更新日時 2016年04月03日

廃線探索 のと鉄道能登線
 のと鉄道能登線は、石川県鳳珠郡穴水町の穴水駅と石川県珠洲市の蛸島駅を結んでいた鉄道路線である。開業以来30年間の間日本国有鉄道の経営下にあったが、国鉄末期の国鉄再建法により特定地方交通線に選定され、廃止の危機に瀕した。鉄道の存続を希望した石川県は第三セクター鉄道として能登線の存続を図り、のと鉄道を設立してこの運営を引き継がせた。能登半島の北部奥能登の南岸を走っていた路線。過疎地域に建設され、政治路線との批判を免れなかった。開業当時には既に自家用車が普及しつつあり、乗降客は数年増加したのちには早くも減少を始めた。1970年から1973年までSLによる「ふるさと列車おくのと号」が運転されるなど、国鉄時代から集客の取り組みが行われていたが、乗客減少には抗えず、沿線自治体は1981年に「能登線存続期成会」を結成して存続活動を展開。しかし1985年に第3次特定地方交通線(以下・第3次指定)候補に選定されてしまう。これを受け石川県は1986年、「能登振興のために鉄道は必要」として、第三セクターを設立して存続する意向を示し、共に三セク化によって第3次指定路線の存続を図っていた高知県・愛知県(それぞれ土佐くろしお鉄道・愛知環状鉄道を設立)とともに能登線の早期の第3次指定を国に求めた結果、1986年5月末に第3次指定に先行承認される異例の事態となった。こうして1987年に第三セクター「のと鉄道」が設立され、1988年にのと穴水駅(現・穴水駅) - 蛸島駅間が「のと鉄道能登線」として開業した。転換後に列車のフリークエンシーを向上させた結果、収支はほぼ均衡を保ち、開業初年の1988年から1990年にかけて単年度黒字を計上していた。しかしのと鉄道が七尾線の経営を引き受けた頃からのと鉄道の赤字額が目に見えて増大し始め、同時に能登線の乗客も減少していった。2004年3月23日ののと鉄道の取締役会でついに能登線の廃止が決議され、2005年4月1日付で廃止に至った。廃止後は能登中央バス・奥能登観光開発(現在は統合されて北鉄奥能登バス)による路線バス(代替バス)に転換された。乗客の平均乗車距離は13.9kmと長く、通学客への影響は大きかった。鵜飼付近から列車で石川県立七尾高等学校に通っていた学生は下宿を余儀なくされ、珠洲市内の高校へ向かう学生も混雑の激しいバスでの通学を強いられているという。能登線にある全49のトンネル入口にはいろは順に起点からひらがなの通称がつけられており、ユニークなものとなっていた。
廃線時の駅名(隧道名)
穴水駅-い-ろ-は-中居駅-に-ほ-比良駅-へ-鹿波駅-と-ち-甲駅−り−ぬ-沖波駅(立戸の浜駅)-前波駅-古君駅-る-鵜川駅-を-七見駅-矢波駅-わ-波並駅-藤波駅-か-宇出津駅-よ-た-れ-そ-つ-ね-な-ら-む-羽根駅-う-ゐ-の-お-く-小浦駅(能登小浦駅)-や-ま-け-ふ-縄文真脇駅(真脇駅)-こ-九十九湾小木駅(能登小木駅)-え-て-あ-白丸駅(能登白丸駅)-さ-き-九里川尻駅(能登川尻駅-ゆ-め-松波駅-み-し-恋路駅-ゑ-鵜島駅>-ひ-も-せ-南黒丸駅-鵜飼駅(能登鵜飼駅)-す-上戸駅-飯田駅(珠洲飯田駅)-ん-すず-珠洲駅-正院駅-蛸島駅
 @穴水駅(あなみずえき)は石川県鳳珠郡穴水町字大町ト33にある、のと鉄道七尾線の駅。同線の終着駅である。穴水町の代表駅で、七尾線から能登線が分かれたかつてのターミナル駅である。
 相対式・島式2面4線を持つ地上駅であったが、便数削減や七尾線部分廃止、能登線廃止に伴い、現在は2面2線のみを使用し、すべての定期列車が1番線から発車する。
 @のと鉄道NT100形気動車は、のと鉄道に在籍した気動車である。のと鉄道の相次ぐ路線縮小およびNT200形の登場により、2006年までに全車廃車となった。全長16m級の富士重工業製LE-DCで、能登線の移管に備え1987年から1988年にかけて13両(101〜113、以下1次車)を新製し、七尾線が移管されるとさらに13両(121〜133、以下2次車)を増備、計26両の大所帯となり、当時の私鉄の気動車の最大勢力となった。
Aのと鉄道七尾線穴水駅引き込み線。
 Bのと鉄道七尾線のレールエンド(蛸島駅から移設された) Bのと鉄道能登線の橋梁の橋台跡。
C穴水駅−中居駅間の廃線跡。
D小又橋梁(小又川)
D小又橋梁 設計:岐阜工事事務所 施工:清水建設株式会社 竣工 昭和30年5月29日。
E輪島街道架道橋。
E輪島街道架道橋 設計:株式会社北陸設計コンサルタント。
施工:大鉄工業株式会社 完成:平成10年3月25日。
F穴水駅−中居駅間の廃線跡。
Gい 穴水隧道 250.0m 穴水駅側。
Hキロポスト 1.9q。 Hキロポスト 2q。
Iい 穴水隧道 250.0m 中居駅側。
J穴水駅−中居駅間の橋梁の橋台跡。
J穴水駅−中居駅間の橋梁の橋台跡。 J穴水駅−中居駅間の廃線跡。
K穴水駅−中居駅間の廃線跡。
Lろ 麦ヶ浦隧道 378.0m 穴水駅側。
Mろ 麦ヶ浦隧道内部。 M勾配標 ここを起点に22‰の勾配が両方向へ。
Nろ 麦ヶ浦隧道 378.0m 中居駅側。
Nは 中居隧道 275.0m 穴水駅側。
Oは 中居隧道 275.0m 中居駅側。
P穴水駅−中居駅間の廃線跡。 P穴水駅−中居駅間の橋梁。
Q穴水駅−中居駅間に有った煉瓦作りの道路トンネル。
R穴水駅−中居駅間の橋梁。 S穴水駅−中居駅間の橋梁。
 @中居駅(なかいえき)は、石川県鳳珠郡穴水町中居にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。
@片面ホーム1面1線を持つ地上駅。 駅舎はなくホーム上に待合所があるのみ。 無人駅である。
A向洋小前の廃線跡。
A向洋小前の海。
B中居駅−比良駅間の廃線跡。 Bに 第一比良隧道 90.0m。
Bに 第一比良隧道 中居駅側。 Bに 第一比良隧道内のキロポスト。
Cに 第一比良隧道 比良駅側。
C中居駅−比良駅間の廃線跡。
D中居駅−比良駅間の橋梁。
Eほ 第二比良隧道 212.0m 中居駅側。
Fほ 第二比良隧道 比良駅側。
F中居駅−比良駅間の橋梁。 G中居駅−比良駅間の橋梁。
H中居駅−比良駅間の橋梁。 H中居駅−比良駅間の橋梁。
I中居駅−比良駅間の跨線橋。 I中居駅−比良駅間の廃線跡。
 I比良駅(びらえき)は、石川県鳳珠郡穴水町比良にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。東海交通事業城北線、JR西日本湖西線、及び江若鉄道(廃線)に同じ書き方の比良駅があるが、読みは全て「ひら」駅である。付近に向洋中学校があったことから、通学時間帯には活況を呈していた。
 I相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。 かつては1面1線の単式ホームだったが、のと鉄道転換後にホーム増設を行い、交換設備を設置した。無人駅。駅舎なし。
J比良駅-鹿波駅間の橋梁の橋台跡。 K比良駅-鹿波駅間の橋梁。
L比良駅-鹿波駅間の橋梁? L比良駅-鹿波駅間の廃線跡。
L比良駅-鹿波駅間の廃線跡。 L比良駅-鹿波駅間の廃線跡。
M比良駅-鹿波駅間の廃線跡。 Mへ 川尻隧道手前の小屋。
Mへ 川尻隧道 1259.0m 比良駅側。
Nへ 川尻隧道内のキロポスト。  N水が出ている、お腹をこわすといけないので顔を洗っただけ。
Oへ 川尻隧道内のキロポスト。 Oへ 川尻隧道内の鉄道設備。
Oへ 川尻隧道内のキロポスト 9q。 Pへ 川尻隧道内のキロポスト 9.5q。
Qへ 川尻隧道 鹿波駅側。
Q比良駅-鹿波駅間の廃線跡。 Q比良駅-鹿波駅間の橋梁。
Q比良駅-鹿波駅間の橋梁。
 R道路の真ん中に蛇の死体かと思ったら生きていた。 R比良駅-鹿波駅間の廃線跡。
 S鹿波駅(かなみえき)は、石川県鳳珠郡穴水町鹿波にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。当初は1kmほど集落寄りに設置される予定だったが、地元住民の反対で廃止時の位置になったのだという。そのため、辺りには目立った建物はなく、同線の白丸駅と共にいわゆる秘境駅として知られていた。待合室には訪問者が残した駅ノートが残されていた。但し現在は待合室に立ち入ることはできない。
S片面ホーム1面1線を持つ地上駅。 駅舎はなくホーム上に待合所があるのみ。 無人駅である。
S鹿波駅−甲駅間の廃線跡。 @鹿波駅−甲駅間の橋梁。
Aと 鹿波隧道 190.0m 鹿波駅側 地質:砂質 凝灰岩
施工:川田工業株式会社 工期:1956年6月〜1957年11月。
Aと 鹿波隧道。 Bと 鹿波隧道 甲駅側。
Bと 鹿波隧道 甲駅側の入口に蜂の巣が・・・ Bと 鹿波隧道 甲駅側。
C鹿波駅−甲駅間の廃線跡。
C鹿波駅−甲駅間の橋梁。 D鹿波駅−甲駅間の廃線跡。
Dち 野並隧道 745.0m 鹿波駅側 地質:砂質 凝灰岩
施工:清水建設株式会社 工期:1956年8月〜1958年2月。
Eち 野並隧道内の勾配標。 Eち 野並隧道内のキロポスト 12.5q。
Eち 野並隧道内のキロポスト 13q。 Fち 野並隧道 甲駅側。
Fち 野並隧道 甲駅側。 Fち 野並隧道 甲駅側に有る勾配標。
F鹿波駅−甲駅間の廃線跡。 G鹿波駅−甲駅間の廃線跡。
H鹿波駅−甲駅間の廃線跡。
 I甲駅(かぶとえき)は、石川県鳳珠郡穴水町甲にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃線により廃駅となった。かつての急行停車駅。廃止時点では無人駅であったが、タブレット閉塞時代は有人駅であった。ブロック積みのしっかりとした駅舎があり、また自動券売機の設置もあった。構内の側線にオユ10形2565号が保存されていたが、廃駅を控えた2004年11月に能登中島駅に移された。
I島式ホーム1面2線を持つ地上駅。
I甲駅−沖波駅間の廃線跡。
Jり 黒崎隧道 114.0m 甲駅側 地質:凝灰岩 一部集塊岩。
施工:酒井建設 工期:1956年9月〜1958年3月。
Kり 黒崎隧道 沖波駅側。
L甲駅−沖波駅間の橋梁。 L沖波橋梁 施工:北都組
工期:1956年10月〜1957年2月。
Mぬ 沖波隧道 80.0m 甲駅側 地質:凝灰岩 一部集塊岩
施工:酒井建設 工期:1956年12月〜1957年12月。
Nぬ 沖波隧道 沖波駅側。
O甲駅−沖波駅間の廃線跡。
P甲駅−沖波駅間の廃線跡。 P沖波架道橋 施工:北都組
工期:1956年12月〜1957年7月。
 P沖波駅(おきなみえき)は、石川県鳳珠郡穴水町沖波にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。国鉄・JR時代には海水浴シーズンのみ旅客営業を行っていた。
P片面ホーム1面1線を持つ地上駅。 駅舎はないが大きな待合所がある。 無人駅である。
 Q前波駅(まえなみえき)は、石川県鳳珠郡穴水町前波にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。国鉄時代、隣の沖波駅(国鉄・JR時代には「立戸ノ浜駅」と呼称)は夏にしか営業していなかったため、沖波駅周辺の住民は普段はこの前波駅を利用していた。
Q単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎はなく待合所のみが設置されていた。無人駅であった。
R前波駅-古君駅間の廃線跡。 R前波駅-古君駅間の橋梁。
S前波駅-古君駅間の廃線跡。
@前波駅-古君駅間の橋梁。 A前波駅-古君駅間の廃線跡。
 B古君駅(ふるきみえき)は、石川県鳳珠郡穴水町花園にあったのと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎はなく待合所のみが置かれていた。無人駅となっていた。
C古君駅-鵜川駅間の橋梁。 C古君駅-鵜川駅間の橋梁。
D古君駅-鵜川駅間の橋梁。 D古君駅-鵜川駅間の廃線跡。
E古君駅-鵜川駅間の橋梁。 E古君駅-鵜川駅間の廃線跡。
Fる 大円山隧道 598.0m 古君駅側 地質:砂質凝灰岩
施工:大和建設 工期:1956年11月〜1958年03月。
Gる 大円山隧道内のキロポスト 22q。 Gる 大円山隧道内の勾配標。
Hる 大円山隧道 598.0m 鵜川駅側。
I古君駅-鵜川駅間の橋梁。
 J鵜川駅(うかわえき)は、石川県鳳珠郡能登町鵜川にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。
 J島式ホーム1面2線と側線数本を有する地上駅。ブロック造りのしっかりとした駅舎があった。平日のみ駅員が配置されていた。
J鵜川駅(うかわえき)
Kを 鵜川隧道 424.7m 鵜川駅側 地質:砂質凝灰岩
施工:大日本土木 工期:1956年11月〜1957年12月。
Kを 鵜川隧道 コウモリがいる。 Kを 鵜川隧道。
Lを 鵜川隧道 424.7m 七見駅側。
M七見駅(しちみえき)の勾配標。
 M七見駅(しちみえき)は、石川県鳳珠郡能登町七見にあったのと鉄道能登線の駅。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。
 M単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。無人駅で駅舎は設置されなかったが、ホーム上に待合室は設置されていた。能登線が第三セクターに転換されてから設置された唯一の駅であった。
 N矢波駅(やなみえき)は石川県鳳珠郡能登町矢波にあった、のと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。
N単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅であった。
O勾配標。 O第一矢波橋梁 施工:大日本土木
工期:1959年5月〜1959年5月
Pわ 波並隧道 100.0m 矢波駅側 地質:集塊岩
施工:川田工業株式会社 工期:1958年1月〜1959年6月
Qわ 波並隧道 波並駅側。
Q矢波駅−波並駅間の廃線跡。 R第一波並開橋 施工:川田工業株式会社
工期:1958年5月〜1959年2月。
 S波並駅(はなみえき)は石川県鳳珠郡能登町波並にあった、のと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。
 S単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅であった。 @施工:川田工業株式会社
工期:1958年7月〜1958年12月。
@波並駅−藤波駅間の橋梁。 A波並駅−藤波駅間の橋梁。
B波並駅−藤波駅間の廃線跡。
 C藤波駅(ふじなみえき)は石川県鳳珠郡能登町藤波にあった、のと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。廃線後も駅舎・ホームとその周辺の線路は現役当時のまま残されている。
C単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅であった。
D藤波駅-宇出津駅間の橋梁。 D藤波駅-宇出津駅間の廃線跡。
E藤波駅-宇出津駅間の廃線跡。 Eか 第一宇出津隧道 775.0m。
Eか 第一宇出津隧道手前の勾配標。 Eか 第一宇出津隧道 藤波駅側。
Eか 第一宇出津隧道 地質:凝灰岩
施工:清水建設株式会社 工期:1958年2月〜1959年5月
Gか 第一宇出津隧道 宇出津駅側。
G藤波駅-宇出津駅間の廃線跡。 H藤波駅-宇出津駅間の廃線跡。
 I宇出津駅(うしつえき)は、石川県鳳珠郡能登町宇出津にあった、のと鉄道能登線の駅。能登線運行上の要となる駅であったが、能登線の廃止により2005年3月いっぱいで廃駅となった。かつての急行停車駅。
Iのと鉄道本社(2005年3月に穴水町に移転)
 I島式ホーム1面2線を有する地上駅であった。有人駅とされていた。そのほか複数の側線があった(現在は全て撤去)。
 I2006年(平成18年)4月13日に、駅舎の一部を利用して、能登町の名産品の展示販売もする観光案内所『ぽっぽ家』が開業した。駅前の広場はバスターミナルとして、また駐車場としても引き続き利用されており、駅の待合室も休憩所の役割を果たしているため、人の往来は多い。タクシーも常時客待ちをしている。
Eむ 第一羽根隧道 213.0m。
  F羽根駅(はねえき)は石川県鳳珠郡能登町羽根にあった、のと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。
 F単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅であった。カーブの位置にあり、列車が停車すると車内は傾いていた。
Lく 第三小浦隧道 118.0m。 L小浦駅(おうらえき)
 L小浦駅(おうらえき)は石川県鳳珠郡能登町小浦にあった、のと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。
 L単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。無人駅となっていた。小高い場所に位置し、駅裏は急斜面となっている。
L小浦駅(おうらえき) L小浦駅から国道に向かう道は自動車は通れない。
 S縄文真脇駅(じょうもんまわきえき)は石川県鳳珠郡能登町真脇にあった、のと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。かつての急行停車駅。
 S縄文真脇駅(じょうもんまわきえき)は石川県鳳珠郡能登町真脇にあった、のと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。かつての急行停車駅。
 S1981年に当駅付近で縄文時代の遺跡が発見され(真脇遺跡)、それに因んでのと鉄道への移管時に「縄文真脇」に改称された。ログハウス風の駅舎があり、第4回中部の駅百選に選ばれている。単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅となっていた。
 S【真脇遺跡】昭和57,58年の発掘調査によって、縄文時代の前期初頭(約6000年前)から晩期終末(約2000年前)までの、実に4000年も繁栄を続けた、他に例を見ない長期定住型集落遺跡である事が判明した。大量の出土品は極めて多彩。土器・石器・装身具・編物縄類・木製品・用途不明な巨大柱・大量のイルカ類骨など、我々に縄文時代観の見直しを迫る貴重な遺跡である。平成元年1月9日、37,599.94uが国指定遺跡となった。さらに大量の出土品のうち219点が、平成3年6月21日、国の重要文化財の指定を受けた。
 B九十九湾小木駅(つくもわんおぎえき)は石川県鳳珠郡能登町市之瀬にあった、のと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。かつての急行停車駅。
B島式ホーム1面2線を有する地上駅であった。 綺麗な駅舎があり、第2回中部の駅百選に選ばれている。
B九十九湾小木駅。
I跨線橋から見る白丸駅(しろまるえき) I跨線橋から見る廃線跡。
 I白丸駅(しろまるえき)は、石川県鳳珠郡能登町白丸にあったのと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)4月1日、能登線廃止に伴い廃駅となった。
 I単式ホーム1面1線を持つ地上駅であった。駅舎はなくホーム上に待合所が設置されていた。無人駅となっていた。以前あった自転車小屋は山火事で消失している。 白丸の集落からは約2kmほど離れており、乗降客は少なかった。当駅は一部のファンの間では秘境駅とされていた。
N白丸駅−九里川尻駅間の橋梁の橋台跡。 N白丸駅−九里川尻駅間の廃線跡。
 O九里川尻駅(くりかわしりえき)は石川県鳳珠郡能登町九里川尻にあった、のと鉄道能登線の駅。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。無人駅であった。
P九里川尻−松波駅間の橋梁。
@九里川尻−松波駅間の橋梁の橋台跡。 @松波川橋梁。
@松波川橋梁 施工:北都組 工期:1960年9月〜1961年3月。
 A松波駅(まつなみえき)は、石川県鳳珠郡能登町松波にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。かつての急行停車駅。現在は、能登町のボランティアグループ民有『歴史文化』資産の保存活用を考える会によって改修され、奥能登トリビア蔵「松波城址情報館」として新たにオープンしている。
 A島式ホーム1面2線を持つ地上駅。側線1本(珠洲方面)。 コンクリート平屋建ての立派な駅舎がある。直営駅である。隣の恋路駅はその駅名が縁起がいいとされ、入場券や乗車券のニーズがある。しかし無人駅なので、入場券などの販売は当駅で代わりに行っている。
B松波駅−恋路駅間の廃線跡。
B松波駅−恋路駅間の廃線跡。 Cみ 松波隧道 205.0m。
E松波駅−恋路駅間の廃線跡。
 H恋路海岸(こいじかいがん)は、能登半島七尾北湾に位置する石川県鳳珠郡能登町の1kmの海岸。沖には、弁天島が浮かぶ。 海岸名の由来は、この付近であった悲恋伝説によるもの。毎年7月27日には、悲恋伝説にちなんだ恋路の火祭りが行われる。 夏は海水浴でにぎわう。名前から、カップルで訪れる人が多く、近くに設置されているハート型のモニュメントに鐘があり、二人で鳴らすと恋が成就すると言われている。また見附島から恋路海岸までの3.5kmの海岸線は、「えんむすビーチ」と言われている。
 Hかつて、鍋乃と助三郎の愛し合う二人がいたが、そのことに嫉妬した男のために、生きているうちに二人は結ばれなかったと言う伝説がある。この二人の悲しい恋物語を伝える像が建っている。
 H約700年の昔、木朗の里の助三郎と、多田の里の鍋乃は、人目を忍んでこの浜で逢瀬を重ねていた。暗い夜、鍋乃のともす灯は助三郎の唯一の目標であり、愛する二人を結ぶ希望の灯でもあった。鍋乃に思いを寄せるもう一人の男源次は、二人の仲をねたみ、灯を崖のはずれに移してだまし、助三郎は深い海から帰らぬ人となり、鍋乃も源次の求愛をしりぞけ、海に身を投げ、助三郎のあとを追った。この悲しい恋の物語を秘めた浜は、いつ頃からか「恋路」と呼ばれる様になったと伝えられる。
Gし 恋路隧道 510.0m。
 I恋路駅(こいじえき)は石川県鳳珠郡能登町恋路にあった、のと鉄道能登線の駅。急行停車駅(ただし「のと恋路号」のみ)であった。2005年(平成17年)、能登線の廃止により廃駅となった。全国的にも珍しい「恋」のつく駅であり、その縁起のよさから記念入場券の発行が行われ(但し販売は隣の松波駅で行われていた)、廃線された今でも多くの訪問者がある。
 I単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅であった。 ホームは築堤上にあり、地上部とは階段で結ばれていた。階段はきれいに整備されており、足元を照らす街灯があった。この街灯は廃止後も点灯している。
I駅待合室には駅ノートが設置されている。また待合室の壁には多くの落書きがされている。
L恋路駅−鵜島駅間の廃線跡。 L鵜島駅に登る階段。
 L鵜島駅(うしまえき)は、石川県珠洲市宝立町鵜島にあったのと鉄道能登線の駅である。蛸島方面の列車は当駅から珠洲市に入っていたが、2005年に能登線の廃止により廃駅となった。
 L片面ホーム1面1線を持つ地上駅。 駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅であった。 築堤の上にあるためホームへは階段をのぼる。 当駅は無人駅であった。
Mひ 第一鵜島隧道 204.0m。
L鵜島駅下の橋梁? L鵜島駅−南黒丸駅間の橋梁。
Q鵜島駅−南黒丸駅間の廃線跡。 Q鵜島駅−南黒丸駅間の廃線跡。
 R南黒丸駅(みなみくろまるえき)は、石川県珠洲市宝立町南黒丸にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。片面ホーム1面1線を持つ地上駅。 駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅である。 当駅は無人駅である。
S南黒丸駅−鵜飼駅間の廃線跡。
@南黒丸駅−鵜飼駅間の橋梁。
 A鵜飼駅(うかいえき)は石川県珠洲市宝立町鵜飼にあるのと鉄道能登線の駅であり、2005年(平成17年)同線廃止により廃駅となった。かつての急行停車駅。廃線後も駅舎は保存され路線バスの待合所として、また宝立町内にある小・中・高等学校のギャラリーとして活用されている。第3回中部の駅百選に選ばれている。
 A相対式ホーム2面2線を有する地上駅。以前は1面1線であったが、1996年にホームの増設を行い、列車同士の行き違いが可能となった。
A鵜飼駅。
A鵜飼駅。
B鵜飼駅−上戸駅間の廃線跡。
C鵜飼駅−上戸駅間の橋梁。
D鵜飼駅−上戸駅間の橋梁。 D鵜飼駅−上戸駅間の廃線跡。
Dす 谷崎隧道 353.3m 鵜飼駅側 地質:珪藻泥岩
施工:株式会社北都組 工期:1961年12月〜1963年3月
Eす 谷崎隧道内の勾配標。 Eす 谷崎隧道内のキロポスト 53q。
Fす 谷崎隧道 353.3m 上戸駅側。
F鵜飼駅−上戸駅間の廃線跡。 G鵜飼駅−上戸駅間の橋梁。
 H上戸駅(うえどえき)は、石川県珠洲市上戸町寺社にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止に伴い廃駅となった。
 H単式ホーム1面1線を持つ地上駅であった。 開業当初からの無人停留所で、乗降客は少なかった。 駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅であった。無人駅であった。
I上戸駅−飯田駅間の廃線跡。
J上戸駅−飯田駅間で国道を潜る。 K上戸駅−飯田駅間の橋梁
K上戸駅−飯田駅間の廃線跡。 L上戸駅−飯田駅間の廃線跡。
L上戸駅−飯田駅間の廃線跡。 M上戸駅−飯田駅間の廃線跡。
M上戸駅−飯田駅間の廃線跡 M北方橋梁 施工:株式会社北都組
工期:1963年6月〜1963年7月。
 N飯田駅(いいだえき)は、かつて石川県珠洲市上戸町北方にあったのと鉄道能登線の駅。かつての急行停車駅。珠洲市中心部に最も近い鉄道駅であったが、2005年の能登線の廃止に伴い廃駅となった。
 単式ホーム1面1線。駅舎はあるが無人駅である。駅舎は蛸島や正院に似ている。 ホームは駅舎や地平より高い位置にあるため階段で連絡している。本来この駅は長野県の飯田駅と区別して能登飯田駅となるべきであったが国鉄バス能登飯田駅との区別をつける必要もあったため珠洲飯田駅とした。それをのと鉄道転換時に飯田駅と改称したのである。 しかし、ホームの駅名標は珠洲飯田表記のままのものが残っていた。
Oん 春日隧道 96.3m 飯田駅側 施工:株式会社北都組
工期:1962年2月〜1963年9月。
Oん 春日隧道内の勾配標。 Pん 春日隧道 96.3m 珠洲駅側。
Pん 春日隧道 96.3m 珠洲駅側。 Pすず 珠洲隧道 174.2m。
P春日橋梁 施工:株式会社北都組 工期:1962年4月〜1963年12月。
P春日橋梁。奥は、ん 春日隧道。 P56.5qのキロポスト。
Pすず 珠洲隧道 174.2m 飯田駅側 施工:株式会社北都組 工期:1962年3月〜1963年4月。
Qすず 珠洲隧道 174.2m 珠洲駅側。
Q飯田駅−珠洲駅間の廃線跡。 Qすず 珠洲隧道 174.2m 珠洲駅側。
Q飯田駅−珠洲駅間の橋梁の橋台跡。
R飯田駅−珠洲駅間の廃線跡。
 S珠洲駅(すずえき)は、石川県珠洲市野々江町にあったのと鉄道能登線の駅。2005年、能登線の廃止により廃駅となったが駅舎は一時保存され、珠洲市が待合室ならびに駅事務室を改装、奥能登すずなり市場と称し地元特産物を販売していたが、08年末に検車庫等の付随施設も買収、さらに翌09年初頭には駅舎ごと取り壊し、それ以降は多目的広場ならびに駐車場、また前述の市場に付随したバスターミナルを再建する予定である。
 S島式ホーム1面2線をもつ地上駅であった。側線や車庫が設置された主要駅で、夜間滞泊も設定されていた。
 S当時この駅は列車運行上の節目となる駅とされ、当駅発着または長時間停車する列車が数多く設定されていた。 なお駅舎からホームへは構内踏切で数本の線路を渡る。
S駅舎は鉄道廃止まで平屋建ての直営駅で、駅裏に位置する石川県立飯田高等学校、ならびに珠洲市総合病院へ向かう人々のためにホームから直接出ることのできる出入り口が設けられ、廃駅後も駅を隔てる南北の往来に利便を図るため、毎日午前8時から午後5時までは徒歩による通り抜けが可能であった。
@珠洲駅−正院駅間の廃線跡。 @珠洲駅−正院駅間の廃線跡。
A珠洲駅−正院駅間の廃線跡。
A珠洲駅−正院駅間の廃線跡。
C珠洲駅−正院駅間の廃線跡。 C金川橋橋梁。
C金川橋橋梁 施工:株式会社北都組 工期:1963年10月〜1963年11月。
 D正院駅(しょういんえき)は、石川県珠洲市正院町正院にあったのと鉄道能登線の駅である。2005年、能登線の廃止により廃駅となった。
D片面ホーム1面1線を持つ地上駅。 小さなコンクリートの駅舎がある。蛸島駅のものとよく似ている。
DJR時代は委託の駅員が配置されていたがのと鉄道への転換と同時に無人駅となった。
E正院駅−蛸島駅間の廃線跡。
F正院駅−蛸島駅間の廃線跡。
G飯川橋梁 施工:株式会社北都組 工期:1963年5月〜1963年11月。
H正院駅−蛸島駅間の廃線跡。
I正院駅−蛸島駅間の廃線跡。
I正院駅−蛸島駅間の橋梁。 J正院駅−蛸島駅間の橋梁。
J正院駅−蛸島駅間の廃線跡。 Jのと鉄道NT100形気動車。
 J全長16m級の富士重工業製LE-DCで、能登線の移管に備え1987年から1988年にかけて13両(101〜113、以下1次車)を新製し、七尾線が移管されるとさらに13両(121〜133、以下2次車)を増備、計26両の大所帯となり、当時の私鉄の気動車の最大勢力となった。エンジンは日産ディーゼル製PE6HT03を搭載、変速装置は新潟鉄工所製TACN-22-1103Aが採用された。着雪防止のため全体に丸みを帯びたデザインとなり、能登線に連続するトンネルに備えて貫通路上部にヘッドライトを追加して設置するなど、路線の事情に対応した設計が目立つ。車内は中央に左右3組ずつボックスシートを配したセミクロスシートで、モケットの色は1次車がオレンジ、2次車が赤と異なっている。ステップにはヒーターを装備し、汚物処理装置のポンプ凍結防止のためトイレにもヒーターを備える。七尾線部分廃止時に3両が廃車され、その後も2004年までに5両が廃車されている。2005年の能登線廃止後はお座敷車両「やすらぎ」を含む5両を残して廃車され、ミャンマー国鉄に譲渡されている。その後、NT200形が3両追加増備されたのに伴って3両が廃車となり、最後まで残ったお座敷車両127も、予備車として残っていた1両とともに2006年12月31日付で廃車となりNT100形は廃形式となった。
 JNPO法人「のとエア・レール21」によって1両 (NT102) が動態保存され、蛸島 - 正院間の保線区間を定期的に走行している(土曜、日曜、夏休み期間中など)。現在も稼働状態にある唯一のNT100形である。
  J廃駅後の2006年8月には、珠洲市で開催されたボーイスカウトの全国大会「第14回日本ジャンボリー」において、列車と綱引きをして何人の力で動かせるかというプログラムに利用され、ホームに置かれていた気動車が、汽笛を鳴らしたりと往年の姿を思わせる復活をした。
 J現在駅舎はNPO法人「のとレールエア21」が管理しており、内部が一般公開されることがある。このほか、NT100形気動車が、駅から200mほど西側の築堤上に設置された「新蛸島駅」に保存され、ゴールデンウィークや夏休みなどを中心に走行している。この車両は、蛸島駅西側に新しい道路が建設されたことにより線路が分断されたため、新蛸島駅に移設されたものである。
 K蛸島駅(たこじまえき)は、石川県珠洲市正院町にあったのと鉄道能登線の駅(廃駅)。能登線の終着駅でもあった。能登線の廃線に伴い、2005年(平成17年)に廃止された。
 KJR時代は駅員が配置されていたが、のと鉄道への転換以来無人駅となっていた。また出札窓口が残っており、鉄道グッズが販売されていた。転換後、当駅以東への延伸が検討されたこともあるが、実現することはなかった。
 K単式ホーム1面1線のみを持つ地上駅。線路は当駅から先ほんの数メートルほど伸びて終わっていた。線路の末端にあった車止めは廃止後撤去され、現在は穴水駅構内で使用されている。小さなコンクリート造りの駅舎は、珠洲市正院町にあったが、ホームは珠洲市正院町と同市蛸島町にまたがっていた。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『穴水町・能登町』を掲載」