更新日時 2014年11月19日

 越後交通長岡線は、新潟県長岡市に本社を置く越後交通が運行していた、三島郡越路町(現長岡市)の来迎寺駅から西長岡駅、大河津駅(現JR越後線寺泊駅)を経由して、三島郡寺泊町(現長岡市)の寺泊駅(前出の現・寺泊駅とは異なる)までを結んでいた鉄道路線。1915年(大正4年)10月7日与板 - 大河津 - 寺泊間が長岡鉄道として開業した。1916年(大正5年)1月5日西長岡 - 与板間が延伸開業、1921年(大正10年)11月18日来迎寺 - 西長岡間(来迎寺線)が延伸開業し、全線開通を果たした。1928年(昭和3年)には日本で初めてディーゼルカーを導入している。沿線住民には長鉄(ちょうてつ)の通称で親しまれていた。しかし、国鉄長岡駅への乗り入れが無く、非電化路線であることから運行速度の遅い長岡鉄道は深刻な赤字に悩まされた。1960年(昭和35年)長岡鉄道・栃尾鉄道・中越自動車の三社合併により越後交通となると長岡線と改称された。しかし長岡市中心部への接続がない当線は、自家用車の普及や需要の減少により乗客数は減り続け、1975年(昭和50年)3月31日には旅客営業が廃止された。その後は貨物専業に転換、区間を縮小しながらも営業を続けたものの、こちらも既に需要が頭打ちであった。そして1995年(平成7年)3月31日、全線が廃止となった
越後交通長岡線
来迎寺駅 - 深沢駅 - 上富岡駅 - 才津駅 - 有栗駅 - 西長岡駅 - 西中学校前駅 - 日越駅 - 上除駅 - 越後関原駅 - 越後日吉駅 - 王寺川駅 - 脇野町駅 - 越後大津駅 - 槙原駅 - 上与板駅 - 与板駅 - 岩方駅 - 町軽井駅 - 大河津分水駅 - 大河津駅 - 法崎駅 - 寺泊新道駅 - (臨)金山駅 - 寺泊海水浴駅 - 寺泊温泉駅 - 寺泊駅
 @来迎寺駅(らいこうじえき)は、新潟県長岡市来迎寺にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の駅である。長岡市越路地区の中心駅。以前は信越本線・魚沼線・越後交通長岡線の3路線が接続する交通の要衝であったが、現在は信越本線のみである。かつては急行「きたぐに」が停車していた。
 @来迎寺駅構造は相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。両ホームは跨線橋で連絡されている。1番線の長岡寄りには頭端式(切り欠き型)の0番線があった。魚沼線のホームだったが、既に廃止されている。2番線側は以前、島式ホームで3番線も設けられていた。またその北側には廃線となった越後交通長岡線の引込線・側線等があったが、現在はすべて撤去され、跡地は宅地化されている。業務委託駅で、駅業務はジェイアール新潟ビジネスが受託している。駅舎には、みどりの窓口(営業時間 7:20 - 18:10・途中で営業を休止する時間帯あり)、自動券売機の他、待合室、自動販売機、トイレなどがある。また、駅舎横には駅の南北を連絡する地下通路が設けられている。
A越後交通長岡線の来迎寺駅 - 深沢駅間の廃線跡。
B越後交通長岡線の来迎寺駅 - 深沢駅間の廃線跡。ガーター橋が残る。
C越後交通長岡線の来迎寺駅 - 深沢駅間の廃線跡。
D越後交通長岡線の深沢駅跡。プラットホームの跡が残る。
E越後交通長岡線の深沢駅 - 上富岡駅間の廃線跡。
F越後交通長岡線の深沢駅 - 上富岡駅間の廃線跡。橋台とレールの一部が残る。
G越後交通長岡線の深沢駅 - 上富岡駅間の廃線跡。
H越後交通長岡線の上富岡駅跡。
I越後交通長岡線の上富岡駅 - 才津駅間の廃線跡。道路に踏切跡のレールが残る。
J越後交通長岡線の上富岡駅 - 才津駅間の廃線跡。高速道の之下を潜る。
K越後交通長岡線の才津駅跡。
L越後交通長岡線の才津駅 - 有栗駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。
M越後交通長岡線の有栗駅跡。
N越後交通長岡線の有栗駅 - 西長岡駅間の廃線跡。
O越後交通長岡線の有栗駅 - 西長岡駅間の廃線跡。
P越後交通長岡線の有栗駅 - 西長岡駅間の廃線跡。
Q越後交通長岡線の有栗駅 - 西長岡駅間の廃線跡。
 R西長岡駅(にしながおかえき)は、かつて新潟県長岡市大島本町に存在した越後交通長岡線の駅である。小さな駅舎と大きな車両倉庫を持つ地上駅で2面4線の折り返し運転用のスイッチバック構造になっており、また当線の車両基地としても担っているため敷地面積は比較的大きい。ちなみに本来はスイッチバックではなく、長岡駅方向に信濃川を長橋梁で渡して国鉄の長岡駅に接続する計画であったが、橋梁を作るための予算がおりなかったため、このような駅構造になってしまったとのこと。駅舎や車庫は全て取り壊され、レールや架線柱も撤去された。跡地にはスーパーマーケットや住宅等が建設されている。
S越後交通長岡線の西長岡駅 - 西中学校前駅間の廃線跡。
@越後交通長岡線の西長岡駅 - 西中学校前駅間の廃線跡。
A越後交通長岡線の西中学校前駅跡。
B越後交通長岡線の西中学校前駅 - 日越駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。
C越後交通長岡線の西中学校前駅 - 日越駅間の廃線跡。踏切跡にレールが残る。
D越後交通長岡線の日越駅跡。
E越後交通長岡線の日越駅 - 上除駅間の廃線跡。
F越後交通長岡線の上除駅跡。
G越後交通長岡線の上除駅 - 越後関原駅間の廃線跡。
 H越後交通長岡線の越後関原駅跡。越後関原駅(えちごせきはらえき)は、新潟県長岡市関原に存在した越後交通長岡線の駅である。モルタルとコンクリートによる一階建てで、10平方m程の面積の駅舎を持っていた地上駅である。駅舎およびホームは撤去されており、更地化された駅構内は草むらとなっている。
I越後交通長岡線の越後関原駅 - 越後日吉駅間の廃線跡。高速道路の下に架線の碍子が残る。
J越後交通長岡線の越後日吉駅跡。
 K越後交通長岡線の王寺川駅跡。王寺川駅(おうじがわえき)は、新潟県三島郡河根川町(現長岡市)に存在していた越後交通長岡線の駅である。1面3線の切欠きホームであり地上駅であった。 外側にもう一本線路があったが、ホームは存在しておらず、列車交換用に設けられた可能性が高い。また、与板方向のホーム先端が切欠き構造となっていた。 その部分は貨物用として使用されていたと思われる。駅周辺の地名である「王番田町」・「寺宝町」・「河根川町」の各町名の一字取り、「王寺川」という駅名となった。周辺地域の地名も王寺川地区と呼ばれている。
L越後交通長岡線の王寺川駅 - 脇野町駅間の廃線跡。踏切跡にレールが残る。
M越後交通長岡線の王寺川駅 - 脇野町駅間の廃線跡。踏切跡にレールが残る。
N越後交通長岡線の王寺川駅 - 脇野町駅間の廃線跡。
 O越後交通長岡線の脇野町駅跡。脇野町駅(わきのまちえき)は、かつて新潟県三島郡三島町(現長岡市)大字脇野町に存在した越後交通長岡線の駅である。2面2線の相対式ホームで地上駅である。中間に留置線が存在していた。駅舎は廃止後放置されていたが後に取り壊され、現在は倉庫が建設されている。
P越後交通長岡線の脇野町駅 - 越後大津駅間の廃線跡。
Q越後交通長岡線の脇野町駅 - 越後大津駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。
R越後交通長岡線の越後大津駅跡。
S越後交通長岡線の越後大津駅 - 槙原駅間の廃線跡。踏切跡にレールが残る。
@越後交通長岡線の越後大津駅 - 槙原駅間の廃線跡。コンクリート橋梁が残る。
A越後交通長岡線の越後大津駅 - 槙原駅間の廃線跡。小型の橋梁が落ちていました。
B越後交通長岡線の槙原駅跡。
C越後交通長岡線の槙原駅 - 上与板駅間の廃線跡。
D越後交通長岡線の槙原駅 - 上与板駅間の廃線跡。
 E越後交通長岡線の上与板駅跡。上与板駅(かみよいたえき)は、新潟県三島郡与板町(現長岡市)大字与板に存在した越後交通長岡線の駅である。単式ホーム1面1線の地上駅の有人駅で小さな駅舎があった。上与板駅が開業するまでは与板町には北部に与板駅が所在するのみであり、長岡駅とを結ぶ路線バスが敷かれていなかった当時は南部の利用客にとって不便極まりないものであった。この為、南部の上与板地区(字柳之町)への駅建設が長年望まれており、1928年(昭和3年)に開業した。4年後の1932年(昭和7年)には、長岡鉄道による与板から長岡駅前へ至る路線バスが開業している。駅舎は1983年に取り壊され、周辺には県営アパートが建設された。その後もレールや架線柱が往時のまま残っていたが、2007年に全て撤去され更地となった。その後2011年に遊歩道化されて休憩所ができた。
F越後交通長岡線の上与板駅 - 与板駅間の廃線跡。
G越後交通長岡線の上与板駅 - 与板駅間の廃線跡。
H越後交通長岡線の上与板駅 - 与板駅間の廃線跡。
I越後交通長岡線の上与板駅 - 与板駅間の廃線跡。
 J越後交通長岡線の与板駅跡。与板駅(よいたえき)は、新潟県三島郡与板町(現長岡市)大字与板に所在した越後交通長岡線の駅である。1915年(大正4年)長岡鉄道開業の際に与板町の中心駅として開業。当初は町中心部の三島郡役所・与板町役場周辺に設置される予定であったが架線以外の用地買収が困難であった事から実現せず、結局町の北端である本与板地区に設置された。この為、町の南部の利用者にとっては不便極まりない状況であった事から1928年(昭和3年)南部の上与板地区に上与板駅が開業。利用状況は大幅に改善した。交換設備があった事から与板町に於ける貨物輸送の中心も担っていた。駅は町の北端に所在して中心部から離れていた。周辺は田畑が広がり住宅は少なく、公的機関や商店街が駅前に形成されるには至らなかった。この立地条件は廃線を早める要因の一つとなった。
K越後交通長岡線の与板駅 - 岩方駅間の廃線跡。
L越後交通長岡線の与板駅 - 岩方駅間の廃線跡。
M越後交通長岡線の与板駅 - 岩方駅間の廃線跡。
N越後交通長岡線の岩方駅跡。
O越後交通長岡線の岩方駅 - 町軽井駅間の廃線跡。砂利の部分が廃線跡。
P越後交通長岡線の岩方駅 - 町軽井駅間の廃線跡。
Q越後交通長岡線の岩方駅 - 町軽井駅間の廃線跡。
R越後交通長岡線の岩方駅 - 町軽井駅間の廃線跡。ガーター橋が残る。
S越後交通長岡線の岩方駅 - 町軽井駅間の廃線跡。踏切跡にレールが残る。
S田圃の中に二宮金次郎?多分学校跡と思われる。
@越後交通長岡線町軽井駅跡。
A越後交通長岡線の町軽井駅 - 大河津分水駅間の廃線跡。
B越後交通長岡線の町軽井駅 - 大河津分水駅間の廃線跡。枕木が残る。
C越後交通長岡線の町軽井駅 - 大河津分水駅間の廃線跡。レールが残る。
D越後交通長岡線の町軽井駅 - 大河津分水駅間の廃線跡。枕木が残る。
E越後交通長岡線の大河津分水駅跡。
F越後交通長岡線の大河津分水駅 - 大河津駅間の廃線跡。
G越後交通長岡線の大河津分水駅 - 大河津駅間の廃線跡。踏切跡にレールが残る。
H越後交通長岡線の大河津分水駅 - 大河津駅間の廃線跡。レールが残る。
 I寺泊駅(てらどまりえき)は、新潟県長岡市寺泊竹森にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)越後線の駅である。かつては越後交通長岡線の接続駅であった。土曜・休日・学休日以外の日には、当駅で折り返す吉田方面の列車が1往復設定されている。
 I寺泊駅構造は単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線、合計2面3線を有するの地上駅。両ホームは跨線橋で連絡している。列車の行き違いがない場合は両方向の列車とも、駅舎(北側)に面する1番線から発着する。交換設備の撤去が進んだ中、待避線が2線残されているのは、当駅 - 分水駅間の大河津分水に架かる信濃川分水橋梁が冬場日本海からの強い季節風により度々不通となるからである。POS端末設置の簡易委託駅となっている。燕三条駅が管理する。駅舎内には切符売場、自動券売機の他、トイレなどがある。
 Iこの駅は寺泊駅として開業したが、長岡鉄道(後の越後交通長岡線)が開業すると、寺泊港へ近いそちらの終着駅へ駅名を譲って、当時の駅所在地名(三島郡大河津村)から大河津駅を名乗っていた。越後交通長岡線が廃止となってしばらく後、寺泊町(当時)の玄関駅として、再び寺泊駅へ改称した。越後交通長岡線の大河津駅のプラットホームが残る。
J越後交通長岡線の大河津駅 - 法崎駅間の廃線跡。ここから先廃線跡は道路に転用。
K越後交通長岡線の大河津駅 - 法崎駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
L越後交通長岡線の大河津駅 - 法崎駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
M越後交通長岡線の法崎駅跡。住宅部分が駅舎跡と地元の人が言っていました。
N越後交通長岡線の法崎駅 - 寺泊新道駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
O越後交通長岡線の法崎駅 - 寺泊新道駅間の廃線跡。この先築堤のため道路部分は築堤だった様だ。
 P越後交通長岡線の寺泊新道駅跡。寺泊新道駅(てらどまりしんどうえき)は、かって新潟県三島郡寺泊町(現長岡市)に所在した越後交通長岡線の駅である。1966年(昭和41年)に2代目寺泊駅が廃止されてからは当駅が3代目の寺泊駅になり、1973年(昭和48年)に大河津から当駅間が廃止されるまで寺泊駅名を冠した。小さな木造駅舎と2面2線と貨物用引込線という構造を持つ地上駅で、駅舎内に売店も設置されていた。
Q越後交通長岡線の寺泊海水浴駅跡。
R越後交通長岡線の寺泊海水浴駅跡。
R越後交通長岡線の寺泊温泉駅 - 寺泊駅間の廃線跡。
 S越後交通長岡線の寺泊駅跡。寺泊駅(てらどまりえき)は、新潟県三島郡寺泊町(現長岡市)に所在した越後交通長岡線の駅である。寺泊駅を称する鉄道駅としては、越後鉄道の寺泊駅(現在のJR東日本越後線の寺泊駅(4代))に次いで2代目であり、寺泊の市街地に近いことから当駅の開業時に越後鉄道の初代駅から、駅名を譲り受けた形である。当駅廃止後は、寺泊新道駅が3代目の寺泊駅を称した。小さいながらも立派な木造駅舎と2面2線の構造を持つ地上駅。
戻る Copyright (C) 2008-2016 hotetu.net All Rights Reserved
外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 越後交通長岡線