券は料金補充券にて対応、硬券入場券発売駅。自動券売機(オレンジカード使用可能)が設置されていたが廃止された。三菱石炭鉱業大夕張鉄道線のほか、北炭清水沢炭鉱専用側線も接続して多数の側線を有していた。
A三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の清水沢駅 - 遠幌駅間の廃線跡。道路南側が廃線跡。
 B三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の清水沢駅 - 遠幌駅間のにあった葡萄山トンネルは国道の防災工事により消滅した。看板下に葡萄山トンネルが有った。
C三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の清水沢駅 - 遠幌駅間の廃線跡。
 D遠幌駅(えんほろえき)は、北海道夕張市にあった三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の駅(廃駅)である。大夕張鉄道線の廃止に伴い1987年に廃止された。駅構造 は島式ホーム1面2線を有する地上駅であった。駅舎は遠幌炭鉱の開発に伴い、北海道炭礦汽船から寄贈された。営林署の側線のほか、石炭積込みのための、北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱の構外専用側線があった。
E三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の遠幌駅 - 南大夕張駅間の廃線跡。遠幌加別川橋梁の橋台が残る。
F三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の遠幌駅 - 南大夕張駅間の廃線跡。割堀になっている。
G三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の遠幌駅 - 南大夕張駅間の廃線跡。岩野踏切跡。
H三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の遠幌駅 - 南大夕張駅間の廃線跡。
I三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の遠幌駅 - 南大夕張駅間の廃線跡。幌南中学校踏切跡。
J三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の遠幌駅 - 南大夕張駅間の廃線跡。
K三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の遠幌駅 - 南大夕張駅間の廃線跡。
L三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の遠幌駅 - 南大夕張駅間の廃線跡。
M三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の遠幌駅 - 南大夕張駅間の廃線跡。
N三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の遠幌駅 - 南大夕張駅間の廃線跡。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
 O南大夕張駅(みなみおおゆうばりえき)は、北海道夕張市南部大宮町にあった三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の駅(廃駅)である。大夕張鉄道線の廃止に伴い1987年に廃止された。駅構造は島式ホーム1面2線の地上駅であった。石炭積み込み線の他、営林署岐線も接続していた。終日駅員が配置されていた。大夕張炭鉱の開発に伴い、1906年(明治39年)に馬車鉄道が開通。その後炭鉱の発展により専用鉄道が敷設された。三菱鉱業移管後は更に発展し、昭和初期には操業拠点が北部(大夕張・夕張市鹿島地区)に移行したが、道路も無く同駅が中継点となった。夕張岳山麓から切り出された木材の他、大夕張ダム建設当時は資材の搬入で賑わった。末期は三菱南大夕張炭鉱の石炭搬出駅となっていたが、同炭鉱の合理化による鉄道廃止により、廃止となった。
 O三菱石炭鉱業大夕張鉄道キ100形式キ1は、かつて三菱石炭鉱業大夕張鉄道線で使用されていた事業用貨車(ラッセル式雪かき車)である。1940年(昭和15年)苗穂工場製造。三菱鉱業が国鉄キ100形に準じ雪かき車を新製したもので、自重28.2t。冬季の路線確保に活躍した。1987年(昭和62年)の廃車後、南大夕張駅跡に置かれスハニ6などと共に夕張市に寄贈されたが、管理もされずに荒廃状態にあった。1999年(平成11年)に三菱大夕張鉄道保存会が発足し、修復・整備されイベントなどではライトの点灯、汽笛の吹鳴なども行われている。また、「空知の炭鉱関連施設と生活文化」として2001年(平成13年)に北海道遺産として指定されたのに加え、2007年(平成19年)11月30日には経済産業省より近代化産業遺産として認定された。
O三菱大夕張鉄道保存会によるレストア作業(修復作業)。
 O菱石炭鉱業大夕張鉄道スハニ1形式スハニ6は、かつて三菱石炭鉱業大夕張鉄道線で使用されていた客車である。1913年(大正2年)大宮工場製造。半鋼製3軸ボギー客車、前身はオロシ9216。1956年(昭和31年)三菱鉱業美唄鉄道線に払い下げられ、1967年(昭和42年)に同線に入線した。沿線住民の貴重な足として活躍した他、営業用の客車としては最後の3軸ボギー客車、また冬期間客車暖房に石炭ストーブが積まれることから鉄道ファンの人気も高かった。1987年(昭和62年)の廃車後、南大夕張駅跡に置かれオハ1などと共に夕張市に寄贈されたが、管理もされず荒廃状態にあった。1999年(平成11年)に三菱大夕張鉄道保存会が発足し、修復・整備され夏季は内部が公開されている。また、「空知の炭鉱関連施設と生活文化」として2001年(平成13年)に北海道遺産として指定されたのに加え、2007年(平成19年)11月30日には経済産業省より近代化産業遺産として認定された。
O客車オハ1・ナハフ1。
Oモーターカー:三菱大夕張鉄道保存会の方に運転してもらい乗せてもらいました。
 O三菱石炭鉱業大夕張鉄道セキ1形式セキ1形貨者は、かつて三菱石炭鉱業大夕張鉄道線で使用されていた貨車(石炭車)である。1911年(明治44年)年汽車製造合資会社製造、オテセ9500形→オテセ11000形→セキ1形式セキ118。旭川電気軌道に乗入中に事故を起こし、そのまま買い取られ同社のセキ1、1954年(昭和29年)5月三菱大夕張鉄道に譲渡されセキ1になる。運炭は専ら日本国有鉄道からの乗入れの石炭車により行われていたので、セキ2と共に社線内での自己消費用石炭輸送やバラストの散布に使用された。オテセ9500形はハンドル操作により側扉が開閉し、石炭を降ろす構造になっており、後に登場する2軸ボギー石炭車の原型となった車両であり、その意味でセキ1は国内最古の石炭車であり貴重なものである。1987年(昭和62年)の廃車後、南大夕張駅跡に置かれスハニ6などと共に夕張市に寄贈されたが、管理もされず荒廃状態にあった。1999年(平成11年)に三菱大夕張鉄道保存会が発足し、修復・整備され夏季は公開されている。また、「空知の炭鉱関連施設と生活文化」として2001年(平成13年)に北海道遺産として指定されたのに加え、2007年(平成19年)11月30日には経済産業省より近代化産業遺産として認定された。
P三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の南大夕張駅 - シューパロ湖駅間の廃線跡。
Q三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の南大夕張駅 - シューパロ湖駅間の廃線跡。
 R三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の南大夕張駅 - シューパロ湖駅間の廃線跡。シューパロトンネル(三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の青葉隧道を拡張して道路トンネルとした)
 S大夕張ダム(左写真)は北海道夕張市、一級河川・石狩川水系夕張川上流部に建設されたダムである。夕張川沿岸農地のかんがいを目的に北海道開発局によって建設された農業用ダムで、農林水産省が管理している堤高67.5メートルの重力式コンクリートダムである。1991年(平成3年)から建設省(現在の国土交通省)によって多目的ダムである夕張シューパロダムの建設が進められており、2013年(平成25年)に完成すると完全に水没して姿を消す。ダムによって出現した人造湖はシューパロ湖と呼ばれる。現在、大夕張ダムの直下流155メートル地点に、国土交通省・農林水産省・北海道企業局ほかによる共同事業「夕張川総合開発事業」として夕張シューパロダム(右写真)が建設されている。堤高110.6メートルの重力式コンクリートダムで、完成すれば大夕張ダムは63年間にわたったダムの役割を終えることとなる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
 @三弦橋は、北海道夕張市のシューパロ湖に架かる旧森林鉄道の鉄道橋である。なお、正式名称は第一号橋梁である。三弦トラスと呼ばれる、下路トラス橋であるが上弦材が1本、下弦材が2本、断面が三角形で、四角錘を連ねた特異な構造である。同構造を採用した理由は、鋼重と建設費用の低減、および周囲の景観を損ねない美しいスタイルをという配慮からと言われている。同形式としては国内唯一の、世界的にも稀有な鉄道橋である。上部構造製作・架設は株式会社東京鐵骨橋梁製作所、下部工は大成建設株式会社の施工による。現在、大夕張ダムの下流に建設中の夕張シューパロダムが完成すると水没する運命にある。
A三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の南大夕張駅 - シューパロ湖駅間の廃線跡。
B三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の南大夕張駅 - シューパロ湖駅間の廃線跡。
 Cシューパロ湖駅(シューパロこえき)は、北海道夕張市鹿島明石町にあった三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の駅(廃駅)である。1962年完成の大夕張ダムによる人造湖の出現に伴い、観光開発を目的に開設された。ホームからはシューパロ湖や夕張岳、下夕張森林鉄道夕張岳線の三弦橋等を望むことができたが、利用客減少に伴いわずか7年間で廃止されてしまった。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎は木造平屋建てであった。現在、駅跡は石積みと階段のみが残っているが、これも夕張シューパロダム完成の折には水没してしまう予定である。
 D農場前駅(のうじょうまええき)は、北海道夕張市鹿島にあった三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の駅(廃駅)である。大夕張ダム建設に伴う住民移転のため廃止されたが、ダム湖完成後にほぼ同位置にシューパロ湖駅が設置された。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。
E三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の(臨)農場前駅 - 明石町駅間の廃線跡。
F三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の(臨)農場前駅 - 明石町駅間の廃線跡。奥に見える橋は白銀橋。
 G明石町駅(あかしちょうえき)は、北海道夕張市鹿島明石町にあった三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の駅(廃駅)である。大夕張鉄道線の路線短縮に伴い1973年に廃止された。三菱大夕張炭鉱の炭鉱住宅街の南端に位置し、大夕張炭山駅との間に通勤列車が運行された。また付近にあった夕張東高校の高校生や、夕張岳の登山者の利用もあった。駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅であった。ホームは駅舎より高い位置にあり、1958年に地下通路が建設された。
 H三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の明石町駅 - 千年町駅間の廃線跡。旭沢橋梁(あさひざわきょうりょう)は、北海道夕張市鹿島明石町にあるトラスド・ガーダー橋。三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の明石町駅 - 千年町駅間にある廃橋である。第1回北海道遺産に選定された「空知の炭鉱関連施設と生活文化」の1つである。三菱石炭鉱業大夕張鉄道線は、明治時代に大夕張炭鉱の石炭輸送のための専用鉄道として開業し、1929年(昭和4年)に炭鉱の北部開発に伴い路線が延長された。その後、地方鉄道に改組したが、旭沢橋梁はこの延長時に架橋されたものである。製作は横河橋梁製作所が行い、工期を短縮するために鋼トレッスル橋脚を持つトラスド・ガーダー形式を採用し、上弦材の華奢なIビームをトラスのパネルが補強している。延長時には南大夕張側から1〜8号橋が架設され、旭沢橋梁は5号鉄橋とも呼ばれたが、旭沢より南大夕張方の明石沢橋梁が当初暗渠として計画されたが、後に橋梁に変更されたため、明石沢橋梁は8号鉄橋となっている。昭和30年代の大夕張ダムや道路建設による埋め立てのため、1973年(昭和48年)の廃線時まで残ったのはこの2本だけであるが、現在建設中の夕張シューパロダムが完成すると水没する運命にある。
I三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の明石町駅 - 千年町駅間の廃線跡。
 J千年町駅(ちとせまちえき)は、北海道夕張市鹿島千年町にあった三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の駅(廃駅)である。大夕張鉄道線の路線短縮に伴い1973年に廃止された。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。山小屋風の駅舎が住民に親しまれた。
 K大夕張駅(おおゆうばりえき)は、北海道夕張市鹿島1番地にあった三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の駅(廃駅)である。三菱大夕張炭鉱閉山に伴う大夕張鉄道線の路線短縮に伴い1973年に廃止された。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。終日駅員が配置されていた。駅は三菱大夕張炭鉱で栄えた夕張市鹿島地区の中心部に位置し、周辺に商店街が広がり警察・消防・郵便局など公的機関の出先もあった。現在は夕張シューパロダムの建設に伴う住民移転により無人地区となっている。なお、駅舎そのものは診療所などに再利用され、1998年まで存在していた。
L三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の大夕張駅 - 大夕張炭山駅間の廃線跡。
 M大夕張炭山駅(おおゆうばりたんざんえき)は、北海道夕張市鹿島北栄町にあった三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の駅(廃駅)である。三菱大夕張炭鉱閉山に伴う大夕張鉄道線の路線短縮に伴い1973年に廃止された。三菱大夕張炭鉱の石炭の他、コークス、メタノール、木材などの搬出で賑わった。三菱鉱業所有のメタノール輸送用タンク車タキ5200形・タキ5249 - 5262の常備駅でもあった。駅構造は 単式ホーム1面1線の地上駅であった。石炭積み込み線の他、営林署岐線も接続していた。駅舎は大夕張鉱業所入り口に位置し、石炭積み込みのポケットの他、鉄道課事務所、機関区も有し大夕張鉄道線の拠点だった。終日駅員が配置されていた。大夕張炭鉱の北部開発に伴い、専用鉄道が延長。当初は貨物駅だった。
大夕張炭山駅:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 三菱石炭鉱業大夕張鉄道線