廃線探索 名寄本線

更新日時 2014年09月09日

 名寄本線(なよろほんせん)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)/日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道名寄市の名寄駅で宗谷本線から分岐し、紋別市を経て紋別郡遠軽町の遠軽駅で石北本線に接続する本線と、湧別町の中湧別駅で分岐し湧別駅に至る支線からなっていた。1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして他の3線(天北線、池北線、標津線)と共に一時、廃止承認が留保された。しかし、結局1985年に問題がなくなったとして追加廃止承認された。国鉄分割民営化後、比較的乗降客の多かった名寄駅 - 下川駅、紋別駅 - 遠軽駅間を第三セクター化して部分存続させる案が浮上したが、廃止区間となる興部町などが全線存続を強く主張したため折り合いがつかず、結局1989年に全線廃止された。廃止された特定地方交通線の中では唯一、「本線」を名乗っていた。
北海道旅客鉄道 名寄本線(廃線)
名寄駅 - 中名寄駅 - 上名寄駅 - 矢文駅 - 岐阜橋駅 - 下川駅 - 二ノ橋駅 - 幸成駅 - 一ノ橋駅 - 上興部駅 - 西興部駅 - 六興駅 - 中興部駅 - 班渓駅 - 宇津駅 - 北興駅 - 興部駅 - 旭ヶ丘駅 - 豊野駅 - 沙留駅 - 富丘駅 - 渚滑駅 - 潮見町駅 - 紋別駅 - 元紋別駅 - 一本松駅 - 小向駅 - 弘道駅 - 沼ノ駅上 - 旭駅 - 川西駅 - 中湧別駅 - 北湧駅 - 上湧別駅 - 共進駅 - 開盛駅 - 北遠軽駅 - 遠軽駅
湧別支線:中湧別駅 - 四号線駅 - 湧別駅
 @名寄駅(なよろえき)は、北海道名寄市東1条南6丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)宗谷本線の駅。駅番号はW48。名寄市の中心駅であり、普通列車に加え特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」や快速「なよろ」が停車する宗谷本線の主要駅である。また、運転士の乗務はこの駅を境に稚内方面が宗谷北線運輸営業所、旭川方面が旭川運転所と担当区域が分かれている。普通列車の運転系統も当駅で同じように分かれるが、1日2往復列車番号を変えて相互に直通する列車もある(うち1往復は旭川〜稚内間全線走破する)。当駅は、1903年(明治36年)9月に開業した。当時は旭川方面から伸びる天塩線(宗谷本線の前身)の終着駅だった。その8年後の1911年(明治44年)11月に路線が恩根内駅まで延伸し、名寄駅は途中駅となった。1919年(大正8年)10月には下川町方面へ向かう名寄線(後の名寄本線)が開業し、同線と宗谷本線の乗換駅となった。また1937年(昭和12年)11月には名雨線が開業した。名雨線は部分開業であったが、5年後の1941年(昭和16年)に深川 - 名寄間が開業し、深名線となった。1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化により、名寄駅はJR北海道・JR貨物に継承された。名寄本線・深名線もJR北海道が継承したが、名寄本線は1989年(平成元年)5月に、深名線は1995年(平成7年)9月に廃止され、名寄駅は開業時と同様に宗谷本線のみの駅となった。
 @名寄駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。駅舎(改札口)は西側1箇所にあり、日本最北のLED発車標導入駅である。(かつては、駅自動放送も最北端であったが、2012年2月より稚内駅に駅自動放送が導入されたため現在は最北端ではない)ホーム間の移動は跨線橋を使う。留置線が敷設され、夜間滞泊の運用もあり、うち1本は音威子府駅発着で、当駅まで回送して滞泊している。終日社員配置駅。駅構内にはみどりの窓口(営業時間:7時40分-20時50分)、名寄駅旅行センター(営業時間:9時30分-17時30分、日祝休み)、自動券売機、キヨスクがある。1990年代まで構内にきょくてつストア(物資部)という名称の小型のスーパーマーケットがあった。現在は駐輪場となっている。
 @以前は駅舎脇直結の島式ホームがあり2面4線であったが、0番のりばが廃止された後、単式ホームになった(0番のりば廃止後は、深名線廃止まで宗谷本線と共用で3番のりばを使用していた)。1 - 3番のりばともに折り返しが可能。
A名寄本線の名寄駅 - 中名寄駅間の廃線跡。公園内の遊歩道に転用されている。
 B中名寄駅(なかなよろえき)は、北海道(上川支庁)名寄市字朝日にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はナヨ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅名の由来は名寄川沿いにあり、上名寄と名寄の中間に位置したため、「名寄」に「中」を冠する。駅跡は駅舎が残存しており、舎内には現役時代の看板やポスターが保存されていた。駅舎はバス停として利用されている。
 B中名寄駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、興浜北線豊牛駅や斜内駅と同型のプレハブ駅舎となっていた。駅舎は構内の北側に位置しホームに接していた。
C名寄本線の名寄駅 - 上名寄駅間の廃線跡。名寄川の支流、平和川に橋台跡が残る。
D名寄本線の名寄駅 - 上名寄駅間の廃線跡。
E名寄本線の名寄駅 - 上名寄駅間の廃線跡。
F名寄本線の名寄駅 - 上名寄駅間の廃線跡。
 G上名寄駅(かみなよろえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町上名寄にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はカヨ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。国鉄時代末期に無人化されるまでは、相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた。駅舎側(南側)ホームが上り線、対向側ホームが下り線となっていた。そのほか下り線の遠軽方から北側に分岐し対向側ホーム手前附近で行き止まりとなっていた側線を1線有していた。無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた時期を経て完全無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南側(遠軽方面に向かって右側)に位置し上り線ホーム中央部分に接していた。ホームの長さは50mで2輌編成の列車がやっと停車出来る長さであった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、名寄川の上流に位置したため、「名寄」に「上」を冠する。
H名寄本線の上名寄駅 - 矢文駅間の廃線跡。国道239号線、上名寄跨線橋より撮影。
I名寄本線の上名寄駅 - 矢文駅間の廃線跡。
 J矢文駅(やぶみえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町上名寄にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はヤフ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り1本上り2本(快速運転列車))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。仮乗降場に出自を持つ開業時からの無人駅で駅舎および待合所は存在しなかった。ホームは遠軽方にスロープを有し駅施設外に連絡していた。
K名寄本線の矢文駅 - 岐阜橋駅間の廃線跡。道路に踏切跡が残る。
 L岐阜橋駅(ぎふばしえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町上名寄にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はキハ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り2本上り3本(快速運転列車ほか))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。仮乗降場に出自を持つ開業時からの無人駅で駅舎および待合所は存在しなかった。ホームは名寄方にスロープを有し駅施設外に連絡していた。駅名の由来は当駅附近を流れる名寄川に架かる橋の名前に由来する。この付近に岐阜県出身の人々が入植し、架橋した際にちなんで名付けられた橋である。
M名寄本線の岐阜橋駅 - 下川駅間の廃線跡。道路に踏切跡が残る。
N名寄本線の岐阜橋駅 - 下川駅間の廃線跡。ここから先は道路に転用されている。
 O下川駅(しもかわえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町共栄町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はモハ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。駅構造は廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた。線路北側の駅舎側ホームが下り線、対向側ホームが上り線となっていた。そのほか1983年(昭和58年)時点では、下り線遠軽方から駅舎側に分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線、また上り線から分岐し対向側ホームの外側(乗降不可)への貨物側線を2線、また副本線の遠軽方から分岐した側線を2線有していた。職員配置駅で、駅舎は構内の北側(遠軽方面に向かって左側)に位置し下り線ホーム中央部分に接していた。駅名の由来は当駅の所在する地名(町名)より。地名は、アイヌ語の「パンケ・ヌカナン」(下の沢)の和訳に由来する。
P名寄本線の下川駅 - 二ノ橋駅間の廃線跡。
Q名寄本線の下川駅 - 二ノ橋駅間の廃線跡。
R名寄本線の下川駅 - 二ノ橋駅間の廃線跡。道路に踏切跡が残る。
 S二ノ橋駅(にのはしえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町二の橋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はニノ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で上り1本(快速運転列車))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。そのほか遠軽方から南側に分岐した行き止まりの保線用側線を1線有していた。無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、中名寄駅や渚滑線中渚滑駅と同型のプレハブ駅舎となっていた。駅舎は構内の北側に位置しホームに接していた。ホームの長さは50mであった。駅名の由来は当駅の所在する地区名より。地区名は、1903年(明治36年)に開削された仮定県道(現在の国道239号)が名寄川を渡る上流から2番目の橋の名前に由来する。
@名寄本線の二ノ橋駅 - 幸成駅間の廃線跡。国道239号線の二ノ橋跨線橋より撮影。
A名寄本線の二ノ橋駅 - 幸成駅間の廃線跡。ガーター橋及び築堤が残る。
B名寄本線の二ノ橋駅 - 幸成駅間の廃線跡。築堤跡が残る。
 C幸成駅(こうせいえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町一の橋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り1本上り3本(快速運転列車ほか))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した[2]。転轍機を持たない棒線駅となっていた。仮乗降場に出自を持つ無人駅で、駅舎は無いがプレハブの物置を待合所として利用していた。ホームは名寄方にスロープを有し駅施設外に連絡していた。駅名の由来は当駅の所在地近辺の地名より。
D名寄本線の幸成駅 - 一ノ橋駅間の廃線跡。小型のコンクリートの橋梁が残る。
 E一ノ橋駅(いちのはしえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町一の橋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はハシ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。国鉄時代末期に無人化されるまでは、相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた。駅舎側(南側)ホームが上りの1番線、対向側ホームが下りの2番線となっていた。そのほか1983年(昭和58年)時点では、上り線名寄方から駅舎側に分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた。ホームの長さは50mであった。駅名の由来は当駅の所在する地区名より。地区名は、1903年(明治36年)に開削された仮定県道(現在の国道239号)が名寄川を渡る最上流の橋の名前に由来する。
F名寄本線の一ノ橋駅 - 上興部間の廃線跡。
G名寄本線の一ノ橋駅 - 上興部間の廃線跡。築堤下に暗渠が残る。
H名寄本線の一ノ橋駅 - 上興部間の廃線跡。コンクリート橋梁や保線小屋が残る。
I名寄本線の一ノ橋駅 - 上興部間の天北跨線橋。
I名寄本線の一ノ橋駅 - 上興部間の廃線跡。天北跨線橋より撮影。
 J上興部駅(かみおこっぺえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡西興部村字上興部にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はカコ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。上興部駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、興部川の上流に位置したため、「興部」に「上」を冠する。
 J上興部駅構造は廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側単式ホーム(南側)が上りの1番線、待合所が設置された島式ホーム駅舎側が下り及び当駅折り返し用の2番線、島式ホームの外側が下り貨物列車専用の副本線である3番線となっていた。そのほか1983年(昭和58年)時点では、1番線の名寄方から分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、3番線の外側に貨物用であった側線を2線、及びそこから分岐する行き止まりの側線を多数有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の南側に位置し上り線ホーム中央部分に接していた。
 J上興部駅跡は旧駅構内は1994年(平成6年)5月1日から西興部村により「上興部鉄道記念館」として整備されている。開業当時からの木造駅舎を現役当時のままに保存すると共に自由に見学出来る鉄道資料館とし、舎内には備品、蒸気機関車の動輪、軌道自転車、駅銘板、制服などが保存・展示され、専用鉄道の歴史も伝えられている。
 Jレールとホームも保存され(但し2面3線から2面2線になっている)、旧2番線上に横付けする形でキハ27形気動車キハ27 109とDD14形除雪車DD14 302号機のロータリー式除雪機構部が連結された状態で静態保存・展示されている。また腕木式信号機、踏切警報機も設置されている。2010年(平成22年)時点、2011年(平成23年)時点でも同様で、ホームには本物の駅名標も保存されていた。
Jラッセル車のヘッド部分。 J腕木式信号機。
K名寄本線の上興部駅 - 西興部駅間の廃線跡?
L名寄本線の上興部駅 - 西興部駅間の廃線跡。
 L名寄本線の上興部駅 - 西興部駅間の廃線跡。興部川の支流瀬戸牛川に架かっていた「瀬戸牛川橋梁」の鉄骨ガーダー橋が残存している。
 M西興部駅(にしおこっぺえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡西興部村字西興部にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はコツ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。そのほか1983年(昭和58年)時点では、名寄方から分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。かつては単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった島式ホーム側の線路は交換設備運用廃止後も旧本線、副本線共に側線として残っていた。転轍機は遠軽方、名寄方の両方向とも維持されていた。また副本線の遠軽方から分岐した行き止まりの側線を1線有していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた。駅名の由来は当駅の所在する地名(村名)より。地名は、興部の西に位置するため、「西」を冠する。旧駅名の瀬戸牛(せとうし)は、アイヌ語の「セツ・ウシ・ナイ」(鳥の巣の多い沢)に由来する。駅跡地に町が経営するリゾートホテルが建設され、線路跡地に沿って行政施設が並んでいる。複合施設として美術館などもあり、診療所や保育所などもある。舎が建っていた場所は道路になっている。
 N六興駅(ろっこうえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡西興部村字六興にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り2本上り3本(快速運転列車ほか))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。駅名の由来は当駅の所在する地区名より。地区名は、当駅附近を流れる興部川に架かる橋の名前に由来する。興部市街から川を遡って六番目に架橋されているために「六興橋」と名付けられた橋である。
O名寄本線の六興駅 - 中興部駅間の廃線跡。
P名寄本線の六興駅 - 中興部駅間の廃線跡。
 Q中興部駅(なかおこっぺえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡西興部村字中興部にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はナオ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた。駅舎側(南西側)ホームが上り線、対向側ホームが下り線となっていた。そのほか下り線の遠軽方から対向側ホーム外側に分岐した行き止まりの側線を1線有していた。無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた駅であった。駅舎は構内の南西側に位置し上り線ホーム中央部分に接していた。JR化後は入場券のみ発売を行っていた。
R名寄本線の中興部駅 - 班渓駅間の廃線跡。班渓川に架かるガーター橋が残る。
 S班渓駅(ぱんけえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡興部町字宇津にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り4本上り4本(快速運転列車ほか))。1948年(昭和23年)から戦後開拓者がパンケ沢(班渓川)上流に入植していたが、電気もない生活の上、1953年(昭和28年)の冷害によって離農が始まった。1954年(昭和29年)の洞爺丸台風による風倒木搬出のため、一時期はパンケ沢上流にも林業関係者が多く出入りしていたが、それも1965年(昭和40年)頃で終わり、この地は酪農に切り替えた僅かな農家を残してほとんど無人地帯となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「パンケニウプ」(下流に木のある川)に由来するとされている。当駅近くを興部川支流の1つパンケ沢(班渓川)が流れる。
@名寄本線の班渓駅 - 宇津駅間の廃線跡。
 A宇津駅(うつえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡興部町字宇津にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はウツ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。そのほか旧貨物線線である、名寄方から駅舎側に分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分への側線を1線有した。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南西側に位置しホーム中央部分に接していた。開業以来の古い木造駅舎であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ウツ・ナイ」(あばら骨の川)に由来する。本流の両岸から小さい支流が流れ込む様を、背骨とあばら骨にたとえた地名である。別説として、アイヌ語の「ウッ・ナイ」(横の川)に由来するとする説もある。
B名寄本線の宇津駅 - 北興駅間の廃線跡。
 C北興駅(ほっこうえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡興部町字北興にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はホコ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り2本上り4本(快速運転列車ほか))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。仮乗降場に出自を持つ開業時からの無人駅で駅舎は無いがコンクリートブロック造りの待合所を有していた。ホームは名寄方にスロープを有し駅施設外に連絡していた。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は興部の「北」の意である。また原田勝正は「北を興そう」という開拓者精神の表れもあるのではないかと評している。
D名寄本線の北興駅 - 興部駅間の廃線跡。
E名寄本線の北興駅 - 興部駅間の廃線跡。
F名寄本線の北興駅 - 興部駅間の廃線跡。
G名寄本線の北興駅 - 興部駅間の廃線跡。
 H興部駅(おこっぺえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡興部町字興部にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅(廃駅)である。電報略号はオコ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「天都」、及び1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。
Hライダー用の無料宿泊施設になっているようだ。
 H興部駅構造は廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が1番線、上屋が設置された島式ホーム駅舎側が2番線、外側が3番線となっており、何れも上下共用であった。3番線の外側に側線を3線有し、そこから給水線などの行き止まりの側線も数線有した。そのほか1番線の遠軽方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の北西側に位置し単式ホーム中央部分に接していた。ホームの有効長は120mあった。
Hさよなら興浜南線のヘッドマーク。 H興部交通記念館の展示品。
 H興部駅跡はバスターミナルを兼ねた「道の駅おこっぺ」となっている。道の駅おこっぺの一角には1992年(平成4年)6月から興部町により「興部交通記念館」が開設されている。館内には当時使用していた備品、乗車券、レール、時刻表、駅舎モデル、写真パネルなどが保存・展示されている。駅舎モデルは宇津駅、当駅、沙留駅の3駅が展示されている。館外の敷地にはキハ22形気動車キハ22 202、キハ22 251の2両が連結された状態で静態保存・展示され、前者が休憩所、後者がライダーハウスとして使用されており、「トレインハウス」と名付けられている。また駅構内跡地は広いため公園にも転用されており、モニュメントとしてD51形蒸気機関車D51 365号機の動輪が保存・展示されている。
I名寄本線の興部駅 - 旭ヶ丘駅間の廃線跡。ここで興浜南線と分岐。遊歩道は興浜南線跡。
J名寄本線の興部駅 - 旭ヶ丘駅間の廃線跡。
 K旭ヶ丘駅(あさひがおかえき)は、北海道紋別郡興部町に存在した北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の鉄道駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅の構造は単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。
L名寄本線の旭ヶ丘駅 - 豊野駅間の廃線跡。藻興部川に架かる藻興部川橋梁。
L名寄本線の旭ヶ丘駅 - 豊野駅間の廃線跡。藻興部川に架かる藻興部川橋梁。
 M豊野駅(とよのえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡興部町字豊野にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はトノ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り3本上り2本(快速運転列車)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。無人駅となっており、駅舎は無いが木造の待合所を2棟有していた。ホームは道路と同じ高さであった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。当地は元は「留露千(るろち)」という地名であったが、読みにくいという理由により新たに「豊かな実りの野原にしたい」という念願から「豊野」という地名が付けられた。
N名寄本線の豊野駅 - 沙留駅間の廃線跡。
 O沙留駅(さるるえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡興部町字沙留北浜町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はサル。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム中央部分を結んだ構内踏切で連絡していた。駅舎側(東側)ホームが下り線、対向側ホームが上り線となっていた。そのほか下り線の遠軽方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置し下り線ホーム中央部分に接していた。木造駅舎であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「サル・オロ」(葦がたくさん生えている原)が転訛した「サロロ」に由来する。
P名寄本線の沙留駅 - 富丘駅間の廃線跡。
Q名寄本線の沙留駅 - 富丘駅間の廃線跡。
 R富丘駅(とみおかえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡興部町字富丘にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り5本上り5本(快速運転列車ほか)。
 R富丘駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎は無いがホームから少し離れた位置に待合所を有していた。ホームは木造で名寄方に90度の角度で設置されたスロープを有し駅施設外に連絡していた。駅全体が周囲より高台の海岸段丘上に位置し、道路へ出るには防雪覆い付きの階段を下る形で連絡した。
S名寄本線の富丘駅 - 渚滑駅間の廃線跡。湖畔橋梁。
@名寄本線の富丘駅 - 渚滑駅間の廃線跡。
A名寄本線の富丘駅 - 渚滑駅間の廃線跡。道路に踏切跡の痕跡が残る。
B名寄本線の富丘駅 - 渚滑駅間の廃線跡。
C名寄本線の富丘駅 - 渚滑駅間の廃線跡。
 D渚滑駅(しょこつえき)は、北海道紋別市渚滑町3丁目に存在した北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅(廃駅)である。急行「紋別」「天都」の停車駅でもあった。電報略号はコツ。アイヌ語の「ショ・コツ(滝壺)」に由来する。その滝壺から砂金が産出し、鴻之舞金山の起源となった。
 D渚滑駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線のあわせて2面3線を持つ職員配置駅にして地上駅。多数の側線を持つ。駅舎に面する1番線は下り本線、島式ホーム内方は2番線で上り本線、島式ホーム外方の3番線は渚滑線が発着したが、国鉄時代末期に無人化され、交換機能は撤去された。改札口は西側1箇所にあった。1997年に駅は解体され、現在はパークゴルフ場と「高齢者ふれあいセンター」などの保健福祉複合施設が建てられた。
 D9600型蒸気機関車。キューロクの愛称で親しまれた中型機関車の代表である9600型は大正時代に作られ、大きなボイラー、低い蒸気溜まりとサウンドボックス、それに独特のスポーク動輪が特徴で低速高出力型の代表的貨物用機関車です。69644号機は、戦前は東海道本線、戦後は名寄本線で木材、石炭、生活物資などの貨物列車を牽引し、ディーゼル化するまで使われ、昭和50年7月に勇退しました。
E名寄本線の渚滑駅 - 潮見町駅間の廃線跡。
 F潮見町駅(しおみちょうえき)は、北海道(網走支庁)紋別市真砂町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はシチ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北西側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎及び待合所は存在しなかった。ホームは名寄方に90度の角度で設置された階段を有し駅施設外に連絡していた。簡易型の単式ホームであった。駅自体は完全無人駅であったが、近隣の商店に乗車券の販売を委託した簡易委託駅であった。駅名の由来は当駅の所在地近辺の地名より。所在する真砂町と駅名由来の潮見町は隣接しており、当駅及び駅前後の線路は2町のほぼ境界線に沿って通っていた。潮見町の地名は、紋別市内で海が最もよく見えることから付けられた。
 G紋別駅(もんべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別市幸町4丁目にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はモヘ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム北側と島式ホーム北側を結んだ跨線橋で連絡した[2]。駅舎側単式ホーム(東側)が下りの1番線、上屋を有した島式ホーム駅舎側が上りの2番線、外側が1983年(昭和58年)時点では側線扱いの3番線となっていた。3番線の外側(西側)に旧貨物側線を2線有し、そこから行き止まりの側線も南北に各1線有した。そのほか1番線の遠軽方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置し単式ホーム中央部分に接していた。ホームの有効長は120mあった。士別駅と同規格のコンクリート製の駅舎であった。「わたしの旅スタンプ」が設置されていた。
 G思い出の名寄本線。大正10年3月、国鉄名寄本線が開通して以来、紋別駅周辺は、街の玄関口として商店街が集まり活気に溢れ、市民の生活に密着した、反映のシンボルでありました。昭和30年には蒸気機関車に代わってディーゼルカーの運行開始、さらに昭和37年急行”紋別”(紋別−札幌間) 準急”天都”(興部−網走間)が運行され、地域発展に貢献してきました。しかし、昭和57年の「第二次特定地方交通線の廃止」の選定路線に加えられ、8年間の存続運動も実らず、平成元年4月30日、68年間の歴史に終止符をうちました。
 G鴻紋軌道」紋別鴻之舞間28qの簡易軌道、停留所11カ所、起業用資機材・生活物資輸送の目的で1940年〜1950年に敷設運行された。「銀色の道」軌道敷設技師を父に持つ作曲家宮川泰氏は鴻之舞小学校を卒業している。後年レールのこの軌道跡の水溜まりが月光に映える姿を見てこれこそ銀色の道だと確信したという。南北6qの山間の町は今は自然に帰って人影もない。閉山30周年を迎えるに当たり望郷の念やみ難くここに記念碑を建立する。
H名寄本線の紋別駅 - 元紋別駅間の廃線跡。
 I元紋別駅(もともんべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別市元紋別にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はモト。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。国鉄時代末期に無人化されるまでは、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム中央部分を結んだ構内踏切で連絡した。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側単式ホーム(北東側)が下りの1番線、島式ホーム駅舎側が上りの2番線、外側が1983年(昭和58年)時点では側線扱いの3番線となっていた。3番線の外側(山側)に旧貨物側線を3線有し、そこから分岐した行き止まりの側線も1線有した。そのほか1番線の遠軽方から分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。附近にパルプ工場があり、貨物廃止までは専用線を有し貨物扱い量も多かった。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北東側に位置しホーム中央部分に接していた。古い木造駅舎は改築され白く塗られた駅舎に変わっていた。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、「紋別」の名の発祥地であるため「元」を冠した。「紋別」はアイヌ語の「モ・ペッ」(静かな川)に由来し、地名起源となった川は当駅附近を流れる藻鼈川のことである。
J名寄本線の元紋別駅 - 一本松駅間の廃線跡。
K名寄本線の元紋別駅 - 一本松駅間の廃線跡。オホーツク紋別空港。
L名寄本線の元紋別駅 - 一本松駅間の廃線跡。
 M一本松駅(いっぽんまつえき)は、北海道(網走支庁)紋別市元紋別にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り5本上り7本(快速運転列車ほか)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっていた。
N名寄本線の一本松駅 - 小向駅間の廃線跡。道路に踏切跡の痕跡が残る。
O名寄本線の一本松駅 - 小向駅間の廃線跡。道路に踏切跡の痕跡が残る。
P名寄本線の一本松駅 - 小向駅間の廃線跡。築堤がはっきり残る。
 Q小向駅(こむかいえき)は、北海道(網走支庁)紋別市にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はコム。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム北側と島式ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側ホーム(北西側)が下りの1番線、対向ホームが上りの2番線となっていた。そのほか1番線の遠軽方から分岐し駅舎南東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の北東側に位置し下り線ホーム中央部分に接していた。営業末期に出札を再開するまで、長らく無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置された駅であり、乗車券は簡易委託化されていた時期があった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「コムケ・ト」(曲がった沼)に由来する曲がった沼とはコムケ湖(小向沼)のことである。
R名寄本線の小向駅 - 弘道駅間の廃線跡。
S名寄本線の小向駅 - 弘道駅間の廃線跡。
@名寄本線の小向駅 - 弘道駅間の廃線跡。
 A弘道駅(こうどうえき)は、北海道(網走支庁)紋別市弘道にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り4本上り6本(快速運転列車ほか)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎は無いがホーム横に待合所を有していた。ホームは木造で遠軽方にスロープを有し駅施設外に連絡していた。ホーム は短い簡易型であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、当地の入植者が水戸学の弘道精神を伝えたことに由来する。
B名寄本線の弘道駅 - 沼ノ駅上間の廃線跡。
C名寄本線の弘道駅 - 沼ノ駅上間の廃線跡。築堤部分に暗渠が残る。
D名寄本線の弘道駅 - 沼ノ駅上間の廃線跡。道路に踏切跡の痕跡が残る。
E名寄本線の弘道駅 - 沼ノ駅上間の廃線跡。道路に踏切跡の痕跡が残る。
 F沼ノ上駅(ぬまのうええき)は、北海道(網走支庁)紋別市沼の上にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はヌマ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した[1]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった対向ホーム側の1線は、交換設備運用廃止後も遠軽方の転轍機は維持され側線として残っていた[1]。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、中名寄駅などと同型のプレハブ駅舎となっていた。駅舎は構内の南西側に位置しホームに接していた。
G名寄本線の沼ノ駅上 - 旭駅間の廃線跡。道路に踏切跡の痕跡が残る。
H名寄本線の沼ノ駅上 - 旭駅間の廃線跡。シブノツナイ川支流に架かるガーター橋が残る。
I名寄本線の沼ノ駅上 - 旭駅間の廃線跡。
J名寄本線の沼ノ駅上 - 旭駅間の廃線跡。
 K旭駅(あさひえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字旭(現・湧別町旭)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はアヒ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り3本上り3本(快速運転列車))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎はないがホーム中央部分に待合所を有していた。ホームは石組み土盛りであった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、当地が旭が良く見える地であったことに由来する。
L名寄本線の旭駅 - 川西駅間の廃線跡。
 M川西駅(かわにしえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字川西(現・湧別町川西)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はカニ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り3本上り2本(快速運転列車))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎はないがホーム中央部分に待合所を有していた。ホームは簡易型であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、当地が湧別川の西方に位置していたために「川西」と名付けられたことに由来する。
N名寄本線の川西駅 - 中湧別駅間の廃線跡。
名寄本線湧別支線。
 @湧別駅(ゆうべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡湧別町栄町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線(支線)の駅(廃駅)である。電報略号はユツ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。中湧別駅から分岐する支線の終着駅となっていた。この区間は平行するバス路線は10本程度あったものの、末期の列車本数が朝夕の2往復しかなく、国鉄時代には清水港線(1往復/日)に次いで旅客列車の少ない区間として鉄道ファンに知られていた。しかしその様な駅でありながら、1986年11月1日国鉄ダイヤ改正まで駅員が配置されており、その後廃止時までは簡易委託駅となっていた。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北西側(湧別方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。かつては貨物用の側線を2線有しており、駅舎側から1、2、3番線となっていた(1975年(昭和50年)3月時点ではこの配線)。そのほか1番線の延長上から遠軽方に戻る形で駅舎側に分岐し駅舎北側の貨物ホームに至る側線を1線有していた(以上の側線は1981年(昭和56年)3月時点では撤去済みであった)。無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北西側に位置し、ホームとは通路で連絡した。開業当初からの、民家の様な木造平屋建ての建物であった。ホームの有効長は旅客ホームが50m、貨物ホームが30mであった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ユペ・オッ」(カレイサメが多い)に由来する。別説として「イペ・オッ・イ」(魚の豊富である所)に由来するという説もある。
A名寄本線湧別支線の四号線駅 - 湧別駅間の廃線跡。
B名寄本線湧別支線の四号線駅 - 湧別駅間の廃線跡。
 C四号線駅(しごうせんえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡湧別町字錦にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線(支線)の駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。中湧別駅から分岐して湧別駅に至る支線の中間に仮乗降場として設置され、国鉄分割民営化と共に駅へ昇格した。仮乗降場時代の一時期は事前に車掌へ降車する旨を伝えておかないと、乗降場を通過して運行することがあった。なお、このような取り扱いは国鉄の規則に違反するものであった。末期は乗降客がいなくても停車するようになった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北西側(湧別方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。仮乗降場に出自を持つ無人駅で、駅舎および待合所も存在しなかった。ホームは遠軽方にスロープを有し駅施設外に連絡していた。板張りのホームであった。駅名の由来は当駅の所在地の昔の地域名より。「四号線」の名は、開拓期に碁盤状に設けられた道路の名に因む。また、当駅遠軽方を東西に通る道路が「東四号線」「西四号線」と名付けられていた。
D名寄本線湧別支線の中湧別駅 - 四号線駅間の廃線跡。
E名寄本線湧別支線の中湧別駅 - 四号線駅間の廃線跡。
F名寄本線湧別支線の中湧別駅 - 四号線駅間の廃線跡。
G名寄本線湧別支線の中湧別駅 - 四号線駅間の廃線跡。
 G中湧別駅(なかゆうべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字中湧別中町(現・湧別町中湧別中町)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅(廃駅)である。電報略号はナユ。名寄本線と湧網線が接続する交通の要衝であったが、湧網線(1987年(昭和62年)3月20日)、続いて名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「天都」の停車駅であった。
 G中湧別駅構造は廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム北側と島式ホーム南側を結んだ跨線橋で連絡した。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が上下共用の1番線、島式ホーム駅舎側が名寄本線下りの2番線、外側が湧網線発着用の上下共用の3番線となっていた。また島式ホーム北側は切欠きとなっていたが側線扱いとなっていた。3番線の外側に多数の側線を有し、そのほか1番線の名寄方から分岐し駅舎北側の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた。名寄本線湧別支線と湧網線の合流地点にはシーサス・クロッシングが設置されていた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の北側に位置し単式ホームから少し離れた場所に存在していた。コンクリート製の駅舎であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、湧別川の中流に位置していたために「湧別」に「中」を冠する。
G除雪用モーターカー(番号無し)
Gヨ3500形車掌車ヨ 4407、ヨ 4421、ヨ 4430、ヨ 4433の4両が静態保存・展示されている。
H名寄本線の中湧別駅 - 北湧駅間の廃線跡。
I名寄本線の中湧別駅 - 北湧駅間の廃線跡。
J名寄本線の中湧別駅 - 北湧駅間の廃線跡。
 K北湧駅(ほくゆうえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町(現・湧別町)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り4本上り4本(快速運転列車ほか))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。仮乗降場に出自を持つ無人駅となっていた。駅名の由来[はかつて当駅附近に6年制の学校である「北湧校」が存在したことに由来する。
L名寄本線の北湧駅 - 上湧別駅間の廃線跡。
 M上湧別駅(かみゆうべつえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字屯田市街地(現・湧別町上湧別屯田市街地)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はカユ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「天都」の停車駅であった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった対向ホーム側の1線は、交換設備運用廃止後も遠軽方の転轍機は維持され側線として残っていた。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置しホーム北側に接していた。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、湧別川の上流に位置していたために「湧別」に「上」を冠する。
N名寄本線の上湧別駅 - 共進駅間の廃線跡。
O名寄本線の上湧別駅 - 共進駅間の廃線跡。
 P共進駅(きょうしんえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字南兵村一区(現・湧別町南兵村一区)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はキシ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り3本上り3本(快速運転列車))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎はないがホーム中央部分に待合所を有していた。駅名の由来は当地の住民が手に手を取って共に進もう、という意味を込め付けられた。また原田勝正は、開拓に当たった人々の意気込みを付けたものであろうと評している。
 Q開盛駅(かいせいえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字開盛(現・湧別町開盛)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はカセ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。国鉄時代末期に完全無人化されるまでは、単式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。単式1面1線を千鳥式に配置し、駅舎側から下り2番線ホーム・線路・上り1番線ホーム・線路の順の配線となっていた。互いのホームは駅舎側ホーム南側と外側ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡していた。そのほか1番線の名寄方から分岐し遠軽方へ戻る形の行き止りの側線を1線有していた。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホームに接していた駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、駅附近の湧別川に架橋された「開盛橋」の名に由来するとされている。また原田勝正は、開拓に当たった人々の意気込みを地名に付けたものであろうと評している。旧駅名の社名淵(さなふち)は、アイヌ語の「サン・ナイ・プッ」(下る川の口)に由来する。
R名寄本線の開盛駅 - 北遠軽駅間の廃線跡。
 S北遠軽駅(きたえんがるえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡遠軽町字学田にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はキエ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り3本上り4本(快速運転列車ほか))。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎は無いがホーム中央部分に高床式の待合所を有していた。駅名の由来は当駅の所在する地(遠軽町)の北方に位置していたために、「北」を冠する。
@名寄本線の北遠軽駅 - 遠軽駅間の廃線跡。
A名寄本線の北遠軽駅 - 遠軽駅間の廃線跡。
B名寄本線の北遠軽駅 - 遠軽駅間の廃線跡。
 C遠軽駅(えんがるえき)は、北海道紋別郡遠軽町岩見通南1丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線の駅である。特急「オホーツク」の停車駅。駅番号はA50。遠軽町の代表駅でかつては名寄本線が接続した、古くからの交通の要衝である。駅名の由来は当地では駅の旭川方に隣接する瞰望岩(がんぼういわ、地上高78m)を指していた見晴らしの良い高台を示すアイヌ語「インカルシ」(inkar-us-i、眺める・いつもする・所)が転訛したもの。1901年、郵便路線開通にともなう新郵便局設置のため現地視察を行った札幌郵便局管理課員が、瞰望岩を示すアイヌ語の名称を意義深いとして新局名称を遠軽郵便局としたことが始まりで、のち新設された官公庁や学校の名称として用いられ、地域名称として定着した。
 C遠軽駅構造は2面4線の単式・島式ホームの組み合わせの構造である。中線が1本ある(季節運転される貨物列車のみに使用。ただし、出発信号機に進路表示機がないため旭川方面出発時のみ)。列車は大半が1番のりばを使用するが、上り普通列車は2番のりば、下り普通列車の一部は3番のりばを使用する。2007年(平成19年)10月1日ダイヤ改正までは当駅で特急列車同士の行き違いが行われていたが、下り列車が2番のりばを使用していた。出発信号機は旭川方面と北見方面で方向の指示が出る進路表示機があるが、中線は進路表示機がなく、旭川方面に固定されている。ホーム間の移動は跨線橋を使う。
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