更新日時 2013年05月26日

 瀬棚線(せたなせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道渡島支庁管内の山越郡長万部町の国縫駅で函館本線から分岐し、渡島半島を横断して檜山支庁管内の瀬棚郡瀬棚町(現・久遠郡せたな町)の瀬棚駅に至る。1987年に廃止された。改正鉄道敷設法制定以前に軽便鉄道法により計画された路線で、1929年から1932年にかけて全通した。改正鉄道敷設法には、函館本線八雲から分岐して今金に至る鉄道も規定されていたが、こちらは全く手が付けられなかった。線内は各駅停車のみで、原則的に長万部駅から発着していた。全線を通して運転する列車のほか、終点側の今金 - 瀬棚に区間列車が設定されていた。1日に1往復函館駅に直通する急行(のち快速)「せたな」が運転されていたが、廃止時点で瀬棚線内は普通列車であった。長万部駅所属の車掌(旧長万部車掌区・旧函館車掌区長万部支区)が乗務していた。
瀬棚線(廃線)
(長万部駅 - 中ノ沢駅 - )国縫駅 - 茶屋川駅 - 美利河駅 - 花石駅 - 北住吉駅 - 種川駅 - 今金駅 - 神丘駅 - 丹羽駅 - 北檜山駅 - 瀬棚駅
 長万部駅(おしゃまんべえき)は、北海道山越郡長万部町字長万部にある北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅。駅番号はH47。電報略号はマン。長万部町の代表駅で、計画中の北海道新幹線の停車駅候補に挙げられている。快速「アイリス」の始発駅で、特急「スーパー北斗15号」と寝台特急「トワイライトエクスプレス」を除く全列車が停車する。
長万部駅構造は島式ホーム2面4線を有する地上駅。ホーム間の移動は跨線橋で行なう。
 中ノ沢駅(なかのさわえき)は、北海道山越郡長万部町字中ノ沢にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅。駅番号はH48。電報略号はナワ。アイリスの停車駅。
 中ノ沢駅構造は地上駅。混合ホーム2面3線のうち真ん中の線路を取り払ったために生じた、ホーム・線路・ホーム・線路の順に並ぶ特異な構造を持つ。ヨ3500形[1]車掌車改造の待合所が設置される無人駅である。構内踏切が現存している。
 @国縫駅(くんぬいえき)は、北海道山越郡長万部町字国縫にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。駅番号はH49。電報略号はクニ。かつては瀬棚線が分岐し、急行列車が停車していた。現在はアイリスが停車する。 駅名は、アイヌ語の「クンネ・ナイ」(黒い川)に由来する。
 @国縫駅構造は単式ホーム・島式ホーム混合の2面3線で、単式ホームに接して駅舎のある地上駅である。長万部方面列車に乗車する際は跨線橋を利用する。3番ホームはかつての旧瀬棚線が使用していた。当駅は現在無人駅となっている。昔ながらの駅舎が残っている。
A瀬棚線の国縫駅 - 茶屋川駅間の廃線跡。国縫道路踏切より撮影。
B瀬棚線の国縫駅 - 茶屋川駅間の廃線跡。道路脇の築堤部分が廃線跡。
 C瀬棚線の茶屋川駅跡。国縫川支流の茶屋川に橋台跡が残る。茶屋川駅(ちゃやがわえき)は、北海道山越郡長万部町にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の鉄道駅(廃駅)である。電報略号はヤカ。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(瀬棚方面に向かって左手側)に存在した。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎を改築した、間口が狭く天井の高い駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置しホームに接していた。ホームは砂利敷きで短かったが、多くの花が植えられていた。当駅の所在する地名より。地名は、かつてこの近辺で砂金が採取され、昭和初期、砂金採りの人たちの腰かけ茶屋があった事に由来する。
D瀬棚線の茶屋川駅 - 美利河駅間の廃線跡。小型のガーター橋が残る。
E瀬棚線の茶屋川駅 - 美利河駅間の廃線跡。橋台が残る。
 F瀬棚線の花石駅跡。花石駅(はないしえき)は、北海道瀬棚郡今金町字花石にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。電報略号はハイ。瀬棚線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月16日に廃駅となった。廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型の2面2線を有する地上駅で列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは単式ホーム東側と島式ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた。線路南側の駅舎側単式ホームが下り1番線、島式ホーム駅舎側が上り2番線となっていた。また島式ホームの外側の1線は1983年(昭和58年)時点で側線扱いで残っていた。職員配置駅で、駅舎は構内の南東側(瀬棚方面に向かって左側)に位置し単式ホームに接していた。駅舎は古い木造駅舎で白いペンキ塗りの建物で、丹羽駅とほぼ同型の建物であった。ホームはアスファルト舗装されていた。
G瀬棚線の花石駅 - 北住吉駅間の廃線跡。国道230号線に転用されている。
H瀬棚線の花石駅 - 北住吉駅間の廃線跡。国道230号線の花石トンネルに転用されている。
 I瀬棚線の北住吉駅跡。北住吉駅(きたすみよしえき)は、北海道瀬棚郡今金町にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。瀬棚線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月16日に廃駅となった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(瀬棚方面に向かって左手側)に存在した。周囲より高い位置にあり、後ろ側に鉄柵が設けられていた。開業時からの無人駅となっていた。駅舎は存在せず、ホーム出入口の東側に待合室を有していた。
J瀬棚線の住吉駅 - 種川駅間の廃線跡。築堤が残る。
K瀬棚線の住吉駅 - 種川駅間の廃線跡。国道230号線を横断する。
 L瀬棚線の種川駅跡。種川駅(たねかわえき)は、北海道瀬棚郡今金町字種川にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。電報略号はタネ。瀬棚線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月16日に廃駅となった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(瀬棚方面に向かって右手側)に存在した。業務委託駅となっていた。駅舎は構内の北東側に位置しホームに接していた。
M瀬棚線の種川駅 - 今金駅間の廃線跡。
 M瀬棚線の種川駅 - 今金駅間の廃線跡で築堤上(路盤は確りしている)を走行し、橋台跡に突き当たったので、頭を突っ込みUターンしようとしたら、雨が降っていて、ぬかるんでいるため、ずるずると下まで落ちてしまい、自力で抜け出せずロードサービスを呼んでウインチで引き上げてもらった。携帯電話が通じる場所で良かった。久しぶりの失態である。
N瀬棚線の種川駅 - 今金駅間の廃線跡。
O瀬棚線の種川駅 - 今金駅間の廃線跡。
P瀬棚線の種川駅 - 今金駅間の廃線跡。
 Q瀬棚線の今金駅跡。今金駅(いまがねえき)は、北海道瀬棚郡今金町字今金にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。電報略号はイマ。瀬棚線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月16日に廃駅となった。1984年(昭和59年)まで運行されていた急行「せたな」の停車駅であった。廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム西側と対向側ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた。線路北側の駅舎側ホームが上り1番線、対向側ホームが下り2番線となっていた。そのほか対向側ホームの外側に副本線様の側線を1線有し(乗降不可)、この側線から国縫方に短い側線を1線分岐した。また本線国縫方の1、2番線分岐部分手前から旧貨物側線を分岐した。職員配置駅で、駅舎は構内の北側(瀬棚方面に向かって右側)に位置しホーム中央部に接していた。開業当初からの駅舎は改築され、鉄筋コンクリート平屋建ての、待合室や事務室が広くゆったりと取られ、売店も有した建物となっていた。ホームは他の瀬棚線内の駅に比し比較的長い有効長であった。
 Qレールと今金町内に所在した駅名標(レプリカ)が設置されている。近辺の線路跡は「オランダ通り」という遊歩道になっている。
Q駅名標(レプリカ)が設置されている。
R瀬棚線の今金駅 - 神丘駅間の廃線跡。オランダ橋に転用されている。
S瀬棚線の今金駅 - 神丘駅間の廃線跡。オランダ通りはここまで。
@瀬棚線の今金駅 - 神丘駅間の廃線跡。
 A瀬棚線の神丘駅跡。神丘駅(かみおかえき)は、北海道瀬棚郡今金町字神丘にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。瀬棚線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月16日に廃駅となった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(瀬棚方面に向かって左手側)に存在した。瀬棚方がスロープになっており、道路に連絡した。開業時からの無人駅となっていた。駅舎は存在せず、地元住人が建築した小さな待合室を有していた。ホームは荒い砂敷きであった。当駅の所在する地名より。地名は、「イマヌエル」と呼ばれるキリスト教徒の集団集落が近隣にあり、「神のいる丘」から神丘と名づけられた。
B瀬棚線の神丘駅 - 丹羽駅間の廃線跡。築堤が残る。
C瀬棚線の神丘駅 - 丹羽駅間の廃線跡。橋台が残る。
 D瀬棚線の丹羽駅跡。丹羽駅(にわえき)は、北海道瀬棚郡北檜山町字丹羽(現・久遠郡せたな町)にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。電報略号はニハ。瀬棚線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月16日に廃駅となった。1984年(昭和59年)まで運行されていた急行「せたな」の停車駅であった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(瀬棚方面に向かって右手側)に存在した。かつては島式ホーム1面2線を有していた。職員配置駅で、駅舎は構内の北側(瀬棚方面に向かって右側)に位置しホームから少し離れた場所にあった。花石駅とほぼ同型の建物であった。当駅の所在する地名より。地名は当地開拓の中心人物である元会津藩士丹羽五郎(安土桃山時代の武将・丹羽長秀後裔)の名字に由来する。
D瀬棚線の丹羽駅 - 北檜山駅間の廃線跡。カルバートが残る。
E瀬棚線の丹羽駅 - 北檜山駅間の廃線跡。
F瀬棚線の丹羽駅 - 北檜山駅間の廃線跡。
G瀬棚線の丹羽駅 - 北檜山駅間の廃線跡。
H瀬棚線の丹羽駅 - 北檜山駅間の廃線跡。
I瀬棚線の丹羽駅 - 北檜山駅間の廃線跡。
 J瀬棚線の北檜山駅跡。北檜山駅(きたひやまえき)は、北海道瀬棚郡北檜山町字北檜山(現・久遠郡せたな町)にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。電報略号はキヤ。瀬棚線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月16日に廃駅となった。1984年(昭和59年)まで運行されていた急行「せたな」の停車駅であった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(瀬棚方面に向かって右手側)に存在した。旅客列車の発着に使用する駅舎側の本線の南側にホームを有さないかつては副本線であった側線を有し、さらにその側線南側から国縫方に短い側線が1線分岐していた。そのほか国縫方から駅舎側に分岐し駅舎東側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。職員配置駅で、駅舎は構内の北側に位置しホーム中央部分に接していた。開業当初からの駅舎は改築され、赤い屋根の鉄筋コンクリート平屋建てで、玄関が防寒のためにアルミサッシの戸の二重構造を有する建物となっていた。
K瀬棚線の北檜山駅 - 瀬棚駅間の廃線跡。
L瀬棚線の北檜山駅 - 瀬棚駅間の廃線跡。真駒内川を渡る橋梁が架かっていた。
M瀬棚線の北檜山駅 - 瀬棚駅間の廃線跡。築堤が残る。
N瀬棚線の北檜山駅 - 瀬棚駅間の廃線跡。
O瀬棚線の北檜山駅 - 瀬棚駅間の廃線跡。
P瀬棚線の北檜山駅 - 瀬棚駅間の廃線跡。築堤が残る。
Q瀬棚線の北檜山駅 - 瀬棚駅間の廃線跡。築堤が残る。
 R瀬棚線の瀬棚駅跡。瀬棚駅(せたなえき)は、北海道瀬棚郡瀬棚町字本町(現・久遠郡せたな町)にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線の駅(廃駅)である。電報略号はセタ。瀬棚線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月16日に廃駅となった。1984年(昭和59年)まで運行されていた急行「せたな」及びその後継列車である快速「せたな」(瀬棚線内普通列車)の発着駅であった。瀬棚線が廃線になるまでは北海道最西端の駅であった(現在は江差線の「上ノ国駅」)。
 R瀬棚駅廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、瀬棚線の終端駅であった。ホームは線路の東側(瀬棚方面に向かって右手側)に存在した。旅客列車の発着に使用する駅舎側の1番線(上下本線)の西側にホームを有さない上下副本線の2番線、及び側線の3、4番線を有した。4番線から側線が1線分岐し、さらにその側線からかつて転車台も有した(1969年(昭和44年)3月時点では現存)炭水線が分岐していた。転車台は1983年(昭和58年)時点で既に撤去されている。1番線の延長上は入換線となっていた。また国縫方から駅舎側に分岐し駅舎南側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。職員配置駅で、駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部分に接していた。木造平屋建ての駅舎は1980年(昭和55年)に開業時からの建物の内外装を改築した、瀟洒な建物であった。ホームはアスファルト舗装されていた。「わたしの旅スタンプ」が設置されていた。貨物列車は1980年(昭和55年)時点で1日上下3本運転されていた。
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廃線探索 瀬棚線