更新日時 2013年05月09日

 敷生鉱山専用線:敷生鉱山は、第一次世界大戦の軍事的な要求から室蘭の北海道製鐵輪西製鉄所(現在の新日鐵住金室蘭製鐵所)へ鉄鉱石を運搬するため、1918年(大正7年)に国鉄によって当駅から飛生地区まで(一部砂利線と兼用)専用線が敷かれて蒸気機関車が乗り入れた。埋蔵量が少なかったことと、戦争終結のために、結果的にたった3年でこの専用線の公的な運用は廃止されたが、その後1921年(大正10年)から民間に10年間程貸し出され、トロッコ貨車(動力は機関車ではなく農耕馬)により、また勾配がきつかったためにインクラインを設けて運用されていた。その後レールが撤去されて砂利線が残るが、こちらも1944年(昭和19年)には砂利が少なくなったことで廃止となり、1950年(昭和25年)頃には当駅までの全てのレールが撤去された。駅裏が広い空き地になっているのはかつてトロッコから鉄道貨車への貨物積み替え用の施設があった名残である。終着の停留所(旧飛生小学校の裏手)のあったあたりは現在でも「終点」と呼ばれている。昭和40年代から50年代にかけて跡地の道路が舗装されるまではレールの残骸が道ばたに放置されていた。日鐵鉱業所有となった敷生鉱山は、その後1952年(昭和27年)から1957年(同32年)の間再開したが、運搬はトラックで行われた。
 @竹浦駅(たけうらえき)は、北海道白老郡白老町字竹浦にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線の駅である。駅番号はH26。電報略号はタケ。明治12年7月の開拓使による郡区町村編成時、アイヌ語で「シキ=オ」(鬼茅のあるところ)に由来する「敷生村」が創設された。旧駅名の「敷生」は、この村名から採られている。その後3村合併で白老村に組み込まれて字敷生となるが、昭和14年1月21日の字名改正で、周辺が食用竹(実際には千島笹)の産地であったことと臨海部であったことにちなみ、字名が竹浦となった。その後の3年間は駅名と地域名が異なる状況であったが、昭和17年に駅名も改称した。この食用竹は当駅からの主要な出荷品の一つであったが、現在では当駅周辺に自生しておらず、沿線で目にすることも無くなったが、山手の敷生川上流の飛生(とびう)地区に若干残っている。
 @竹浦駅構造は混合ホーム2面3線の地上駅で、配線の関係から下り列車のみ待避可能である。駅舎は上り線ホーム側にある。無人駅である。2007年5月31日までは簡易委託駅(窓口営業時間6時00分 - 16時00分)であった。上り線と下り線のホームを結ぶ跨線橋は、国鉄の赤字削減案に対する白老町の要望から社台駅と共に昭和55年に新設設置され、駅前・駅裏を結ぶ陸橋と併用する構造となった。かつての駅舎は、駅前に日本通運の営業所があり夜行の貨物も扱っていたため、宿直室も備えた比較的大きなものであったが、火災で一部損傷し現在の小さなものに変わった。また、下り線ホーム上に木造の小さな待合室があったが、現在は撤去されている。
A敷生鉱山専用線の廃線跡。(砂利線と兼用区間)
B敷生鉱山専用線の廃線跡。(砂利線と兼用区間)
C敷生鉱山専用線の廃線跡。(砂利線と兼用区間)
D敷生鉱山専用線の廃線跡。(砂利線と兼用区間)
E敷生鉱山専用線の廃線跡。(砂利線と分岐部分)
 F敷生鉱山専用線から分岐した砂利線の廃線跡。飛生川に架かる道路橋。この橋(ブルブイ橋)は昭和58年3月15日に架け替えられた。砂利線は川に対して斜めに橋梁が架かっていたと思われる。
G敷生鉱山専用線から分岐した砂利線の廃線跡。
H敷生鉱山専用線から分岐した砂利線の廃線跡。
I敷生鉱山専用線から分岐した砂利線の廃線跡。この先で砂利を採取していたと思われる。
J敷生鉱山専用線の廃線跡。
K敷生鉱山専用線の廃線跡。
L敷生鉱山専用線の廃線跡。飛生川に架かる飛生橋。
M敷生鉱山専用線の廃線跡。
N敷生鉱山専用線の廃線跡。この辺りが終点か?
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 敷生鉱山専用線