更新日時 2016年05月10日

廃線探索 上砂川支線
 上砂川支線は、北海道砂川市の砂川駅と空知郡上砂川町の上砂川駅を結んでいた北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の支線の通称である。当初は、三井鉱山合名会社が保有する三井砂川炭鉱からの石炭輸送を行うために、三井側が土地を鉄道院へ寄付し、なおかつ三井側の資金により鉄道院が敷設した国鉄所属の専用線であり、1917年(大正6年)7月に鉄道院よりこの条件で敷設許可された。1926年(大正15年)に旅客扱いを始めるにあたり函館本線に組み込まれた。国鉄再建法に基づく特定地方交通線(閑散ローカル線)の廃止が進められた時、同じく砂川駅から分岐していた運炭路線の歌志内線は独立した線名を有していたため廃止対象路線となった。対して上砂川支線は「函館本線の一部」として輸送密度が計算されたため、特定地方交通線はおろか地方交通線にも指定されず、幹線として存置された。なお、当時から歌志内線よりも旅客の輸送密度が低く、貨物の輸送密度についても、当時の三井砂川炭鉱の出炭量は年間約100万トンであり、上砂川支線単独では、幹線を満たす条件である「貨物輸送密度が4,000 t以上である線」には該当しなかった。しかしJR発足後、炭鉱の閉山の影響も受けて廃線となった。支線とはいえ、JR北海道発足以来初の「幹線」廃止となった。
函館本線上砂川支線
砂川駅 - 下鶉駅 - 鶉駅 - 東鶉駅 - 上砂川駅
 @砂川駅(すながわえき)は、北海道砂川市東2条北3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅。 駅番号はA20。電報略号はスナ。砂川市の代表駅で、特急は「スーパーカムイ」の全列車と「オホーツク」の2往復(下り1・7号、上り2・8号)、「スーパー宗谷」1号、「サロベツ」が停車する。
 @砂川駅構造は2面3線の相対式・島式ホームを持ち、乗り場は駅舎側から3、2、1番線と並ぶ。ホームは跨線橋で結ばれているが、エレベーターやエスカレータの設置はない。かつては運炭路線の歌志内線・上砂川支線が発着していたことから多数の側線を有していたが、現在は撤去されている。駅舎は西側に置かれている。みどりの窓口を持つ社員配置駅(6時40分から18時30分まで、夜間連絡先は滝川駅)。自動券売機設置。普通列車のほか、大部分の特急列車が停車する。札幌駅 - 旭川駅間の特急停車駅では、唯一自動改札機が導入されていない駅であるため、窓口営業時間外は車掌によるきっぷの回収が行われる以外は改札口に設置の回収箱による回収となる。
A上砂川支線の砂川駅 - 下鶉駅間の廃線跡。この先路盤の痕跡が残る。
B上砂川支線の砂川駅 - 下鶉駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が残る。
C上砂川支線の砂川駅 - 下鶉駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が残る。
D上砂川支線の砂川駅 - 下鶉駅間の廃線跡。踏切跡の痕跡が残る。
E上砂川支線の砂川駅 - 下鶉駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡が残る。
F上砂川支線の砂川駅 - 下鶉駅間の廃線跡。廃線跡の痕跡はここまで。
 G下鶉駅(しもうずらえき)は、北海道空知郡上砂川町字鶉にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線(上砂川支線)の駅(廃駅)である。電報略号はシス。上砂川支線の廃線に伴い1994年(平成6年)5月16日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(上砂川方面に向かって右手側)に存在した。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、線路よりも高台にありホームから階段を上った。ホームには待合室を有した。
H上砂川支線の下鶉駅 - 鶉駅間の廃線跡。第二歌志内川橋梁が残る。
I上砂川支線の下鶉駅 - 鶉駅間の廃線跡。廃線跡と解る痕跡が残る。
J上砂川支線の下鶉駅 - 鶉駅間の廃線跡。廃線跡と解る痕跡が残る。
 K鶉駅(うずらえき)は、北海道空知郡上砂川町字鶉にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線(上砂川支線)の駅(廃駅)である。電報略号はスラ。上砂川支線の廃線に伴い1994年(平成6年)5月16日に廃駅となった。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南西側に位置し、線路よりも高台にありホーム中央部分から階段を上った。晩年は外壁を一部改修の上、使われなくなった事務室部分に喫茶店が入店していた。
 K鶉駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(上砂川方面に向かって右手側)に存在した。
L上砂川支線の鶉駅 - 東鶉駅間の廃線跡。
M上砂川支線の鶉駅 - 東鶉駅間の廃線跡。廃線跡と解る痕跡が残る。
 N東鶉駅(ひがしうずらえき)は、北海道空知郡上砂川町字鶉にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線(上砂川支線)の駅(廃駅)である。電報略号はヒス。上砂川支線の廃線に伴い1994年(平成6年)5月16日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(上砂川方面に向かって右手側)に存在した。上砂川方にスロープを有し踏切際の道路に接していた。無人駅となっており、駅舎及び待合室は存在しなかったが、簡易委託駅として乗車券の販売が行われていた時期もあった(1962年(昭和37年)8月発行の乗車券が確認されている)。
O上砂川支線の東鶉駅 - 上砂川駅間の廃線跡。廃線跡はこの先道路に転用。
P上砂川支線の東鶉駅 - 上砂川駅間の廃線跡。
 Q上砂川駅(かみすながわえき)は、北海道(空知支庁)空知郡上砂川町字上砂川にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅(廃駅)である。電報略号はカス。盲腸線である函館本線の支線・上砂川支線の終端駅であったが、上砂川支線の廃線に伴い1994年(平成6年)5月16日に廃駅となった。上砂川町の代表駅であった。
 Q上砂川駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(上砂川方面に向かって右手側)に存在した。三井砂川炭鉱が操業していた時代は多数の側線を有し(1983年(昭和58年)時点でホームの北側に貨物列車専用線(上下各1線)を始めとした6本ほか、ホームと駅舎間に1線)、炭鉱へ続く専用線もあった(1983年(昭和58年)時点で4線)。しかし、1987年(昭和62年)の閉山に伴い側線は使用されなくなり棒線化(側線は1993年(平成5年)時点では本線との転轍機が撤去された状態で残存、但し駅舎側の側線と専用線は撤去済み)、その後撤去された。無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っており乗車券が駅舎内で発券されていた。駅舎はホームの中央部分に位置し、構内踏切で連絡した。降雪に備えた屋根が高く二段の傾斜を有した木造平屋建ての建物であった。
 Qスユニ60形客車スユニ60 218:最大の流用部材である台枠には、1919年(大正8年)から1927年にかけて製造された2,800mm幅の広幅車体を備える「鉄道省大形客車」のUF12・15などが、主に再利用されている。これらの木造2軸ボギー客車は車体長が17mであったが、1929年(昭和4年)以降国鉄客車の車体長は20m級が標準となっていたことから、鋼体化改造車も20mの車体長とする必要があった。そこで補充車と称して、1910年から1919年ごろにかけて製造された2,500 - 2,600mm幅の車体を備える「鉄道院基本形客車」の木造車体を解体し、残った幅狭台枠(UF11など)を4等分に切断、台枠延長用部材に加工した。こうして得られた部材を、前述の「大形客車」4両の台枠の切断面にそれぞれ挿入して継ぎ足した。更に車端部は鋼製客車並みの構造に改装、台車心皿位置を木造2軸ボギー車よりも若干車体中央寄りに変更してオーバーハングを拡大し、鋼製車用の20m級台枠に延長改造したのである。台枠の幅こそ新旧で差はあったが、主たる部材の溝形鋼材(チャンネル材)は中形客車・大形客車とも8インチ級の同一断面で互換性があったため、挿入部材への流用が可能となった。この結果、17m級の大形客車4両と基本形客車1両の計5両から、20m級の鋼体化改造車4両ができることになった。実際に鋼体化客車の床下から台枠を観察すると、延長改造時の切断・接合の痕跡を確認できる。しかし、書類上はともかく実際には種車に関わる事情は複雑で、極力輸送力に影響を与えないように工事を進める必要があった。そのため、車種を問わず状態不良で休車となっている車両から優先的に工事を実施した結果、実際の種車と車籍が一致しないケースが少なからず生じた。また、17m級大形客車用台枠に長型台枠 (UF12) と魚腹型台枠 (UF15またはUF16) の両方が混在していたことや、工事を担当した各国鉄工が用いた工法の相違などから、台枠は同一形式であっても同型であるとは限らなかった。更に一部では、もともと20m級のサイズがあった28400系木造3軸ボギー客車(大形3AB車:優等列車用)などの台枠(UF41・42など)を改造して流用したケースも見られた。木造車の台枠はねじ式連結器が標準の時代に製造されたものがほとんどであるため、鋼体化の後も、台枠端部にはねじ式連結器時代のバッファー取り付け穴の痕跡が残っていた。
 Qヨ8000形車掌車ヨ8055:国鉄の量産二軸車掌車では、初めて便所やレジン制輪子が採用され、特に制動時の静粛性が格段に向上した。従来の鋳鉄製制輪子では制動時に車掌車の構造上(内部がほぼ空洞)共鳴音が激しく無線機の使用も出来ないほどであった。また、ヨ5000形やヨ6000形などの構造を全面的に刷新し、別途製作された完成車体を台枠にボルト固定するユニット工法が採用された。この車掌室ユニットはコキフ10000形やコキフ50000形の仕様を踏襲したもので、コストダウンと製造合理化が図られた。外部塗色は黒色である。室内設備は、照明の蛍光灯化、新造時より暖房の石油ストーブ化が行われたほか、車掌車内に便所も設置され乗務環境が向上した。本形式はコンテナ車と同等の車掌室ユニットをヨ6000形相当の台枠上に載せた設計ゆえ屋根が短く、デッキは完全に露出した特異な構造である。これは床下機器の艤装空間を確保するほか、軸距を確保し、高速走行時の安定性を維持するための設計である。懸架装置は二段リンク式で、二軸車ではあるが担いバネを柔らかくして最高速度85km/hでの走行を可能としている。製造初期の車両は最高速度65km/hの緩急車が多数残存していた北海道、および四国に集中投入され、北海道に投入された車両は寒冷対策として二重窓とされている。特殊用途の改造車として、以下の区分がある。
R地下無重力実験センター。 S上砂川炭鉱館。
S蓄電池式機関車(バッテリーロコ) S電気機関車(トロリーロコ)
S炭車(実際の石炭が入っています)
Sサイドダンプローダー(型式632H) S水力採炭自動モニター。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『砂川市・上砂川町』を掲載」