更新日時 2014年11月18日

 越後交通栃尾線は、新潟県長岡市に本社を置く越後交通が運営していた、長岡市の悠久山駅から長岡駅、見附市の上見附駅を経由して、栃尾市(現・長岡市)の栃尾駅までを結んでいた軽便鉄道路線。長岡駅を中心に長岡市東部を結ぶ軽便線。前身の栃尾鉄道の名から、通称 栃鉄(とってつ)と呼ばれ、小さな車両は「マッチ箱」の愛称で親しまれた。栃尾鉄道は、軽便鉄道としては全国でも例が少ない急行列車を運行しており、また全線電化やCTC化(一部区間)、カルダン駆動の新車の導入などの近代化にも中小私鉄としていち早く着手した。さらに、付帯事業として路線バスの運行のほか、野球場・ホテル・遊園地等沿線の観光開発にも乗り出すなど、誘客策も積極的に実施していた。新潟県中越地方の電車・バス3社合併により越後交通となってからも、沿線住民からは引き続き「栃鉄」と呼ばれて親しまれていたが、1975年に全線が廃止され、同社の路線バスに転換された。
越後交通 栃尾線(廃線)
1973年廃止区間 : 悠久山駅 - 長倉駅 - 土合口駅 - 大学前駅 - 高校前駅 - 長岡駅
1975年廃止区間 : 長岡駅 - 袋町駅 - 中越高校前駅 - 東神田駅 - 下長岡駅 - 下新保駅 - 小曽根駅 - 宮下駅 - 浦瀬駅 - 加津保駅 - 椿沢駅 - 耳取駅 - 名木野駅 - 上見附駅
1973年廃止区間 : 上見附駅 - 明晶駅 - 本明駅 - 太田駅 - 上北谷駅 - 楡原駅 - 栃尾駅
 @悠久山駅(ゆうきゅうざんえき)は、かつて新潟県長岡市悠久町に存在した、越後交通栃尾線の駅である。1973年(昭和48年)4月16日、栃尾線の部分廃止により廃駅となった。駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。ほかに数本の側線を有していた。長らく有人駅であったが、後述のとおり最晩年は無人駅であった。廃線後は越後交通のバス拠点「悠久山車庫」が置かれ、蒼柴神社の表参道に面する地点(悠久町丁字路付近)に木造2階建ての事務所が設けられ、1階には停留所と待合室が設けられた。車庫はのちに「東長岡営業所」と改称したが、停留所の名称は現在に至るまで「悠久山」のままである。旧事務所棟は2004年(平成16年)の新潟県中越地震で損壊し、現在の事務所棟は敷地南側に鉄骨2階建てで新築された。
A越後交通栃尾線の悠久山駅 - 長倉駅間の廃線跡。
B越後交通栃尾線の悠久山駅 - 長倉駅間の廃線跡。
D越後交通栃尾線の長倉駅 - 土合口駅間の廃線跡。
E越後交通栃尾線の長倉駅 - 土合口駅間の廃線跡。
F越後交通栃尾線の長倉駅 - 土合口駅間の廃線跡。
 G土合口駅(どあいぐちえき)は、かつて新潟県長岡市学校町に存在した、越後交通栃尾線の駅である。1973年(昭和48年)4月16日、栃尾線の部分廃止により廃駅となった。駅構造は無人駅。正確な構造は不明だが、列車交換は不可能だった。現在の遊歩道の右端にホームがあり、その上には上屋の待合室が建っていた。
H越後交通栃尾線の大学前駅 - 高校前駅間の廃線跡。
 I高校前駅(こうこうまええき)は、かつて新潟県長岡市学校町にあった、越後交通栃尾線の駅である。1973年(昭和48年)4月16日、栃尾線の部分廃止により廃駅となった。駅跡は当駅前後の廃線跡は「シンボルロード」と呼ばれる遊歩道として整備されており、朝夕には駅名の由来となった長岡高校を始め近隣の学校に登下校する生徒で賑わう。
J越後交通栃尾線の高校前駅 - 長岡駅間の廃線跡。
L越後交通栃尾線の長岡駅 - 下長岡駅間の廃線跡。
 M下長岡駅(しもながおかえき)は、かつて新潟県長岡市愛宕にあった越後交通栃尾線の駅である。1975年(昭和50年)4月1日、栃尾線の全線廃止により廃駅となった。晩年は車庫などが当駅構内へ移設され、当駅-悠久山間の区間列車も多く設定されるなど、同線の拠点的役割を担っていた。駅跡地は越後交通のグループ企業「越後交通工業」本社の敷地となっている。かつての駅構内は駐車場等になっていてホームや線路は撤去されているが、鉄道運行当時の検車庫が同社の倉庫兼作業場に転用されて現存するほか、架線柱も数本残っている。上見附方の線路はこの後、信越線の線路沿いから右にそれ、栖吉川と福島江用水路を渡って下新保駅に至る。なお、栖吉川を渡る手前には線路が栖吉川を渡る築堤跡が見られ、現在では琴平公園として公園の中に遊歩道として残っているいるほか、川を渡る部分には公園からの延長として下新保駅方(新保地区)に渡られるように遊歩道専用の橋が架けられている。専用の橋が出来るまでは鉄橋の橋脚を見ることが出来た。
N越後交通栃尾線の下長岡駅 - 下新保駅間の廃線跡。
 O下新保駅(しもにいぼえき)は、かつて新潟県長岡市永田にあった越後交通栃尾線の駅である。1975年(昭和50年)4月1日、栃尾線の全線廃止により廃駅となった。駅構造は地上駅で、無人駅。詳しい構造は不明だが、列車交換は不可能だった。
P越後交通栃尾線の下新保駅 - 小曽根駅間の廃線跡。
Q越後交通栃尾線の下新保駅 - 小曽根駅間の廃線跡。
 R小曽根駅(こぞねえき)は、かつて新潟県長岡市小曽根町にあった越後交通栃尾線の駅である。1975年(昭和50年)4月1日、栃尾線の全線廃止により廃駅となった。駅構造は地上駅。詳しい構造は不明。開業当初は列車交換不可能だったが、廃止時点では列車交換が可能であった(構造が改められた時期も不明)。有人駅だったが、晩年は委託化された。駅施設は撤去され、空き地となっている。駅の名を留めるものも残っていない。
S越後交通栃尾線の小曽根駅 - 宮下駅間の廃線跡。
 @浦瀬駅(うらせえき)は、かつて新潟県長岡市浦瀬町に存在した、越後交通栃尾線の駅である。1975年(昭和50年)4月1日、栃尾線の全線廃止により廃駅となった。駅構造は地上駅で、有人駅であった。参考文献の写真では相対式ホーム2面2線の構造が確認できるが、片側のホームがすべて写っていないため詳細は不明。駅舎は廃止後も長らく越後交通のバス待合所として利用されてきたが、のちに解体され、現在跡地には同社のバス操車場およびセブン-イレブン長岡浦瀬町店が存在する。なお、長岡駅東口から浦瀬までしか行かないバス(浦瀬行きのバス)はこのバス停で終点となり、ここで長岡駅東口行きとして折り返す。
A越後交通栃尾線の浦瀬駅 - 加津保駅間の廃線跡。
B越後交通栃尾線の浦瀬駅 - 加津保駅間の廃線跡。
C越後交通栃尾線の加津保駅跡。
D越後交通栃尾線の加津保駅 - 椿沢駅間の廃線跡。
E越後交通栃尾線の加津保駅 - 椿沢駅間の廃線跡。
F越後交通栃尾線の加津保駅 - 椿沢駅間の廃線跡。
G越後交通栃尾線の加津保駅 - 椿沢駅間の廃線跡。
H越後交通栃尾線の椿沢駅跡。
I越後交通栃尾線の椿沢駅 - 耳取駅間の廃線跡。
J越後交通栃尾線の耳取駅跡。
K越後交通栃尾線の耳取駅 - 名木野駅間の廃線跡。
L越後交通栃尾線の耳取駅 - 名木野駅間の廃線跡。
M越後交通栃尾線の名木野駅跡。
N越後交通栃尾線の名木野駅 - 上見附駅間の廃線跡。栃尾方面との分岐点。
 O越後交通栃尾線の名木野駅 - 上見附駅間の廃線跡。刈谷田川を渡る単線並列の橋梁が建設されており、廃線後も長らくそのままとされていたが、平成に入ってから歩行者専用の「ふれあい橋」として架け替えられた。7.13水害の後には栃尾線と同水害について書かれた看板が名木野方の袂に設置されている。
 P上見附駅(かみみつけえき)は、かつて新潟県見附市に存在した、越後交通栃尾線の駅である。1975年(昭和50年)4月1日、栃尾線の全線廃止により廃駅となった。駅舎は構内跡地とともに長らく越後交通見附営業所社屋およびバスターミナルとして利用されたが、建物の老朽化と営業所の機能縮小により2003年(平成15年)に解体された。現在、駅跡地は越後交通が分譲する住宅地となっている。当駅はいったんはスイッチバック式でない駅として開業したものの、開業後にスイッチバック式に転換された特異な駅である。これは、「駅をより市街地に移転させたい」という見附町民からの強い要望があったことが理由である。本線の形状はほぼそのままに、上見附駅の周辺だけルートを変更したことによって生じた。
Q越後交通栃尾線の上見附駅 - 明晶駅間の廃線跡。
R越後交通栃尾線の上見附駅 - 明晶駅間の廃線跡。
S越後交通栃尾線の上見附駅 - 明晶駅間の廃線跡。
 @越後交通栃尾線の明晶駅跡。大正4年(1915年)2月、旧栃尾鉄道の開通当初(浦瀬 - 栃尾間)から停留所として共用が始まり、昭和48年(1973年)4月の上見付駅 - 栃尾駅間の廃線により廃止された。
@上の写真と同じ位置の当時の写真。 @明晶駅跡の説明看板が立っている。
A越後交通栃尾線の明晶駅 - 本明駅間の廃線跡。
B越後交通栃尾線の明晶駅 - 本明駅間の廃線跡。
C越後交通栃尾線の明晶駅 - 本明駅間の廃線跡。
D越後交通栃尾線の本明駅跡。
E越後交通栃尾線の本明駅 - 太田駅間の廃線跡。
F越後交通栃尾線の本明駅 - 太田駅間の廃線跡。太田跨線橋より撮影。
F越後交通栃尾線の本明駅 - 太田駅間の廃線跡。太田跨線橋。
G越後交通栃尾線の太田駅跡。
 H上北谷駅(かみきただにえき)は、かつて新潟県見附市上北谷に存在した、越後交通栃尾線の駅である。1973年(昭和48年)4月16日、栃尾線の部分廃止により廃駅となった。駅跡は刈谷田川橋梁から続く自転車道の終点となり、敷地は一面コンクリートが敷かれている。栃尾側はこの先の稚児清水川までの間400mほど路盤が消滅している。
I越後交通栃尾線の上北谷駅 - 楡原駅間の廃線跡。
J越後交通栃尾線の上北谷駅 - 楡原駅間の廃線跡。
 K越後交通栃尾線の上北谷駅 - 楡原駅間の廃線跡。楡原トンネル(旧牛ヶ額隧道 160.87m )道路トンネル用に拡張されたようだ。
L越後交通栃尾線の楡原駅跡。楡原バス停。
M越後交通栃尾線の楡原駅 - 栃尾駅間の廃線跡。
N越後交通栃尾線の楡原駅 - 栃尾駅間の廃線跡。
O越後交通栃尾線の楡原駅 - 栃尾駅間の廃線跡。
P越後交通栃尾線の楡原駅 - 栃尾駅間の廃線跡。
Q越後交通栃尾線の楡原駅 - 栃尾駅間の廃線跡。
R越後交通栃尾線の楡原駅 - 栃尾駅間の廃線跡。
 S栃尾駅(とちおえき)は、かつて新潟県栃尾市(現在の長岡市)に存在した、越後交通栃尾線の駅である。1973年(昭和48年)4月16日、栃尾線の部分廃止により廃駅となった。2012年8月現在、旧駅舎は越後交通及び北越後観光バス(旧・越後柏崎観光バス)が使用しており、同社の栃尾車庫およびバスターミナルが併設されており、かつてのホームがバス乗り場となっている。旧駅舎は越後交通栃尾営業所、北越後観光バス長岡営業所となっており、定期券窓口と待合室が設置されている(定期券窓口は越後交通栃尾営業所の直営)。
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廃線探索 越後交通栃尾線