更新日時 2014年09月26日

廃線探索 岩内線
 岩内線(いわないせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道岩内郡共和町の小沢駅で函館本線から分岐し、同郡の岩内町の岩内駅までを結んでいたが、1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)に廃止された。岩内線は、岩内と函館本線を接続する目的で、軽便鉄道法に則って建設され、岩内軽便線(いわないけいべんせん)として1912年(大正元年)に全線が開業した。岩内はニシン漁で栄えた日本海に面した良港で、岩内線沿線にも茅沼炭鉱や、銅を産出する国富鉱山があり、海産物や石炭、鉱石の輸送で活況を呈した。しかし、ニシン漁の衰退や炭鉱、鉱山の閉山、バスやトラックの発達と道路整備により、岩内線の輸送量は客貨ともに減少し、1968年(昭和43年)には赤字83線の一つとして廃止対象とされるまでに至った。1980年に国鉄再建法が成立すると第1次特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。
岩内線(廃線)
小沢駅 - 国富駅 - 幌似駅 - 前田駅 - 西前田駅 - 岩内駅
 @小沢駅(こざわえき)は、北海道岩内郡共和町小沢にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。駅番号はS22。電報略号はサワ。かつては急行「ニセコ」・「らいでん」などが停車し、岩内線も接続していた。 また、岩内線が開業する前には岩内馬車鉄道も接続していた。
 @小沢駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅である。かつては多くの側線を持っていたため、ホームと駅舎の間には線路をはがした跡地が広がり、跨線橋は非常に長い。のりばは2番のりばと3番のりばのみ。駅舎の前が旧1番のりばで岩内線ホームだった。無人駅(倶知安駅管理)。駅舎は簡素なものに建て替えられているが、跨線橋は昔ながらの非常に重厚な造りのものが使用されている。
A岩内線の小沢駅 - 国富駅間の廃線跡。セトセ川に架かるコンクリート橋梁が残る。
A岩内線の小沢駅 - 国富駅間の廃線跡。カルバートが残る。
A岩内線の小沢駅 - 国富駅間の廃線跡。築堤が残る。
B岩内線の小沢駅 - 国富駅間の廃線跡。廃線跡と解る場所が残る。
 C国富駅(くにとみえき)は北海道岩内郡共和町国富にあった日本国有鉄道(国鉄)岩内線の駅である。電報略号はトミ。岩内線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(岩内方面に向かって左手側)に存在した[1]。転轍機を持たない棒線駅となっていた。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。職員配置駅で、駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた。かつては国富鉱業所精錬所専用線も分岐していた。
D岩内線の国富駅 - 幌似駅間の廃線跡。コンクリート製の橋梁が残る。
E岩内線の国富駅 - 幌似駅間の廃線跡。コンクリート製の橋梁が残る。
F岩内線の国富駅 - 幌似駅間の廃線跡。築堤が残る。
G岩内線の国富駅 - 幌似駅間の廃線跡。
G岩内線の国富駅 - 幌似駅間の廃線跡。跨線橋が残る。
H岩内線の国富駅 - 幌似駅間の廃線跡。
H岩内線の国富駅 - 幌似駅間の廃線跡。小型の橋台が残る。道路脇が廃線跡。
I岩内線の国富駅 - 幌似駅間の廃線跡。
J岩内線の国富駅 - 幌似駅間の廃線跡。ここから先は道路に転用。
K岩内線の国富駅 - 幌似駅間の廃線跡。
 L幌似駅(ほろにえき)は、北海道岩内郡共和町幌似にあった日本国有鉄道(国鉄)岩内線の駅(廃駅)である。電報略号はホニ。岩内線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月1日に廃駅となった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ポロ・イチャン」に由来する。イチャンとはサケやマスが卵を産む場所のことで、大きな「イチャン」があったことからポロ(大きい)イチャンと呼ばれていた。 これが省略されて漢字を当てられ、「幌似」となった。
 L幌似駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(岩内方面に向かって右手側)に存在した。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎と反対側の1線は、交換設備運用廃止後も側線として残っていた。但しプラットホームは撤去されていた。そのほか小沢方から駅舎側に分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。職員配置駅で、駅舎は構内の北側に位置しホーム中央部分に接していた。
M岩内線の幌似駅 - 前田駅間の廃線跡。国道が廃線跡。
N岩内線の幌似駅 - 前田駅間の廃線跡。国道が廃線跡。
 O前田駅(まえだえき)は、北海道岩内郡共和町前田にあった日本国有鉄道(国鉄)岩内線の駅(廃駅)である。電報略号はマヘ。岩内線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(岩内方面に向かって左手側)に存在した。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎側の1線は交換設備運用廃止後に撤去された。そのほか小沢方から分岐した側線を1線有していた。職員配置駅で、駅舎は構内の南側に位置しホームとは通路で連絡した。
P岩内線の前田駅 - 西前田駅間の廃線跡。国道が廃線跡。
Q岩内線の前田駅 - 西前田駅間の廃線跡。国道が廃線跡。
 R西前田駅(にしまえだえき)は、北海道岩内郡共和町梨野舞納にあった日本国有鉄道(国鉄)岩内線の駅(廃駅)である。岩内線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(岩内方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。ホームはコンクリート板を組み合わせたものであった。無人駅となっており、駅舎は無いがホームの下に木造の待合所を有した。
S岩内線の西前田駅 - 岩内駅間の廃線跡。ここから廃線跡と解る敷地がある。
@岩内線の西前田駅 - 岩内駅間の廃線跡。ここから廃線跡と解る敷地がある。
A岩内線の西前田駅 - 岩内駅間の廃線跡。ここから廃線跡と解る敷地がある。
B岩内線の西前田駅 - 岩内駅間の廃線跡。ここから道路に転用。
 C岩内駅(いわないえき)は、北海道岩内郡岩内町字万代にあった日本国有鉄道(国鉄)岩内線の駅(廃駅)である。岩内線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた(岩内線内乗入廃止)準急(後に急行)「らいでん」(岩内線内普通列車)の発着駅であった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(岩内方面に向かって左手側)に存在した。かつては貨物列車の運行があった名残で多くの側線があり構内は広く取られていたが、1983年(昭和58年)時点では大部分の線路が撤去されており、旅客列車の発着線の北側にホームを有さない副本線1線、小沢方より分岐し構内の端をめぐり発着線の延長で収束する形の側線とその分岐側線を東側・北側各1線、旅客ホームとは別に隣接してあった貨物ホームに向かってホーム端より分岐した行き止まりの貨物側線2線を有した。ホームには庭園と花壇があった。職員配置駅で、駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた。大きくて立派な建物であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名に関しての定説は確定しておらず、和人の「硫黄」がアイヌ語に転訛した「イワウ」を含むと見られるイワウナイ(硫黄の川)、あるいはイエオナイ(軽石の多い川)、その他幾つかの説があるが、特異な禿山の硫黄山であるイワウヌプリ(岩雄登山、イワオヌプリ)が後背に控えていることから、硫黄川説が有力とされている。松前藩が1700年(元禄13年)に作成し幕府に献上した地図にはすでに「岩内」の漢字が当てられて書かれている。
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