更新日時 2016年01月12日

廃線探索 京都大学芦生研究林軌道
 京都大学芦生研究林軌道:京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林(きょうとだいがくフィールドかがくきょういくけんきゅうセンターしんりんステーションあしうけんきゅうりん、略称:京都大学芦生研究林)は、京都府南丹市美山町にある京都大学の研究施設である。1921年に当時の京都帝国大学初の国内演習林として北桑田郡知井村九ヶ字共有林約4,200haに地上権を設定し、同地を芦生演習林と称したことから始まり、その後1923年の農学部設置に伴い学生や研究者向けの学術研究及び実地研究の場として活用されたほか、大学の財産形成の場として、伐採に伴う用材収入や製炭事業などでの収入が用いられた。近畿地方に残る数少ない大規模天然林であり、中には原生林もあることから、芦生原生林や芦生の森とも呼ばれることがあるほか、現在でも旧称の芦生演習林で広く通じている。演習林の開設後は、戦前は森林軌道が開通した由良川源流域を中心に伐採が行われ、伐採跡にはスギの造林が行われた。戦後は林道の開設に伴って大規模伐採を実施、1950年代後半から1960年代中期にかけてピークを迎えた。その後伐採規模は縮小し、1990年代以降はほとんど伐採されることがなくなった。日本の大学研究林(演習林)で森林鉄道が設置されたのは、奥秩父の山中にある東京大学秩父演習林内に設置された東京大学演習林軌道の他に例を見ない。演習林事務所から由良川源流に沿って中山に至る区間に軌道を敷設することが計画された。工事は1927年に事務所から大蓬までの軌道敷開削工事が完成、翌1928年には七瀬まで完成した。当初完成したのは路盤だけであったが、軌道の敷設工事も行われ、1934年には事務所〜赤崎間にレールを敷設、1936年には大蓬まで延伸された。1950年には軌道の敷設区間が野田谷まで延伸された。先に路盤が完成していた七瀬まであと少しの距離であったが、ついに七瀬までレールが延びることはなかった。1950年代以降の大規模伐採の時代には、赤崎西谷や赤崎東谷に引込み線が設けられ、伐採された材木の搬出に活用されていたが、1960年代中期に沿線での伐採事業が終了すると森林軌道の利用価値は低下、沿線の苗畑や作業所への通勤や資材、苗の搬入に使われる程度となった。それも1975年前後に終了すると、使用頻度が更に低下、1980年代以降になると施設の老朽化が進んだことから、灰野より奥へ運転されることはなくなった。
芦生事務所 - 灰野谷 - 赤崎西谷 − 赤崎東谷 - コヨモギ作業所 - 刑部谷 - カヅラ作業所 - 七瀬谷
@京都大学芦生演習林事務所手前のふるさとの自然観察路看板に軽便鉄道の文字が書かれている。
 @京都大学芦生演習林事務所手前の芦生・灰野−佐々里峠ハイキングコース案内図に軽便鉄道の文字が書かれている。
 @京都大学芦生演習林事務所手前に美山町芦生公民館の無料駐車場があり、トイレも駐車場の角に有る。
A京都大学芦生演習林事務所構内入口。
A芦生研究林案内図。カズラ作業所まで軌道が書かれている。
B芦生研究林資料館。土日は休み。
 B芦生研究林資料館の棟続きは元機関庫?機関庫に続くレールが残っているが、本線のレールとは切断されている。中には林業で使うウインチがトロッコの上に乗っている。
 B芦生研究林資料館の前の建物も元機関庫のようである。現在は倉庫として使われている。この機関庫には、本線にレールが接続されている。
B左分岐後切れているレールが、芦生研究林資料館側機関庫へ。右が本線に繋がっているレール。
 B当研究林では、当初、トロッコを人力や馬力で押し上げ、下りはブレーキを操作しつつ滑走していた。その後機関車を導入して作業の効率化を図ったが、機関車といってもトロッコの台枠に農業用のエンジンを搭載し、その上に簡単な屋根を乗せただけのものだったので、屋台形機関車と呼ばれていた。機関車以外にもトロッコの台枠にミゼットのエンジンを搭載した自走式人車もあり、こちらは林内の巡視などに使用されていた。また、大規模伐採時期には業者が機関車やトロッコを持ち込んで使用していたが、こちらの実態については不明である。現在の森林軌道は林内の巡視などのために灰野までの区間で極めて不定期ながら運行されている。灰野から先は落石や倒木、あるいは赤崎の大Ωループ橋のように朽ち果てて倒壊した木橋などが連続しており、軌道の復活はおろか歩行も困難を要する。
 B京都大学芦生演習林事務所構内のレール。敷設された軌道の軌間は762mmで、レールの重さは6kgないし4kg、枕木は伐採された栗材やブナ材に腐食防止用のクレオソート油を塗ったものを使用した。
Bこの倉庫にもレールが設置された跡が有り、倉庫内にレールが残る。
B平成20年度に芦生研究林森林軌道が近代化産業遺産に指定されている。
 C小野子東谷(左方向真っ直ぐ)と本谷軌道(右方向の由良川を渡る橋)の分岐点。1942年に由良川を渡る橋が完成、1943年には小野子東谷にあった作業所まで軌道の延伸が行われ、七瀬までの本線区間が本谷軌道と呼ばれたのに対して小野子仮軌道と名づけられた。1944年には小野子仮軌道の途中から分離して小野子西谷を遡上する区間が延伸されたが、この区間は仮軌道とは言いながらも線路を内務省の由良川堰堤工事事務所から借用したものを使用するなど、路盤も線路も本谷軌道より高規格のものが使用された。
 C1973年にたびたび水害で流されてきた由良川橋梁を鉄筋コンクリート製の橋に架け替えたほか、最近、由良川橋梁に、歩行者の転落防止のために手すりが取り付けられている。
D京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。
E京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。水飲み場が有る。
 F京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。民家があるが、川が有るため、この軌道の道を来ないと、この民家には来られない。
 G京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。枕木を一部コンクリート製のものにするなど軌道の整備が行われた。
H京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。トロッコの交換所が有った。
I京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。
 J京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。鋼鉄製の桁橋に架け替えられた。
 K京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。鋼鉄製の桁橋に架け替えられた。
 L京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。鋼鉄製の桁橋に架け替えられた。
M京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。
N京都大学芦生研究林軌道の芦生事務所 - 灰野谷間の現役の森林軌道。
O京都大学芦生研究林軌道の灰野谷停車場。
 O灰野の歴史:寛永15年(1638年)この頃より由良川下流15qにある南・北村さらに中・田歌村から芦生奥、赤崎、灰野などに山番を派遣して定住させる。翌年には赤崎より更に奥、小ヨモギ、大ヨモギ、などに南村より12人定住する。慶安3年(1650年)北村より7人灰野に定住する。更に奥、七瀬・中山にも寛文5年(1665年)に木地師が居住していた記録があり、その後も各地に居住する人たちがいたが、昭和35年に灰野が廃村となった時には由良川最上流の集落であった。最盛期には、8軒、旅人相手の宿もあって、今も芦生の集落に残っている松上げや、盆踊りが盛大に行われていた。人によっては山仕事の他、ヤマメを釣って売り、冬には狩猟を行って生活していた。
O1993年には灰野橋が鋼鉄製の桁橋に架け替えられた。
P灰野谷川を渡ったところの灰野集落跡。
P灰野集落跡の神社。一級河川由良川の起点がこの辺。
Q京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間の現役?の森林軌道。
R京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間。廃線が色濃くなっていた。
R京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間。芦生奥。
S京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間。芦生奥以降は廃線確定。
@京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間の廃線跡。
A京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間の廃線跡。倒木が軌道跡を塞ぐ。
B京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間の廃線跡。架設の橋梁が設置されている。
 国土地理院の1/25,000地形図「中」では1979年修正、1981年5月発行版まで「特殊軌道」の記号で表されていたものが、1991年修正、1992年5月発行版では「徒歩道」の記号で表されている。
C京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間のトロッコ交換所。
C京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間のトロッコ交換所。
D京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間の橋梁。
E京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間の廃線跡。
 F京都大学芦生研究林軌道の赤崎西谷橋梁跡。1950年代以降の大規模伐採の時代には、赤崎西谷や赤崎東谷に引込み線が設けられた。
F京都大学芦生研究林軌道の赤崎谷東橋梁跡。赤崎の大Ωループ橋のように朽ち果てて倒壊した木橋。
G京都大学芦生研究林軌道の赤崎東谷 - コヨモギ作業所間の橋梁。
H京都大学芦生研究林軌道の赤崎東谷 - コヨモギ作業所間。
I京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所。
I京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所。生活の痕跡が残る。
I京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所。
J京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の橋梁跡。
K京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の廃線跡。落石が軌道を直撃している。
L京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の橋梁跡。
M京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の廃線跡。
N京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の廃線跡。大蓬谷。
O京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間ののトロッコ交換所跡。
P京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の橋梁跡。
Q京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の橋梁跡。
R京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の廃線跡。フタゴ谷。
S京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の廃線跡。
 S京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の廃線跡。橋が崩壊しかけていて立入禁止だが、この先で数名の方と出会う。写真では解りづらいが、谷側は急斜面で転落すれば、大怪我は間違いないであろう。この橋を渡るのは自己責任です。
@京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の廃線跡。
A京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の橋梁跡。
 A京都大学芦生研究林軌道の小蓬(コヨモギ)作業所 - 刑部谷間の廃線跡。土砂で廃線跡が埋まっている。
B京都大学芦生研究林軌道の刑部川の橋梁跡。
C京都大学芦生研究林軌道の刑部谷 - カヅラ作業所間の廃線跡。
D京都大学芦生研究林軌道の刑部谷 - カヅラ作業所間の橋梁跡。
E京都大学芦生研究林軌道の カヅラ作業所の廃線跡。
E京都大学芦生研究林軌道の カヅラ作業所跡。
E京都大学芦生研究林軌道の カヅラ谷の橋梁跡。
F京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の廃線跡。動物の骨が散乱している。
G京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の廃線跡。レールも自然に帰りつつある。
H京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の廃線跡。ここにも動物の骨が散乱している。
I京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の橋梁跡。
J京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の廃線跡。トロッコ交換所跡。
K京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の橋梁跡。
 L京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の橋梁跡。レールはここで終わっている。先に路盤が完成していた七瀬まであと少しの距離であったが、ついに七瀬までレールが延びることはなかった。
M京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の未成線跡。路盤及び橋梁は完成していた。
N京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の未成線跡。路盤及び橋梁は完成していた。
O京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の未成線跡。路盤は完成していた。
P京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の未成線跡。路盤は完成していた。
Q京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の未成線跡。築堤が残る。
Q京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の未成線跡。築堤にカルバートが残る。
R京都大学芦生研究林軌道のカヅラ作業所 - 七瀬谷間の未成線跡。築堤が残る。
S京都大学芦生研究林軌道の七瀬谷作業所の未成線跡。七瀬谷作業所の遺構が残る。
S京都大学芦生研究林軌道の七瀬谷作業所の未成線跡。路盤はここで終わっている。
 国土地理院の1/25,000地形図「中」では1979年修正、1981年5月発行版まで「特殊軌道」の記号で表されていたものが、1991年修正、1992年5月発行版では「徒歩道」の記号で表されている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『美山町芦生』を掲載」