更新日時 2014年09月12日

 興浜線(こうひんせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が計画していた北海道紋別郡興部町の興部駅と枝幸郡浜頓別町の浜頓別駅間の鉄道路線である。一部区間が興浜北線・興浜南線として開業したものの、全通することなく1985年に廃止された。改正鉄道敷設法別表第145号前段に規定された「北見国興部ヨリ幌別、枝幸ヲ経テ浜頓別ニ至ル鉄道」である。このうち、興部 - 雄武間が1935年(昭和10年)に興浜南線として、北見枝幸 - 浜頓別間が1936年(昭和11年)に興浜北線として先行開業したが、開業区間も太平洋戦争の激化により1944年(昭和19年)11月に不要不急線として休止された。太平洋戦争後の1945年(昭和20年)12月に休止区間は復旧のうえ営業が再開された。未成区間のうち、雄武 - 北見音標間はほぼ路盤も完成し、北見枝幸 - 北見音標間についても一部区間が着工され、残る区間についても「新幹線の耐寒性試験線」として2年間テストを行い、その後在来線に転用する、という奇策で建設を誘致しようとしていたが、結局は誘致に失敗し、実現しなかった。1980年の国鉄再建法施行を受けて興浜南線興浜北線とも廃止対象の第1次特定地方交通線に指定され、未成区間の雄武 - 北見枝幸間の建設も凍結・中止され、建設されていた構造物も放棄された。地元地方自治体では、「オホーツク縦貫鉄道構想」などにより全線開業による存続を目指したが、収支が見合う見込みが全くないことから断念され、1985年(昭和60年)に南北両線ともに廃止された。興浜北線・南線が運行していた当時は、南北両線の終端である雄武駅と北見枝幸駅の間は宗谷バスにより連絡されていた。廃止後は、北紋バスが興浜南線区間を、宗谷バスが興浜北線区間および引き続き雄武 - 北見枝幸間を運行している。
興浜線(未成線)予定駅一覧
雄武駅 - 元稲府駅 - 北見音稲府駅 - 北見幌内駅 - 枝枝幸駅 - 北見音標駅 - 風烈布駅 - 乙忠部駅 - 徳志別駅 - 岡島駅 - 南枝幸信号場 - 北見枝幸駅
 @雄武駅(おむえき)は、北海道紋別郡雄武町(おうむちょう)にあった日本国有鉄道興浜南線の駅(廃駅)である。興浜南線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月15日に廃駅となった。
 @雄武駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、終端駅であった。ホームは線路の北東側(雄武方面に向かって右手側)に存在した。このほか貨物線、留置線、給水線など、旅客用の1番線の外側に4番線までと、興部方から駅舎側に分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1本有していた。1番線の先には1975年(昭和50年)3月時点で専用線が続いており、3番線の先には蒸気機関車時代の転車台が残っていた。職員配置駅で、駅舎は線路の東側に位置しホーム中央部分に接していた。貨物列車は1980年(昭和55年)時点で隔日運転で、発送荷物はパルプ用丸太、到着貨物は石油、肥料、飼料が主であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「オ・ム」(川尻が塞がる)より。雄武川の河口が、風や潮流に運ばれた砂で塞がれることから付けられた地名である。駅名は「おむ」と読むが、所在する雄武町は「おうむ」と読み、駅名と地名では読み方に相違があった。
@道の駅おうむに展示されている。
A雄武駅より先の原木積み込み用貨物支線跡。
B雄武駅より先の原木積み込み用貨物支線跡。
C雄武駅より先の原木積み込み用貨物支線跡。原木積み込み場。
D興浜線(未成線)の雄武駅 - 元稲府駅間の廃線跡。興浜線最大の遺構の隧道が残る。
E興浜線(未成線)の雄武駅 - 元稲府駅間の廃線跡。反対側の坑口は閉塞している。
F興浜線(未成線)の雄武駅 - 元稲府駅間の廃線跡。廃線跡と解る部分が残る。
G興浜線(未成線)の雄武駅 - 元稲府駅間の廃線跡。
H興浜線(未成線)の雄武駅 - 元稲府駅間の廃線跡。築堤が残る。
I興浜線(未成線)の雄武駅 - 元稲府駅間の廃線跡。廃線跡と解る部分が残る。
J興浜線(未成線)の雄武駅 - 元稲府駅間の廃線跡。川を渡る築堤が残る。
K興浜線(未成線)の雄武駅 - 元稲府駅間の廃線跡。コンクリート橋梁が残る。
L興浜線(未成線)の雄武駅 - 元稲府駅間の廃線跡。
N興浜線(未成線)の元稲府駅 - 北見音稲府駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が解りにくい。
O興浜線(未成線)の元稲府駅 - 北見音稲府駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が解りにくい。
P興浜線(未成線)の元稲府駅 - 北見音稲府駅間の廃線跡。築堤の痕跡が残る。
Q興浜線(未成線)の元稲府駅 - 北見音稲府駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が解りにくい。
R興浜線(未成線)の元稲府駅 - 北見音稲府駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が解りにくい。
S興浜線(未成線)の北見音稲府駅予定地跡。
@興浜線(未成線)の北見音稲府駅 - 北見幌内駅間の廃線跡。
A興浜線(未成線)の北見音稲府駅 - 北見幌内駅間の廃線跡。
B興浜線(未成線)の北見幌内駅予定地跡。
C興浜線(未成線)の北見幌内駅 - 枝枝幸駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が解りにくい。
D興浜線(未成線)の北見幌内駅 - 枝枝幸駅間の廃線跡。
E興浜線(未成線)の枝枝幸駅予定地跡。
F興浜線(未成線)の枝枝幸駅 - 北見音標駅間の廃線跡。
G興浜線(未成線)の枝枝幸駅 - 北見音標駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が解りにくい。
H興浜線(未成線)の枝枝幸駅 - 北見音標駅間の廃線跡。2個のコンクリート橋梁が残る。
I興浜線(未成線)の枝枝幸駅 - 北見音標駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が解りにくい。
J興浜線(未成線)の枝枝幸駅 - 北見音標駅間の廃線跡。
K興浜線(未成線)の北見音標駅予定地跡。
L興浜線(未成線)の北見音標駅 - 風烈布駅駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が解りにくい。
M興浜線(未成線)の北見音標駅 - 風烈布駅駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が解りにくい。
N興浜線(未成線)の北見音標駅 - 風烈布駅駅間の廃線跡。雄武駅からの路盤整備はこの辺まで。
O興浜線(未成線)&美幸線(未成線)の岡島駅 - 南枝幸信号場間の廃線跡。跨線橋より撮影。
P興浜線(未成線)&美幸線(未成線)の南枝幸信号場 - 北見枝幸駅間の廃線跡。
Q興浜線(未成線)&美幸線(未成線)の南枝幸信号場 - 北見枝幸駅間の廃線跡。この先は道路に転用。
R興浜線(未成線)&美幸線(未成線)の南枝幸信号場 - 北見枝幸駅間の廃線跡。境界杭が残る。
 S北見枝幸駅(きたみえさしえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡枝幸町字栄町にあった日本国有鉄道(国鉄)興浜北線の駅(廃駅)である。電報略号はエサ。興浜北線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、興浜北線の終端駅であった。ホームは線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した。また貨物用などの側線を2線有し、そのほか駅舎側本線の延長上から浜頓別方の駅舎側に分岐し、駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部分に接していた。開業から5年目に改築された白壁の[1]駅舎であった。尚、1981年(昭和56年)6月時点では駅舎正面中央辺りに「興浜北線 終着駅 北見枝幸駅」の看板が建っていた。構内には興浜線・美幸線未成区間の路盤が完成しており、レールの敷設が行われればすぐにでも列車が走行可能な状態であった。駅名の由来は当駅の所在する地名に旧国名の「北見」を冠する。地名は、アイヌ語の「エサシ」(コンブ)に由来する。
S北見枝幸駅前の一級食堂。
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廃線探索 興浜線(未成線)