更新日時 2015年11月08日

 留萠鉄道炭砿線は、北海道雨竜郡(空知支庁管内沼田町)で鉄道路線を運営していた私鉄。沿線の炭鉱の閉山により、1969年に鉄道路線を休止、1971年に正式に廃止した。炭砿線は北海道雨竜郡沼田町の恵比島駅から同町内の昭和駅を結ぶ17.6kmの路線で、沿線の炭鉱(昭和炭鉱、浅野炭鉱)から産出される石炭を留萌港に輸送する使命を担った。 1928年に後述の臨港線(北岸線)と共に恵比島 - 太刀別間、翌1929年に太刀別 - 佐々木沢間の鉄道敷設免許を取得し、1930年7月に恵比島 - 太刀別間14.0km、同年10月に太刀別 - 昭和間3.6kmを順次開業した。なお、佐々木沢付近で予定された三井鉱山鉱区の炭鉱開発計画が頓挫したため、昭和 - 佐々木沢間2.35kmは未着工のまま、1942年に免許を失効している。1963年には九州鉱山太刀別炭鉱の開坑に伴い、太刀別駅が積出し駅として復活した。 昭和30年代の営業係数はほぼ70 - 80代で、貨物は年間約45万トン、旅客は年間約45万人を数えるなど、輸送量は漸増傾向にあったが、1968年12月の第4次石炭政策答申で国内炭鉱の整理統合政策が明確に示されると、中小炭鉱は一気に閉山へとなだれ込み、沿線の炭鉱が消滅して留萠鉄道は存在理由を失った。1969年に営業休止、1971年に全線廃止を実施した。
留萠鉄道炭砿線
恵比島駅 - 本通乗降場 - 幌新駅 - 袋地乗降場 - 新雨竜駅 - 宝沢乗降場 - 太刀別駅 - 昭和駅
 @恵比島駅(えびしまえき)は、北海道(空知総合振興局)雨竜郡沼田町恵比島にある北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅である。電報略号はエヒ。一部の普通列車(朝一番の増毛行きと夜の深川行き)は通過する。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「エ・ピシ・オマ・プ」(水源が浜の方に入っている川)の転訛した「エピソマプ」に由来する。上流が浜の方に向かっている川の意味である。また昔この附近の住民が増毛の浜に出稼ぎに行くために川を遡っていたとのことである。
 @恵比島駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(増毛方面に向かって左手側)に存在する。転轍機を持たない棒線駅となっている。かつては単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。当時は互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム南側を結んだ跨線橋で連絡した。駅舎側(西側)が下り線、島式ホーム駅舎側が上り線となっていた(番線表示なし)。そのほか1983年(昭和58年)4月時点では上り線の深川方から分岐し島式ホーム外側(かつては留萠鉄道用のホームであった)の増毛方に至る行き止まりの側線を1線、下り線の増毛方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、上下線各々に安全側線を有していた。交換設備運用廃止後は1993年(平成5年)3月までに線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。留萠鉄道恵比島駅は島式ホーム外側の3番線(北東側)を発着線とし、その北側に貨物側線及び機関区を有していた。同鉄道の線路はホームを出ると深川方に進んでから左手に曲がり、北に進んでいた。同鉄道廃線後、旧構内は荒地になっている。
 @駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接している。有人駅時代からの駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車を改造した貨車駅舎となっている。
 @当駅でロケーションが行われたテレビドラマ『すずらん』撮影の際に、古い建物へのカムフラージュのために木製板が貼られ、ドラマ撮影終了後もそのまま使用されている。内部も塗装が整備されている。駅舎内にトイレを有する。また、この貨車駅舎の隣に、テレビドラマのロケセットであった架空の「明日萌驛」(あしもいえき)の建物が建っている。旧駅舎の基礎の上に設置された、昭和初期の雰囲気を再現した建物で、当駅周辺が観光地化されていることから継続して設置されている。
A留萌鉄道の本社建物。
B留萠鉄道炭砿線の恵比島駅 - 本通乗降場間の廃線跡。
C留萠鉄道炭砿線の恵比島駅 - 本通乗降場間の廃線跡。
D留萠鉄道炭砿線の本通乗降場跡。この辺で道路の反対側へ。
E留萠鉄道炭砿線の本通乗降場 - 幌新駅間の廃線跡。道路の東側が廃線跡。
F留萠鉄道炭砿線の本通乗降場 - 幌新駅間の廃線跡。道路の東側が廃線跡。
G留萠鉄道炭砿線の幌新駅 - 袋地乗降場間の廃線跡。橋台は導水管用に転用されている。
H留萠鉄道炭砿線の幌新駅 - 袋地乗降場間の廃線跡。
Hクラウス15号蒸気機関車。
H露天掘りの住吉炭鉱から石炭を積んだダンプ。 Hほたる学習館。石炭資料館。
H石炭資料館の明日萌驛のレプリカ。 H昭和炭鉱・古河鉱の石炭。
H鉱山関係の道具類。 H昭和炭鉱関係の備品。
 H明治鉱業が試掘権を設定し、1930年1月開業。1969年4月30日閉山。留萌炭田(雨竜炭田)の代表的な炭鉱のひとつであった。埋蔵量は2億トンを超えるとされ、硫黄分が少ない良質な石炭、積出港の留萌港に近接するなどの好条件もあり、国内屈指の有力炭鉱とされていたが、エネルギー革命の進展や安全対策に要するコスト増、多くの断層による計画的な採炭の難しさが加わり、昭和40年代前半のうちに閉山に追い込まれた。現在、かつての炭鉱とは別の場所で露天掘による採掘が行われている。第二次世界大戦中は、労働力不足を補う目的で中国人、朝鮮人の強制労働が行われていた。
H昭和炭鉱の隧道マーケット。 九州鉱山(株)太刀別鉱業所。
Hクラウス17号蒸気機関車。 Hクラウス型号蒸気機関車。
H留萠鉄道炭砿線の隧道。 H新雨竜駅。
I留萠鉄道炭砿線の幌新駅 - 袋地乗降場間の廃線跡。廃線跡と解る場所が残る。
J留萠鉄道炭砿線の幌新駅 - 袋地乗降場間の廃線跡。橋台は導水管用に転用されている。
K留萠鉄道炭砿線の袋地乗降場 - 新雨竜駅間の廃線跡。
L留萠鉄道炭砿線の新雨竜駅 - 宝沢乗降場間の廃線跡。
M留萠鉄道炭砿線の太刀別駅跡。
N留萠鉄道炭砿線の太刀別駅 - 昭和駅間の廃線跡。廃線跡は林道と平行しいた西側部分。
O留萠鉄道炭砿線の太刀別駅 - 昭和駅間の廃線跡。廃線跡は林道と平行しいた西側部分。
P留萠鉄道炭砿線の太刀別駅 - 昭和駅間の廃線跡。廃線跡は林道と平行しいた西側部分。
Q留萠鉄道炭砿線の太刀別駅 - 昭和駅間の廃線跡。廃線跡は林道と平行しいた西側部分。
R留萠鉄道炭砿線の太刀別駅 - 昭和駅間の廃線跡。幌新太刀別川を渡る橋台が残る。
S林道の道路橋。
S留萠鉄道炭砿線の太刀別駅 - 昭和駅間の廃線跡。幌新太刀別川を渡る橋台が残る。
@林道の道路橋。
@留萠鉄道炭砿線の太刀別駅 - 昭和駅間の廃線跡。幌新太刀別川を渡る橋台が残る。
A林道の道路橋。
B留萠鉄道炭砿線の昭和駅跡。駅は川の対岸に有った。
C留萠鉄道炭砿線の石炭ポケットへの引き込み線跡。
D写真左奥のアパート。 D昭和炭鉱のアパート。
D昭和炭鉱のアパート。
D昭和炭鉱のアパート。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『沼田町』を掲載」
廃線探索 留萠鉄道炭砿線