更新日時 2010年03月02日

 JR敦賀駅と敦賀港駅を結ぶ貨物専用の「JR敦賀港線」(2.7q)で2009年(平成21)3月31日(火)をもって休止され、127年の歴史に幕を閉じた。JR貨物によると、運行停止後に再開した例はこれまでなく、線路は残るが事実上の廃線になる見込み。
日本貨物鉄道
北陸本線貨物支線(敦賀港線) 敦賀駅 - 敦賀港駅
1882年(明治15年)03月10日 - 官設鉄道の敦賀 - 金ヶ崎(現・敦賀港)間(現在の敦賀港線)開業に。
1897年(明治30年)09月20日 - 敦賀 - 金ヶ崎間旅客営業廃止。
1919年(大正08年)01月11日 - 敦賀 - 敦賀港間旅客営業再開。
1987年(昭和62年)03月31日 - 敦賀港線の旅客営業廃止。
 @敦賀駅(つるがえき)は、福井県敦賀市鉄輪町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。日本海側の港町として栄えた敦賀市の中心駅である。駅前には都奴賀阿羅斯等(つぬがあらしと)の銅像、駅前通りには港町にちなみ宇宙戦艦ヤマトおよび、鉄道の町ということで銀河鉄道999の銅像がそれぞれ設置されている。
@都奴賀阿羅斯の銅像。 @福井鉄道のバスにも銀河鉄道999。
@銀河鉄道999の銅像。
@敦賀駅前の宇宙戦艦ヤマトおよび銀河鉄道999のパネルが設置されている。
@敦賀駅100周年記念。昭和57年3月。 @看板には敦賀港線の路線図が残っている。
A敦賀駅構内。
B敦賀駅からこの辺で北西方向へ敦賀港線が分岐している。
C敦賀港線の勾配標と小さな橋梁が残る。
C敦賀港線の踏切は警報機が倒されて、柵で閉鎖されている。
D県道210号線を渡る踏切も撤去されている。
D県道210号線を渡る踏切も撤去されている。
E敦賀港線の廃線(休止線)跡。
F敦賀港線の廃線(休止線)跡。第一瓜割踏切。
G敦賀港線の廃線(休止線)跡。
H敦賀港線の廃線(休止線)跡。
I敦賀港線の廃線(休止線)跡。
J敦賀港線の廃線(休止線)跡。
K敦賀港線の廃線(休止線)跡。
L敦賀港線の廃線(休止線)跡。
L敦賀港線の廃線(休止線)跡。
M敦賀港線の廃線(休止線)跡。
N敦賀港線の廃線(休止線)跡。
N敦賀港線の廃線(休止線)跡。
O敦賀港線の廃線(休止線)跡。
P敦賀港線の廃線(休止線)跡。
Pここから敦賀港駅構内へ続く。
Q敦賀港駅構内のラッセル車。途中の線路が撤去されたためもう本線には戻れない。
 Q敦賀港駅(つるがみなとえき)は、福井県敦賀市金ヶ崎町にある日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅である。北陸本線貨物支線(通称:敦賀港線)の終着駅である。2009年(平成21年)4月より貨物列車がなくなり、駅設備の一部が敦賀港オフレールステーション(略称:敦賀港ORS)として営業している。
 Q駅北側の金ヶ崎山トンネルで抜け、敦賀セメント敦賀工場へ至る同社の専用線があり、セメントを当駅から北陸地方や滋賀県・京都府のセメント包装所へ発送していた。
R金ヶ崎山トンネルの先は敦賀セメント株式会社に続いている。
Q敦賀港駅ランプ小屋。
 S敦賀港は、明治32年(1899年)に外国貿易港に指定された。この倉庫は紐育(ニューヨーク)スタンダード石油会社が明治38年に石油の輸入を開始したときに石油貯蔵庫として建設された。2棟のイギリス積み煉瓦造平屋建の倉庫は外国人技師の設計と伝えられている。この倉庫は、第二次世界大戦中は軍の被服庫として、その後は海産物の貯蔵庫として使用されたが、平成15年に敦賀市に寄贈された。内部には、柱型を出さずに、桁方向の内壁には1から65までの石油缶整理用の数字が残されている。
S敦賀港駅の車止め。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 JR敦賀港線(休止線)