更新日時 2016年02月06日

廃線探索 有田鉄道線
 有田鉄道線(ありだてつどうせん)は、かつて和歌山県有田郡吉備町(現在の有田川町)の藤並駅と金屋口駅とを結んでいた有田鉄道の鉄道路線。2002年12月31日限りで廃線となった。有田鉄道は、沿線で穫れた木材や蜜柑(有田みかん)などの農産品を、積出港である湯浅港まで運搬する目的で、1913年2月に設立された。1915年5月28日に海岸駅 - 下津野駅間、1916年7月1日に下津野駅 - 金屋口駅間が開業した。1926年8月8日に紀勢西線(1959年に紀勢本線と改称)が藤並駅まで開通し、有田鉄道も藤並駅を新設して紀勢西線との連絡を行った。藤並駅から国鉄線を通して、蜜柑を満載した「蜜柑列車」が全国へ運行されるようになった。紀勢西線と並行していた海岸駅 - 湯浅駅 - 藤並駅間は「不要不急路線」として1944年12月10日に休止されレールが撤去された。1950年4月から紀勢西線湯浅駅まで乗り入れるようになり、藤並駅 - 海岸駅間は1959年4月3日に廃止された。なお、廃線敷の一部は後年紀勢本線の複線化の際に転用されている。2001年11月1日からは運転本数が1日2往復(最終列車は藤並12:00発)に減らされ、公共交通機関としての使命を放棄したような状態になっていた。このことは、「最も運行本数の少ない私鉄路線」として全国にて有田鉄道の名を知らしめることになった。晩年期の利用者数は1日平均29人で、有田鉄道が鉄道廃止の意向を示した時も、元々バスの定期券で並行する同社鉄道線の利用が可能だったため、さほど本数の減少及び廃止による影響はなかったらしく、地元から廃止反対の声はほとんど上がらなかった。このため、2003年10月31日限りという予定で2002年10月に路線廃止の申請を行なったが、廃止を早めても影響は全くないと判断されたため、10か月繰り上げた2002年12月31日限りで廃止となった。
駅一覧 路線距離(営業キロ):5.6km(海岸駅 -金屋口駅9.1km)
海岸駅 - 湯浅駅 - 吉川駅 - 藤並駅 - 明王寺駅 - 田殿口駅 - 下津野駅 - 御霊駅 - 金屋口駅
 @大仙堀:平安時代の頃から海運の要衝であった湯浅は、湯浅広港を擁する港町として栄えた。大仙堀は湯浅湾に注ぐ山田川(北川)河口に設けられた内港で、築造年代は江戸時代と考えられる「醤油堀」とも呼ばれ、醤油やその原材料の積み下ろしで賑わいをみせた。醤油醸造蔵から直接小舟に積み込まれた醤油は、沖に停泊している大型船に積み替えられ、樽の中で海路を揺られながら紀州藩を後に各地へと出荷されていった。大正4年、湯浅に有田鉄道が開通すると港湾の積み荷を鉄道で運ぶようになり、貨物専用の「海岸駅」の線路が大仙堀の埠頭の端まで架けられた。昭和19年に線路が撤去されてのち東側の舟泊場が埋め立てられ、昭和30年〜40年代には鉄道跡が道路となり、浜も埋め立てられ現在に至っている。湯浅広港周辺は時代と共にその姿を変えてきたが、今も石積みの護岸に醤油蔵が建ち並ぶ大仙堀の景観は、港町に栄えた醤油醸造文化の歴史を今日によく伝えている。
@大仙堀のこの辺まで有田鉄道の線路が延びていた。
@大仙堀と醤油発祥の地。道路の部分に有田鉄道の線路が延びていた。
Aグリーンのネットが架かっている場所が有田鉄道の海岸駅が有った場所。
B有田鉄道の海岸駅 - 湯浅駅間の廃線跡(道路が廃線跡)
C有田鉄道の海岸駅 - 湯浅駅間の廃線跡(道路が廃線跡)
D有田鉄道の湯浅駅跡(裁判所が有った場所が駅跡)
E有田鉄道の湯浅駅 - 吉川駅間の廃線跡(湯浅中学のグランドが廃線跡)
F有田鉄道の湯浅駅 - 吉川駅間の廃線跡(廃線跡は国道42号線に合流する)
G有田鉄道の湯浅駅 - 吉川駅間の廃線跡(国道42号線が廃線跡)
H有田鉄道の廃線跡は紀勢本線の熊井踏切の辺で合流し紀勢本線の複線化に利用。
I有田鉄道の湯浅駅 - 吉川駅間の廃線跡(紀勢本線上り線に転用)
J有田鉄道の湯浅駅 - 吉川駅間の廃線跡(紀勢本線上り線に転用)
K有田鉄道の吉川駅跡(空き地が駅跡)
L有田鉄道の吉川駅 - 藤並駅間の廃線跡(手前側の紀勢本線上り線に転用)
M有田鉄道の吉川駅 - 藤並駅間の廃線跡(水尻踏切より撮影)
N有田鉄道の吉川駅 - 藤並駅間の廃線跡(赤山踏切より撮影)
 O藤並駅(ふじなみえき)は、和歌山県有田郡有田川町大字明王寺(みょうじ)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の駅。2008年3月15日のダイヤ改正により特急停車駅に昇格し、大阪方面行き1本を除く全ての特急「くろしお」と、「スーパーくろしお」「オーシャンアロー」の一部が停車する。旧吉備町の代表駅だが、その中心からは離れている。かつては有田鉄道有田鉄道線が当駅から出ていた。駅構造相対式ホーム2面2線を有する地上駅。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。2008年に橋上駅となり、東西に出入り口ができた。それ以前は和歌山方面行きホーム側(現在の西口側)に木造平屋建ての駅舎があり、反対側の御坊方面行きホームへは跨線橋で連絡していた。有田鉄道のレールが放置された状態だったが改良工事で撤去された。その後、切符売り場、ホーム、安全確認用ミラーも撤去された。現在跡地は東口の駅前広場、駐輪場、有田鉄道線跡を利用したサイクリングロードの一部などに活用されている。
 O藤並には元来有田鉄道が走っていたが、当駅は1926年(大正15年)8月に、紀勢西線の紀伊宮原駅から当駅までの延伸に伴って開業した。有田鉄道は紀勢西線との接続を図って同時に藤並駅を紀勢西線の駅の隣に開設、当駅は開業当初から有田鉄道との接続駅であった。戦争が始まると、二つの鉄道が湯浅と藤並の間で並存しているという状況が好ましくないとされ、1944年(昭和19年)12月、有田鉄道の藤並駅から湯浅駅を経て海岸駅までが「不要不急線」として休止になり、その後1959年(昭和34年)4月に廃止された。なお、有田鉄道はこの後1950年(昭和25年)4月に、当駅から紀伊湯浅駅(現在の湯浅駅)までの紀勢線乗り入れを開始している。その後、紀勢本線の全通や国鉄分割民営化を経たのち、有田鉄道が2003年(平成15年)に廃止された。2007年(平成19年)頃から駅舎の建て替え及びホームの延長、改良工事が行われ、翌年春のダイヤ改正より新駅舎を使用開始した。
O有田鉄道の藤並駅跡。
P有田鉄道の藤並駅 - 明王寺駅間の廃線跡(紀勢本線土生街道踏切)
Q有田鉄道の藤並駅 - 明王寺駅間の廃線跡。
R有田鉄道の明王寺駅跡。
S有田鉄道の明王寺駅 - 田殿口駅間の廃線跡。鉄橋が残る。
S有田鉄道の明王寺駅 - 田殿口駅間の廃線跡。鉄橋が残る。
S有田鉄道の明王寺駅 - 田殿口駅間の廃線跡。
@有田鉄道の明王寺駅 - 田殿口駅間の廃線跡。
A有田鉄道の明王寺駅 - 田殿口駅間の廃線跡。
B有田鉄道の明王寺駅 - 田殿口駅間の廃線跡。
 C有田鉄道の田殿口駅跡。田殿口駅(たどのぐちえき)は、和歌山県有田郡吉備町(現・有田川町)野田に存在した有田鉄道の駅。
 C有田鉄道の田殿口駅跡。田殿口駅構造は無人駅。駅舎はコンクリート造りである。1面1線のホームがあるほか、トイレがある。かつては隣接する選果場からの側線があり、果実(みかん)輸送専用の貨車を留置していたという。
D有田鉄道の田殿口駅 - 下津野駅間の廃線跡。
E有田鉄道の田殿口駅 - 下津野駅間の廃線跡。
F有田鉄道の田殿口駅 - 下津野駅間の廃線跡。
G有田鉄道の田殿口駅 - 下津野駅間の廃線跡。
H有田鉄道の田殿口駅 - 下津野駅間の廃線跡。
I有田鉄道の田殿口駅 - 下津野駅間の廃線跡。
 J有田鉄道の下津野駅跡。下津野駅(しもつのえき)は、和歌山県有田郡吉備町(現・有田川町)下津野に位置した、有田鉄道の駅。
 J有田鉄道の下津野駅跡。下津野駅構造は無人駅だが、屋根のついた駅舎があった。ホームは1面1線で、トイレが設けられていた。また、腕木式信号機が残っていた。
K有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。橋梁が残る。
L有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。有田鉄道時代の鉄橋が残る。
M有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。
N有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。
O有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。
O有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。
P有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。
Q有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。
R有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。橋梁が残る。
S有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。
@有田鉄道の下津野駅 - 御霊駅間の廃線跡。
 A有田鉄道の御霊駅跡。御霊駅(ごりょうえき)は、和歌山県有田郡吉備町(現・有田川町)庄にかつてあった、有田鉄道の駅。
A有田鉄道の御霊駅跡。御霊駅構造はコンクリート造り、単式ホーム1面1線の地上駅で、無人駅であった。
A有田鉄道の御霊駅跡。旅客運賃表が残る。
B有田鉄道の御霊駅 - 金屋口駅間の廃線跡。
C有田鉄道の御霊駅 - 金屋口駅間の廃線跡。
D有田鉄道の御霊駅 - 金屋口駅間の廃線跡。
E有田鉄道の御霊駅 - 金屋口駅間の廃線跡。
F有田鉄道の御霊駅 - 金屋口駅間の廃線跡。
G有田鉄道の御霊駅 - 金屋口駅間の廃線跡。
H有田鉄道の御霊駅 - 金屋口駅間の廃線跡。
I有田鉄道の御霊駅 - 金屋口駅間の廃線跡。車輪のモニュメントが設置されている。
J有田鉄道の御霊駅 - 金屋口駅間の廃線跡。
 K有田川町鉄道公園(ありだがわちょうてつどうこうえん)は和歌山県有田郡有田川町徳田にある鉄道公園である。D51 1085:1944年日本車輌製造製の蒸気機関車。旧吉備町が日本国有鉄道から貸与を受け、1977年より藤並駅裏(現東口)に静態保存されていたが2010年2月13日深夜から14日にかけ移設した。現所有者はJR西日本。管理者は有田川町。
K有田川町鉄道公園内に線路が残っている。
L有田川町鉄道公園内に線路が残っている。踏切から撮影。
 L永年にわたり沿線の発展に寄与した有田鉄道を末永く後世に伝えることを主な目的のひとつとし、同鉄道の廃線後に整備計画が立案され、町有地となった旧有田鉄道金屋口駅構内を整備し、2010年(平成22年)3月20日に開園した。
 Lキハ605:紀州鉄道より譲渡された車両で、1952年に宇都宮車両で製造された。以来常磐炭礦→岡山臨港鉄道→紀州鉄道と流転をたどり、在籍した3社のうち実に2社が廃線となっている。紀州鉄道では試運転の際に振動が激しく使い物にならないと判断され、一度も営業運転に就くことなく紀伊御坊駅の側線で放置された。その後同会が入手し有田鉄道の協力のもと旧金屋口駅構内に保存された。有田鉄道が同車を購入したとするのは誤報である。有田鉄道廃止後も旧金屋口駅車庫奥で保管され、蒲原鉄道の木造貨車などとともに整備中であった。しかしながら、長らく雨ざらしで放置されていたことと、部品取り車となっていたため車体および機関の状態は劣悪で、今後は移動可能な静態保存車両として整備される予定である。現在は他の貨車等と共に旧金屋口駅ホームで留置中である。公園のオープンにあわせて再塗装がされたが、室内は倉庫としたままの状態である。
 LDB107:元三菱石油水島専用線所有車。かつて有田鉄道が所有していたDB20と形式が似ていることから、当時のものと同じ塗装などを施し再現したもの。ワ12、ト1:元蒲原鉄道の木造貨車。
 L旧金屋口駅をそのまま利用したもので、駅舎・ホームと車庫及び両者を結ぶ約150mの線路が保存されている。展示車両の動態保存運転では、この線路が使用されている。基本的には非公開区域であるが、有料体験乗車会実施日には同会参加者のプラットホーム立ち入りが許可される事がある。軌道は当公園開園に伴い新たに整備されている。
 Mハイモ180-101有田鉄道からの譲渡車で樽見鉄道からの移籍車。有田鉄道線廃止時まで使用された。  Mキハ58003(有田鉄道)2010年に金屋口駅跡地を整備して開園した有田川町鉄道公園で動態保存。
 M有田鉄道の金屋口駅跡。金屋口駅(かなやぐちえき)は、かつて和歌山県有田郡吉備町(現・有田川町)徳田にあった、有田鉄道有田鉄道線の駅である。
M有田鉄道の金屋口駅跡。改札口。 M昭和5年の有田鉄道沿線案内図。
 M有田鉄道の金屋口駅跡。金屋口駅構造は地上駅。ホームは1面1線であったが、構内に車両基地があり、それにともなう運転扱いがあったため、有田鉄道線唯一の有人駅であった。出札窓口は、ハイモ180-101導入によるワンマン運転実施時に閉鎖された。駅前にはバスターミナルがある。
M有田鉄道の金屋口駅跡。
M蒲原鉄道の木造貨車。ワム1。 Mヨ6114:元国鉄所有の車掌車。
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