更新日時 2015年11月14日

廃線探索 函館本線南美唄支線
 函館本線南美唄支線(みなみびばいしせん)は、1931年(昭和6年)から1973年(昭和48年)まで使用された、北海道空知支庁管内美唄市の美唄駅と南美唄駅を結ぶ日本国有鉄道(国鉄、当時)函館本線の支線である。石炭の輸送を目的に美唄駅から三井美唄炭鉱に引き込んだ、営業距離3.0kmの鉄道路線であった。1928年(昭和3年)8月1日、昭和不況の影響を受けて苦しい運営をしていた日本石油光珠炭鉱の共同保有及び経営権の一切を三井鉱山が引き継ぎ、三井美唄炭鉱が発足、操業を開始した。石炭輸送手段として国鉄側に専用線の敷設を申請、1931年(昭和6年)11月に敷設工事が竣工、同年12月1日に美唄から三井美唄炭鉱の膝元である南美唄を結ぶ貨物線の営業を開始した。その後、石炭需要の高まりとともに周辺人口が増加したことから、1944年(昭和19年)1月25日より旅客営業を開始した。しかし、エネルギー需要の変革により石炭需要が減少したことから、1963年(昭和38年)三井美唄炭鉱が操業停止に追い込まれる。そして、それに伴う利用激減により、1971年(昭和46年)8月3日に旅客扱いを廃止。さらに、三井美唄炭鉱の子会社である三美鉱業が1973年(昭和48年)に閉山したことにあわせ、同年9月9日に貨物営業も廃止され、廃線となった。
函館本線南美唄支線
美唄駅 - (貨)南美唄駅
 @美唄駅(びばいえき)は、北海道美唄市東1条南2丁目3番にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅。駅番号はA16。駅名の由来は「美唄」はアイヌ語のピパ=イまたはピパ=オ=イ(カラス貝のいる所)に当て字をしたもの。この地域はかつては沼が多く、カラス貝が沢山生息していた事から来ている。当鉄道の工事と同時期の明治23年に村が設置されたが、旧村名の「沼貝」はこのアイヌ語を意訳したもので、当駅開設後の明治25年に駅周辺が字ピパイと付けられた。地区の字名が駅名と同じ漢字の「美唄」に改められたのは明治33年である。つまり「美唄」は行政より駅名が先行して付けられた。
 @美唄駅構造は2面2線の相対式ホームを持つ橋上駅で、2線の間に中線もある。エレベータ設置有り。社員配置駅。みどりの窓口(営業時間5時40分 - 24時00分)、自動改札機(Kitaca非対応)設置。
@美唄駅の側線跡。
A函館本線南美唄支線の美唄駅 - (貨)南美唄駅間の廃線跡。
B函館本線南美唄支線の美唄駅 - (貨)南美唄駅間の廃線跡。
Cこのカーブも廃線跡と思えるのだが詳細は不明。
D函館本線南美唄支線の美唄駅 - (貨)南美唄駅間の廃線跡。廃線跡と解る場所が残る。
E函館本線南美唄支線の美唄駅 - (貨)南美唄駅間の廃線跡。川を渡る橋梁の痕跡は無かった。
F函館本線南美唄支線の美唄駅 - (貨)南美唄駅間の廃線跡。廃線跡が解る。
G函館本線南美唄支線の美唄駅 - (貨)南美唄駅間の廃線跡。
H函館本線南美唄支線の美唄駅 - (貨)南美唄駅間の廃線跡。
 I南美唄駅(みなみびばいえき)は、かつて北海道美唄市南美唄町に存在した日本国有鉄道(国鉄)函館本線南美唄支線の貨物駅(廃駅)である。三井美唄炭鉱の石炭輸送線として敷設された函館本線の支線の終点駅として開設。当初は貨物駅であったが、当炭鉱の殷賑と共に周辺人口が増加して南美唄市街が発展し、旅客の取扱いを行う一般駅となった。昭和30年代後半の石炭産業斜陽化の波を受けて同炭鉱が閉山し、優良坑のみを受け継いだ三井関連会社による中小規模の炭鉱運営となると、多くの人口がこの地から流出、またバスや車の発達などもあって旅客営業を取りやめ貨物駅に戻った。さらにその炭鉱も閉山すると、いよいよ扱う貨物がなくなった当路線は廃止となり、廃駅となった。当駅から炭鉱選炭施設までの1.2km区間は、三井美唄炭鉱専用線(三美鉱業専用線)が接続していた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『美唄市』を掲載」