更新日時 2022年10月20日
東洋活性白土専用線は工場から国鉄糸魚川駅からの引き込み線の積み換えホームまで敷設されており、その路線長は約700mである。この専用鉄道は1982年に工場が閉鎖されたために、同年10月で廃線となった。東洋活性白土は、新潟県糸魚川市で活性白土と酸性白土を製造販売していた企業である。本社と工場は同所にあった。1982年(昭和57年)10月に経営上の問題により会社は解散し、工場は閉鎖された。東洋活性白土は製品(活性白土)と重油の輸送に専用鉄道を使用し、蒸気機関車(2号機)が牽引する貨物列車を運行していたが、2号機は日本で最後の実用蒸気機関車である。姫川下流左岸の今井・須沢地区は白土の鉱石が豊富であり、それを利用するため1925年(大正14年)、新潟県今井村(現糸魚川市)中協に水神白土合資会社が設立された。当時は磨き粉や医薬などに使用された。その後、石油類の脱色に使われ始めてから需要が増え、1936年(昭和11年)に横町に移転して東洋活性白土株式会社に改名し、酸性白土、活性白土を生産した。第二次世界大戦期には軍用の石油精製のため、陸軍管理工場、海軍監督工場となり、航空機ガソリンの精製なども行った。戦争により日本の製油所が壊滅したため需要が激減したが、1950年頃から太平洋沿岸で製油所が復興したために需要が回復した。1950年頃に北陸本線からの引込線として運搬用の軽便鉄道が敷設された。一時は従業員は300人にまでなった。1960年代になって公害防止が叫ばれるようになると廃白土が出る活性白土の需要は減少し、1983年(昭和58年)に工場は閉鎖された。ミニSLは糸魚川小学校と成田ゆめ牧場に寄贈された。 | |
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くろひめ号は糸魚川市の須沢で取れる「白土」を茅部為に1956年(昭和31年)から1982年(昭和57年)まで、東洋活性白土株式会社横町工場から貨物積み込み所までの約700mの運搬用軽便鉄道で使われていたものです。この蒸気機関車の正式名称は東洋活性白土2号機ですが、須沢の白土鉱山に近い黒姫山(標高1221m)にちなんでくろひめ号という愛称がつけられました。産業用としては国内最後の蒸気機関車として有名です。 | |
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@東洋活性白土専用線はこの辺から北陸本線から分岐していた。 | |
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A東洋活性白土専用線の廃線跡。新幹線高架下付近。痕跡は全く残っていない。 | |
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B東洋活性白土専用線の廃線跡。痕跡は全く残っていない。ヤマダ電機の先。 | |
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C東洋活性白土専用線の廃線跡。痕跡は全く残っていない。この辺は工場内 | |
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日本活性白土株式会社青海工場。東洋活性白土とは関係無さそうだ。残念。 | |
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日本活性白土株式会社青海工場。活性白土の残骸? | |
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