更新日時 2013年06月19日

 松前線(まつまえせん)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道上磯郡木古内町(渡島支庁管内)の木古内駅で江差線から分岐し、松前郡松前町の松前駅を結んでいたが、1988年に廃止された。海峡線がほぼ並行して建設されており、福島町吉岡付近で交差している。青函トンネルが在来線規格で建設されていれば、松前線がこれに接続するはずであった。なお松前線のルートの一部は、木古内駅を出て、江差線の分岐点まではそのまま海峡線の上り線として路盤・軌道強化を施した上で転用されている。改正鉄道敷設法別表第129号後段に規定する予定線「木古内ヨリ分岐シテ大島ニ至ル鉄道」で、軍需物資(マンガン鉱)の採掘のため急ピッチで建設が進められ、1942年に福山線(ふくやません)として渡島吉岡まで開業した。太平洋戦争後はすぐに工事が再開され、1953年に松前(渡島福山)まで全通し、松前線に改称された。計画では、マンガン鉱採掘のため松前町内の大島地区まで24.0kmが延長することとされ、工事も進んでいたが、戦後はその必要もなくなり、放棄された。1980年の国鉄再建法施行により、1984年第2次特定地方交通線に指定され、並行する国道228号の状況が良好であったため、1987年に日本国有鉄道(国鉄)から北海道旅客鉄道に承継された後、1988年に廃止、バス転換された。輸送量の多い五稜郭 - 木古内間が江差線に含まれたため、松前線より輸送量の少なかった江差線木古内 - 江差間が生き残り、松前線が廃止されるという皮肉な結果となってしまった。線路名称の設定が路線の運命を分けてしまった例である。松前線単独でも、存続基準をぎりぎりで満たさないというレベルで、「乗って残そう運動」により基準をクリアした年度もあった。しかし、政府側の追試によって、再び基準を割った年度があったとして、廃止を免れることはできなかった。
松前線(廃線)
木古内駅 - 森越駅 - 渡島知内駅 - 重内駅 - 湯ノ里駅 - 千軒駅 - 渡島福島駅 - 白符駅 - 渡島吉岡駅 - 渡島大沢駅 - 及部駅 - 松前駅
 @木古内駅(きこないえき)は、北海道上磯郡木古内町字本町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅である。江差線を所属線としており、海峡線を加えた2路線が乗り入れている(海峡線は複線交流電化。江差線は当駅を境に函館側が単線交流電化、江差側が単線非電化)。当駅は線路名称上での海峡線の終点であるが、一部の寝台特急を除く海峡線の全列車は「津軽海峡線」の運転系統として函館駅まで乗り入れている。そのため旅客案内上では「海峡線」の名称は使われず「津軽海峡線」が用いられている。
 @木古内駅構造は3面5線の相対式・島式ホームの複合の地上駅である。もともとローカル線どうしの江差線と旧松前線の分岐駅だった。狭い敷地だったところに海峡線のホームを増設したためホームの幅が非常に狭くなっている。社員配置駅(駅長・副駅長配置)であり、木古内ブロック主管駅である。江差線泉沢駅 - 吉堀駅間、海峡線知内駅を管理する。なお、津軽今別駅、新中小国信号場は木古内ブロック青函トンネル工務所今別管理室の管轄である。橋上駅舎をもつ。キヨスク・みどりの窓口(営業時間は6時から20時)・旅行相談室・自動券売機1台設置。窓口営業時間外は乗車券発売の駅員が不在となるが、運転扱いの駅員が終日配置されている。駅からかなり離れている江差方の場内信号機(江差線)は海峡線の下り線に合流する手前に設置されている。夜間滞泊設定駅である。
A海峡線の木古内道々踏切より撮影。
B松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。(基本的に左写真が松前方向、右写真が木古内方向)
C松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。
D松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。
E松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。松前線の設備が残る。
F松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。材木が積んであるので迂回する。
G松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。ここにも松前線の設備が残る。
H松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。築堤が残る。
I松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。
J松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。
K松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。
L松前線の木古内駅 - 森越駅間の廃線跡。
 M松前線の森越駅跡。森越駅(もりこしえき)は、北海道上磯郡知内町字森越にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。電報略号はリコ。松前線の廃線に伴い1988年(昭和63年)2月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(松前方面に向かって左手側)に存在した。無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎はホームの北側に接していた。
N松前線の森越駅 - 渡島知内駅間の廃線跡。
O松前線の森越駅 - 渡島知内駅間の廃線跡。
P松前線の森越駅 - 渡島知内駅間の廃線跡。
Q松前線の森越駅 - 渡島知内駅間の廃線跡。
 R渡島知内駅(おしましりうちえき)は、北海道上磯郡知内町字重内にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。電報略号はシウ。松前線の廃線に伴い1988年(昭和63年)2月1日に廃駅となった。現在営業中の海峡線知内駅とは距離が離れている。渡島知内駅構造は廃止時点で、島式ホーム片面使用の1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(松前方面に向かって左手側)に存在した。駅舎側の1線は撤去されていたが、かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な職員配置駅であった。1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった駅舎側の1線は交換設備運用廃止後も両側の転轍機が撤去された状態で側線として残っていた[1]。そのほか両側の転轍機が撤去された、駅舎隣の短い貨物ホームに接した貨物側線を1本有していた。無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎はホームの東側に位置し、構内踏切で連絡した。旧構内は函館バス知内出張所となっている。駅舎は現役時代とほぼ同様の状態でバスターミナルの待合所・出張所に再利用されている。
S松前線の渡島知内駅 - 重内駅間の廃線跡。
@松前線の渡島知内駅 - 重内駅間の廃線跡。
A松前線の渡島知内駅 - 重内駅間の廃線跡。
B松前線の渡島知内駅 - 重内駅間の廃線跡。
 C重内駅(おもないえき)は、北海道上磯郡知内町字重内にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。松前線の廃線に伴い1988年(昭和63年)2月1日に廃駅となった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(松前方面に向かって右手側)に存在した。無人駅となっていた。
D松前線の重内駅 - 湯ノ里駅間の廃線跡。
E松前線の重内駅 - 湯ノ里駅間の廃線跡。
F松前線の重内駅 - 湯ノ里駅間の廃線跡。
G松前線の重内駅 - 湯ノ里駅間の廃線跡。
H松前線の重内駅 - 湯ノ里駅間の廃線跡。
I松前線の重内駅 - 湯ノ里駅間の廃線跡。ここから一般道に転用されている。
 J湯ノ里駅(ゆのさとえき)は、北海道上磯郡知内町字湯ノ里にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。電報略号はユサ。松前線の廃線に伴い1988年(昭和63年)2月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「松前」の停車駅だった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(松前方面に向かって左手側)に存在した。業務委託駅となっており、駅舎はホームの東側に位置し、通路で連絡した。
K松前線の湯ノ里駅 - 千軒駅間の廃線跡。
L松前線の湯ノ里駅 - 千軒駅間の廃線跡。
M松前線の湯ノ里駅 - 千軒駅間の廃線跡。
 N千軒駅(せんげんえき)は、北海道(渡島支庁)松前郡福島町字千軒にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。電報略号はセケ。松前線の廃線に伴い1988年(昭和63年)2月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で列車交換可能な交換駅であった。そのほかに上り線側に副本線(側線扱い)、下り線側に松前方から分岐してレール末端部分には枕木による車止めが設置された行き止まりの側線を1線有していた。この側線に接して旧貨物ホームが残存していた。最終日まで無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた駅であった。乗車券類は簡易委託化されていた。駅舎はホームの東南側に位置し、構内踏切で連絡した。ホームは砂利敷きであった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は近辺に存在する山「大千軒岳」の名前に由来する。1628年(寛永5年)、この山に金鉱が開かれ、開発で千軒の人家があったためにこの名になったという。
O松前線の千軒駅 - 渡島福島駅間の廃線跡。
P松前線の千軒駅 - 渡島福島駅間の廃線跡。
P松前線の千軒駅 - 渡島福島駅間の廃線跡。福島トンネルのスノーシェルド。
P松前線の千軒駅 - 渡島福島駅間の廃線跡。福島トンネルは閉塞している。
Q松前線の千軒駅 - 渡島福島駅間の廃線跡。川の対岸に福島トンネル?の坑口が見える。
R松前線の千軒駅 - 渡島福島駅間の廃線跡。
S松前線の千軒駅 - 渡島福島駅間の廃線跡。速度標識が残る。
@松前線の千軒駅 - 渡島福島駅間の廃線跡。
A松前線の千軒駅 - 渡島福島駅間の廃線跡。
B松前線の千軒駅 - 渡島福島駅間の廃線跡。
 C渡島福島駅(おしまふくしまえき)は、北海道松前郡福島町字福島にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。電報略号はフク。松前線の廃線に伴い1988年(昭和63年)2月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「松前」の停車駅だった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム片面使用の1面1線を有する地上駅であった。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後も転轍機が撤去された状態で側線として残っていた。ホームは線路の南側(松前方面に向かって左手側)に存在した。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な職員配置駅であった。業務委託駅となっていた。駅舎はホームの南側に位置し、構内踏切で連絡した。古い木造駅舎で、屋根は津軽海峡からの海風により錆だらけであったという。駅跡は町役場が建築されている。鉄道関連施設は何も残っていない。
D松前線の渡島福島駅 - 白符駅間の廃線跡。
E松前線の渡島福島駅 - 白符駅間の廃線跡。隧道入口が閉塞している。
F松前線の渡島福島駅 - 白符駅間の廃線跡。
G松前線の渡島福島駅 - 白符駅間の廃線跡。隧道入口があるが閉塞されている。
 H白符駅(しらふえき)は、北海道(渡島支庁)松前郡福島町字白符にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。松前線の廃線に伴い1988年(昭和63年)2月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(松前方面に向かって左手側)に存在した。無人駅となっていた。駅舎は存在せず、アプローチ階段入口附近に待合所を有した。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「チロプ」(鳥の多い所)に由来するとされるがはっきりせず、以前この地に鷹が群棲しており、うち1羽の白鷹が群れの長であったらしいことから、「白符」は「白鷹」の意であるともされる。周囲よりも高い場所にあり、トンネルに挟まれていた。
 I渡島吉岡駅(おしまよしおかえき)は、北海道松前郡福島町字吉岡にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。電報略号はヨオ。松前線の廃線に伴い1988年(昭和63年)2月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「松前」の停車駅だった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で列車交換可能な交換駅であった。そのほかに上下線に副本線(側線扱い)を有していた。最終日まで無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた駅であった。乗車券類は簡易委託化されていた。駅舎はホームの南側に位置し、構内踏切で連絡した。
J松前線の渡島吉岡駅 - 渡島大沢駅間の廃線跡。
K松前線の渡島吉岡駅 - 渡島大沢駅間の廃線跡。道路上の築堤が廃線跡。この先は立入禁止だ。
L松前線の渡島吉岡駅 - 渡島大沢駅間の廃線跡。荒谷川に架かる橋梁の橋台が残る。
M松前線の渡島大沢駅 - 及部駅間の廃線跡。
N松前線の渡島大沢駅 - 及部駅間の廃線跡。
O松前線の渡島大沢駅 - 及部駅間の廃線跡。
P松前線の及部駅 - 松前駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用され道路橋に掛け替えられている。
Q松前線の及部駅 - 松前駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用されておる。
R松前線の及部駅 - 松前駅間の廃線跡。
 S松前駅(まつまええき)は、北海道(渡島支庁)松前郡松前町字博多にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)松前線の駅(廃駅)である。電報略号はマエ。松前線の廃線に伴い1988年(昭和63年)2月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「松前」の発着駅だった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、松前線の終端駅であった。ホームは線路の南側(松前方面に向かって左手側)に存在した。旅客列車の発着に使用する駅舎側の1番線の北側にホームを有さない上下副本線の2番線、及び3番線を有した。3番線から分岐した側線はかつて転車台も有した炭水線であった(転車台は1983年(昭和58年)時点で既に撤去されている)。1番線の延長上は引き上げ線となっており、また駅舎側に戻る形で分岐し駅舎西側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1本有していた。職員配置駅で、駅舎は線路の南側に位置しホーム中央部分に接していた。駅舎は1976年(昭和51年)に開業時からの駅舎の出入口部分を増改築した建物であった。ホームはアスファルト舗装されていた。線路は松前町大島地区までの延長計画があり、未成線の橋脚などが残っている。
駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「マツ・オ・マイ」(婦人のいる所)に由来するとされる[7]が、江戸時代にこの地を支配した松前氏に由来するともいう。松前氏の「松前」については松平家康(後の徳川家康)の「松」と前田利家の「前」から採られたという説、或いは城下の海に面した所に大きな松の木があり、船がこの木を目当てに出入したことから名付けられたとの説もある。駅跡は石碑が残り、ホームの一部も残存していた。旧駅構内は駐車場と広場になっており、旧観光案内所と観光案内板も残存している。
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廃線探索 松前線