廃線探索 布引電気鉄道

更新日時 2009年12月31日

 布引電気鉄道(ぬのびきでんきてつどう)は、大正から昭和にかけて長野県北佐久郡小諸町(現小諸市)の小諸駅から北佐久郡北御牧村(現東御市)の島川原駅までの7.4kmを結ぶ鉄道路線を運営していた鉄道会社である。「安易な計画が祟って数年で挫折した私鉄」として、雑誌などの記事でもしばしば引き合いに出される鉄道であり、鉄道趣味者における知名度は、現在においても意外に高い。川西地区の開発と布引観音への参詣輸送を目的に設立され、ガスを動力に予定し、最初の名称は布引自働鉄道といった。小諸 - 望月間の免許を得て建設に取り掛かった。使用動力は布引鉄道設立までの間にガスを改め、蒸気を予定していたが、のちに電気に改め、社名も「布引鉄道」から「布引電気鉄道」に変更した。そして第一期区間となる小諸 - 島川原間を1926年12月1日に開業させた。旅客輸送については沿線に人家が少ないことに加え折からの昭和金融恐慌と世界恐慌の影響で営業成績は思わしくなく、当初の目的であった布引観音への参詣輸送と会社が主催した花火大会などは賑わいを見せていたが、それ以外の時期は閑散とした状態で、電車が42人乗りの設計であったにもかかわらず運転士と車掌のみで運行していることが珍しくないことから、「始終(四十:しじゅう)二人乗り」「シジュウカラ(始終空)の小鳥電車」などとも揶揄された。しかし、1928年から1930年にかけては、島川原地区に建設が進められていた東信電気(現:東京電力)島川原発電所の資材輸送により利益を上げていた。駅に貨車が入りきらず、線路上で資材を下ろしたこともあったという。発電所が完成するとわずかな旅客収入のみとなり、経営的には非常に厳しい状況となった。電気料金も支払いの遅れが目立つようになり、末期にはモーター故障と称してしばしば運休となることがあったが、実際には送電停止による運休だったといわれている。最終的には電気料金の支払いが不可能になり、運行を無期限で休止した。この際に、当時の鉄道省(のち運輸通信省→運輸省、現在は国土交通省)に諮らずに運行休止したことが後に発覚、同省が鉄道免許を取り消した結果、廃線となるという珍しい形態であった。廃線直後、沿線住民や会社の幹部が無断で運行停止したとして、当時の社長を刑事告発し、結果的に社長が逮捕されるという泥仕合が展開され、最後は運行会社自体が解散するという結末になっている。
@小諸駅の引き込み線・・・この辺が布引電気鉄道の駅が有ったところか?
 @しなの鉄道の線路沿いに布引電気鉄道が通っていたと思われる・・・
 しなの鉄道旧線が反対側の線路沿いに有るが、最初はそれが布引電気鉄道の廃線かと思ったが、ルート的に成り立たないため、別と判断した。  しなの鉄道旧線探索リンク
A多分、この道路沿いが布引電気鉄道跡と思われる
A多分、この道路沿いが布引電気鉄道跡と思われる
Bここから上の道路から分岐する Cいかにも廃線跡・・・?
D廃線跡と言われなければ気がつかない?  E駅からハイキング小諸を歩いたときは廃線跡と気がつかなかった。
F花川駅跡? F石橋が有る(奥の左側が花川駅跡?)
F布引電気鉄道の石橋跡と思われる G廃線跡と言われなければ気がつかない?
H眺望百選桜花のトンネル H眺望百選桜花のトンネル
H眺望百選桜花のトンネル H眺望百選桜花のトンネル
4月の駅からハイキングの時の写真
H押出駅跡? I押出駅跡?
Jこの先が橋が有った所 J橋の橋台跡
K橋の橋台跡 K対岸に橋の橋台跡が見える
当時の橋梁・・・一番右の橋脚が今でも残っている
K橋の橋台跡 K橋の橋台は石をセメントで固めた簡単な構造
K洪水で橋脚が流された跡
K布引観音側の橋の橋台跡 Lこのルートが布引電気鉄道跡と思われる
L左右どちらが廃線跡か?
それとも駅で複線になっていたか?
L布引観音の駅(プラットホーム)跡と言われている
L駅跡がポンプ場になっている(右ルート)  L先ほどの右ルートで有ればこのルートを通ったと思われる。
M東御市境界 M先ほどの右ルートはこの道に繋がる?
M道幅から路盤跡と思われる N駐車場を突き抜けている
Oこの道が廃線跡か? Oこの道が廃線跡か?
 P名勝布岩:正面の断崖にくっきりと斜めに屈曲した白い層が貫いている。まるで白い布を掛けたように見えることから布岩と呼ばれている。
 布岩にまつわる伝説「牛に引かれて善光寺まいり」の中では、無信心な老婆が牛に持って行かれた布を追って善光寺にまいり信抑心が目覚めた。持ち帰った布は風に吹かれて岩壁に舞い白い化石になったという。
Q廃線跡でなければ、このトンエルは要らないはず R布下駅跡ではないかと思われる
S島川原駅跡ではないかと思われる Sこの道も廃線跡?
Sこの道も廃線跡? S東京電力 島川原発電所
引き込み線跡が有ったのでは?と推測する
1946年6月14日撮影の航空写真でももう橋は無い。
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