更新日時 2015年12月26日

 北陸鉄道小松線は、石川県小松市内の小松駅 - 鵜川遊泉寺駅間を結んでいた北陸鉄道の鉄道路線。モータリゼーションの進行による利用者の大幅な減少により北陸鉄道の経営合理化の対象となり、1986年(昭和61年)5月31日限りで全線廃線となった。小松線の前身となる白山電気鉄道(免許時白山鉄道)は1926年(大正15年)3月に能美郡小松町-同郡中海間の敷設免許状が下付されたことに始まる。やがて戦時体制になり鵜川遊泉寺近くの洞窟に海軍軍需部の施設や中島飛行機の疎開工場が建設された。戦後は通勤・通学の足として1967年(昭和42年)には約212万6000人の利用客があった。しかし以降は並行道路の整備により利用客は急減。1983年(昭和58年)には約62万3000人まで落ちこんだ。駅の無人化など経費の削減をしたが収支は悪化するばかりでついに1984年(昭和59年)に小松市長に小松線廃止の申し入れを行った。折衝は道路整備の遅れもあり難航したが1986年(昭和61年)にバス代行に同意するにいたり同年5月31日限りで小松線の運行を終了することになった。
北陸鉄道 小松線(廃線)
小松駅 - 沖駅 - 打越駅 - 若杉駅 - 加賀八幡駅 - 佐々木駅 - 軽海駅 - 鵜川遊泉寺駅
 @小松駅(こまつえき)は、石川県小松市土居原町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線の駅である。小松線の始発駅で、国鉄の東側に位置し、車庫と乗務区が置かれていた。駅舎正面には「北鉄電車 鵜川遊泉寺行」と表示していた。一部文献・webサイトでは「新小松駅」と表記されているものがあるが、開業から廃止まで一貫して「小松駅」である。
 @小松駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する高架駅。改札口は1か所のみ。ホームは全体が屋根に覆われている。列車運転指令上では、1番のりばが「下り本線」、2番のりばが「中線」、3番のりばが「上り本線」となっている。通常の発着には1番・3番のりばが使われ、2番のりばは特急列車の待ち合わせや金沢方面からの列車の折り返しに使われている。当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大聖寺駅 - 美川駅間の各駅を管理している。北陸新幹線は相対式ホーム2面2線を持つ高架駅として計画されている。
 @北陸鉄道 小松線の小松駅 - 沖駅間の廃線跡。北陸鉄道 小松線は小松駅から東へ真っ直ぐ延びていた。
A北陸鉄道 小松線の小松駅 - 沖駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用されている。
 B北陸鉄道 小松線の沖駅周辺。沖駅(おきえき)は、石川県小松市沖町に存在した北陸鉄道小松線の駅である。1986年(昭和61年)に廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線の無人駅で、線路の南側に位置していた。駅開設当時の主力車両で乗降口にステップがないモハ1000形に合わせるため、ホーム面は他の駅よりも高く作られていた。
C北陸鉄道 小松線の沖駅 - 打越駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用されている。
D北陸鉄道 小松線の沖駅 - 打越駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用されている。
 E北陸鉄道 小松線の打越駅跡。打越駅(うちこしえき)は、石川県小松市打越町に存在した北陸鉄道小松線の駅である。1986年(昭和61年)に廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線の無人駅。線路より南側に位置した。小松工業高校に近いために通学生の利用が多く、小松線の他の無人駅よりも大き目の待合室が設けられていた。跡地は4車線道路の歩道部分となっており、現在の打越北交差点の東側が駅の存在した所に当たる。この道路は加賀産業道路との交差部分まで続き、小松線の痕跡は完全に消し去られている。
 F北陸鉄道 小松線の若杉駅跡。若杉駅(わかすぎえき)は、石川県小松市若杉町に存在した北陸鉄道小松線の駅である。1986年(昭和61年)に廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線の無人駅。跡地は4車線道路の敷地となっており、痕跡は完全に消滅している。
G北陸鉄道 小松線の若杉駅 - 加賀八幡駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用されている。
 H北陸鉄道 小松線の加賀八幡駅跡。加賀八幡駅(かがやわたえき)は、石川県小松市八幡町に存在した北陸鉄道小松線の駅である。1986年(昭和61年)に廃駅となった。駅構造[は対面式ホーム2面2線で、上りホームに面して木造の駅舎があった。廃止時まで駅員が配置されていたが運転業務のみ行い、出札業務は行われていなかった。跡地は4車線道路の敷地に含まれており、駅舎と保線区の建物があった部分はバス停留所として使用できるよう幅が広くなっているが、バス路線は通っていない。
I北陸鉄道 小松線の加賀八幡駅 - 佐々木駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用されている。
 J北陸鉄道 小松線の佐々木駅跡。佐々木駅(ささきえき)は、石川県小松市佐々木町に存在した北陸鉄道小松線の駅である。1986年(昭和61年)に廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線の無人駅。国道360号(南側)と小松市道(北側)に挟まれる形でホームがあり、ホームは線路より北側に位置していた。近くに小松市立女子高校(当時)と小松商業高校の2校があり、通学生の利用が多く、乗降客数は小松駅に次いで多かった。
K北陸鉄道 小松線の佐々木駅 - 軽海駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用されている。
 L北陸鉄道 小松線の軽海駅跡。軽海駅(かるみえき)は、石川県小松市軽海町に存在した北陸鉄道小松線の駅である。1986年(昭和61年)に廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線と小松駅方から分岐する貨物側線1本があり、ホーム上に木造の駅舎があったが無人化後は荒廃していた。跡地は空き地となっていたが、2000年(平成12年)頃に2車線の道路が造られた。この先鵜川遊泉寺駅に向かって梯川の堤防までの間は、徐々に勾配を上ってゆく築堤がほぼ完全な形で残されている。
 M北陸鉄道 小松線の軽海駅 - 鵜川遊泉寺駅間の廃線跡。北陸鉄道 小松線の最大の遺構のガーター橋が残る。
N北陸鉄道 小松線の軽海駅 - 鵜川遊泉寺駅間の廃線跡。この先梯川に橋梁が架かっていた。
O北陸鉄道 小松線の軽海駅 - 鵜川遊泉寺駅間の廃線跡。
 P北陸鉄道 小松線の鵜川遊泉寺駅跡。鵜川遊泉寺駅(うがわゆうせんじえき)は、石川県小松市遊泉寺町に存在した北陸鉄道小松線の駅である。1986年(昭和61年)に廃駅となった。駅構造は片面ホーム1面で、機回しが可能な側線があったが、晩年は小松駅側のポイントが撤去されていた。ホームの小松駅寄りに木造の駅舎があり、川沿いには変電所が置かれていた。駅跡は空き地となっており、代替バスの停留所名も鉄道駅時代の鵜川遊泉寺とされている。
 Q加賀佐野延長線:1945年(昭和20年)に当駅から能美線の加賀佐野駅へ延長して同線と接続する計画が立てられた。第一期工事として河田(こうだ)駅までの工事が行われ、中間には埴田(はねだ)駅が設置される予定だったが、開業に至らぬまま中止され、既に完成していた路盤は放棄された。駅から延びる築堤はその名残である。
R北陸鉄道 小松線の加賀佐野延長線の鵜川遊泉寺駅 - 埴田(はねだ)駅間の未成線跡。
S北陸鉄道 小松線の加賀佐野延長線の鵜川遊泉寺駅 - 埴田(はねだ)駅間の未成線跡。
 遊泉寺銅山は1807年に創業、当時は藩の有力な財源であった。明治に至って採掘権が明治維新の志士、土佐藩士竹内網に渡り後に長男竹内明太郎氏、吉田茂元首相の実兄が当鉱業の経営に当たった。明治40年には鉱山から小松まで軽便鉄道を施設し、採掘を人力より機械化するために、神子清水発電所を建設し、製錬方法も溶鉱炉に、さらに電気分銅所を設置して、その規模を拡大した。大正5年頃には純銅を生産する鉱山として、従業員も1600人を数え、家族も合わせて5000人が住み、病院、郵便局、小学校、衣料や雑貨屋、魚屋、料理屋、質屋等軒を並べた鉱山町を現出した。遊泉寺銅山私設鉄工所として小松鉄工所を設置し操業した。大正10年5月小松鉄工所を分離独立し株式会社小松製作所とした。
 遊泉寺銅山の゚(からみ)銅の製錬作業で溶鉱炉で精鉱を溶かすと(かわ)と呼ばれる銅を多く含んだ物と、その他の不要分(鉱石から銅を取ったかす)に分かれ、この不要部分を゚(からみ)といいます。ここに使われている゚は、1個の重さが約30kg〜40kgでその形状は四角柱をしており、遊泉寺銅山で造られたものです。この四角柱の゚は、国内では遊泉寺銅山だけのもので、四角形の特徴を活かして、築壁用として使用されました。亀甲゚(きっこうからみ)ここに使われている゚は、1個の重量が約60kg〜80kgでその形状は六角柱をしており尾小屋鉱山だけのもので、その形状から亀甲゚と呼ばれ、六角形の特徴を活かして築壁用として使用されました。
遊泉寺銅山の当時の写真。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『小松市』を掲載」
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