廃線探索 逓信省鉄道局(官設鉄道)深谷駅−長岡駅

更新日時 2011年06月10日

 東海道線(官設鉄道)深谷駅−長岡駅(現・近江長岡駅):東海道本線の延伸の歴史は、最初は新橋駅 - 横浜駅間と、神戸駅 - 京都駅間という都市文化の象徴であったが、その後、関東と関西を結ぶ幹線として計画されるようになった。なおその際、すでに長浜駅 - 関ヶ原駅間に、建設資材の輸送などを目的として鉄道が開業しており、既存路線を積極的に活用して建設予算を低減する方針から、東海道本線の名古屋 - 草津間は江戸時代の東海道ではなく、美濃路と中山道に沿うルートでの敷設となった。1883年(明治16年)5月1日:関ヶ原駅 - 長浜駅間が開業。この区間は伊吹山が途中にあり現在のルートとは異なる。関ヶ原駅・春照駅が開業。長浜駅で官設鉄道金ヶ崎駅方面に接続。1889年(明治22年)7月1日関ヶ原駅 - 深谷駅 - 馬場駅(現・膳所駅)間の開通時に、長岡駅(現・近江長岡駅)開業。1891年(明治24年) 1月12日:深谷駅 - 長浜駅間が貨物支線として運行再開。本線との分岐点に(貨)深谷駅が開業。1899年(明治32年)10月15日関ヶ原駅との間に、現在の柏原駅廻りのルートである勾配緩和線が開業。深谷駅廻りの旧線は休止(同年12月28日廃止)。
1899年廃止:関ヶ原駅 (0.00km) - (貨)深谷駅 (7.34km) - 春照駅 (10.60km) - 上阪駅 - 長浜駅 (23.03km)
(貨)深谷駅 (0.00km) - 近江長岡駅 (2.88km)
東海道線(官設鉄道)関ヶ原駅−長浜駅リンク
 @近江長岡駅(おうみながおかえき)は、滋賀県米原市長岡にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)東海道本線の駅である。もともと、現在の国道365号に沿った旧線から米原駅方面へ分岐されたルート上に設置された駅であるため、関ヶ原駅 - 米原駅において当駅付近のみ北側へ迂回しているような線形となっている(国道21号や東海道新幹線、名神高速道路等は直進している)。このため、当駅から関ヶ原駅まで半径402mのカーブが多数あり、制限速度80km/hの区間が頻発する。
 @近江長岡駅構造は島式ホーム2面4線を有する地上駅。駅舎は構内西側にあり、2つのホームとは地下通路で連絡している。東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、大垣駅が当駅を管理している。1999年頃に、直営駅から業務委託駅に変更された。みどりの窓口が設置されているが、JR東海では、現在は簡易委託駅にもマルス端末が設置されているためか、窓口の「みどりの窓口」マークは消去されている。通常は本線である2・3番線のみ使用する。1・4番線は待避線であり、1番線は一部の列車が使用するが、2010年度ダイヤでは4番線への旅客列車の発着はない。
A近江長岡駅の貨物駅跡が残る。
B近江長岡駅の貨物駅跡が残る。住友大阪セメント伊吹工場専用線の0キロポスト。
B近江長岡駅の貨物駅跡が残る。
C近江長岡駅の貨物駅跡が残る。水路に橋台跡が残る。
D住友大阪セメント伊吹工場専用線跡との分岐点。
 E東海道線(官設鉄道)深谷駅−長岡駅(現・近江長岡駅)間の廃線跡。東海道新幹線の下を潜る。当時は東海道新幹線は無かった。
E東海道線(官設鉄道)深谷駅−長岡駅(現・近江長岡駅)間の廃線跡。
F東海道線(官設鉄道)深谷駅−長岡駅(現・近江長岡駅)間の廃線跡。
G東海道線(官設鉄道)深谷駅−長岡駅(現・近江長岡駅)間の廃線跡。
H東海道線(官設鉄道)深谷駅−長岡駅(現・近江長岡駅)間の廃線跡。
I東海道線(官設鉄道)深谷駅−長岡駅(現・近江長岡駅)間の廃線跡。
J東海道線(官設鉄道)深谷駅−長岡駅(現・近江長岡駅)間の廃線跡。近江鉱業大野木工場前。
K東海道線(官設鉄道)深谷駅−長岡駅(現・近江長岡駅)間の廃線跡。
L東海道線(官設鉄道)深谷駅−長岡駅(現・近江長岡駅)間の廃線跡。
 M東海道線(官設鉄道)深谷駅跡。1891年(明治24年) 1月12日:深谷駅 - 長浜駅間が貨物支線として運行再開。本線との分岐点に(貨)深谷駅が開業。深谷駅(ふかたにえき)は、かつて滋賀県米原市(当時の坂田郡伊吹村)の東海道本線の旧線上に存在した駅(廃駅)である。
 M東海道線(官設鉄道)深谷駅跡。1883年(明治16年)の開業当初、東海道線は関ヶ原から長浜に向かっていたが、その線上にあった駅である。1889年(明治22年)、同線の途中(当駅のあった位置)から分岐して、長岡(現在の近江長岡)から米原を経由して馬場(現在の膳所)に至る延長線が開業した。その際、分岐点〜長浜間は休止となったが、1891年(明治24年)に同区間が貨物線として営業を再開した際に、長岡へ向かう本線との分岐点に新設された貨物駅である。しかし、関ヶ原駅〜深谷駅間は25‰の急勾配が連続するうえ、冬季の積雪も多い難所であったため、1899年(明治32年)に現在の柏原経由の勾配緩和新線が建設されて、本線はそちらに変更された。それにともなって、関ヶ原〜深谷〜長岡間、深谷〜長浜間の旧線は廃止されることとなり、当駅もそれと運命をともにしたのである。
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